第238話 ガバ勢と毛玉と穏やかな朝

「ルーキ。朝だよ、いつまで寝てるの? 起きてー」


 夢の内膜に覆われた頭に、何かをノックする音とロコの声が響いた。


 ふと思ったのは、ここはまだ夢の中かもしれないということ。

 過去の風景。まだRTA訓練学校時代、寝坊する自分を、ロコがしょっちゅうベッドの端を叩いて起こしてくれた、そんな頃の記憶の――。


「ん?」


 シーツの内側、腹の上でもぞりと動いた異物が、五感に覆いかぶさっていた靄をどこかへ押しやる。安物の布地の下に潜んだ高級毛布の感触の良さに疑問符を浮かべたルーキは、深く考えずにぺっとシーツをめくってみた。


 腹の上に何かいる。

 明るい砂浜色の髪をした褐色肌の幼女が、廿x廿 みたいな顔でこちらを見つめてきていた。


「ヘアッ!?」


 驚いて声を上げたのとほぼ同時に、


「もう、何度呼びかけたら起きるのさって。ルーキってばいっつもそうなんだから――」


 どこか緩んだ顔でロコが扉を開けて入ってきて、


「ルウウウウウキイイイイイイ!!???」


 昨日の夢なんてカケラも残さない怒声が、ルーキの鼓膜を震わせた。


 ※


「どうして……こうなってんだっけ……?」


 背中を丸めたルーキは食堂に来ていた。少し古びてはいるが、白で統一された簡素な一室。大きな食卓があり、併設された厨房にはロコの後ろ姿が見える。


 ここは自宅のアパートではない。

 竹林の奥にひっそりと佇むRTA研究所。その共同食堂。


「役所に行く前にその子の健康診断に来たんでしょ。はいこれ朝ごはん!」


 乱暴に置かれた皿には、ベーコンとスクランブルエッグ、マッシュポテトが、配膳時の荒々しさとは裏腹に丁寧に載せられている。隣の黒ずんだトーストを見たルーキは、背中をさらに丸めてテーブルにあごを乗せ、


「ロコぉー、ちょっとこれ焦げてんよー」

「ルーキにはそれで十分でしょ。さっさと食べて」

「何で怒ってんだよぉ」

「ふんだ。知らないよ」


 ロコはぷいと顔を背けると、


「はい、ニーナナちゃん」

「ありがと」


 険のある様子から一転、スツールを無理やり二つ組み上げて作った子供椅子の上のニーナナには、優しく微笑んで皿を配る。トーストもほのかな小麦色で、ルーキの一番好きな焼き加減ドンピシャ。


 続けて飲み物。ニーナナの前には穏やかな湯気をくねらせるほこほこのホットミルクが置かれ、ルーキには強烈な酸味を発するコーヒがドンと叩きつけられた。


「あのロコさん……? 何か一度も飲んだことのなさそうな飲み物が目の前にあるんですけど……」

「ふーん、そう。で? それが何か問題?」

「いえ、何も……」


 不機嫌なロコの眼差しに気おされるまま、カップに一口つける。予想通りのクセのある味ではあるものの、飲めないというほどではない。全然うま味ではないが。

 出された朝食を口に入れる。


「このスクランブルエッグ、ロコが作ってくれたのか?」


 ただ卵を炒めただけなのに、自分が作ったものと露骨に味が違う。調味料はわかるとして、焼き加減と、何か味覚で感じるものとは別の要素も絶妙にマッチしている。


「そ、そうだけど……。何?」とロコがチラチラこちらを見ながら聞いてくるのに対し、「すげえうまいぞ。いつの間にこんなの作れるようになったんだ? 毎日食いたいくらいだ」という至極素直な感想を返す。


 すると、


「…………。も、もうっ、何だよもうー。もうさー」


 ロコは片手で顔を隠すようにしながらばんばんとテーブルを叩いた。曇り空から一気に空が輝いたみたいににこにこ笑いながら、


「ほら、これトーストおかわり。ルーキは二枚食べるでしょ。あ、ちゃんと好きな焼き加減にしといたから。あとそんな所長さんしか飲まないようなまずいコーヒー飲んでないで、こっちにして。きっと気に入るよ」

