第2-30話 バディブリージング
家の中に入ると、煙はそれほど充満しているわけではなかったが、壁面に炎が燃え広がっている段階で、火災が急成長するまでは時間との勝負だった。
「時間がない!二手に分かれるぞ!俺達は一階、江尻チームは二階を検索してくれ!」
内部にて村下チーム、江尻チームに分かれた。
俺は佐原の動きが気になった。しかし、
(やっぱコイツ・・・。まともに屋内進入なんてしたの初めてだろうに、落ち着いて行動してやがる)
佐原は右手でしっかりと俺の安全帯を握り、離れなかった。奇声を発したり、臆したりもしない。
「進入江尻から各隊へ、要救助者発見!建物二階部分、階段登ってすぐにあるトイレ前!」
俺と佐原は言葉もなく踵を返し、急いで江尻達のもとへ向かった。
そこには大人が一人寝そべっており、江尻達がドアの前に小さくなって居た。
「あとの二人は?」
「この中です・・・」
江尻がそう言うと僅かに「うぅ」という小さな声がした。
ドアは少しだけ開放されており、十五センチほどの隙間があった。
「できるだけ姿勢を低くして、呼吸を浅くしてください」
石田が中の要救助者に声をかけ続けていた。
聞いて確認したわけではないが、明らかに何らかの理由で”ドアがこれ以上開かない”ことが見て取れた。
「何故だ?」などという質問もしないし、疑問も持たない。きっと火災の衝撃か熱によってドア枠がひしゃげて開かなくなったのだろうが、理由がわかったところで何も解決しない。
「子供は中か?」
「はい。おそらく」
俺は少しだけ考えて、ドアの隙間に右手を突っ込んだ。
「お母さん。聞こえますか?私は村下といいます。お子さんをこの隙間に通すことはできますか?」
相手は小さな声で「はい」と答えてから、俺が突っ込んだ右手をギュッと握った。
俺はその手を掴み直し、もっと強く握った。
「俺達は消防隊です。あなたのお子さんは必ず助けます。心配だとは思いますが、俺達に預けていただけませんか!?」
握った手の力で反応を伺った。
「もちろん、旦那さんもあなたも必ず救出します!」
ギュッと握り返したのを感じて、俺は手を離し、隙間の中でサムズアップを作った。
俺の手首が捕まれ、子供の脇の下に誘導された。俺は子供の脇を掴むと、抱き込むように隙間から引っ張り出した。
(ムラさん、でもどうやって・・・)
明らかに江尻が不安な眼差しを俺に向けた。
俺は強く頷いてから指示した。
「サハラ!この子を抱いて脱出しろ!いけ!」
「俺はこの男性を引きずって出す!エジ・・・イシ・・・」
二人を見回した。と同時にマスクの中でニヤリを笑った。
「バディブリージングだ・・・。マスクはずせ!」
俺がそう指示すると、石田はすぐさまマスクに手をかけ、江尻は海外のコメディ映画のようなリアクションをしてみせた。
「時間がない。あとは任せた!」
つまり、バディブリージングとは一つの空気呼吸器を二人で使うものだった。どちらかのマスクを要救助者に吸わせ、もう一方のマスクを江尻と石田が二人で使う。
やり方は教えてある。
佐原は走った。
マスクの中で「俺が助ける。俺が助ける」と言い続けていたのがわかった。
俺は男性の脇を掴む。
「必ず戻る。頼んだぞ」
二人を置きざりにし。
後ろ向きに引きずり、階段もガタガタとなんとか支えながら引きずった。
一階に降りたところで佐原が戻ってきた。
「子供は?」
「ナカソネさんに引き渡しました!」
そう言って男性の襟首を掴んだ。
玄関先まで引きずっていくと、鈴木隊長と渡部救急隊長、武林が待ち構えていた。
渡部隊長と武林が男性を引き受ける。鈴木隊長は室内を覗き込んでいた。俺と佐原しか出てこないことに気づいて、
「二人は?」
と聞いてきた。
俺は時間が惜しいと思って手短に説明した。
「女性の救出にはエンジンカッターを要します!でもそのまま放置してれば煙で死んでしまう!アイツらを置いてきました!バディブリさせています!」
そう言いながら消防車に向かって戻る俺と佐原を鈴木隊長が追いかけてきた。
横目に木浜小隊がホース延長しているのが見える。
その時だった。
「このままだと火災が延焼拡大する!先着した敷島は何やってるんだ!なんでホースを伸ばしてない!」
木浜小隊長の相本隊長が俺の肩を掴んだ。
激しく流れていた時間がピタッと止まった。
佐原は固まったように動かない。
(コイツが佐原の敵か・・・)
俺は肩をグルンと大きく回し、掴んだ手を払った。
「説明している時間はありません!」
俺は歩を進めた。
相本隊長は、進む俺達を追いかけてくる。
「てめぇ、なんだその態度は!」
俺は歩くのをやめ、佐原に「エンジンカッターと空気呼吸器を用意してくれ」と頼んだ。
だらんと頭を下げてから説明を始めた。
「それは失礼いたしました。建物内部には隊員が二名、要救助者が一名まだ残っています。自分と佐原が再度進入して救出にあたりますので、いましばらく放水はお控えください」
丁寧に説明したが、相本隊長の怒りがおさまる様子はなかった。
鈴木隊長が相変わらず「まぁまぁ」と穏やかに割って入るが、それを避けて食ってかかってきた。
「お前らはお前らの好きなことをやるってことだな!わかった。ではこちらも好きに延焼防止のため放水にかかる!」
「そうですか。わかりました。お好きにどうぞ」というわけにはいかなかった。
小さく溜め息を付いてから、
「まだ中には人が居ます。いま放水すれば室内の温度が混ざって蒸し焼きになります。しばらくお待ち下さい」
そう説明したが、論理が通じるような状態ではなかった。
「なんで俺がてめぇみたいな下っ端に指図されなきゃならねぇ!」
そのとき、佐原が消防車からエンジンカッターと空気呼吸器を持って戻ってきた。
俺は諦めて室内に戻ろうと振り返って進み続けた。
「待て!村下!てめぇ!」
と後ろから罵声を浴びたが、俺達は止まらなかった。
ズカズカと玄関に向かっていく。気がつくと隣に居るはずの佐原の姿が横目で見えなくなっていた。
俺は歩くのをやめ、後ろを振り向くと、佐原が立ち止まっていた。
「ムラさん、先行っててください」
と言って、持っていたエンジンカッターと空気呼吸器を俺に差し出した。
俺は「サハラ」とこぼしながら、目を逸らすことなくそれらを受け取った。
佐原は強くうなずくと振り返った。バッと大きく両手を広げ、
「ここから先には行かせません!まだ中には仲間がいるんです!絶対に放水はさせません!」
強く言い放った。
相本隊長はギョッと驚いてみせたが、そのあと不敵に笑った。
「てめぇ、誰だよ」
俺は睨みつけたものの口を出さなかった。
「僕は、鈴木隊長の部下で、敷島小隊所属の佐原と言います!」
「フッ、そこどけよ!」
「どきません。ムラさん、行ってください!」
「てめぇら、こんなことして、命令違反だぞ!」
佐原の表情は見えなかったが、見なくてもどんな顔をしていたかはわかる。
「サハラ!ぜったいどくなよ!」
そう残して室内に向かっていった。
この度は第2-30話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
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