第2-2話 本当の英雄
復帰初日の勤務は大きな災害もなく穏やかに終わった。火災出動も先着した他消防隊によって誤報と判断され俺達は反転帰署したが、そのときにはサキちゃんと鈴木隊長の奥さんはすでに帰った後だった。
署に帰ってきて、渡部隊長から「消防車の中で何してたんだよ」と冗談めかしく言われたのに対して、少し感情的に否定しまったことで、俺の冷静さは崩れた。消防職員はこういうときの勘が鋭い。もしくは適当に言ったのか、それでも自分が回答を言ってしまったかのようだった。それでもみんなは特に気にする様子はなかった。
そんなことよりもとにかく俺の体調を気遣った。確かに復帰初日に感じたのは体力の衰えだった。以前は20回も余裕に超える事ができた懸垂トレーニングも5回しかできなくなっていた。そのことを伊川にLINEすると、伊川からの返信は相変わらず小馬鹿にしたような文章が返ってきた。
「救助のエースも落ちたもんだな。」
それに対して、
「こんなもんすぐに復活する。」
俺も予想通りの強がりを見せる。確かに以前の俺の体力は一朝一夕で築き上げてきたわけではない。故に、少しやらなかったくらいで、まったくなかったことになったりはしないことを知っている。身体能力の奥底に根付いている。そう簡単に忘れたりはしない。いまは表面的に筋力が低下しているが、身体が思い出せばこんなものすぐにでも復活する。
体力トレーニングは徐々に行う。トレーニングとは孤独との戦いだと思っていた。人と一緒にやるトレーニングは確かに自動的に追い込むこともできるし、一人でやるよりも楽しい。しかし、その時間だけでは不十分だった。故に一人の時間にどれだけ自分を追い込めるか。そこが他人と差をつけるために大切な部分だと思ってきた。
しかし、今の俺にそんな時間はなかった。俺が孤独に追い込もうと思っていなくても、みんなが声をかけてくれた。勤務中のトレーニングはもちろん、非番や休日にもランニングに付き合ってくれた。それはどんな励ましの言葉や心配する気持ちより嬉しかった。それが今の俺には一番の支えになった。身体的にも精神的にも。
復帰から2週間が過ぎた。この2週間の勤務は、とても穏やかな日々だった。というのも、出動したのは初日の1件のみで、他には一度も出動がなかった。出動件数は偏るものだが、なかなかここまでまったく出ないのも珍しい。
出ないと出ないで、弊害が生じる。もちろん出動しないということは市民からしてみれば素晴らしいことであり、俺達なんて暇な方がいいというのはもちろんなのだが、感覚が鈍くなる。無論、そのために災害を望んでいるわけではないが、消防士にとって出動時の感覚というものは特殊なものがある。それを数日間まったく感じていないと不思議な感覚に陥る。 普段はいつ何時災害に向かっていくかわからないため、低いラインではあるが緊張の糸を張り巡らせているのだが、こうなるとまったく緊張しなくなる。ただ消防署で過ごしているだけのような感覚になり、自分がなんの仕事をしているのかわからなくなるような感覚だ。
とはいえ、その感覚が戻るのは一瞬である。災害指令がかかればなんの問題もなく戻ってくる感覚で、いままでに何回かは経験した。
今日の勤務は江尻が助勤で他署の勤務についているため6人での勤務だ。
石田の成長は目を見張るものがあり、俺が入院していた期間にも訓練を積んできた事がうかがえた。身体も食トレが功を奏して消防士らしい身体つきになってきている。
午後は天気が悪くて訓練やドライブに行けなかった。
俺達は書類の整理をしながら、テレビを見ていた。テレビでは夕方のニュースの組み込まれた消防ドキュメンタリー番組がやっていた。その番組では過去の感動ストーリーのようなものが取り上げられていて、焦点は”隊長の責任”という部分がクローズアップされていた。「危険なところに隊員を向かわせるときは隊長自らが先頭を行く」という話が感動ストーリーのように語られていた。
「これって一般的に見ると素敵な隊長さんなんでしょうか?」
