第2-6話 志望動機

「本署第2消防隊から助勤派遣されました富樫です!よろしくお願いします!」

元気よく挨拶してきたのは本署から助勤として派遣されてきた新人の富樫だった。助勤と言っても、こちらがヘルプされるわけではなく、富樫に出張所を経験させるためのものだった。つまりこちらは通常の4人体制に富樫を追加した編成になる。

「おう!こちらこそ!」

出勤前のロッカールームで挨拶してきた富樫に対して、俺は気さくに返事をしたが、俺の後ろにいた石田は難しい顔をしている。

「はい。こちらこそよろしく。」

石田はそう言うと難しい顔のまま俺達に対して背中を向けた。

 そのうち少し遅れて江尻が出勤してきた。そのときには富樫と石田はすでに事務室に行っていた。

「イシ、演じてたよ。」

「本当ですか?」

「ああ、なんか朝から怒ってた!」

江尻に笑いながら先程の石田の様子を説明した。

 というのも石田がそんな雰囲気をまとっていたのには理由があった。


 石田という男はとても温厚な人間で、一見すると優しさの塊のような好青年に見える。兄弟が多くいてその長男というから話し方や所作に優しさが溢れ出てしまう。かといって静かなわけではなく、熱くなると周りが見えなくなってしまうような正義感の強い男だ。しかしその溢れ出る優しさから、ともすれば同世代や後輩からなめられてしまうくらい柔らかい男であった。

 そのことを自ら危惧していた石田がある時俺達に相談してきた。「優しいがゆえになめられてしまう」というありがちな相談に対し、俺達は強行策をとった。威圧感を出すためには、ある程度怒る事に慣れなければならない。怒り方にもいろんな方法があって、なんでもかんでも怒鳴ればいいわけではない。ときには静かに問いかけるように怒ったり、笑いを交えながら叱ったり、その場その場に合わせてより効果的な怒り方を選択していかなければならない。しかし、大きな声を出して叱りつけることも必要である。それができる人間は意外と少ない。

 このご時世に威圧感を作り上げるというのは本当に難しいことだと思う。パワハラという言葉ができてから、この体育会系業界でも、それは難題になってしまった。そのなかでも威圧感を作っていくには、もの凄く勇気が必要だ。パワハラという言葉に抵抗する勇気。だからこそ、誠意と愛情がなければならないし、真実の信頼関係がなければ、それは作り上げられない。

 そんなことを思いながら石田と話していると、新人職員の出張所体験助勤派遣があることを思い出して、ぜひ敷島出張所に派遣してもらえるように依頼した。


 だから、石田の朝の態度は演技の一環らしい。俺達は普段見せない石田の姿に少し面白くなっていた。

 今日一日の勤務は富樫が業務を経験することと、石田の成長が目標となる。

 富樫は石田の後ろを付いて回る。署内の人間に挨拶をして、申し送りが終わると早々に点検の準備をした。その姿を俺と江尻は微笑ましく見ていた。

 いつもなら点検の手順や方法など、いちいち俺に報告してくることはない。それでも今日は、基本に忠実に行うため、一つ一つの動きを俺や江尻に報告した。その最中にも、資器材の持ち方や消防車のドアの閉め方、点検時の服装の乱れまでを逐一指摘していき、それはまるで消防学校にいるかのように厳格に行った。

 点検が終わるとすぐに訓練の準備にとりかかった。俺達はいつもどおりややのんびりと業務をこなしてくが、彼らの動きは早い。俺や江尻が準備を終えたときには、訓練場で整列をして待っていた。

 俺は鈴木隊長から訓練の内容を一任されていたので、ひと通り心の中で準備はできていた。それでもこの若者2人の動きを見ていると、自然と自分の闘志にも火がついた。

(よし。久々にガッツリやるか。)

 江尻は整列した2人に加わるように並んだ。その3人の列の前に俺が歩み寄ると、厳粛な訓示が始まった。3人から正式な敬礼の挨拶を受け、俺も大きな声で答えた。

「おはよう!」

「おはようございます!」

2人はもちろん、江尻にもすでに笑みはなく真剣な顔で訓練に入っていた。

「富樫!お前の目標はなんだ?」

俺は率直に聞いた。といっても噂を耳にしていた。救助隊への入隊を目指す新人がいるということを。

「はい!特別救助隊に入隊することです!」

「そうか。それはなぜだ?」

俺はまるで教官にでもなったかのような口調で質問した。

「人の役に立ちたいからです!」

「では質問する。人の役に立ちたいなら、わざわざ救助隊じゃなくてもいいんじゃないのか?消防隊でも救急隊でも人命救助はできる。それともお前は消防隊や救急隊をバカにしてるのか?」

