第2-13話 英雄気取りのヒーロー

 「メーデー」はその後にも先にも何度も聞いてきたが、あんなにも震えた声を聞いたことはない。

 俺達が現場に到着したときには他の署の消防隊も何隊か到着していた。それでも燃え盛る建物に入っていける消防隊はなく、半分は恐怖からまるで他人事のように呆然と立ちつくし、半分はなんとか活路を見出そうと足掻いていたが、それでも中に居る仲間を救出しに行ける者はいなかった。

 現場には「スーパーパス」という隊員が装備する警報器の鋭い音が、耳を切り裂くように建物の中から叫び続けていた。

 俺は指示されたとおりに内部進入の準備をすすめる。その間ずっと、まるで呪文を唱えるように「誰も見捨てない」と呟き続けた。俺の瞳孔は開きっぱなしだったと思う。


 内部進入の直前、玄関ドアの前に救助隊の5人が集まった。みんなが空気呼吸器のマスクを着ける準備をしていた。俺も同じように着けようとしたとき、森田隊長がマスクを持つ俺の右手を平手打ちで払った。

 隊長は右手を俺の後頭部に回して、俺のヘルメットと隊長のヘルメットをぶつけ合わせると、

「怖いのは分かる。発狂しそうなのも分かる。でもな、頼む。仲間を迎えに行って来てくれ。」

そう懇願した。

 俺達4人は隊長を残して黒煙と恐怖が入り交じる中に突っ込んでいった。

 熱さは凄まじく、ゆっくりと深く呼吸しようと思ってもできない。マスクの中の空気すら熱かったのか、それとも恐怖からか、肺を大きく膨らますことができなかった。浅く吸っては長く吐く、これを繰り返した。

 敷島小隊の2人を見つけるのは簡単だった。2人が身につけたスーパーパスの音をたどっていくと、廊下に不自然に置かれた真っ黒な塊を見つけた。それは人一人分にしては大きかった。

 近づいていくと、2人が重なるように倒れており、“上に乗った方”の防火衣の背中はボロボロになって、ところどころ燃え尽きていた。

 本来なら、人を搬送するとは仰向けにして運ぶのがセオリーだが、俺は浜森副隊長と一緒にその“上に乗った方”の空気呼吸器の肩バンドを掴んで、うつ伏せのまま引きずった。

 玄関から出ると、大勢の職員が寄ってきて手を貸してくれた。安全なところに置かれていたストレッチャーまで丁寧に運び、静かに仰向けにした。

「呼吸してるぞ!」

後ろから大きな声がした。

(そりゃそうだよ。)

どうしてかこのとき心の中がすごく冷酷な気持ちになった。

 俺はその声の方を一瞥すらせずに、淡々と丁寧な作業を続けた。

 寄ってきた多くの者たちは、先程の大きな声のもとに駆け寄った。


 「呼吸あるぞ!すぐに呼吸器を外して防火衣を脱がしてやれ!救急車の準備!」

 先程まで呆然と動けずにいたどこだかの消防隊長が大きな声を上げていた。俺はそっちを見たくもなかった。

 浜森副隊長と一緒に丁寧に“上に乗った方”の空気呼吸器を外して、防火衣を脱がした。というか「ちぎった」という表現のほうが適切だったかもしれない。地面に転がった空気呼吸器のマスクは、顔面部分のプラスチックが溶けて、断面がうねうねと波打っていた。

 俺はストレッチャーに乗ったその“上に乗った方”に跨り、

「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11・・・・・」

“上に乗った方”の胸の前に、組んだ手を合わせて強く強く体重をかけた。

 俺のその声で、騒然となった現場が一気に静寂を取り戻した。

 みんなが目を背けていたこっちの現状を突きつけられたように立ちつくす。

「頼むよ、頼む・・・戻ってきてくれ。」

静まり返った現場で、浜森副隊長が小さく声をかけた。

「ムラ・・・」

「おい!ケイ!」

「ムラ!」

大きな声でやめさせようとした浜森副隊長の声すら無視した。

 森田隊長がスッと近づいてくると、後ろからぐるりと腕を回して俺を掴み、“上に乗った方”から引き剥がした。

「よくやった。よく連れて帰ってきてくれたよ。」

俺の背中に顔面を押し付けて言うもんだから、その声は身体の中から聞こえるようだった。

「熱かったよな。苦しかったよな。よく仲間守ったよ。よくやった・・・よくやった。」

その言葉は、明らかに俺に向けられたものではなかった。


 そのあとは、ほとんど何もしていない。

 魂が抜けた俺は使い物にならず、消防車で待機させられた。火事が消えるまで、俺の様子を見に来る者は誰もいなかった。腫れ物に触るかのように放っておかれ、最初に声を掛けに来たのは、浜森副隊長だった。

