第2−4話 蛍の光

 俺が出勤時に焦るのは珍しい。焦るといっても、もう昔のように遅刻したりはしない。

 もっと若い頃はよくギリギリの時間に出勤していた。でもこの歳になると余裕が出てくる。

 それでも今日は少し起きるのが遅くなった。昨日の夜、寝るのが遅くなってしまったからだ。昼間に出掛けていたのが原因だと思う。


 昨日はサキちゃんと映画館に行っていた。休みの朝に突然電話がかかってきて「これから映画に行こう」と誘われた。俺自身は映画を観るのは好きだが、どの映画を観るかを決めずに映画館に行ったことはなかった。

 サキちゃんを車で迎えに行くと街のショッピングモールにある映画館に向かった。そこはこの街で唯一の映画館で、今日は土曜日だから、知り合いに会いそうな気がした。

 映画館に着くと彼女はフロントの前にある上映案内をみて、

「どれ観よっか?」

と聞いてきた。

「んー、ちょっとこれ気になるな。」

と言って、話題の恋愛映画を指差した。俺としては少し気を遣ったつもりだった。すると彼女はきっぱりと言った。

「恋愛映画、苦手なんだよねー。」

俺は恥ずかしくなって必死に弁解した。

「あ、ゴメン。気になったはウソ。サキちゃん好きかなって思って言ってしまった・・・・。どれ観たいの?」

「ハハハ!私、これが気になる!」

そう言って彼女が指差したのは戦争映画だった。アメリカの特殊部隊が題材になったドキュメンタリー調の映画で、俺が本当に気になっているのはこっちだった。

「え?ホントに?」

と俺が確認の意味で聞き返すと、

「え?引いた?こういうときって可愛らしく恋愛映画とかを選んでおくべきかな?」

「いや、いいと思う!ホントはこれが気になってたんだ!これさ・・・」

俺はベラベラとこの映画に対しての熱意を伝えた。先程の弁解に信憑性を持たせるために。

「じゃあこれ観よう!」

こうやって映画を選ぶのは初めてだったが、この行きあたりばったりの感じが自由で心地良かった。

 俺はポップコーンを買い忘れることなく、映画館に入った。ポップコーンの味の好みは分かれた。だからキャラメル味と塩味を両方買うことにした。それでも飲み物は炭酸という部分はお互い合致した。

 映画が始まると彼女も俺も内容に集中した。本来、デートといったら内容が入ってこないというような状況になったりするのだろうが、決してそんなことはなかった。2人とも話に夢中になった。お互い隣にいることを忘れているかのようだった。その落ち着きが妙に心地よく感じた。

 映画が終わって、エンディングでポツポツと他のお客さんが帰っていくなかで、俺達は最後まで残った。あまりにサキちゃんが号泣しているもんだから、席から動けないでいた。

「ものすっごい泣いてたね。」

俺はさすがに泣くことはなかったが、それでも確かに感動した。その惰性で席から動けないのもあった。

「行こっか。」

そう言うと、彼女はなにも言わずに席を立ち上がった。

 映画館から出て、明るい場所にいくと、彼女は急に明るくなった。

「いやーすっごい良かったね!」

彼女はそう言うと先程までとはうってかわって元気になっていた。

「ねえどこが感動した?」

「俺はね、主人公が死を覚悟した瞬間かな。」

「え?そんな瞬間あった?」

 確かにこのストーリーで主人公が死ぬことはなかった。それでも俺には死を覚悟した瞬間が見えたような気がした。

「たぶん、そこに気がついたのはムラくんだけだよ。」

サキちゃんにそう言われて、自分がどれだけ感情移入していたかを思い知らされた。この映画の制作側にそこまでの意図があったかどうかはわからないが、少なくとも俺ならここで覚悟を決めるんだろうなと思う瞬間があった。


 その後、俺達はショッピングモールにあるハンバーグ屋さんでご飯を食べた。映画の話もしたが、お互いの仕事の話がほとんどだった。2人ともお酒を飲んでいるわけではなかったが、話は尽きなくて、店内に「蛍の光」が流れるまで話し込んでしまった。


