第2-11話 3度目の査問委員会
帰りの消防車の中は、誰かが話をするわけでもなく、かといって暗いわけでもなく、そこは不思議な空間だった。俺はみんなが何を感じているのかがわからず、少し戸惑ったがそれでも下を向いている者はいなかった。
「ムラ、ちょっと海岸線走らせろ。」
帰り道のルートに海岸線はなかった。俺は遠回りするように海に向かってハンドルを切った。
「停めろ。」
隊長がそう指示したのには特に理由はなく、そこはただただ消防車が停車するには丁度いい場所だった。日は沈んでいて海は見えない。
隊長が少し窓を開けて車内に磯の香りが広がった。
「アレは俺がやった。いいな?」
と隊長が言った。俺が「さすがにそんな嘘無理があります」と愛想笑いをしようと顔を上げたとき、
「と、言いたいところだが、俺は責任者だ。この部隊を管理しなきゃならない。バツはバツでちゃんと受けてもらう。部下の処分までが俺の責任だ。そんなとこ嘘つくところじゃねえ。誤魔化したら、俺達が悪いことをしたことになる。だから俺達は真っ向から立ち向かう。シキシマのエースをやるっちゃ、そーゆーことだ。」
隊長は少し強い語気で一気に話した。
まさかの言葉に俺は笑うしかなかった。というより、この男の考えていることが面白くて仕方なかった。
(このオヤジ、どこまでいっても掴めねえな。)
曇りがかった気持ちが一気に晴れた。俺がしたことは間違ってない。
普通の隊長なら、まずこんな規則違反をさせない。少し変わった隊長なら、させるだろうがなんとかして誤魔化すだろう。その先の考え方だった。
隊長のその姿勢は、どんなフォローの言葉よりも俺の行動を肯定してくれた。
「だがな、お前ら勘違いするなよ。このバツ、全員で受け止める。あの状況で規則違反できるやつがどれだけ居るかを示してやる!この一件に周りのやつがどんな反応をするか、よく見ておけ。」
隊長の考えてることがわかると、2人も一気に明るくなった。石田も聞いて良いのか悪いのかわからないでいた質問をぶつけた。
「どんな処分になるんですか?」
それは正直俺も気になっていたことだったが、それを気にしていると思われるのは、どこか恥ずかしい気がして、強がって聞けずにいた。
「おそらく、厳重注意くらいだろう。」
といっても厳重注意にも幅がある。ただ口頭で注意される厳重注意もあれば、昇進や昇給に響く厳重注意もある。しかし、もうそんなものは気にならない。
消防署内にて渦中の人になることは、煩わしく感じるが、隊長の意向を聞いてからは面白く感じていた。これを批判する消防士がいるのかどうか。またなんて言うのか。俺は変な楽しみをおぼえていた。
それからの車内も、相変わらず静かだった。
それでも隊長以外3人の広角が上がっているのは確かだった。
署に帰ると、救急隊が出迎えてくれた。無線で様子を聞いていたようで、なんとも言えない表情で待ち構えていた。
「行ってきましたー!」
元気に発した江尻に対して少し戸惑いを見せていた。
俺が消防車から降りると、
「ムラ。」
渡部隊長が少し眉尻を下げた表情で声をかけてきた。
俺は笑顔を見せてから、
「問題ないっす!」
とサムズアップをしてみせた。
ふと車庫内の隅にある喫煙所に目をやると、石田が何かをしていた。
石田はそこに置いてあった江尻のタバコを1本加えると、不慣れな手付きで火をつけた。石田は普段タバコを吸わない。
「ゲホッゲホッ」と非喫煙者お決まりのむせ方をして、
「これで俺も規則違反です!俺も処分ですか!隊長!本部に報告してください!」
鈴木隊長は下を向いたまま笑った。すたすたと灰皿のところまで歩いていき、胸ポケットにしまってあったタバコを取り出した。
「イシ、みんな規則違反だな。」
そこに江尻や武林、仲宗根も加わって、車庫の中はみるみるうちに煙だらけになった。
みんなでタバコを吸い始めると、渡部隊長も納得した顔をしていた。
1週間後、俺達4人は消防本部に呼び出された。
