第239話 ガバ勢とミロク
「ミロクって、最初に会ったときからよく言ってたよな。何なんだ?」
ルーキがニーナナに問いかけると、彼女は少し困ったように斜め上を見つめ、
「ミロクはミロク」
とよくわからない答えを返してくる。
「自分でもわかってないのかな」
「子供がよく作る、空想上の友達のことですかね」
ルーキに続いてリズも首を傾げると、軍医が次の質問を投げた。
「ミロクはどこにいるの?」
「このへん」
ニーナナは自分の頭全体を指で囲うようにして答える。リズが少し意外そうに目をしばたたいた。よくわからないが、彼女が言った空想上の友達というやつは、普通あそこにはいないのかもしれない。確かに、友達というのは隣とかにいるものだ。
軍医は少し考え込むように数秒目を閉じ、さらに踏み込んだ問いを続けて発した。
「ミロクは男? 女?」
「そういうのは、ない」
「勝手に話しかけてくるの? それとも答えてくれるだけ?」
「聞くと教えてくれる」
「どんな声? 優しい? 硬い?」
「声じゃない」
「怒ったり悲しんだりする?」
「しない。ミロクは教えてくれるだけ」
淀みなく返ってくるニーナナの端的な答えに、軍医は顔を一瞬しかめ、
「外部の……非人格性記憶装置……? でも、それらしい手術跡は……痛痒もなし……」
という意味不明のつぶやきをこぼした後、やがて何かの答えに至ったらしく、姿勢を正してこちらに向き直った。
「今の言葉を信じるのなら、ニーナナの中に、実際に、彼女とは別の何かがいるのかもしれない」
「えっ……」
ルーキは絶句した。
「みんな、人間の脳は一割しか使われていないって話、聞いたことあるかしら」
「え、そうなんですか? たった一割?」
驚くルーキに、リズとサクラが口々に言う。
「昔、そういう与太話が巷で流行ったのは知ってます」
「そっすね。だから、残りの九割にものすごい力が隠されてる人類スゲーっていうデマっす。それで魔力だの戦闘能力がアップするって信じた連中がだいぶカモられたとか」
「デマなのかよ騙された!」
再び声を上げるルーキ。軍医はうなずいて、
「そう、デマね。もし一割しか使ってないなら、極論、脳みその九割を吹っ飛ばされても人間はこれまで通り生きられることになる。けれど実際は、ほんの一部を損傷しただけでも、普段の生活が困難になるほど甚大なダメージを受けるわ。ただね……」
軍医は声のトーンを落とした。内緒話というより、そこに何かの責任や罪を感じているかのように。
「密度の観点から言えば、脳にはまだ空きがあるのも事実なの」
「密度、ですか」
「人間一人の血管をすべて繋げて一本にすると、この世界を二周半すると言われているわ」
「は、はい?」
まったくぴんとこない話だった。人間のどこを探してもそんな長さの部位は存在しないのに、世界を二周半?
「それくらい、密度の世界は広大なのよ。それで、脳は神経がぎっしり詰まっているわけだけど、限界密度の世界からすると、実はまだかなりの余白があるわ。大雑把な試算で、二十四パーセント。さらに研究が進めば四割を超すと言う学者もいる。だから、そこにまだ感知されていない何かが潜んでいても不思議はない、という説が生まれたわ」
「まさか、それがミロクだと?」
委員長が鋭く切り込む。
「わからない。ニーナナの話を聞いて、ふとそれを思い出したの」
軍医は片方の肩をすくめた。
「少なくとも、ニーナナは自分で覚えているわけではない……。ミロクという何かにアクセスして答えを得ているみたいね。そしてそれを、自分の記憶とは“別のもの”として認識している。ここが重要よ。ただ、頭部に何かを埋め込んだような形跡はないし、拒否感もないみたいだから、きっと生まれつきね……」
「まさか。ちょっと待ってください軍医さん。俺に心当たりが……」
ルーキははっとなって、まだテーブルの上にいるニーナナに近づいた。
その動きに気づいたニーナナが、服従を示す動物のようにしゃがんで小さくなる。
「これが、ミロクなんじゃ……」
ルーキはケモミミ部に手を伸ばしてふれた。ニーナナはびくんと肩を揺らし、
「んんっ……。ルーキ……そこは強くさわらないで」
「あっ、悪い」
『は?』
直後、プレス機のような迫真の鉄山靠が左右からルーキを襲った。
ウエストを瞬間的に数センチ減らされ、息もできないままテーブルに突っ伏すルーキに、呆れ半分の軍医の声が降りかかってくる。
