第2-25話 更生計画

 昼の休憩時間、俺はパチパチとパソコンを打っていた。どうしてもこの時間に仕上げたいものがあった。

 午前の訓練をやっているときに思いついたことだ。

 もともとあった文書の日付やスパンを打ち替える。出来上がったそれをプリントアウトすると、それを鈴木隊長のもとに持っていった。

「今更ですが、訓練予定表です」

俺はこの一ヶ月の訓練予定を一覧にして提出した。といっても、以前使用していたものを流用しただけだ。

「了解。まぁ他業務に支障のないようにな」

隊長はその一覧表を見て一瞬眉間を動かしたが、切り替えて当たり障りなく答えた。

 そのあと、渡部救急隊長をはじめ全員に配った。

 渡部隊長はその紙を受け取ると「イイねイイねぇ」とニヤついた。と同時に「ん?」と、うめき声を上げ、紙を凝視した。

「コレ、一ヶ月でやるのか?」

やっと俺の無謀さに気づいたらしい。

「はい。完遂できるかはわかりませんが、できるだけ目指します」

俺が強い目でそう言うと、渡部隊長が近づいて小さな声で聞いた。

「コレ、お前達が三ヶ月かけてやった訓練内容だろ。あれでも十分目一杯だったのに・・・。グッツリやんのもいいけど、そんなに追い込んで大丈夫か?」

心配そうな声を出した。

「わかりません。でもやりますよ。午前中の訓練見ました?なに言っても”はい”しかいわねぇんすよ。もうアッタマきました。完全に俺のことナメてます」

渡部隊長は完全に引いた目で「えぇー」と漏らし、

「お前が熱くなってどうすんだよ」

軽く俺をたしなめたが、俺の怒りは止まらない。

 俺が作った訓練計画書は本来三ヶ月ほどかけて取り組む量だった。それを一ヶ月間でやろうとしていた。それは誰にとっても地獄のような一ヶ月になることを意味していた。


 「佐原、コレが計画表だ。見ておけ」

佐原は紙を受け取ると、顔色一つ変えずに眺めた。

 もう別に反応を期待したりしない。

「コレ見てどう思う?」

俺がそう聞いても顔色は変わらなかった。

「とても多い訓練量だなと思います」

「違う、俺が聞いてんのは客観的事実じゃない。お前がどう思うか聞いてるんだ」

そう返すと佐原は黙った。

「答えろ。なんでもいい」

俺は逃げ道を許さなかった。「黙っていれば済む」「静かにしていれば時間が過ぎる」という考え方が許せなかった。

 でも理解できないわけではない。気持ちはわかる。実際はそうしてしまう佐原にではなく、そうさせてしまう環境に苛立っていた。

「・・・こんな量、できるんでしょうか?」

「それでいい。わかんねぇけどやるんだよ」

俺は険しい顔を崩さずに答えた。


 午後の訓練が始まった。相変わらず訓練は無機質に進んでいく。

 午後の訓練はホース延長訓練。といっても、基本的な操作訓練をやっても面白くない。いくつもの環境的変化を加えて行う。

 ただ真っ直ぐ延長してもつまらない。立体環境や狭隘空間、長距離延長や特殊環境などの想定を作り出し、それぞれの活動に指示をせず自分達で判断させる。

 ホース延長訓練は、訓練自体はそれほどキツイものではないが、伸ばしたホースは巻かなければならない。それがなんともしんどい。夕方にもなれば十分クタクタになる。


 夕方には訓練を終わりにして、体力トレーニングの時間を入れた。

 そこでも佐原をギタギタに痛めつけた。江尻や石田は普段からやっているから慣れている。初めての佐原にはキツイことはわかっていた。

 トレーニングが終わってから俺は佐原に質問をした。

「本署じゃ体力トレーニングはやんないのか?」

「なかなかできる時間がありません。というより、下っ端は事務室で電話番をしろと言われています」

「お前達が電話番をして、そのとき隊長達は何やってんの?」

「隊長達は、食堂でテレビを見ているか、仮眠室にいます」

予想どおりの答えが返ってきた。

(腐ってんな)

そう思わずにはいられなかった。


 夕食が終わって、喫煙所に行くと鈴木隊長が居た。

 何かを言ってくるかと思ったが、以外にも何も言わなかった。少し不思議に思ったが、すぐに「隊長らしいな」と思い直した。

 束の間の休憩時間を過ごすと、夜の訓練が始まる。

 夜は積載はしごの取扱訓練。

 消防署の訓練は日中に行われることが多い。それでも災害は夜にも起こる。ましてや悪環境で起きることが多い。

 この環境による違いを感じてもらう。

 ただ、これも鈴木隊長だからこそできる訓練であって、他の隊長では叶わない。

 他の隊長であれば”危ない”という矛盾した理由によって却下される。俺には矛盾に感じていたが、どうやら通説はそうではないらしい。この相違こそが敷島小隊が”異端児”と言われる所以だろう。

 俺はさらなる負荷をかけるため、ヘルメットに付いているヘッドライトの点灯禁止を指示した。


 訓練が終わると、時間はもう二十一時三十分になっていた。

 俺達は急いで資器材を撤収し、一斉に風呂に入った。敷島の風呂は大きい。一斉に四人が入れる。

 俺が「一気に入っちゃうぞ」と声をかけると、佐原は「狭くなっちゃうと思うので僕は後に入ります」と言った。

「”お誘い”だと思った?命令だよ」

と笑顔で返して、佐原を急かした。

 風呂後の一服を終えると、今度は会議室のホワイトボードを前に机を並べた。

「今日のテーマは”火災の性質”だ」

と声をかけて講習会を始めた。

 これに関しては初歩的な内容を話す。

 火災の特性は話せばキリがない。何日かをかけて説明していくつもりだ。

 知識は武器になる。それを知っているからこそ、徹底的に叩き込みたかった。


 そうして激動の一日が終わった。

 消防署で迎える次の日の朝は、とんでもなく気だるい。

 掃除や朝食の用意などに取り掛かっていても、会話一つなくなる。

 家に帰ってもその疲労は残り、豪快に昼寝をしてしまった。

 それでも休みの間ずっと気にかかったのは、あれほど激動の勤務をしていながら、佐原が一睡もしていなかったことだった。

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