第2-22話 鎮圧報
右手にはホースのノズル、左肩は石田を支えた。
「山を登る前、隊長に”最後の砦”と言われた。ここにお前を置いていったって、ドラマみたいにお前が死んじゃうわけじゃねぇ。でもな、お前をここに置いていくわけにはいかない。最後まで戦わせる。引きずってでも連れて行く。”休んでろ”なんて言わねぇ。わけわかんねぇがなんかダメな気がする」
俺が前を向きながら強く言うと、突然石田が俺の肩を払った。
真っ直ぐに呆然と立ち尽くし、下を向いた。
何かをぶつぶつ言っている。
「・・・ワケわかんねぇ。ワケわかんねぇっすよ。あんただってこんなに頑張ったって、なんもないじゃないっすか。別に誰かの命を救えるわけでもないし、給料が上がるわけでもない。ましてや評価されるわけでもなければ、昇進できるわけでもない。この火事を俺達が抑えたって、それが誰に知れ渡るわけでもない。頑張ったって頑張らなくたって同じじゃないですか!それなのに・・・どうしてあんたはそこまでして戦う?どうして隊長はいつも最前線にいる!俺にはわかんねぇっす」
石田は普段、丁寧な言葉使いをする。
俺は手に持っていたノズルを地面に投げ捨てた。
「俺もかつて”戦いを投げ出すな”と言われたことがある。俺達なんて頑張ったって頑張らなくたって同じだ。確かにお前が言うようにウチはいつも過酷なところを任される。なんでそんなに命削らなきゃいけないのかって・・・俺にもわからねぇ。でもな・・・」
俺は石田の肩を掴み、茂みの隙間から麓の集落が見えるところまで引っ張って行った。
「今この瞬間、あそこには”早く消えてくれ”って両手合わせて祈ってる人達がいるんだよ。その人達からは俺達が見えないし、俺達からもその人達は見えない。でもな、俺達に祈り続けてんだよ。それでもお前は、”もう限界です”、”もう行けません”ってピーピーギャーギャー泣くのか?泣いていたいならそこで泣いてろ!」
俺は吐き捨てるとノズルを拾い上げ、一人でホースを引っ張った。
石田が突然走りだした。俺の方に向かってきてドンッと俺に激突した。
俺は倒れ込み、衝撃でノズルを手放した。
石田はそれを拾い上げると、ポケットからロープを取り出してノズルを巻きつけ、それを自分の安全帯にくくりつけた。
前かがみに四つん這いの姿勢になると、グイグイと引っ張った。きっともうノズルを握っていられる握力もないのだろう。
俺は立ち上がると、ラグビーのスクラムのように石田を後ろから押した。
「そうだ。なんでもいい。どんな形でも構わない。戦い続けろ」
顔は汗と土と涙でグチャグチャになった。
そこから、余分に持ってきたホースを足して、消しては進み消しては進みを繰り返した。
不思議ともう体力の限界は感じない。これが大丈夫なモノではないことは理解している。頭ではわかっている。それでも身体が止まらなかった。
石田も喋らなくなった。
放水しているとしばらく動かなくなる。俺が不安になって身体を揺すると親指を立ててみせた。
山中の火が消えていくと、周りは薄暗くなる。
だんだんと暗くなっていく山肌。遠くの稜線が明るく光りだしている。
ほとんど火は消えた。
ノズルを構えている俺の横で石田は寝ている。
「イシ・・・イシ!」
身体を揺するとサムズアップをしてみせた。
「替わりますよ」
「いや、大丈夫だ。それより見てみろ。まもなく日が登るぞ」
石田は「おぉ」と言いながら立ち上がった。
こんな短時間に体力が復活するわけはない。この限界を超えた力がどこからくるものなのか不思議に思う。
「敷島小隊長から村下士長、そちらの状況はいかがか。どうぞ」
鈴木隊長から無線が送られてきた。
俺は防火衣の胸ポケットに入れてあった無線機を石田に投げ渡した。
「村下士長代行石田消防士から敷島小隊長、こちらの状況にあっては・・・」
と言ってこちらを見た。
俺は石田に「鎮圧」と伝えると、石田は元気そうに答えた。
「鎮圧です!どうぞ」
「了解。ではその旨を指揮本部に送る。一旦休憩しよう。分かれた位置まで戻ってこい、以上」
俺達と石田はお互いに肩を貸し合いトボトボと戻った。
二手に分かれた位置に辿り着くと、鈴木隊長も江尻も木に寄りかかって座り込んでいた。
「くたばってますね」
江尻が笑いかけてくる。
「まぁな。コイツなんかピーピーギャーギャー泣き言言ってたわ」
そう言うと鈴木隊長がクスッと笑った。