「もう少しで鎮火かかるから、そしたら病院行くか?」

2台目の救急車がサイレンを鳴らして現場を離れていったのはわかっていた。

 俺は言葉もなく頷いた。

 浜森副隊長は、後部座席の真ん中に座る俺の隣に座ると、

「自分が入るときはさ、なんも怖くねえんだ。」

呟くように言った。

 俺は中指で眉間にできたシワをなぞった。

「でもさ、仲間が入っているのを見てると、たまらなくなる。」

浜森副隊長も俺の方は見ない。

「だから俺は救助隊に入った。せめて俺が、入る確率が一番高くなるように。」


 病院でのことはよく憶えていない。断片的にだけ記憶がある。

 白い布をめくったときに「カッコつけんなよ」と言ったこと、防火衣を着たまま親御さんの到着まで待合室で待ち続けたこと、しばらくして病院に来た親御さんに「ごめんなさい」と言い続けたこと、制服組に「事実確認をさせてくれ」と言われたのに対し睨みつけて何も答えなかったこと、感情的になった伊川と胸ぐらを掴み合ったこと。


 「儀礼式には出られないです。」

「なんでだ?」

「だって・・・」

俺は自分の手のひらを見つめながら続けた。

「だって、あのときの感触が忘れられないんです。ケイの肩バンドを掴んだときのあの感触。あんなに熱いもの、いままで触ったことない。あんな中で仲間を守るために自分が盾になろうなんて、俺にはできないです。そんなヤツを俺達は助けられなかった。俺に赤服を着る資格がありますか。」

森田隊長は予想どおりのため息をついた。

「あのな、お前の気持ちもわかる。もちろんPTSDを考慮してお前の気持ちには配慮しなきゃいけないのもわかってる。でもな・・・」

そう言うと、言いたいことをまとめるように少し時間を置いた。

「お前以外に誰がアイツのこと褒めてやるんだ。」

隊長の困ったような顔は、いつの間にか泣きそうな顔に変わっていた。

「アイツ、命令違反で、殉職のまま査問委員会にかけられるんだ。誰も責めるつもりはないが、それでも行政上処分されなければならない。そんなままアイツを見送っていいのか?違うだろ!お前がどんなに苦しくても、“よくやった”って言ってやらなきゃいけないだろ!儀礼式が終わったら、アイツはもう消防士じゃなくなっちまうんだぞ!」

「そんなこと、わかってま・・・。」

「わかってない!お前はなんもわかってない!」

俺の言葉を遮るように言った。

「いいか?俺達はな・・・俺達は、消防士なんだよ!」

言葉を詰まらせながら、噛みしめるように頷きながら言った。

「“誰も見捨てない”とか“死なないために訓練する”とかカッコいいことばっか言ってるけど、これが現実なんだよ!俺達は消防士なんだ!死ぬことだってある!もしかしたら明日俺が死ぬかもしれない!来年にはお前も死んでるかもしれない!そう言われたらお前は消防士をやめんのか?やめないだろ!それでも、明日も赤服を着るし、1年後も消防車に乗る!アイツだって同じだった!そんな覚悟ダサいか?そんな覚悟ダサいってアイツに言えんのか?違うだろ!」

そう言うと俺の目を睨みつけた。

「ちゃんと見送ってやんのが、誰も見捨てないってことなんじゃねえのか?」

森田隊長は滲んだ瞳をなじませるように、眉間にシワを寄せた。

「なあムラ、命をかけて命を救うって、カッコ悪いか?」

落ち着いた声が少しだけ振動しているのを感じた。

「最近、消防署にもそういう考え方を古いとかダサいとか言うヤツがいる。俺も普段なら、立場上危険を煽るようなことは言えない。でもな、今日くらいいいじゃねえか。アイツがどう思ってたかはわからないけど、どうせもう死んじまったんだ。“人命救助に命をかけた”ってことにしてやろうぜ。」

言葉にため息を混ぜながら話す。

「俺達が認めてやらないと、アイツが失敗したことになっちまう。」

言いたかったことが溢れ出るようだった。

「なんも知らねえヤツらに、英雄気取りを悪く言わせるな!いいんだ。俺達はヒーローになるために消防士になった。それでいいんだよ。」

いつも自分が感じていた違和感を拭い去ってくれるようだった。

 心の中に鳴り響く騒がしい雑音が消え去り、脳内にはゆったりとしたバラードがBGMのようにかかりはじめた。

 苦しくても苦しくても、自分がやるべき責任が見えた。そしてその責任が、どれだけ大きなことかを感じたが、それもまた突然いなくなった消防士のように、カッコつけた感情だったかもしれないが、それで構わなかった。

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