「お、おう……?」


 突然愛想よく皿を入れ替えられ目をぱちくりさせたルーキだったが、ふと隣のニーナナを見て、その奇妙な食べ方に気づく。


「ニーナナ。フォークあるんだからフォーク使おうか」


 ニーナナは背中を丸め、料理に直接口をつけてモソモソと食べていた。いわゆる犬食いだ。


「フォーク?」


 眠そうな目を向けて聞いてくる。


「これ。こうやって刺して使うんだ」

「わかった」


 ニーナナは自分の前に置かれていたフォークを掴んだ。

 足の指で。


「えぇ……」


 相当体が柔らかいらしく、それで苦もなくスクランブルエッグを食べ始める。


「い、いやいやいや、手、手を使うんだよ。つか、足でフォーク掴めんの? すごいなおい。でもそれじゃ行儀悪いからさ」

「手は……使いたくない」


 ニーナナは不満げに眉間に小さなしわを寄せた。

 ルーキは、彼女が簡素な貫頭衣の下で、手を後ろ手に組んでいることに気づく。


 彼女の格好は、出会った時と同じだ。外套の下は、かろうじて下着と呼べるだけの粗末な布は身に着けているが、普通の服はいやがって着替えなかった。

 服の好みはまだ納得できるが、腕を滅多に外に出さない癖は奇妙に感じられた。


「うーむ……。でも、足でっていうのはなあ。どうしても使いたくないのか?」

「ルーキがしろっていうなら、する」

「じゃ、そうしてくれ。そのままじゃこれから色々大変だからな」


 ニーナナは手を出してフォークを握ったが、今度はスクランブルエッグをぽろぽろとこぼすようになってしまった。彼女はこちらをじっと見つめ、


「こ無理ゾ」

「また変な言葉覚えてる……」


 ルート0からの帰り道に一門から覚えたに違いなかった。それにしても、手より足の方が器用とは。


「よくわかんねえけど、そういう風習だったのかな。獣人……だから?」

「わたし獣人じゃないよ」

「えっ、でもケモミミが」

「これ耳じゃないよ」


 そう言うと、ニーナナは豊かな横髪をめくってみせた。確かに、人間と同じ位置に耳がある。


「じゃあこれは何なんだ?」


 ルーキが手を伸ばすと、ケモミミ部はふるふると震え、逃げるようにぺたんと倒れた。


「明らかに動いてるんだけど……。確かに、さわってみると耳じゃないな……」

「ん……。ルーキ、あんまり強くさわらないで……」

「あっ、悪い」

「そっとならいいよ。優しく。うん。そう。上手。えへへ……」

「そ、そうか? へへ……」

「ルーキ? パンにデスソース・ジャム塗ってあげるね? 所長さんが好きだからきっと気に入ると思うよ?」

「待ってくださいロコさん! すでに目が痛い痛い痛い! 何か悪いことしたんなら言ってください何でも直しますんで!!」


 結局、ニーナナは足でフォークを持ち直して朝食を取った。


 ※


 朝食を終えたルーキはニーナナと二人、所長の軍医が待つ診察室へと向かっていた。

 さっきまでのゴタゴタで意識は完全に覚醒した。昨日のことも思い出した。


 ルート0から帰ってすぐ、軍医にニーナナの健康状態を確認してもらいに行った。すると、何やら結構しっかりした検査をしてくれるとかで一晩泊まることになったのだ。

 しかし、ルーキが家に帰ろうとするといつの間にか彼女もついてきてしまうので、一緒に宿泊することで着地点を見出した。


 そして、起きたらあのような状態――という流れだ。わざわざ部屋を別々に用意してもらったというのに、よほど懐かれたらしい。


 時折すれ違う研究職員のウサ耳獣人たちと挨拶しつつ、診察室の前までたどり着くと、なぜか肌がひりついた。


「何だこれ……」


 見れば、ニーナナは表情こそいつもの眠そうなものだが、髪がさっきより毛羽立っている。一体何なのか。奇妙に思いながらも呼びかける。


「軍医さん? ルーキですけど」

「入ってちょうだい」


 許可を得て入ってみると、先客が二人来ていた。


「おはようございます、ルーキ君」

「朝ごはん食べるのにどんだけ時間かかってるんすかねぇ……」


 委員長と、サクラだった。何やら、天界の門の左右を守る軍神のようなオーラを纏った。


 ニーナナがさっと背後に隠れる。ルーキは二人のいやに涼しげな――しかし確実に何かを内包した眼差しにじりじりと焼かれながら、「ど、どうして二人がここに?」と問いかけた。


「ルーキ君が変わった拾いものをしたと聞いて」

「昨日の夜帰ってこなかったから様子を見に来たんすよ……。そんだけっすよ」

「そ、そう、なんだ。……あ、ニーナナ。この委員長はリズ・ティーゲルセイバー。俺と同い年だけど、めちゃくちゃすごい走者なんだぜ。サクラは知ってるよな」

「どうも。ニーナナさん」


 委員長がわずかに身を寄せるようにして挨拶すると、

 モッ。と、ニーナナが丸くなった。


「こら、毛玉になるな」


 ルーキは注意する。

 ルート0から帰る時にわかったことだが、ニーナナには独特の防御態勢? があって、危機を察知すると、うつ伏せの体勢から手足を丸め、長くてボリュームのある髪の中に全身を隠す姿勢を取る。甲羅にこもる亀のような体勢だが、実際の見た目は動物の毛玉に近い。


