第2-15話 アンチ挑戦

 「ムラ、おかえり。」

出勤すると「おはよう」でもなく、そう言われた。

「ただいま。」

「変わりなかった?」

武林はそう続けた。

「うん。今年も晴れてたよ。」

「また今年も前日に行ってきたの?」

俺はキリッと頷いた。

「偉いな。お父さんお母さんが行く前に先に行って、花を添えておくなんて。」

「俺にはそれくらいしかできないから。」

そう言ってロッカー室から出た。


 夕方になって、石田と江尻が話しかけてきた。

 別に避けてきたわけではないが、彼らは一度もあの事件のことを聞いてきたことはなかった。あの事件が起きたとき、江尻は消防学校に入校中で、石田はまだ消防署に入ってすらいなかった。

「ムラさん、荒木さんのこと、聞いてもいいですか?」

「うん。いつか話そうと思ってたんだけど、なかなか気が進む話じゃなくてな・・・。」

俺は少し暗い雰囲気を纏いつつも話し始めた。最初のうちは、まるで痛そうなものでも見るかのように顔をしかめていた2人も、だんだん話が進むにつれて歯を食いしばるような表情に変わっていった。石田が握った拳の強さから、強い覚悟を感じたのは確実だった。

 俺の話が終わるまで、2人は一言も発さなかった。話が終わったとき、江尻が吊り上がった肩をため息とともにスッと下ろした。

「身近でそんな事があったんですね。」

江尻はともかく、石田にとってはほとんど初耳だったのだろう。“噂好きの職場”といえど、さすがにあの事件のことをベラベラと話したがる者はいない。

「それは荒木さんが何年目の時のことですか?」

「3年目だ。石田、ちょうどいまのお前と同じ時だ。」

そう言うと石田は地面を見つめた。

「今の自分に同じことができますかね。」

「どうだろうな。10年経った俺ですら、できるかどうか自信がないよ。口では偉そうなこと言ってたって、いざ自分が危険な目に遭ったら、逃げ出してしまうんじゃないかと思う。でも果たしてそれが悪いことなのかどうか・・・。」

「ムラさんは大丈夫です。」

江尻がそう言って遠くを見つめながら続けた。

「あなたには、ケイさんがついています。きっとあなたを守ってくれています。お会いしたことはありませんが、同じ消防士だからわかります。」

江尻の言葉に妙に納得した。良い悪いではなく、事前の想定なんかも必要ない。そこにあったのは素直な感情と、目には見えない信頼だけだった。

「カッコつけんなよ。」

俺がそう言ったのは、あれ以来だった。


 俺がケイのもとを訪れてから1週間が経った勤務の朝、全体の申し送りが終わったあとに反対番の隊長がみんなに声をかけた。

「みんなちょっといいか。昨日本部から連絡があって、今年の救助隊入隊試験の受験希望調査の連絡があった。ついては受験を希望する者は俺か鈴木隊長に言ってくれ。」

それぞれが「おぅ」と言いながら顔を見合わせた。もちろん興味のない者にとってはどうでもいい話だろうが、それでもあの過激な試験にはほとんどの者が少なからず興味を持っていた。

