第244話 ガバ勢と鼓動の日

 その日、鼓動を感じた。


 風はなく、海にも、空にも何一つ異変がないその穏やかな景色を、不可視の波が撫でていった。

 鼓動は幾度も繰り返され、やがて感じ慣れた世界の一部に溶けていった。

 私にはもう、それが今も続いているのかさえわからない。


 だが、もし、これから何かが起こるのだとしたら、今日が始まりだったのだろうと、人々は振り返るだろう。


 この島が、目覚めた。


 ――アジール島 観測者の記録


 ※


 朝。シーツの内側、腹の上に温かい毛玉が乗っている感触で、ルーキは目を覚ます。

 まぶたを開く前から、


(またニーナナか)


 という確信に等しい予感がよぎるも、彼女の長いケモノ髪がもたらす絶大なるモフモフ&保温効果に、浮上しかけた意識はあっという間に安眠の底へと引きずり戻される。


「いつまで寝てるんすか、ルーキセンパイっ」


 明るく快活な声を耳をくすぐられ、今度こそルーキは目を開けた。


「あれ……サクラ?」

「そーっすよ。なーにやってるんですか、センパイ」


 クスクスと微笑む彼女の態度に芝居がかった様子はないが、普段の雑な対応からすると不気味なほどに愛想がいい。


 見れば、彼女は普段の忍者服でなく、聖ユリノワール女学院の制服を着ている。

 こちらの起床を確認したサクラは軽い足取りで窓際によると、


「それー」


 と愛らしい掛け声までつけてカーテンを一気に引いた。

 強い朝日が視界を埋め、ルーキは顔をしかめる。


「ほらほら、さっさと起きるっす。ホントにセンパイはだらしないんだから。サクラがいないとなーんにもできないんすねえ」


 床に転がっていた靴をベッド脇に揃え、外行きの服をタンスから取り出し、しまいには何かの小包をナイトテーブルの上に置いた。


「はい、今日のおべんとです」

「お、おう……?」


 ルーキは首を傾げた。

 サクラがおかしい。


 朝寝坊を叩き起こされるのは日常として、いつもはこんなに優しくないし、世話焼きでもない。目覚ましとして腹の上に垂直に頭突きで落ちてくるくらいだ。


 しかも先輩呼び。服装といい、なぜユリノワール仕様なのか。


「えーと、サクラさん?」

「なんすか?」


 サクラは可愛らしく後ろに手を組み、にこにこと笑いかけてくる。


「今日、あの学校に行くとか、そういうイベントありましたっけ?」

「ないすよ」

「えっ……じゃあ、何でそんな変なことしてるの?」


 瞬間、サクラの双眸がカッと光り輝き、


「ここまでしないと全然そのベッドから出てこないからだろうがあああ爆炎咆哮弾!!」

「ぐわあああよかったいつものサクラだあああああ!」


 忍術の熱風に煽られてルーキがベッドから転げ落ちると、シーツに残された膨らみがもぞもぞとマットの上を這いまわり、やがて端からぱっと顔を出した。


「ルーキ……どこ?」


 いつもの眠そうな顔に輪をかけた寝起きの顔で、ニーナナがあたりを見回す。

 口をへの字に曲げているサクラを見つけると、そのまま静かにシーツの中に後退していき、


「ルーキ。昔の女が来てる」

「待てコラガキ!」


 サクラが無理矢理シーツをひっぺがすと、そこにはぽつんと残された、毛玉化したニーナナが。

 不満そうな顔をしながらも起き上がる。

 その際何かが見えたらしく、


「服を着ろっす!!」


 という第二の怒声が、四方の壁を乱反射している。


 ルーキは、床に投げ捨てられている白スク水に気づいた。どうやら今着ているポンチョの下は裸だったらしい。


 ため息を一つ体から追い出す。


 彼女用に作った即席の小型ベッドはほとんど使われず、夜中は部屋のあちこちに寝床を変えた挙句、最終的にこちらのシーツの中に潜り込んでいるのがここ数日のテンプレ。その保温効果によりダメ人間化した自分をサクラが叩き起こすのも常態化しつつあり、大変心苦しい。