 帰り道、俺自身はこないだの話の続きをするべきか迷っていた。

 それでもなんとなく、その続きはしないほうがいいような気がした。それは言い訳かもしれないが、それでも単純にその時間が楽しく感じた。

 話が尽きることはなく、サキちゃんの家に着いたあとも少し話を続けた。サキちゃんが時計を見たタイミングで、

「そろそろ帰ろっか。」

と言って話を区切った。そのタイミングで伝えようと思ったが、わずかにサキちゃんが急いで車を降りようとした気がしてやめた。これも気のせいだったかもしれない。

「じゃあ、またね。」

「うん、今度は水族館行きたいな。」

サキちゃんはそう言って家に入っていった。

 自分から行きたい場所を言ってくれるサキちゃんに好意を感じるが、なによりも去り際に次の予定が立つことが嬉しかった。


 というわけで俺は普段より寝るのが遅くなって少し寝坊してしまったが、それでも若手時代のように遅刻するような寝坊はしない。自分も大人になったことを感じた。

 朝の点検が終わって、ミーティングをしている最中に署の内線電話が鳴った。相手は消防本部の総務課人事担当の林課長からだった。

「おつかれさまです。敷島出張所の石田です。」

石田がワンコールで電話を出ると、用件は鈴木隊長宛てだったようで、鈴木隊長に電話を変わった。

「はい、はい、はい、わかりました。伝えます。はい、では後ほど。」

鈴木隊長はそう言う途中で俺の方を見た。用件の真意が俺だと察した。隊長が電話を切ると、

「ムラ、林課長がお前に用事があるって。夕方に来るから、特段の用事がなければ消防隊は署で待機していてくれって。」

この状況からして、なんの用事があるのかはだいたい察しが付いた。みんなもそれを感じたようで黙った。

 ミーティングが終わったあと、午前中は救急車の洗車をする予定だったので、車庫に向かおうとしたところで鈴木隊長に呼び止められた。それを見て渡部隊長が、

「みんな先に行っててくれ。」

そう促して事務室には3人だけが残った。俺はもう一度イスに座って話を待った。

「だいたい想像はつくな。」

渡部隊長が話を始めた。こういうとき、話の入り口はとても重要になる。

「・・・そうですね。」

一度とぼけようかとも思ったが、なおって素直に答えた。

「年齢的にも階級的にもそろそろいい時期なのかもな。それに病気したから、現場から離すって考え方も、理にかなってるかもな。」

鈴木隊長がまっすぐに意見を述べる。

 俺自身はまったく想像していなかった。まさかこんな打診があるとは思っていなかったし、それを受け入れたくはなかった。

「現場だけが全てじゃない。」

渡部隊長のその言葉からして、俺のいるべき場所を示されているような気がした。特にまだ話し合っているわけではないのに、説得してくるということは「本当は現場が向いているんだろうけど、身体のことを考えてデスクワークにつくべきだ」という説得の気持ちが込められているように感じた。

 2人の言葉に対して、俺はまだ意見を言っていない。

「お前自身はどう感じる?」

鈴木隊長が話を透明にしようとした。

「いや、そんなこと言われても急には決められないです。」

「そうだよな。でもな、人生の転換期なんてこれくらいサラッと訪れるもんだよ。」

俺が黙っていると鈴木隊長が続けた。

「一つだけ覚えておいてほしい。この職場にはよく現場至上主義の親分肌なやつがカッコいいって風潮があるけど、それが全てではないからな。お前が感じてきた違和感をお前が正すことだってできるんだよ。“俺は出世になんて興味ない”なんて考え方がカッコいいわけじゃないぞ?出世して若い子達が暮らしやすいようにしていくことも俺達大人の使命なんだぞ?それだけは覚えておけ。」

隊長が目を合わせないで話しをするときはだいたいカッコつけたことを言うときだ。

 いままで俺はそんな考え方を持ったことはなかった。出世欲がある人間は、自分の要望のためだと思い込んできた。“誰かのために出世する”なんて考え方を持つことはできなかったし、後輩達の未来に使命感を感じたことはあっても、それが出世につながることはなかった。そもそも自分の人生に出世の可能性が残されているとなんて思っていなかった。

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