「では以上だ。」

と話を切り上げようとしたとき、俺はスッと手を挙げた。

「はい!」

「どうした?村下!」

反対番の隊長は、俺がなにか質問があるように思ったようで、俺はもう一度「はい」と今度は少し落ち着いて目を見つめた。

「ん?」

それでも伝わらなかったようで、きちんと言葉にした。

「受験を希望します。」

俺の言葉に反対番の隊長も他のみんなも驚いた表情をしていたが、鈴木隊長と渡部隊長だけは表情を変えずにグッと腕を組んでいた。

「お前はもともと救助隊だったろう・・・。」

「はい。一度降りたヤツは受けちゃいけないんですか?」

「いや・・・。」

反対番の隊長は困ったような顔をした。

「受験資格は確か、入職3年目以上で消防隊の経験が2年以上。それだけですよね?」

「まあそうだが、いままでに降りたヤツが受けたなんて聞いたことないぞ?」

「でも募集要項にそう書いてあるわけではないですよね?」

「まあ・・・。」

そう言って困った顔を鈴木隊長に向けた。

 鈴木隊長は何も言わずに目を合わせなかった。

「この試験でどんな成績を出しても選ばれるかどうかはわからないことも理解してます。でも受けるのは自由ですよね?」

俺は厳しい表情で覚悟を決めて発した。

 しばらく誰もなにも言わずに時間が流れた。

「鈴木隊長・・・。」

ついに困って反対番の隊長が鈴木隊長に振った。

「勝手にしろ。」

そう言って鈴木隊長は事務室から出て行った。席を立ち上がる瞬間に下を向いた顔が、一瞬だけ例の鬼神の顔を見せたことに俺は気がついた。

(このオヤジ、面白いと思ってやがる。)

無論俺は、隊長がなんと言おうと受けるつもりだったが、できることなら背中を押してほしいと思っていた。だから、その表情を見れたことには安心した。

 事務室から出ていった鈴木隊長を反対番の隊長が追いかけていった。

 両隊長が居なくなった事務室の空気は少し重苦しくなって、

「では、そういうことですので・・・。」

と言って、俺も出て行こうとしたとき、後ろから声をかけられた。


「おい!お前よ、いい加減にしろよ。」

(ん?)

俺は少しの驚き立ち止まった。しかし、振り返ることはしなかった。

 俺が振り向くのを少し待ったが、振り返らないと知って続けてた。

 それは反対番の救急隊長の半田さんだった。

「お前よ、仕事を一生懸命頑張るのは良いけどよ、みんなのこと振り回すの、いい加減にしろよ。」

俺は、驚くと言っても、決してそんなことを思われることはないだろうと思っていたわけではない。ある程度は想定していた。きっとアンチが現れることくらい事前に想像していた。

 俺が驚いたのは、それをハッキリと発言する人がいるとは思わなかったからだ。おそらく陰でいろんなことを言われるのだろう。そう思っていた。

 だから「言いたいやつには言わせておけ」そう咀嚼するつもりでたかをくくっていた。

「お前ら過激派の連中はいっつもそうなんだよ。こないだの救急出動の件だってそうだ。ルールは守るためにあるんだよ。お前らが問題を起こすと、俺達にまで監視の目が広がる。そうやって職場環境がどんどん悪くなっていく。少しはよ、大人しくしてられないのか?」

 周りのみんなは固まっていた。反対番の者も、当番の者も。

 俺はスッと振り返って、少しの間、半田さんの目をじっと見つめた。

鼻で大きく息を吐いてから、一気に頭を下ろした。それは消防職員らしからぬ、だらっとした礼になった。そして頭をさげたまま、

「すいません。ご迷惑おかけします。」

 そう言って頭を上げた。

 さっきと同じように少しうつろに目を開いた瞬間、

「てめー、何だその態度は!ふざけてんのか!」

小久保さんが俺の胸ぐらを掴むと同時に、石になっていた周りが動き出した。

 渡部隊長が半田さんを背中から掴みかかって俺から引き剥がし、間には反対番の職員が何人か立ちはだかった。

「すいません。」

何かを諦めるようにもう一度言ってから、振り返って事務室を出ていった。

 それ以上追いかけてくる者は居なかった。署内の廊下で鈴木隊長とすれ違ったが、重々しい雰囲気を感じた。


 その日は晴れていたのに一日中、曇ったような雰囲気のなか仕事することになった。それは紛れもなく俺自身のせいであり、今日という一日を曇天にしてしまったのは申し訳ないと思うが、そんなことに遠慮する気はなかった。

 夕方になってもみんなが朝のことについて言及しないことに、より一層の気まずさを感じてはいたが、俺自身もそれを言葉にすることはできなかった。

 きっとみんなも少なからず責任を感じていたのだろう。でもそれが、自分たちも過激派の一員になっているからと思っているからなのか、もしくはそんな過激派を野放しにしているからと思っているからなのかはわからなかったが、どちらにせよ俺の覚悟に再考の余地はなかった。

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