 しかし、そんなこんなで、新たな同居人はルーキの日常に馴染んできたのだった。


 身支度を整え、三人で“屋台通り”に寄って朝食を済ませ、そのまま〈アリスが作ったブラウニー亭〉を訪れる。


「あらいらっしゃい。今日も一家揃って出勤ね」


 テーブル席を拭いていた受付嬢が軽やかに挨拶してくる。


「おはようございます」

「おはよ」

「誰が一家すか、誰が」


 サクラのみは呆れ笑いを返したが、


「あら、サクラちゃんが女房役じゃないの?」

「え。…………。……ま、まあ? 多少はっすね? そう見えちゃうのもやむなしっすかね? いや、しょうがないっすね? 超自然にね? 誰しもがね? 認めざるを得ない感じっていうか? 是非もなしって感じで?」


 受付嬢からの追加の一言を受けて勝手に納得していた。

 二人の会話は特に気にせず、ルーキは店内を見回す。

 街の住人がわずかにいるだけで、走者は見事に誰もない。前にもこんなことがあった気がして、少し不安になる。


「あの、もしかして、今日って何かの試走とかRTAがある日でしたっけ……?」


 恐る恐る受付嬢にたずねると、彼女は笑いながら、


「ああ、違うの。親父さんたち、商船の引き揚げ作業に出ててね」

「え? しょ、商船の……何ですって?」

「沈没した商船の引き揚げ。ここから西の方にある開拓地に、〈双児にじのシルクロード〉って呼ばれてる貿易地帯があってね。一門でそこの貿易商社に投資してたのよ」

「そ、そんなことしてたんですか?」


 ルーキが目を丸くすると、受付嬢はひらひらと手を振り、


「あはは、ホントは副業なんてものじゃなくて、昔RTAした時、あっちでしか使えないお金が少し余ったから、適当なとこに投げ入れてきたみたい。そしたらそこがどんどん成長しちゃってね。最初は、頑張るんだぜー、て感じで他人事だったのに、貿易額が倍々で増えて、もらえる配当金も上がり出すのを見てみんな目の色変え始めちゃって。ほら一門って、貧乏人から仕事受ける時は、金なんか必要ねーんだよってカッコつけるくせに、大金目の前に出されるとあっさりカネーって寝返るから」

「それは、まあ、そうですね」


 一門は意地やプライドがかかっていないところでは金や権力に容易にすり寄る。基本、俗物なのだ。


「で、昨日の夜、そこの交易船が沈没したって報せが届いて。このままじゃ会社が潰れて俺たちに回ってくる金もなくなるっていうんで、血相変えて飛び出していったわけ。今日明日は帰ってこないと思うわよ」

「そんなことがあったんですか」

「わっかりやすい人たちっすねえ」


 何にせよその間、一門は開店休業状態というわけだ。

 レイ親父たちが留守にするなど珍しいことでもないし、ルーキは先駆者たちのチャートを読み漁ってみなが帰って来るのを待つことにした。


 たかだか二日。RTAは毎日のようにどこかで発生しているが、一門の誰かが何としても出撃しなければならない大事件などそうそう起こるはずもなく……。不在中にそんなイベントが発生するようなら、その人はRTAに向いていないという何よりの証拠だろう。


