第237話 ガバ勢と背中の小荷物
〈悪夢城〉の部分発生。
悪夢の産物である〈悪夢城〉全体が顕現するのではなく、その一区画のみが実体化してしまう珍しい例であり、〈キーニング・オブ・ダークホープ〉という洒落た名前で呼ばれていた。
一度〈悪夢城〉発生した場所で起こる可能性が高いとされ、それがルート0に現れるのは、さほど異常なことでもない。当然、〈悪夢狩り〉の一族も警戒していたわけであり――。
「お、親父殿に一門の面々じゃないか」
「オニガミ兄貴!? もう来てたんですか!?」
「おうルーキ、聞いたぞ。川蝉からガチ勢の技を習ったんだってな。どうだ? また俺らと一緒に走ってみるか?」
「……! もちろん、やりますよ。今度は前のようにはいかない……。俺は、もうかつての俺じゃない。数々のクソデカレベルアップを果たした実力、見とけよ見とけよー!」
「おっ、その意気だ! だったら早速いくぜ。はい、よーいスタート!」
ドゥエドゥエドゥエドゥエ。
ズザーズザーズザーズザー。
シャーシャーシャーシャー。
シャーロッテ! ジョンソン! シャーロッテ! ジョンソン!
デレデレデェェェェェェェェン!!!
「あっ……いや……うん……やっぱこれ人間には無理なんやなって……」
※
ルーキたちがルート0の端からマッカに戻ってきたのは、町を発ってから二日後のことだった。
試走としては上々。たとえガバが多発しても、右往左往しつつそれに全力で対処しようとしたのなら、それが良い試走というものだ。
RTA心得一つ。
試走ではできるだけ失敗せよ。練習での失敗は、自分の限界を知らせ、どうすればそれができるようになるかを考えさせてくれる、よい教師である。
「急いで帰れば列車に間に合いそうだな」
町にある小さな時計塔を見やりつつ、レイ親父が言った。
「よし、最後の水分補給だ。トイレもちゃーんと行っておけよ!」
『ホイ!』
みなが食料や医薬品を補給しに散っていく中、ルーキも道具屋へと向かう。二日前にここで買った薬草は質が良く、早速不幸な一門勢の命を救った。帰り道での先輩たちのガバに備えて買い足しておきたいところさん。ただし味は不味いですよ。
「何をやっている!」
思わず首をすくめてしまうほどの強い叱責が響き渡ったのは、その途中でのことだった。
見れば、また辺境管理官の屋敷の裏庭だ。
スタンリーと例の女の子がいる。
「あっちの丸太は別の開拓地の輸出用にまとめてあったものだ。誰がバラしていいと言った!?」
「だって、全部やれって言われたから」
女の子がスタンリーを見上げて言い返す。
屋敷の壁の前に積み上げられた薪は、以前見た時は丸太の形をしていたのに、今ではすべてが適当なサイズに割られていた。
(へえ……)
ルーキは驚きつつも感心した。
少女の眠そうな眼差しは相変わらずだが、への字に曲がった口元でしっかりと不満の感情が表わしている。ケモミミも毛羽立っていた。
「私がそんなこと言うわけないだろう! クソ、もうじき業者が引き取りに来るというのに、どうしてくれるんだ!」
「でも、やれって言われた。ミロクもそう言ってる」
「あぁ!? 何がミロクだ薄気味悪い! 子供が大人に口答えするな!」
「いやでも、あんた、確かに言ってたぜ」
辺境管理官の制服に包まれたスタンリーの肩がぴくりと動いた。
「何だ、おまえは?」
神経質さに不機嫌さを追加した両目がルーキへと向き直る。気にせず、答えた。
「通りすがりの者だけどさ。あんた言ってたよ。この前。その子が、全部やるのかって聞いたら、やれるもんならやってみろって」
スタンリーはじろじろと無遠慮にこちらを観察し、
「その格好……走者か? さては一昨日いた連中の一人か。ふん! いきなり出てきてこっちの話に横から口を挟まないでもらおうか」
「ああ、もう挟まないけど、あんたが言ってたことは間違いないよ。大人だっていうなら、そこんところは認めておいた方がいいんじゃないの?」
「何だとこのガキ……。人の庭を勝手にのぞいておいて」
「そう言われても裏道に面してるんだよここ。歩いてればいやでも目に入るし、でかい声で怒鳴れば普通に聞こえる」
スタンリーは舌打ちし、少女を一瞥する。少女は、彼がこちらと話している間もむっとした顔を向け続けていた。
「ふん……! ガキの分際でどいつもこいつも……勝手にしろ!」