「その動くアホ毛について何も言う事はないわ。ま、とにかく。その子は日常生活を送る分には何の問題もなし。はい、健康診断終わり。早いところ落ち着く場所を決めてあげなさい」
※
ルーキとニーナナは礼を言ってRTA研究所兼診察所を後にした。
リズとサクラも一緒についてこようとしていたが、なぜか二人とも軍医に「あなたたちには話があるからちょっと残って」と捕まり、訪れた時と同じく二人での帰路だ。
「とりあえず、街警察に行ってみるか……。迷子の捜索願が出てるなんてことが……」
「ないですね」
「ですよね」
受付の職員からあっさりと否定の言葉をもらったルーキは、さもありなんとうなずいた。
「ルタでの迷子ならまだしも、辺境での捜索願まではカバーできませんので……」
「そりゃそうですよね。広すぎる」
ほぼないと思っていた線だ。落胆はさほどでもない。ここでさらに何かできることはあるかと束の間考えたルーキに、ふと、カウンターから職員が身を乗り出して聞いてきた。
「あの、ルーキさんですよね。ガバ……レイ一門の」
「えっ、あ、はい? な……何で俺のことを?」
初対面の相手に名前を呼ばれ、ルーキは戸惑った。
「おぉ~本物。ふ~む。ほほ~」
彼女は面白がるように角度を変えながらこちらをまじまじと見つめてくる。
「実は友達がRTA警察に勤めてましてね。職場で話題に挙がってるとかで話を聞かされるんですよ」
「えぇ……」
RTA警察に目をつけられているというのは、2000パーセント良いことではない。
(いや、待てよ)
前回のラークン・シティのこともある。
これは、意外にも高評価である可能性が――。
「いつも小さい女の子をつれて歩いてるっていうからもしや思ったんですけど、本当なんですね」
「何その情報!? 全然RTAと関係ない! ていうかそれサクラのことでしょ!? RTA警察的に身内なはずですよね!?」
「くれぐれも間違いを起こさないでくださいね。社会的に殺さないといけないので。それだけです! じゃ次の人どうぞ!」
「話聞いてくれよぉ!」
次の市民に押しのけられ、ルーキは失意のままその場を去った。
「ルーキ」
ニーナナが体をぶつけてこちらの注意を引いてくる。
「どうした?」
「いつも別の女つれてるの?」
「何だその言い方……。サクラだよ。知ってるだろ。ついでにうちの天井に住んでる」
「卑怯すぎる」
「何がだよ……」
ともあれ、ルタにも捜索願が出ていないとなると、この子の親探しは今日明日で片付く問題ではなくなる。長期戦か、あるいはいったん保留しなければならない。
となると、もう行くところは一つしかない。
「あれか……」
子供が怖がらないよう、淡いピンクで塗装された建物が近づいてくる。少し古びてはいるが、いろんな絵が描かれた外壁も目についた。どこからともなく、子供たちの騒ぐ声が聞こえてくる。
ルタは、ある意味では子供にとって危険な街だ。住人の多くが走者だから、彼らにもし子供がいた場合、何らかの事情で孤児になることは、決して珍しいケースではない。移民も多いため、ふとしたことで迷子になったり、置き去りにされてしまうことも多々ある。
そんな子供を保護しているのが、この場所――孤児院だった。
門の前まで来たところで、ふと、隣にニーナナがいないことに気づいた。
振り返れば、少し離れた後ろで立ち止まっている。この施設が何なのか説明したわけでもないのに、病院につれていかれると悟った動物のように、不安そうな眼差しで見つめてきた。
「どうしたニーナナ」
「やだ」
彼女は小さな声で訴えてきた。
「行きたくない」
「けどよ、とりあえずここなら三食食わせてもらえるし、寝床もある。何より安全だぜ」
「やだ、やだ」
声に強い感情はないが、ぶんぶんと何度も首を横に振る。
ルーキは彼女に歩み寄ると、しゃがんで目線を合わせた。
「大丈夫だよ。ここの先生たちはみんな優しいし、友達もできる。勉強とかもさせてくれるから」
「やだ。ルーキと一緒がいい」
こちらの膝にぴったりと身を寄せてくるニーナナ。
「俺は走者だし、家をしょちゅう空けるから一緒にはいられないんだよ。明日にでも飛び出していくかもしれないんだ」
「じゃあついてく。一緒にいく」
ルーキは、そこだけは少し強い声で返した。
「それだけはダメだ。RTAは遊びじゃない。危ないんだ。……別に一生の別れじゃないし、ちょくちょく様子を見に来るからさ」
