第2-26話 負の感情

 その日から一日の勤務が格段に多忙になった。

 毎日毎日訓練を朝から晩まで行う。しかし不思議としんどさは無い。決められた計画通りにこなしていく日々は、江尻や石渡にとっても、佐原にとっても、体力的なキツさこそあれ、しんどさは無いように見えた。

 佐原も少しずつ自分の気持ちを表すようになってきた。といっても、まだまだ感情が外見から読み取れるほどオープンなわけではない。

 佐原が抱えている闇について本当に思慮を尽くした。なんとなくぼんやりと脳みそではわかっていても、それをうまく言葉にしてやれないもどかしさに悶えた。

 それでも、もう少し心が開けるまでは精神的教育は控えた。それよりも単純に無機質に技術を磨いてやることで彼の中の盾を厚く厚く塗り固めようと思った。


 佐原が敷島出張所に勤務してから七回目が経過した日、暦では半月以上が経過していた。

 この日の訓練は複合訓練だ。通常、訓練はフェーズごとに分けて行うが、複合訓練とはそれらを掛け合わせる。

 火災防御活動におけるホース延長、要救助者救出、消火作業などこれら一連の流れを状況を変えて何度も何度も行う。繰り返し行うことで体力的な消耗の考慮や、欠乏した体力のなかでどれだけクリアに冷静に判断するかを養う。

 実施する彼らが飽きないように念入りに計画を立て準備をしてきた。

 基本的には訓練の内容に関していつもオープンにしている。仕事の終わりには次の仕事で取り組む訓練の内容を伝えておくことで、休みの間に自習するよう促してきた。それでも今日は適当に誤魔化して内容を伝えていなかった。

 俺が「今日の訓練は複合火災活動訓練だ」と発表すると、江尻や石田は渋い顔をしながらもどこか嬉しそうだった。これが若手職員の典型的な反応だろう。

 佐原はというと、相変わらず顔色を変えなかった。良く言えば冷静なのだが、これでは現場で感情が読み取れない。感情が読み取れなければ信用はできない。ときには無茶な命令をしなければならないときもある。そんなとき無機質な返事しか返ってこなければ頼れない。人間らしい感情こそがチームをまとめる。


 江尻達が見せた渋い顔も、訓練開始前には引き締まる。

 俺の「訓練開始」の合図が時々ボクシングのゴングに聞こえると江尻が言っていたことがあった。

 「それでは訓練かかれ!」

俺は盛大にゴングをかき鳴らし、彼らにとって地獄の一日が始まった。

 最初のうちは、誰しもが元気を見せつける。

「おらー、ちゃんと声出せー」

という俺の煽りにも元気に答える。

 そのうちその返事が弱まっていき、いつしか舌打ちや溜め息に変わる。

 それでいい。

 その負の感情が人を育てる。

 「世間には”褒めて伸ばす”なんてものがあるが褒めて伸びるヤツなんて居ない。褒めて伸びるのは、せいぜい教える側が期待したラインが限界だ。ときに俺達の想像を遥かに超える成長を見せるヤツがいる。そいつが持っているのは負の感情だ。”見返してやる”でも”コイツを超えてやる”でもなんでもいい。そうやって思わせてやらないと、急激な成長なんてしない」

かつて、俺にそう教育した人が居る。いや、むしろ俺が関わってきた先輩達はみんなそうだった。

 それがいつしかパワハラだのコンプライアンスだのという横文字が登場したせいで、薄れつつある。

 しかし、俺が悶えていたのもそこだった。

 ”厳しい教育”と”パワハラ”の狭間。これを明確にしたかった。

 自分自身それがいまひとつ理解できずにこの訓練を始めた。これまでもそうやってやってきたし、このやり方が間違っているとも思わない。

 一番は俺自身の訓練だったのかもしれない。


 複合訓練を三回繰り返したところで、午前の訓練は終了した。

 昼食は救急隊の武林と仲宗根が準備してくれていて、それをそそくさと平らげると、訓練者達は午後の訓練に備えた。

 俺は喫煙所で何度も溜め息をついた。しかしそれはネガティブな溜め息ではなく、何かを待ちぼうけしているような溜め息だった。

 「もう少しだな」

鈴木隊長が横から声をかけてきた。

「そうですね。もう少しで見えそうなんですけどね」

俺がそう答えると、隊長は不思議そうな顔をした。

「ん?何が見える?」

俺はハッとして訂正した。

「あ、いや、ごめんなさい!別のこと考えてました!もう少しで訓練期間が終わりますね!」

俺がレールに沿った答えを返すと、それも違ったらしい。

「いや、佐原のことだよ」

そう言うと隊長はタバコも吸わずに事務室に戻っていった。多分、俺に気を遣った。

 (佐原がもう少し?)

なんだろうと思いながらも、俺は三本目のタバコに火をつけた。


 午後の訓練は一層激しさを増した。

 誰しも疲労からエラーが増える。こちらとしては、どんどんとツッコミ所が増えてくる。

 訓練場には「あー」といううめき声が響く。動きを見ても消防士のそれではない。まるでゾンビが徘徊するような動きだ。

 それでも追い込んでやることが、必死に戦う者達への最大のリスペクトだと信じている。

「おらー、しっかり声出せ!」

「てめーら、そんなんで要救助者が救えんのか!」

「キツイか?なら助けてくださいって言ってみろ!」

「誰かが待ってんのに、そんなにのんびり走んのか!」

 彼らの自尊心を傷つけないように、それでも一切の甘えを許さなかった。

 救急隊も加わって彼らのケツを叩く。あまりの苛烈さに武林や仲宗根はほとんど発さなかった。


 十三時から始まった訓練は、十四時三十分に休憩を挟み、いよいよラストスパートにかかる。

 それは休憩から一時間が経った頃だった。

「もういけません」

佐原が止まった。

「もう動けません」

佐原は息も絶え絶えに続けた。

「あ?」

「もう足が動きません」

「足?いやまだ付いてんだろう。もげてから言ってこい!」

俺が強く答えると、佐原は静かに下を向いた。

 何かをブツブツと言っている。

「あ?文句あんなら言ってみろ!」

佐原はそれでもブツブツと続けた。

「僕には・・・僕には・・・」

佐原の呼吸がどんどん早くなる。

 息が上がりきったところで、グッと顔を上げた。

「僕には、人を助けることなんてできません!」

 佐原正宗という男がやっと現れた瞬間だった。




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