もはやどういう文脈なのかもわからない捨て台詞を残し、スタンリーはずかずかと裏庭から出ていった。ルタもかなり自由奔放な街なので、横柄な態度の人間は多くいるのだが、あれはその中でも特に人から好かれないタイプだ。
(まあ、ああいうのは理屈じゃ聞かないから相手にするなってサクラからも言われるし、どうにもなんねえけどな……)
偏屈な大人と一緒にいるのは子供にとって苦痛だが、この女の子はまだ大丈夫だろうとルーキは何となく思った。
あの薪は、こんな小さな子供がたった二日で片づけられるものではない。手伝った大人がいる。それも複数人。恐らく畑仕事に出ていた誰かが戻ってきて手を貸したのだろう。
マッカはRTA的悪路の上にあるせいで苦労人が多い。子供に力仕事を分担させるのは生きていくために仕方ないにしても、一人にはしておかないはずだ。だから大丈夫だ。
「やべ、早く買い物済ませて親父たちのところに戻らないと」
ルーキは女の子に「じゃあな」と小さく手を振ると、道を駆けて行った。
買い物を済ませ、大急ぎで一門が待つ広場に戻る。全員がすでに揃っていた。
「ぜえ、ぜえ、す、すいません。待たせちゃって……」
息を切らせながらルーキが謝ると、なぜか親父以下、先輩走者たちは一度お互いに顔を見合わせてから、こちらを指さし、
「ルーキ。おまえさん、背中に何かとまってんぞ?」
「へ?」
ルーキが慌てて肩越しに振り返ると、何かが背中からぽとりと落ちた。
「ファッ!?」
見上げてくるグリーンの眠たそうな目。それは。
スタンリーの屋敷にいた女の子だった。
「何だおまえ、オプションが増えたのか?」
レイ親父が待機していたサクラを見ながらけらけら笑い、ギロリとにらまれているが、ルーキはそちらに対応している場合ではなかった。
「い、いつの間にくっついたんだ? それより、俺についてきちゃダメだぞ。家に帰らないと。さすがにあの辺境管理官も心配するだろ」
「しない」
少女はきっぱりと言った。
「するような人間じゃない。ミロクもそう言ってる」
「ミ、ミロク? とにかく、俺たちはもうこの町から出発しないといけないから。親父、ちょっとこの子帰してくるんで、もう少しだけ待っててください。オナシャス! センセンシャル!」
「おう。考えてやるよ(待ってやると言っている)」
ルーキは女の子の手を取ってスタンリーの屋敷に向かった。
しかし。
「あれ……扉に鍵がかかってる。おーい、辺境管理官さん。この子が入れないから開けてくれ」
ノッカーでゴンゴン扉を叩きながら声を張り上げると、のぞき窓が開いてスタンリーの気難しそうな細い目が現れた。
目元だけではっきりと侮蔑の表情を作り出し、
「知らんな」
という短い返事を寄越してくる。
「勝手にしろといった。そんな子供、元々うちにはいないし、出ていったのなら追いかける理由もない」
「ちょっと待ってくれよ。さっきのこと根に持ってるのか? 大人げねえなあ。俺らはもう出発しないといけないんだよ。開けてくれ」
「ふん! 知らんと言っている。わたしも明日には王都に戻らねばならんのだ。そんな迷子にかまっている時間などない。じゃあな」
のぞき窓はぴしゃりと閉じられた。
「えぇ……」
ルーキは女の子を見る。女の子もこちらを見返しつつ、しかし何を考えているのかわからない顔だ。
正直なところ、スタンリーのような大人の意固地は、クソガキだらけの故郷でいくらでも見てきた。門限を守らず家から閉め出された子供は、扉の前で泣きながら許しを請うしかないが、クソガキを超えたピネガキになるとそこから秘密基地に出向いて遊びの続きを始める。そのへんはもう駆け引きだ。
しかし、この子を玄関の前に座らせておければいずれスタンリーが扉を開けてくれるかというと、ルーキには自信がなかった。
あの神経質な男は、開拓地の人々が笑い話で済ますようなことに、本気で激怒するように思えた。そして、その次に起こるあらゆる結果に対して一切自分に非があると認めないような、ある種の冷酷さと身勝手さを予感させた。
それは、子供をしょっちゅうぶん殴りながらも、決して育児放棄はしなかった故郷の大人たちを見てきたことで養われた嗅覚だったのかもしれない。
ルーキは仕方なく、少女をつれてレイ親父たちのところに戻った。
「なあにやってるんすかねえ……!」
いつもの台詞にいつもとは違う憤懣を織り交ぜつつにらんでくるサクラに、ルーキは事情を説明し、
「せめて誰かに預けないとまずい。町長さん、そのへんにいないかな」
