第2-27話 誰にも助けられない

 佐原は言い放ったまま目を見開き、荒く呼吸している。

 全員が固まってその場に立ち尽くした。俺はヘルメットを深く被り直し、佐原の方を向いた。

「助けられません・・だと?」

俺がそう聞き返すと一気に場が凍りついた。

 そこには佐原の荒い呼吸だけが響く。

「そんなの・・・当たり前だろう」

 佐原は呼吸以外微動だにせずこちらを睨んでいる。俺は笑って続けた。

「お前になんか誰も助けられる訳ないだろう」

それから真顔になって佐原を睨み返した。

「俺は元救助隊だ。だけど、俺にだって・・・誰も救えない」

俺は近づいていき、前のめりに膝をついている佐原の前にしゃがみ込んだ。

「俺にも・・・鈴木隊長にも渡部隊長にも、エジやイシ、タケやナカソネにも・・・誰にも人なんて救えない。どんなに技術を磨いたって、どんなに知識を詰め込んだって、どんなにがむしゃらに頑張ったって、人一人にそんな力無い!・・・俺はいままで、気が遠くなるくらい訓練を重ねてきた。実力もある!自信もある!でもなぁ、お前らがしっかりしてくれねぇと、まともに消防士なんてやってられる自信がねぇ!」

言い放った俺の方が息が上がっていた。

「アイツ見てみろ」

そう言って、江尻の方を指した。

「アイツなんかなんも持ってねぇぞ。体力も無ければ技術や知識も無い。でもな、俺はアイツがいねぇと火事の中に入っていけねぇ」

立ち上がって、今度は消防車を指さした。

「お前にどんな力があるかなんて関係ねぇ。お前は今日、敷島の消防車に乗る。だから今日は、お前がいねぇと俺も鈴木隊長も、誰のことも助けられなくなる」

顔が見えるようにヘルメットをグイッと上げた。

「だから立て。お前にはまだ足がくっついてる。もうどうにもこうにも諦める他ないってまでは諦めなくていい。足がもげるまでは進むことを諦めなくていい」

佐原は下を向いた。

「お前が火事の中で動けなくなったら、俺がなんとしてでも引きずり出してやるから!」

「下向くな」と俺が発しようとした瞬間、佐原はそれを静止するように手を挙げた。

「最後にします。これで最後にしますから」

そう言うと佐原は、目を瞑ったまま空を見上げ、深く息を吸い込みゆっくりと吐き出した。

「僕にもできますか?」

何も答えずに待った。

「僕にも、誰かを救ったりできますか?」

「だからできねぇって言ってんだろ」

俺が笑いながら答えると、佐原の顔が晴れた。

「でもあなた達は全く諦めてないじゃないですか。一人一人が全員”自分が助けるんだ”って信じ込んでるじゃないですか」

正座した佐原は天を仰いだまま涙を目尻に流した。

「佐原さん、行きますよ。今日は人形ですが、要救助者が俺達を待ってます」

やっと石田が入ってきた。

 江尻が、佐原と繋がっているロープを二回引く。ロープ信号で「はじめ」という合図を送った。

 佐原はだらんと垂らした腕を振り上げ、地面に強く叩きつけた。

「クソ!僕とあなた達、何がそんなに違うんですか!」

そう言うと進入姿勢の構えを見せ、大きく放った。

「佐原消防士、行きます!」

(佐原、何も違わねぇよ!)


 防災無線から流れる十六時三十分の合図とともに訓練は終了した。夕日を背に撤収作業にかかるだらけた消防士達は、いつにもまして英雄の様相を身に纏った。

「今日は体力トレーニングはいい!みんなでメシ、作ろうか」

背中に投げかけた言葉の返事は、振り返りもせずに誰が言ったかもわからない「はーい」という煩雑なセリフで返ってきた。

 一人残った訓練場に鈴木隊長が近づいて来る。

「褒めて伸びるやつなんていない・・・か」

そう言うと、嬉しそうに遠くを眺めながら続けた。

「ちっと教育が古くねぇか?」

「どの口が言ってんすか」

隊長は首をかしげてみせた。

「結局自分のなかで、何が”パワハラ”で、何が”厳しい教育”なのかなんてわかりませんでした」

「そんなもん、俺にもわからねぇ。きっと加害者にもわからねぇよ」

隊長は少し寂しそうな顔をした。

「でもよ、お前が一番信じてたんじゃねぇか?」

「はい?」

「”コイツがいつか人を救う”って・・・お前が一番信じてやってたんじゃねぇか?」

俺は気恥ずかしそうに下を向いて笑った。

「どこでそんな技術身につけたんだか」

隊長はそう言うと、俺を残してそそくさと事務室へ向かっていき「早くメシにしてくれー」と話を終わらせた。

 俺は何も言わず、その背中をずっと眺めた。


「てめー、じゃがいもの切り方も知らねぇのか!」

厨房に怒号が響く。

 武林が佐原の切り方にいちゃもんをつけた。

「じゃがいもはな、こうやって切るんだよ!」

偉そうに教示する武林をよそに、俺達は手早くカレーの支度を進めた。

 厨房の入り口にある小窓からは渡部隊長が今か今かと覗き込んでいる。

 夕食が出来上がると、皿に白米だけを盛り付け、食堂のテーブルにドンッと鍋ごとカレーを置いた。

 何も言わなくても、それぞれが順番でカレーをよそう。

「いただきます!」

鈴木隊長の合図とともにディナーの時間が始まる。

 疲れた身体に濃い味のカレーは染み渡る。

 黙々と食べ続けていると、ガシャンという大きな音が響いた。

 見ると、佐原がスプーンを皿の縁に落とした音だった。そして佐原は下を向いていた。

「うぅぅ」

佐原がうめき声とともに額を掴む。

 咄嗟にみんなが反応して「どうした?」と声をかけると、佐原はうめき続けた。

「うぅぅ、うぅぅ」

よく見ると涙を流しているようで、みんなが固まった。

「うぅぅ、こんな美味いメシ、久しぶりに食べました・・・」

一瞬の間を置いてドッと笑いが起きた。

「なんだそれ!」

みんなが口々にツッコんだ。

「消防署に入ってから、最初は”こんな最高な職場、他にはない”って思ってたんです」

佐原が嗚咽混じりに話し始めた。

「トレーニングできて、美味いメシ食えて、休みは多いし、それでいて人の役に立つ仕事、他にはないって思ってたんです。それがいつしかプレッシャーに追いやられて、色んなことがうまくいかなくなって、気づいたら・・・メシすら味がしなくなってました。・・・こんな美味いメシ、久しぶりに食べました・・・」

俺達は言葉を失いながらも、嬉しさで笑顔がこぼれた。

「当たり前だろ。敷島カレー、マズイはずがねぇ」

俺がそう言うと、端からグスッグスッという音が聞こえてきた。

「なんでタケが泣いてんだよ!」

渡部隊長のツッコミとともに、またしても笑いが巻き起こった。

「佐原、このカレーはな、俺がコイツらに仕込んだんだよ」

鈴木隊長の戯言で食堂は騒がしさを取り戻した。

 この男が本当に仕込んだのはカレーの作り方なんかではない。




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