「やだ、やだ、やだ」
ニーナナが首を振り続けていると、孤児院から優しげな顔立ちの女性が姿を現した。年齢は五十代くらいだろうが、背中の真っ直ぐ伸びた、しゃんとした人物だった。
「どうしたのかしら? わたしはここの院長をやっている者よ」
「ああ、院長さん。実は、この子を開拓地で見つけて保護したんですけど……」
説明しようとすると、老婦人はゆったりとした動作でうなずき、
「あなたは走者ね。走者が迷子を見つけてくるのは珍しいことじゃないわ。それで、そっちのあなたが……」
「さ、ニーナナ」
ルーキはニーナナの肩に触れて挨拶を促したが、彼女はシャツに顔を埋めたまま、目を向けようともしない。
「だいぶ懐かれているようねレイ一門のルーキさん」
「へ……? 俺のことを?」
ルーキは面食らった。さっきの警察はまだしも、こちらには確実に繋がりがない。
「ええ。レイ親父さんとは長い付き合いだし、色々と話をするわ。気まぐれにふらっと寄っては、多くの寄付をしてくださるの」
「親父が?」
院長は孤児院を振り返り、わずかに見えている裏庭の方を指さした。
「あそこに見えるガバコン(バインハーベスター)も親父さんが寄付してくれたものよ」
手押しで使う大型収穫機が置かれている。小麦や稲を一気に集めていく農耕機器だ。
「それ大丈夫なんですかね……」
「突然曲がって隣の畑を収穫したりするけど、子供たちのいい訓練になっているわ。修理するのも勉強になるしね」
「親父さぁ……」
レイ親父が走者以外のことをしているのは、意外というか、何だか不思議な気分だった。しかし考えてみれば当然のこと。走者にRTA以外の要素を持ち込んで、街の機能や商売人たちと結びつけたのがレイ・システムなのだし、本人がその動きと無関係とは思えない。 気まぐれに寄るというのが、最高にらしいところではあるが。
「子供たちの中には、巡り巡ってレイ一門に入った子もいるわ」
「へえ!」
「あそこは大人の孤児院みたいなところね。多くの人を救っているけれど、自分の身の置き場所だけはどうにも決められない人たちが、何となく寄り集まるところ。本当は、彼ら一人一人が誰かの拠り所になれるはずなのに。まったく、困ったヒーローたちだわ」
老婦人はクスリと、悪戯っぽく笑った。そこには敬意と信頼がはっきりと見て取れた。
だからこそ、話でしか聞いていないこちらにも丁寧に接してくれるのだろう。
「それで、その子をうちに預けたいんだったわね」
「はい」
院長はニーナナの前にしゃがみ込んだ。
「あなた、お名前は?」
しわだらけの、しかし優しい手で、そっと少女の肩に触れようとした時だった。
ピシュン! シャッ! シャッ! シャッ!
ニーナナの姿が掻き消え、虚空に残像を生みながらあたりを跳ね回った結果、ルーキの背中にビターンと張りつく。
「ぐへっ」
「あらあら、残像を出しながら逃げ回る子を預かるのは、うちじゃちょっと荷が重いかしらねぇ……。もうちょっとレイ親父さんと相談してみたらどうかしら」
「は、速え……ど、どうなってんだニーナナ」
「ルーキといる。ミロクもそうしろと言ってる」
がっしりと足でホールドしてくるニーナナを背中に張り付けたまま、ルーキは〈アリスが作ったブラウニー亭〉に向かうしかなかった。
※
「で……何の用すか?」
「用事があるので手短にお願いしたいのですが」
そわそわというか、それを超過して作動中のガバセンサー並みに微振動を始めている少女二人に、軍医は小さな苦笑を返した。
「二人の用事はわかってるけど、このことはルーキにはまだ見せない方がいいと思ってね」
一枚の紙を、トランプを並べたテーブルの上に置く。
それをのぞき込むなり、二人は目を見開いた。
「……これは……」
「何すか……これ」
「ニーナナのステータス表よ」
ちから :150
すばやさ :160
たいりょく :110
まりょく :75
せいしんりょく :80
うんのよさ :70
〈smp〉(地位が人に及ぼす影響的なもの)
アンノウン(ちから+20 すばやさ+10)
アンノウン(たいりょく+15 せいしんりょく-5)
アンノウン(まりょく+5 せいしんりょく-20)
一門の影響下(うんのよさ-20)
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