「町長なら、ほれ、今ちょうどこっちに来てるぞ」
レイ親父があごをしゃくると、確かに町長が歩いてくるところだった。見送りをするつもりで顔を出したのだろう。
「ああ町長さん、ちょっと話が……」
「わたしが町長です」
「申し訳ないが何を言ってもそれ以外何も答えてくれなさそうなセリフはNG」
ルーキは再度事情を説明する。
「ってわけで、あの辺境管理官がヘソ曲げちゃって……」
「むぅ、それは困りましたな。スタンリー殿が急遽、王都に帰ることになったというのは本当です。確かに、ここにいる間は預かるというのが約束になっておりまして、帰るまでにこの子の扱いをどうするか決めるつもりでした」
町長は悩ましげにうなった。
「ついてく」
「え」
女の子がルーキのズボンにぺったりと身を寄せながら言った。
「この人についてく。ミロクもそうしろと言ってる」
「ええっ……そ、それはまずいですよ。ね、ねえ?」
ルーキは慌てて周囲に拒否の同意を求めるが、「いいかもしれませんな」と即応する町長の声がその効果を打ち消しにかかる。
「ルタはここよりも安全な場所ですし、迷子を保護してくれる施設もありましょう」
「で、でも、この子の親は近くにいるんじゃ……」
「いないよ」
「えっ」
「親、いない」
「そっか……」
深く踏み込んではいけないと察し、ルーキは咄嗟に言葉を飲み込んだ。
みなしごか。決して珍しいものではない。町長が補足するように言葉を足す。
「誰かに保護されていた様子もなく、一人でいたようです。このあたりに人の居住地はないので、知り合いを探すのは諦めておりました」
「つれてって」
少し悲しそうな顔をしながら、女の子が動物のように体を押しつけてくる。
「し、しかし、こんな大事なことを今すぐ決めちまうのは……」
「すいませーん。レイですけどー。まーだ時間かかりそうですかねえ。じゃ新入り、俺らそろそろ出発するから……」
「ちょ、待ってくださいよお!? え、親父は賛成なんですか!? この子をルタにつれていくの!」
「別にいいだろ。本人がつれてけっつってんだから。物心のつかないガキでもねえんだ。どこに行こうとそいつの人生だよ。そいつは決めた。ならおめえも決めろ。走者だろ、あくしろよ」
「あくしろ」
「女の子に汚っっったない言葉がうつった!?」
小賢しく便乗するその態度に戸惑いつつ、これ以上引き延ばすことは本当に一門の迷惑になると理解したルーキは一つの決断を下した。
「わ、わかった。じゃあ、一緒に行くか?」
「ん」
女の子はこっくりうなずくと、
シャッ!
とルーキの背中に張りついた。
「…………。何か、今すげー速かったように見えたんですけど。親父?」
「へっ、開拓地で迷子になるならそれくらい活きがよくねえとな。帰り道、しっかり面倒見てやれよ。まあ、俺らも注意してやるからよ」
「はあ……」
ルーキが荷物を背負おうとすると、女の子は律儀に一旦降りて、改めてリュックの上に座り直す。小柄だということを加味しても、恐ろしく軽い。
それともう一つ気づいたことがあった。
この子はなぜか手をあまり使わない。ボロ布をかぶっているせいで手が動かしにくいということなのかもしれないが、背中に張りついた時も足だけでしがみついていたし、リュックに這い上がろうとする時も、足の指でものを掴んで登っていた。
かなり奇妙なスタイルだが、これが彼女の習性なのだろうか。
「そういえば、名前は何ていうんだ? 俺はルーキだ」
「ニーナナ」
「ニーナ?」
「ニーナナ」
少し変わった名前だが、特徴がある分、ルタで素性を調べやすいともいえる。
「そっか。じゃあニーナナ。俺から離れないようにしろよ」
「うん。もう離れない」
ニーナナがぐいぐいとひたいを首の後ろに押しつけてくる。彼女の身長に匹敵する長い髪が肩に被さってきて、何だか毛皮のマントでも纏ったような気分だ。
しかもこの髪、ものすごく柔らかくて触り心地がいい。昼寝している
「ああ^~」
ついついニヤけてしまうのだが、
「な・あ・に・や・っ・て・る・ん・す・か・ね・え・え・え……!?」
ゴオオオ……。
「ファッ!? おねえさん許して!?」
なぜかサクラからどす黒いオーラを浴びせられ、しかもそれは帰り道ずっと続くことになるのだった……。
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