 と。


「ごめんください」

「あら、はーい?」


 飲食のために訪れたわけではなさそうな挨拶に、受付嬢が小首を傾げながら応対する。


 ルーキも何気なくそちらを見た。

 恰幅のいい、商人風の中年男だ。肉まんのような顔と腹をしており、いいものを食って育っているのが一目でわかる。


「こちらはレイ一門が贔屓にしてらっしゃるお店で間違いありませんか?」


 甲高い声だが、柔らかく、聞いていて嫌味がない。


「はい、そうですけど」

「そりゃよかった。レイ親父さんにお伝えください。そろそろ〈アジール島〉への船が出ますので。向かってくださいと」

「えっ」

「えっ?」


 受付嬢がきょとんと固まり、それに呼応するように商人も目を丸くして動きを止めた。


「あ、もしかして、もう出発されてました? それなら申し訳ないことを――」

「あっ、そうじゃなくて……。親父さんなら、〈双児のシルクロード〉に出てますよ?」

「はい? えっ、ええええええっ!?」


 肉付きのよい全身を震わせて叫ぶ商人。チャートを読んでいたサクラとニーナナも何事かと目を向ける。


「親父さんと何か約束でも?」

「そうですそうです! 今度〈アジール島〉で行われるギガントバスターのRTAに参加してもらう約束だったんですよ!」


 ギガントバスター。ルーキも聞いたことがある。


巨獣ギガント”と呼ばれる大型のモンスターが闊歩する開拓地の総称、およびそれを行う人々の敬称で、RTAとしての人気度は〈ロングダリーナ〉や〈ダークエレメント〉に劣るものの、土地としては抜群の知名度を誇る。人類圏にもたらされる資源の量も半端ではない。


 そこでRTAがあるらしい。


 狼狽える商人の態度に、同情するような苦笑いを向ける受付嬢。


「あ~、そりゃ災難ですねぇ。ええっと……親父さんたちは、その~、馴染みの相手から……急な……そう、救援要請がありまして。それで慌てて出て行っちゃったんで。一応、明後日かその次くらいまでには帰ってくると思いますが……」


「それじゃ困るんです! 目的地までの船は一度しか出なくて、わたしの手配分に不足が出たとなれば信用問題になる!」


 この商人はどうやら走者の紹介役だったらしい。RTAにある程度の日程的余裕がある場合、こうして特定の人間に走りを依頼することはよくある。無論、選ばれるのは相当な実力者であり、走者にとっても名誉なことだ。


「じゃあ、今回は他の人に頼むしかないですね。ま、ここは走者の街ですから。行きたがる人はいくらでもいますよ」

「そこらで捕まえられるような馬の骨じゃ話にならない! 腕利きが必要だから、レイ親父さんにお願いしたんですよ! 先方にもそれで了承してもらっています。今さら話が違うとなったら、こっちの面目丸潰れだ。最低限、レイ一門の走者でないと……」


 ぴたり、と二人の会話が途絶える。


「…………」

「…………」


 すうっ、と二人の首がこちらを向いた。


「あそこのお若い人はレイ一門ですか?」

「ええ。ルーキと言って、一門の新人の中でも随一の腕前ですね(一門の総新人数1)」

「紹介とかは可能で……?」

「あー、お店にいくらか入れていただければ……」

「こんなものでは?」

「ウィヒ!? こんなに? ウィーッヒ……カネーッ」


 奇妙な声を上げた受付嬢と、にこやかな笑顔の商人が足を揃えてやって来る。受付嬢の目に金貨の残像がはっきりと焼きついていたことで、おおよその事情を察する。


「新人君、ちょーっと頼み事があるんだけどー?」

「ルーキさん、どうかお願いします。親父さんの代わりに〈アジール島〉へ行ってください!」


 ルーキは頭を掻きながら、


「あの、RTAをすること自体は一向にかまわないんですけど、俺、そっち方面はチャートも装備の準備も全然したことなくて、親父の代わりが務まるかどうか……」

「そのへんはむこうで用意してますので、どうか一つ!」


 商人が深々と頭を下げてくる。

 トレイの裏に何かを大事そうに抱え込んだ受付嬢も付言した。


「新人君。このままじゃ親父さんが、約束を破った不義理者として後ろ指さされることになっちゃうかも。たとえRTAがうまくいかなくとも、親父さんも、よくやったそれでこそ漢や、って褒めてくれると思うんだけどなあ~」

「ほよっ!? 親父が!?」

「そうよ」

「そうですよ!」


 便乗同意した商人が身を乗り出し、ルーキの手を取りながら中に何かをねじ込んでくる。


「船が出る港までの地図と、乗船券です! 一枚で四人まで乗れますので、もし一門のお仲間がいればそちらも! それじゃあわたしは走者変更の手続きをしてきますので後はよろしく! あ、でも、すぐに出発してくださいね! 出港時間は変えられませんから!」

