第2-16話 知らない消防士
次の日の朝、俺は起床時間よりも少し早く起き、喫煙所にタバコを吸いに行った。
その音を聞いてか渡部隊長も喫煙所に来てベンチの隣りに座った。
渡部隊長はもう何年も前にタバコを引退している。つまりは俺に用があるのは明確だった。それに、その内容も的確に考察できた。それでも俺は、そんな重苦しい雰囲気を誤魔化すように、
「あれ?タバコ始めたんすか?」
そう言ってニヤリと笑った。そんな誤魔化しを無下にするような男ではない。
「まあな。一本もらおうかな」
そう言うとへへっと笑って、深く座ったのを座り直し膝に手をついた。
「まあ、あれだ・・・」
話しにくいことを話すときは決まってこう始める。
それを遮るように、
「なんですか?ハッキリ言ってください」
「おお、あのな、半田さんのことだが・・・」
そう言うと言葉を選ぶように間を置いた。
「お前が知らないこともあるんだよ。一度ちゃんと話してみろ」
そう言うと喫煙所をあとにした。
「話してみろ」と言われてもどうやって話をするべきか困った。少し考えたが、こういうときはすぐに行動するのが良策と思って、帰り道に半田さんの家に行くことにした。
家の前に着くと庭で土いじりをする一人の老人の姿が見えた。
消防士は年齢のわりに若く見られる傾向にある。ほとんどの職員が実年齢より若く見られる。身体を動かす仕事がためにそうなる傾向にあるのだと思う。しかしそれには、浦島太郎の玉手箱のような能力があって、あるラインを境に一気に老け込む。その老け込みを纏ったのがこの半田という男だ。
俺の車に気づくとその老け込んだ男は門に近づいてきた。
「よお、入れよ。」
そう言って門扉を開いた。それはまるで俺を待っていたかのような雰囲気だった。それでも表情が見えなくて、俺の緊張は拭えなかった。
俺は「お邪魔します」と言って庭に入ると、縁側に向かっていった半田さんの後ろをついていった。
縁側に座った半田さんの正面に向かった。
「昨日はすみませんでした」
昨日とはうってかわって消防職員らしくビシッと頭を下げた。
「まあ、座れよ」
そう促されて、俺は隣に座った。
「俺だってな、お前が憎くてあんなこと言ったわけじゃねえんだ」
「はい」
「でもな、お前らがやってることは、称賛されることじゃない。わかるか?」
そう言われて、俺は言葉を返せなかった。
わかってはいるが、それがいけないことだという自覚もなかった。自分自身、何が正解か明確な回答を出せないでいた。
「ルールってのは、自分達を守るためにある。俺達の仕事は危険だ。でもそれがどれだけ危険かなんてわからない。だから、ある一定のラインでルールを決めて動くんだ。自分達を守るために」
「じゃあ半田さんは、自分の子供の命がかかっててもルールを破らないんですか?」
「俺は破らない」
「・・・」
「いいか?ルールを破ることがカッコいいなんて思うな。ルールを守るってのはものすごく大変なことなんだよ。破るのなんて簡単だ。なにかにつけ言い訳すれば、簡単に一線を超えられる。でもな、一度一線を超えるとなかなか戻ってこれなくなる。その挙げ句、もし帰ってこれなかったら・・・帰ってこれなかったら、どれだけの人を悲しませることになると思う・・・」
俺は半田さんの方に顔を向けることはできなかったが、明らかに声が震えていた。
「お前よ、五年前のこと忘れてないよな?」
俺は言葉にせず頷いた。
「俺もあの現場にいた。あのとき、俺は何もできなかった」
俺は沈黙を続けた。
「お前は中に突っ込んでいったよな。鮮明に覚えているよ」
「・・・はい」
「あのとき何もできなかったヤツらが、どれだけ苦しんだと思ってる!」
俺はハッとして目を見開いた。いままでその立場に立って考えたことはなかった。
「俺はあのとき二番手で現着したんだ。無線を聞いてたから、すぐにでも引きずり出してやるつもりだった。でもな、あまりの火勢と仲間から伝播した恐怖で、俺はまったく動けなくなった。当時の敷島小隊長のあのときの顔を、俺はいまでも忘れられない」
恐る恐る半田さんの顔を見た。まさに“あのときの顔”をしている。
「こんなこと言いたくないが、そもそもあのとき、アイツが指揮隊長の進入禁止命令に従ってれば、こんなことにはならなかった」
普段ならば、ケイのことについて言われれば、それがどんなことでも俺は食って掛かる勢いだった。それでも今日だけは何も言えずに固まった。
「自分の知ってる仲間が突然居なくなることが、どれだけつらいことだと思ってる・・・。自分だけがつらい想いしたなんて思うなよ!」
そんなことを思っている自覚はなかったが、自然とそう思っていたのかも知れないと思わされた。
「ただの同僚か?いや、そんなことねえ。可愛い後輩か?いや、それでも足りねえ。自分の子供とか弟なんだよ。そんなヤツが危ない所に行こうとしてる。そんなの・・・どうやったって応援なんてできるわけねえだろ」
俺は慎重に言葉を選んだ。考えて、考えて、考え抜いて、それでも良い言葉が見つからなくて、俺は立ち上がった。もう一度半田さんの前に向かって、深く頭を下げた。
「すいませんでした。自分が一番、つらい想いをしたと思ってました」
半田さんは顔を逸らして返した。
「わかってる。そんなことわかってる。お前が一番つらかった。そんなことわかってる。」
それはまるで自分に言い聞かすようだった。
「俺は、そんなつらいことすらお前らにやらせてしまった・・・。それを思うと、俺は消防士失格なんじゃないかって思わされる。」
「違う!半田さん!それは違います!みんながいるから俺は突っ込んでいける」
涙が溢れないように顔の中心にシワを作った。
「あんなことがあったのに、今になって、仲間の大切さがわかった気がします」
半田さんはしばらく時間を置いてから、
「村下、ありがとうな」
そう言った。それが何に対しての「ありがとう」なのかを半田さんは言葉にはしなかったが、きっと俺がケイを連れ帰ったことに対してだったのだろうと思った。
「自分、救助隊に再挑戦するって決めてから、誰に何を言われても関係ないって思ってました・・・。でもやっぱり嫌です、そんなの。できることなら、みんなに応援されたい。それが全員じゃなくても、敷島の人には背中を押してほしい。そう感じました」
「んん」
半田さんは親指と小指で自分の額の端を掴みながら返事した。
「約束しろよ。無茶しないって」
「はい」
「お前らがよく言う“誰も見捨てない”って自分自身のこともだぞ」
「はい」
俺達を“過激派”と呼んだ半田さん、みずからその言葉を選んでくれたことが心から嬉しかった。以前から俺達を毛嫌いしているように感じてはいたが、それが嫌悪ではなく、憂いだったことに気がつくと、それはまるで親が思春期の子供を心配しているかのように感じられた。思春期の子供もいつかは親との仲を取り戻す。そして恩返ししたいとすら思うようになる。
「半田さん、俺はいつか、あなたの部隊で働いてみたい。」
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