書類を片付けながら石田が聞いてきた。
「どうだろうな?俺はそうは思わないけど。」
「そうですよね。こんなことされたら、なんか切ない気持ちになりますよね、きっと。」
「つまりは隊長に信用されてないってことだからな。心配な気持ちはわかるけど、危険もなんも含めて“行け”って言える人が本当にカッコいい隊長だな。」
俺は鈴木隊長に聞こえるように言った。
「俺は別にそんなつもりじゃねぇ。ただもうお前らほど体力がないからお前らに任せてるだけだ。」
新聞を読みながら顔をあげることもなく言った。それでもこれが本音でもあり、そうではないところもあることを俺達は知っている。俺がそう思っているのはこの男の教えがあったからだ。
「こないだ、他署の同期と飲みに行ったんです。そしたらある同期のヤツが“ウチの隊長は全部仕事を押し付けてきて、自分はなにもしない”って愚痴を言ってたんです。気になってよく聞いてみたら、確かに見方によっては押し付けてるようにも聞こえるし、でも自分には任せてるように聞こえたんです。捉え方って難しいなって思いました。少なくとも、自分は“なんでも自分でやっちゃう隊長”より“任せてくれる隊長”の方がいいなって思いました。」
「そうだな・・・隊長なんてなにもしないくらいがちょうどいいよ。」
俺がそう言うと鈴木隊長が新聞を置いて顔をあげた。
「おい、それじゃまるで俺がなんにもしてないみたいじゃねーか。」
隊長がそうツッコむとみんなが笑った。
「いやいや、隊長にさせるなんて、しょうもない部隊がやることだって意味ですよ!」
俺は焦って取り繕ったふりをしたが、それは演技で本当に思っていたことだった。
本当にカッコいいのは「俺が身代わりになる」という浅はかなヒーロー感ではなく「お前に任せた」という真実の信頼だと思う。それを言えるようになるまでには多くの階段を登らなければならない。もちろんどちらにも高いスペックが要求される。なんでもかんでも任せるのではなく、その時の状況やその隊員の能力を計算しなければならないし、任せられる隊員側にはそれをこなせるスペックが要求される。そしてなによりもお互いに信頼関係がなければなし得ない。どんなに英明な隊長でも、どんなに優秀な隊員でも、お互い知らない者同士では懸命な依頼はできない。実際、俺も知らない隊長に依頼されても、命を懸けることはできない。この男だから、信用しているという部分もあるし、なんとか成し遂げたいという希望を持てる。
「イシ、周りの若い子がどんな気持ちで仕事をしているかはわからないけど、お前はどちらかというと変わってる方だと思う。」
武林が諭すように言った。
「え?そうなんですか?」
「ああ、ムラの教えは消防士としては素晴らしいと思うが、いまの一般社会には受け入れられがたいだろうな。」
「そうだな。いまどきにはあまりそぐわないな。」
渡部隊長までもが同意した。
「でもな、コイツの言うことは正しいよ。本質を見抜いてると思う。ずっと前に話したパワハラの話もそうだが、みんなの視点が本質からズレてることがある。今回のもそうだ。さっきの番組も市民や一般論からすれば正しいかも知れないが、俺達前線にいる者にとっては違ったりする。そのことはコイツからしっかりと学んでおきなさい。」
俺は渡部隊長があまりに真面目に話す姿に吹き出してしまった。
「なに笑ってんだよ!」
「いやだって、すごい真面目だなって!」
「なんだよ、人がせっかく褒めてやってんのに!」
と少しいじけたように言った後、
「でもさ、本当に思うよ。ときどきその視点の柔軟性に驚くよ。」
「ありがとうございます。」
一応そうお礼を言って話を終わらせたが、俺はそうは思わなかった。俺の考え方も教育も全部は、この鈴木隊長や渡部隊長、森田隊長ら先人達が築き上げてきたもので、俺の意見なんてものが入る隙間は少しもなかった。
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