第242話 ガバ勢とニーナナのごく小規模な試走
穏やかな風。淡い絵の具を溶かしたようなのどかな空模様。どこか絵本的な開拓地の風景に包まれたルーキは、
「これマジ……?」
その景色の中にニーナナと自分が一緒に立っていることをいまだに信じられずにいた。
「いい風」
まったりと目を閉じ、そよそよ吹く風に偽のケモミミを流すニーナナは、以前とは違う服装をしている。
ボロ布だった外套は、高山の民が愛用する幾何学模様入りのポンチョに。小柄ゆえに丈は膝上近くまであるが、スリットが入っているため腕を使うのに不便はない。
クセのある長い髪はそのままだが、膝下まで伸びた横髪の先端にはリボンを結んでもらっていた。靴を嫌がるため相変わらず素足は変わらないものの、民族衣装風の外観のせいでみすぼらしさはまったくない。
それに関してはルーキも手放しで喜べる変化だったが――。
「……本当に走者をやらせるのか……?」
なおも承服できずにつぶやき、ニーナナをじっと見つめる。ふと目が合った彼女もじっとこちらを見返し、おもむろにポンチョの裾を持ち上げた。
「はいてるから恥ずかしくないよ」
「見せなくていいから……」
白。
ポンチョの下は白スクール水着である。しかも委員長のお古。
何でそんなもの着てるんですかと言いたいところだが、理由はシンプル。無数にある衣服の中でニーナナが肌に身に着けることを我慢できたのがそれだけで、さらに彼女をコーディネイトしたのがローズカッチャマだからだ。
ちなみに、ローズと会って以来、ニーナナは委員長を警戒し、サクラと仲良くするムーブを見せている。服をもらったんだから委員長に懐いてもいいような気がするのだが、謎だ。
「ここルート13・45、通称〈ワンギャーグランド〉は、開拓地の中では比較的のどかで、侵略者不在の試走ともなればピクニックも同然です。安全に実力を測るのにもってこいでしょう」
そよ風の中にその発言を流したのは、そのリズ。
「ま、ここで結果を出せれば兄さんも認めざるを得ないんじゃないっすか」
その隣にはサクラの姿もある。
実力を測る――という彼女の言葉通り、今ルーキたちは、ニーナナが本当にRTAを走れるかどうかのテストのためこの地を訪れているのだ。
「頑張るぞい」
「うう……」
気合を入れてるのか気が抜けているのかわからないニーナナのかけ声を聞きつつ、ルーキの腹はいまだに定まらない。聞けば、タムラー兄貴はニーナナくらいの時から走者をしていたというし、サクラも委員長も修行をやっていたという。
決して早すぎる年齢ではない。だが、なぜか彼女が走者になるということを素直に喜べない自分がいるのだった。
「で、何であちらさんまでついてきてるんすかねえ」
サクラが呆れた目線を後方に流す。そこには、牧歌的な風景にいまいち馴染めないレイ一門の姿がある。
「まあ、念のためな」
「RTAでガキに死なれたら寝覚めが悪いからよお」
「いいからあく出発しろよ新入り。走らなきゃRTAは終わらねえぞ」
「は、はあ……」
ニーナナのRTA参入を真っ先に容認したレイ親父の野次に押され、ルーキたちは出発する。まるで授業参観だ。
柔らかい草に覆われた、何の危険もなさそうな丘の道が続く。広がる平野に樹木の姿はいくつかあれど動物はおらず、正式なRTAが始まったわけでもない今なら、本当にこのままゴールに着いてしまいそうなほど平和だった。
「平和? 何言ってんすか」
サクラが呆れたようにぼやいた時。
「あ、何か出てきた!?」
近くの草むらから出てきたのは、つくしのように細長い体を直立させた生き物だった。
にょろにょろ動いてはいるが、歩みはナメクジのように緩慢で、大きさはニーナナに対してさえ膝ほどまでしかない。
「この土地特有のモンスターです」とリズが解説する。
「これが? ずいぶんと可愛い敵だな。この風景によく合ってる」
「攻撃された人間は一発で意識を失います」
「強敵登場だな!?」
ルーキはざざっと身を引いた。
「まあ、気を失うだけですからね。命を落とさない分、他のモンスターよりよっぽど安全ですよ」
委員長が肩をすくめながら言う。確かに、普段はもっと殺伐とした命のやり取りをしている。これで臆するようなら走者はできない。
「ここのモンスターへの対処法は変わっていて、普通の武器では効きません」
「へえ。こんなナリなのに頑丈なんだな。どうすればいいんだ?」
「大きな声で驚かせるんですよ。そうすると、痺れてしばらく動かなくなりますから、その間に通過します」
「よし、聞いたかニーナナ。早速やってみるんだ」
「うん」
ニーナナは怖がる素振りもなく、モンスターつくしに顔を近づけ、
「わっ、わっ」