「そっちはどうですか?」
「ほぼ消えたよ。あとは指揮隊長に確認してもらうくらいだな」
「そうですか。こっちも同じような感じです」
そう言うと鈴木隊長は無線機に手をかけ、それを防火衣から外した。
「鎮圧報、お前が入れろよ」
と、俺に渡してきたモノを俺はそのまま石田に受け渡した。
「やり方はわかるよな?」
そう聞くと、石田は深く頷いた。
「敷島小隊から指揮隊長、下里地先にて発生した林野火災の山頂付近は、敷島小隊長名において鎮圧と判断する。よって当該火災における鎮圧報を依頼する」
この火災が収束したことを意味する無線だった。
それから俺達は、一度麓まで降り指揮本部に向かった。
麓で活動していた隊員達にとってももちろん過酷な現場だったことには変わりないが、明らかに疲弊具合は敷島小隊が群を抜いていた。
すれ違う隊員達に労いの言葉をかけられた。それを聞いて俺は石田に声をかけた。
「なぁ、どっちが良い?」
石田はそう聞かれて「すいませんでした」と苦笑いを見せた。
結局、再燃を警戒してホースは残したままにして、引き揚げ下命がかかった。
消防車のホースはすっからかんになっており、俺達の体力も完全に尽き果てていた。
消防車に乗り込むと、隊長から声をかけられた。
「ムラ、運転、大丈夫か?」
「はい。あとは帰るだけですから」
そう言ってギアをドライブに入れた。
「わりぃんだけど、帰り、飛ばしてくれ」
隊長が端的に言う。
「わかりました」と返事したものの、それが何故なのかわからなかった。
高速道路に乗っている間は、ずっと右の太ももをつねっていた。眠ってしまわないように。
高速道路を降りる手前になって、隊長から声をかけられた。
「降りたら、左に行ってくれ」
署に帰るにはどう考えても右だ。
「どこか寄るんですか?」
そう聞いても何も答えない。
右、左と何回か指示を受けてやっと気がついた。
後部座席に乗る二人も小声でざわついた。
「隊長?」
俺がそう聞くと、
「うっせぇな。忘れ物したんだよ」
隊長の答えなんて気にせず、俺は腕時計を見た。
まもなく九時である。
「まだ間に合うだろ」
そう言ってから指示はなくなり、俺もスイスイとハンドルを切った。
家の前に着くと、小さな軽自動車が停まっていた。
消防車を停め、車から降りると、一人の女性がこちらに向かって走ってきた。
漫画のように跳んで宙を浮いた彼女の身体を受け止め、ギョッと抱きしめた。
「服汚れちゃうよ?」
と俺が言うと、彼女は「いいの」と小さく答えた。
「ごめんね。送って行けなくて」
もう一度彼女は「いいの」と言った。
今度は彼女が、
「大丈夫?」
と聞いてきた。
「もちろん!せめてひと目会いたくて、早く消してきた」
彼女の身体を引き剥がす。
「やっぱり汚れちゃうよ」
「大丈夫」
「いやいや、濡れちゃうし、すす臭くなっちゃう」
「大丈夫」
「サキちゃんは大丈夫でも飛行機の中が臭くなっちゃうよ」
「そしたらアメリカまでずっとソウくんの匂いを感じてられる」
俺は「何言ってんの」と笑い、続けて聞いた。
「奥さんが送ってくれるの?」
サキちゃんが頷いた。
俺は隊長の奥さんのもとへ行き、「よろしくお願いします」と声をかけた。
奥さんは少し目を潤ませながら「はい」と返事した。
江尻と石田が「頑張ってください」と口々に言うのに対して、サキちゃんは「二人もおつかれさまです」と労った。
鈴木隊長が近づいて、サキちゃんに声をかけた。
「遅くなっちゃってすまなかった。なんとか急いだんだが、これが限界だったよ」
「いいえ。いつもソウくんを無事に返してくれてありがとうございます」
そう言って満面の笑みを浮かべた。
「じゃあそろそろ行こうか」
隊長の奥さんが声をかけて、サキちゃんが助手席に乗り込もうとしたとき、
「サキ!頑張れ!俺はこの街で待ってる!」
サキちゃんは言葉もなく涙をこらえながら大きく頷いた。
彼女はリュックから一眼レフカメラを取り出し、写真を一枚撮った。
「よく見えないや」
軽自動車が見えなくなるまで見送って、俺が運転席に乗り込もうとしたとき、
「そんな顔でどうやって運転すんだよ」
と言って鈴木隊長が運転席に乗り込んだ。
小さな小さな声で「ありがとうございます」と言って、俺は助手席に乗り込んだ。
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