当たり前のように、そんなことはないことをわかってて聞いた。

「いえ、そんなことはありません!」

「もう一度質問する。ではなぜお前は救助隊に入りたい?」

「・・・。」

富樫は思わず黙ってしまったが、自分自身、酷な質問をしているのはわかっている。だからそんなに追い込むつもりはない。

「その答えを今日教えてやる!」

確かにこの手の質問は答えづらい。だからこそ、そういう精神面を教育したかった。

 そう言うと、富樫の顔は一気に晴れて、

「はい!よろしくおねがいします!」

と大きな声で答えた。


 訓示も早々に準備体操を行って訓練に入った。今日の予定は応用的な消防活動の教育だった。本署での訓練は基本的なことが多く、応用的な活動訓練をやれていなかったようで、それを本署の教育担当から依頼されていた。

 午前中は空気呼吸器の車内での着装、迅速なボンベ交換の手順、現場での着脱要領、要救助者への空気提供、倒れた仲間の着装解除方法など空気呼吸器の応用的な使用方法を教育した。それだけでも午前いっぱいかかるくらいのボリュームがある。

 本署には一班だけで5人前後の新人がいる。彼ら全員に全てを教育するには時間が足りない。だからこうして1人に対して付きっきりで教育することができる助勤派遣はとても重要であった。

 基本的に訓練の進行は俺がやったが、細かな教育や指導は石田や江尻が担当した。俺としては、富樫の動きよりも2人の教え方や接し方の方が気になった。

 勉強でもそうだが、自分の中に取り込むことより、外に放出する瞬間の方が人は理解が深くなる。だからこそ、俺が教え込むときより、それを言葉や動きで表現する瞬間を大切にしていた。

 2人はよく指導できている。それでも足りない部分にだけ俺が補足をした。石田はときどき大きな声で叱責したが、そのポイントもしっかりと捉えられていた。ただ失敗したときに叱るのではなく、きちんと“怒るべきとき”というのを理解していた。


 本署の食事は自炊ではない。だから、富樫はいわゆる“消防メシ”というものを食べたことがない。というわけで、武林と仲宗根は気合いが入っていた。俺達が訓練をやっているときからキッチンからいい匂いがしてきているのがわかった。

「今日、メシなに?」

訓練が終わって汗だくのTシャツを着替えながら聞いた。

「今日は敷島名物マーボーラーメンです!」

仲宗根がラー油のボトルを見せながら答えた。

そこに

「手伝います!」

と富樫が入ってきた。

「お前、中華料理人の資格持ってんのか?」

仲宗根が冗談でそう聞いたのに対して、

「いえ、持っていません。持ってないと作っちゃいけないんですか?」

富樫が真顔で答えたから、仲宗根がなおさら調子に乗った。

「当たり前だろ!消防メシなめんなよ!」

「すいません!」

仲宗根が富樫をかまっていると、

「なんだその中華料理人の資格って、そんなもんねえわ。いいから、そこの皿洗って!」

武林がツッコむように入ってきた。

 昼食の準備は3人に任せることにした。


 富樫にとって、今日一日は新たな体験ばかりだったはずだ。訓練はもちろん、食事の準備もだし、なにより食事の量に驚いたはずだった。今日の若手たちは燃えていた。「洗礼だ」と言って、富樫のどんぶりには大量のマーボーラーメンが乗せられた。しかしそれでも、苦しい顔を見せながらも、ブツブツ言いながら平らげてしまったこの若者に、俺は親近感をおぼえた。


 午後も訓練が始まる。富樫をはじめ、みんな満腹の状態で始まった。そこにはなんの配慮もない。

 午後は積載はしごの訓練だ。午前の空気呼吸器の訓練と同じように、これも応用訓練だ。現場でのはしごの搬送要領、はしごをかける位置の選定、はしごでの救出要領、はしごのその他の使い方など基本教育では触れない部分を取り入れた。


 訓練は順調に進んでいたが、その途中で出動がかかった。

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