第2-23話 被害者

 「みんなもすでに噂では聞いているかもしれないが、次の当直から”佐原消防士”がウチの班で勤務する。理由はみんなもわかっていると思う。よろしく頼む」

 サキちゃんがアメリカに経ってから一週間が経った頃、仕事終わりに鈴木隊長から伝えられた。

 隊長が言ったように、すでに風の噂で聞き及んでいた。


 佐原正宗、二十四歳、消防士

 彼はもともと本署に勤務していた。

 ある日、突然仕事に来なくなった。

 理由はパワーハラスメント。

 パワハラの理由や真意については、多くが隠された。わかっていたのは「本署消防隊の相本小隊長との間に何かあった」ということだけだ。

 一ヶ月後に大倉小隊長の居る柳出張所に正式に異動する。その前に、一ヶ月だけ敷島出張所で勤務することになった。このワンクッションが何かを意味していることは、みんなわかっていたが、真相を求める者はいない。


 鈴木隊長から通達された日の帰りがけ、俺は隊長に呼び出された。

 「なんで佐原がウチに来るかわかってるな?」

 「さて?」

と俺はとぼけてみせた。

 「とぼけるな。佐原がどんなやつなのかはわからないし、何があったのかは本人達にしかわからない。それでも若い消防士を潰すわけにはいかない。これは大人達の責任だ」

「隊長が引き取ったんですか?」

「あぁ。お前ならなんとかできるだろ」

「他じゃ”佐原が変り者だ”って言ってる人達も居ますよ。そんなの引き取ったら、また敷島は頭おかしいって言われちゃいますよ」

俺は隊長も理解していることをあえて口に出した。

「じゃあお前だったらどうすんだ?」

 俺は鼻歌を鳴らしながら知らないフリをして隊長に背中を向けた。

 「潰すな。なんとかしろ」

 隊長の声色が変わった。

 それに反応して、目を細めて「はい」と太く返事をした。


 確かにパワハラ被害者のフォローは難しい。

 現に佐原の処遇に関して秘密裏に開かれた部隊長会議では、引き取り手が居なかった。その部隊長会議が開かれたのが、先日の林野火災が起こった日で、鈴木隊長や大倉隊長が不在だった。

 林野火災から帰った両隊長が”引き取り手が見つからなかったこと”を聞いて憤慨したらしい。

 もちろん秘密裏に開かれた会ゆえに公にはならなかったが、その噂は広まった。

 できることが可能なら、鈴木隊長が全権で引き取るところが人数の関係で断念した。佐原が正式にウチに来ることになれば、消防隊の誰かが異動しなければならない。救助試験を控えたウチのメンバーにそれはできなかった。よって鈴木隊長と大倉隊長の間で話し合いがなされ、敷島出張所でワンクッションをおいたのち柳出張所に異動することが正式に決まった。


 「おはようございます」

朝イチの挨拶でその日の気分や感情をだいたい察することができる。

 ”はじめまして”の人でもその言葉一つでどんな人間かを汲み取ることができる。

 佐原の言った「おはようございます」は俺の通説どおりだった。

「おはよう」

 俺がそう返してもそれ以上会話は続かない。

 勤務が始まってからも、それは変わらなかった。

 俺や隊長達が何を言っても「はい」しか返ってこない。江尻や仲宗根がふざけていても笑顔一つ見せなかった。

 佐原は淡々と仕事をこなすだけの、まるで機械のような動きをした。


 「想像以上だな」

朝の点検をしながら、周りに聞かれないように江尻にひっそりと漏らした。

「前に半年だけ一緒に仕事したことがあります。前はあんなヤツじゃありませんでした」

「そうか。どんなヤツだった?」

「明るい元気なヤツでしたよ。冗談も言うし、自分の意見を持っている隊員でした。でも、アイツの気持ち・・・わかります」

 江尻はかつて同じ立場だった。上司は違えど、きっと同じ思いをしてきたのだろう。

「追い込まれると、自分を殺すんです。意見を持たないようにして、言われたことだけを淡々とこなすんです。その方が当たり障りないですから」

 江尻が言った「自分を殺す」という言葉が異様に自分の中で引っかかった。人を助けるべき人間が自分を殺さなくてはならないという事実に怒りを感じた。


 その日の勤務は特に予定がなかった。

 佐原を預かっている間、できるだけ仕事は入れないように鈴木隊長にお願いしていた。隊長も佐原に関しては俺に一任してくれていた。

 朝の点検が終わって、ミーティングが始まる。

 「ムラ、今日の予定は?」

「今日は特に何も無いので、終日訓練をやりたいと思います」

俺がそう言うと鈴木隊長は小さく頷いた。そのあと、細かに業務連絡を伝え、改めて佐原の自己紹介の時間を作った。

 鈴木隊長が声をかけた。

「佐原、これから一ヶ月よろしく頼む。軽く自己紹介でもしてくれ」

隊長の言葉に佐原はスッと立ち上がった。

「佐原正宗といいます。二十四歳です。これから一ヶ月間よろしくおねがいします」

全員がコケた。

「おいおい、それだけかぁ?」

渡部隊長が思わず言葉にした。

「まぁまぁ、おいおい色々話してくれ」

鈴木隊長がまとめたが、一息置いてさらに続けた。

「ところで・・・変な詮索や憶測も嫌なのであえてこの場で言っておくが・・・自分もわかってると思うが、本来柳出張所に異動するはずが、ここ敷島に一ヶ月来ることになった意味はわかるな?」

 俺達は息を飲んだ。隊長が何をいうのかと。

 佐原が口をつぐんでいると、鈴木隊長が続けた。

「ここは更生施設じゃねぇ。傷を癒やす保養所じゃねぇ。いいか?お前を消防士として使い物にならせるために呼んだ」

そう言うと鈴木隊長は事務室を出ていった。

 残された俺達はどんな顔をしていいか分からず、それぞれが少し険しい顔をした。

 それでも佐原の無表情は変わらず、それを見た俺は、心の中で溜め息をついた。

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