「あっ、ちょっ……!」


 一方的にまくしたてると、商人はもの凄い速さで店を出て行ってしまった。


「受付嬢さん。これホントに大丈夫なんですか……」


 ルーキは恨みがましく唇を尖らせたが、受付嬢は明後日の方を向いてひゅーひゅーと吹けない口笛を吹き始める。


「え~? しょうがないじゃない。実際、一門で残ってるの新人君だけなんだし。まあでも、大丈夫でしょ?〈ロングダリーナ〉とか〈ダークエレメント〉とか、結構キツいRTAちゃんと完走してきたんだから。それにRTAに指名されるなんて、誇らしくないの?」

「俺が指名されたわけじゃないですよ。それに、メンバーだって急には……」


 チーン、と呼び出しベルが鳴った。

 振り返れば、すました顔でチャートを眺めるサクラと、テーブル上で丸くなってこちらをじっと見つめるニーナナの姿。


 ちなみに呼び出しベルなんて気取ったものは〈アリスが作ったブラウニー亭〉には存在しないし、今の今までテーブルの上にもなかったはずだった。


「?」


 特に誰かが鳴らした様子もなく、ルーキは受付嬢に向き直って「すぐに出発しないといけないのにメンバー集めなんて……」と言い直そうとする。再びベルがチンチーンと連打。


 振り向くと、やはりすまし顔のサクラとニーナナ。

 ここでルーキはふと思いつき、


「あ、あのさ……。一門の内輪の話で申し訳ないんだけど、もし時間があ――」

「しゃーないっすねえ! いつものことっす。付き合ってあげるっすよ。まったく兄さんたらサクラがいないとホントダメなんすから!」


 こちらが言い終えるよりも早く、サクラは大声で返してきた。


「す、すまねえ、恩に着る!」

「わたしも」


 ニーナナがテーブルの上をヌルっと滑ってきて、ルーキの膝に着地する。


「おまえも?」

「うん。ミロクも走れと言っている」

「でも、結構難しそうだし……」

「ん」


 ニーナナがあごでテーブルの方を示す。彼女がさっきまで読んでいたチャートの中に、ギガントバスターにまつわるものが見えた。


「おお……。違う土地のチャートっぽいけど、参考にはなるか。よし、じゃあ、無理しない程度で頼む。ああ、ここまできたらあと一人……」


 チーンチーンチチチチーン、チーン、チチチチーン。


「すみません、アップルティーのおかわりもらえませんか」


 突然、背後の席からまたも呼び出しベルが連打され、さらに聞き知った声が続いた。

 慌てて振り返れば、そこにいたのは、


「い、委員長!?」


 だった。さっきまでは確実におらず、もちろん二つ目の呼び出しベルも存在せず、しかも受付嬢もアップルティーなど運んでいなかったはずだが。

 彼女は音もなくティーカップをソーサーに置くと、こちらをちらりと見て目を丸くする。


「あれっ、るーきくん、ぐうぜんですね。どうしてこんなところにいるんですか? わたしはたまたまのどがかわいたからここにきただけですけど。すごいぐうぜんですね。うんめいかんじます」

「えっ……ここ、いつもの店……まあいいや! その、委員長! 実は頼みが……急で悪いんだけど……!!」

「ええっ、そんなきゅうにいわれても、こまりましたね。いまのわたしにできることといえば、ぎがんとばすたーのあーるてぃーえーをするために〈あじーるとう〉にでかけることぐらいですね。もうしわけないですが」

「マジかよお!? 今まさにそうしてほしかったんだよ!!」

「えっ、ほんとうですか? わーすごい、きがあいますねわたしたち。きっとほかのあいしょうもばっちりなんでしょうね」

「ああ、まったくもって完璧だ! 頼めるか、委員長!?」

「仕方ありませんね。ふふ……まったくあなたという人は。ホント強引なんですから。こんなふうに連れ込まれたら、もういやとは言えませんね……」

「ありがとう委員長、ありがとう!」


 優雅に眼鏡の位置を直す委員長に心からの感謝を述べる一方で、ルーキは視界外からこんな会話を聞いたような気がした。


「サクラちゃん」

「なんすか」

「ルーキって女に騙されやすいの?」

「あー。ある意味ではそうすねぇ」

「守らねば……」

「無駄なんすよねぇ……」


 何の話なのか流れが見えないが、とにかくこれでメンバーは揃った。

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