 その状態から顔をそうっとあげて二人の様子をうかがい、またすぐに毛玉に戻る。ケモミミ部分も完全に寝ていた。


「緊張してるのかな。あの……委員長? サクラもさ、なんかこう、いつもより目に力が入ってるような……。実は、この部屋に来てから俺も体の動きがすげー鈍いんだけど……」

「不思議ですね」

「何でっすかねー」


 ゴゴゴゴ……。


「はいはい。アオハルはそこまでにしてその子の診断結果が出てるわよ」


 白衣姿の軍医がぱんぱんと手を叩いて話を中断させる。ルーキは彼女に向き直り、ニーナナも毛玉を解除してスツールにちょこんと乗った。


「結論を先に言うと、その子は健康そのものよ。何一つ悪いところなし。そのスタンリーって辺境管理官も、ネグレクトも含めて虐待は一切してないわ。ま、当然よね。そんなことして王都にバレたら出世争いのハンデになるだけだし。そういう意味では、その子は運がよかったわ。イヤミは散々言われたみたいだけど」

「人間のクズがあの野郎」


 ニーナナがぽつりと言い放った。それを聞いた軍医は、表情を変えずに顔だけをこちらに向け、


「ルーキ。汚い言葉を覚えさせるのも虐待の一種だからね」

「マジで……すんません。ルート0の帰り道でみんなが使ってるのを覚えちゃったみたいで……。ニーナナ、俺たちの言葉遣いはマネしなくていいからな」

「何の問題ですか?(レ)」

「センセンシャル! 俺たちが悪かったです! だからあんまり使わないでください!」


 ルーキは伏して要望した。


「ルーキがそう言うなら、そうする」

「おぉ……ありがとな。偉いぞ」

「うん。えへへ……撫でて」


 得意げに差し出してくる頭を撫でてやると、ニーナナは気持ちよさそうに目を細めた。実は撫でているこちらもかなり気持ちがいい。この髪はきっと親をダメにする髪だろう。スタンリーはそのことに最後まで気づかなかったようだ。


『ああ^~』

「はいはい、二人して汚い声あげてないで話を進めるわよ。後ろのお友達もなんか点滅しててそのうち爆発しそうだし。で、健康状態が良好なのはいいとして、もっとすごいことがわかったの。ちょっとこっち来てちょうだい」


 そう言って、軍医は近くの大きなテーブルの前に移動する。


「昨日、ルーキがいない時にちょっとテストしたんだけど」と説明しつつ彼女がテーブルに広げるのはトランプのカードだ。


「ニーナナ、昨日と同じことをしてもらえる?」

「うん」


 軍医がテーブルを下からバンと叩くと、表向きに並べられていたカードが同時にすべて跳ね上がり、裏返った。


 何が始まるのかとルーキが見つめる中、「スペード、1から順に」という軍医の声がニーナナを動かす。

 彼女はテーブルに飛び乗ると、例によって足の指でカードを一枚一枚めくっていく。


「……お、おいおい……」


 ルーキは目を剥いた。すべて軍医の指示通り。マークもスペードだ。カードの配置に規則性もへったくれもない。雑然と置かれたものから、しかしニーナナは最後まで間違うことなく、指示を完遂してみせた。


「次、ハートを小さい方から順に偶数で。それが終わったら奇数」


 それも。


「次、クラブをKから逆順に」


 それも。


「次、ダイヤを大きい方から、奇数のみ。終わったら残りを同じやり方で」


 すべて、正解。


「次、間違い探し」


 軍医はスケッチブックをぱっと開き、閉じた。一瞬だ。ルーキには、左右に同じ男の絵が描かれていることしかわからなかった。


「左右の絵の違いは何? ニーナナ」

「右の絵の人はホイホイチャーハンを持ってなかった。安いギャラだった。希望がなかった」


 よどみなく答え終わった後で軍医がスケッチブックを再度広げる。

 右の男は確かにチャーハンを持たず、左の男より提示されている報酬が少なく、悲しい顔をしていた。


「ど、どういうことですか?」


 ルーキが目を白黒させながらたずねると、軍医はあごに手を当てながらニーナナを見つめ、


「この子はどうやら、一度見たり聞いたりしたことを完全に覚えているようね」

「完全記憶、ですか」


 委員長が驚いた声で言う。みなの視線が集まる中、しかし、寝ぼけ眼のニーナナは横に首を振ってつぶやくようにこう言った。


「わたしじゃない。ミロクがそう教えてくれた」

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