消防署において、部隊全員が呼び出されるということは、そのほとんどが“良くないこと”だったからして、周りからは「何をやらかしたんだ」という目で見られる。
俺が呼び出されるのはこれが初めてではない。以前、救助隊で共に働いた伊川の一件で呼び出しを食らったことがあった。
「慣れている」それは公務員としてはあまりに模範的でない言葉だったが、俺も鈴木隊長にも当てはまる言葉だった。
周りの職員も「何をやらかしたんだ」と思いはすれど、そんな言葉を投げかけてくるような人はいない。いっそのことそう聞いてくれたほうが、大手を振って説明できる。コソコソと噂される方が本当に不快だった。
「会議室」という案内表示の前にA4用紙が1枚張られている。そこには「査問委員会」という厳かな文字が書かれており、威圧感を放った。
鈴木隊長と俺は明らかに不機嫌そうな顔をしている。といっても決して不機嫌なわけではなく、反省したフリをしなければならなくて作り上げた表情がこれだった。見比べればほとんど同じ顔をしているんじゃないかと思う。
江尻と石田は歯を噛みしめて眉元を下げ険しい顔をした。これがこいつらが取った「抵抗」という、せめてもの意思表示だったのだろう。
下席者から順番に呼ばれていく。
石田や江尻の聴取は早いもので、ものの2、3分で終わった。時間からして大したことは聞かれなかったのだろう。
次は俺の名前が呼ばれるものと思ったが、先に鈴木隊長が呼ばれ室内に入った。鈴木隊長の聴取は先の2人よりも長くかかった。
隊長の聴取が終わり、交代で俺が入る。入室すると3人の本部職員と見たこともない役所の職員が2名、テーブルの向こうに座っていた。
「では、いくつか質問していきます・・・」という言葉を合図に事実確認が始まった。そのほとんどが無機質な質問で、答えているうちに嫌気がさす。
「違反行為をしたときはどんな気持ちでしたか。」
という今日初めての有機的な質問が役所の職員から投げかけられたとき、その感情が限界を迎えた。
「その質問の意味がわかりません。」
そう答えた俺に、役所の職員もムッとしてテーブルの上で組んでいた指をほどいた。その空気を切り裂くように列の端に座っていた男が口を開いた。
「わかっててやったな?」
それはあまりにも感情的でこの場には不釣り合いな問いだった。そしてこの不毛に感じた時間に一線を引いた。
「はい。」
俺の答えに顔色も声質も変えることなく同じように質問を続けた。
「英雄気取りか?」
その表情には恐気すら感じる。
「そうお思いなら、それで構いません。」
その恐気に負けるほど若くもない。表情を変えたほうが負けだと思って無表情で答えた。
「なあ村下、5年前の事、忘れたわけじゃないよな?」
予想していなかった質問に内心揺れたが、
「もちろんです。」
変わらずに顔色を変えず答えた。
「いい度胸だ。」
そう言うと、だいぶ長い時間静寂が続いた。他の列席者は完全に縮みあがっており、俺も口火を切ったら言い訳のようになってしまうと感じて口を閉ざした。
その男は下を向いて不敵な笑みを浮かべると、
「お前ら、全員同じ目をしてんな。」
そう言うとテーブルの上に置かれた書類をまとめながら、
「処分は追って連絡する。今日は以上だ。」
俺は言葉を発することなく頭を下げ、その場をあとにした。
それから更に1週間後、俺達の処分が「厳重注意」に落ち着いたとの連絡があり、改めて全員で呼び出された。文頭に「厳重注意」と書かれた紙を受け取ることに意味はなく、ただただ「何かやらかした」に晒された。
それでも、特に俺の感情が動くことはなく、不満もなにも感じていなかった。
「同じ目をしてる」男が発したその言葉が褒め言葉のように聞こえた気がしたが、そんなはずもないかとシーソーのように揺れ動いただけだった。
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