と、声を出す。正直、まったく腹から声が出ていないのだが、つくしはその場に停止し、麻痺したようにぶるぶる震えだした。
「やった」
ニーナナが心なしかドヤ顔でこちらを見てくる。
ところが、つくしはすぐに復活してにょろにょろと歩き出してしまう。
「声が小さいですね。こうやるんですよ」
リズが前に出て、大きく息を吸い込んだ。
「この唐変木がああ!!!!!」
ガアアアアアと吹いた突風がつくしを吹き飛ばし、ゴミクズのように地面をバウンドさせる。ようやく停止した彼は、哀れにもビクンビクンと末期的な痙攣を起こしていた。
「こうです」
「ほう、面白そうっすねえ」
傍観を決め込んでいたサクラも、ニヤリと笑いながら別のつくしの前に行き、
「気づけよ鈍感野郎!!!!!」
ガアアアアア……ゴロゴロゴロ、ビクンビクン(T△T)。
つくし二匹を容赦なくノックアウトした二人は爽やかな顔で、
「なかなか楽しいところっすねえ」
「ええ。これなら気持ちよくRTAができそうです。覚えておきましょう」
『あはははは』
(あ、あれ……。何だこれ……)
なぜか手の震えを感じつつ、ルーキは突然出てきた冷や汗をぐいと拭った。
隣ではニーナナが毛玉になっていた。
※
(薄々気づいちゃいたけど……身のこなしはマジで普通の子供じゃないんだよな)
〈ワンギャーグランド〉をさらに進み、高低差の激しい地帯へと入る。沼地に落ちないよう、足場から足場へ飛び移りながら、ルーキは彼女の動きに目を見張っていた。
実力者のリズやサクラがすいすい進んでいくのは当然として、ニーナナもそれに負けない俊敏さを見せている。ジャンプの途中で宙返りを挟んだり、優れた自分の体術を楽しむようですらある。こっちがグラップルクローを使わないとついていけないほどだ。
「おい、ちんたらやってんじゃねえぞおめえら。遅れるな」
「親父こそ気をつけてくださいよ。そのへんぬかるんでるんだから……」
「別に大したことねーよこんなの――」
ズルッ! バシャァァァン!
「ふーざーけーるーなー!」
「親父ィィィ!」
後方が騒がしいが、今日ばかりは親父を見ていられない。
(やっぱ、ニーナナは何か特殊な種族なのか?)
「ルーキ、遅い」
沼地を最後に渡り切り、待っていた三人のところに着地したルーキに、ニーナナがぼそりと言う。
「悪い悪い」
「いいよ。今来たところだから」
「何だその台詞」
「言いたかっただけ。えへへ……」
「何だよ、へへ……」
「鼻の下のばしてんじゃねえっすよおおおおおン!!!!!?????」
「楽しそうでよかったですねえええええぇぇぇ!!!!!!??????」
ガアアアアア……!!!
ビターン、ビクンビクン。
特に罪のないつくしが二匹、地面を這った。
本走さながらの敵意に満ち満ちた爆声を発した二人は振り返ってにっこり笑い、
「あ、道の安全は確保しといたっすよ」
「不意打ちには気をつけないといけませんね。じゃ、行きましょうか」
「は、はい……」
痛みに近い痺れに手足を浸しながら、ルーキはふと、二人の奇妙な点に気づいた。
委員長もサクラも、ニーナナの俊敏な動きを特にどうとも感じていないようなのだ。まるであらかじめ知っていたかのような。あるいは、二人の生きてきた世界からすると、この程度はよくあることなのかもしれない。
(なら、俺もこれは本当にニーナナの実力だってことを認めた方がいいのかもな……)
ルーキの中で少しだけ覚悟ができた、その時だった。
「くっくっく……誰かと思えば、走者が自ら倒されにやって来るとはな」
その声は、唐突に濁った沼地の空から降り注いだ。
「誰だ!?」
ルーキが声を上げると、大きなハゲワシが降りてくる。
「かわいい」
「ふっ、まあな」
ニーナナの感想に、枯れ木にとまったハゲワシは得意げに胸を張ってみせた。
あのつくしがそうだったように、ここの生物というのはやけに丸っこい体型をしていて、仕草一つをとっても、どれもぬいぐるみのようなデフォルメ感、可愛らしさがある。
「RTAでないとはいえワシの縄張りに入り込んだからには、命をかけてしりとりと神経衰弱をしてもらうぞ!」
「でもわりと要求がえぐいなおい!」
などと言っている間に、どこからともなく緑色のオモチャみたいな怪獣が現れ、地面に裏返しにしたカードを並べていく。
準備が整うのを大人しく待ってから、ハゲワシが言った。
「くっくっく……。誰から勝負するのだ?」
「ニーナナ。やってみてください」
委員長が促すと、ニーナナはこくりとうなずいてカードの前に立った。
フィジカルだけがRTAではない。
彼女の走者としての戦いが始まる。
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