第236話 ガバ勢とルート0の迷子

「なあサクラ」

「なんすか」

「何でさっきから俺のシャツ掴んでんの?」

「別に。ルールで禁止じゃないスよね」

「そりゃまあ……そんなルールないけどさ」


 ルーキがラークン・シティから帰還して翌日――事件解決からは数日が経過している――のこと。

 いつものように〈アリスが作ったブラウニー亭〉に行こうとすると、サクラが後ろからシャツを掴んでついてきた。


 その仏頂面には何かに対する不満――というか、明確な怒りがある。こちらに向けられているわけではなさそうなので、あえて詳しく聞こうとは思わないが……。


「おはようルーキ」

「あ、ケイブさん。おはようございます」


〈アリスが作ったブラウニー亭〉の前で、郵便ポストのように佇んでいたのは、数日前に共に大仕事をこなしたRTA警察のケイブだった。


 絶対に墜ちないセガール号でラークン・シティを脱出後、生還したルーキたちはそこで数日に渡って様々な取り調べ――というより報告をした。


 その後の経過観察をシキたちが請け負ってくれたからこっちは数日で解放されたわけだが、事態はまだ収束には遠い。


「どうしたんですが、そんなところで――」

「誰かと思えば、役立たずのへっぽこおまわりじゃないすか」


 呼びかける言葉を制するようにいきなり背後から刺々しい声が飛んで、ルーキをぎょっとさせる。振り返れば、敵意剥き出しの目つきで口元を歪めるサクラが、ケイブを正面に捉えていた。


「自分の行き先についてろくに調べもせず、町を巻き込んだ事件に巻き込まれるとかこれマジ? 目つきに比べて中身の性能が貧弱すぎるだろ……。やめたら草働き?」

「…………」


 瞑目して口を真一文字に結んだケイブから反論はない。


「はーっつかえ。ほんまつっかえ。恥ずかしくないんすかねえ。一般人引きずり込んで右往左往とか。もうさ、名無しのオイオイ役になって、それでいいんじゃないすか?」

「サ、サクラ、まあ、そのくらいで……」


 いつになく辛辣に吠え立てるサクラを何とかなだめようとするも、


「ルーキにはかなり申し訳ないことをしたと思っている」


 ふと目を開いたケイブからそんな台詞が返され、擁護するこちらの言葉を飲み込ませた。


「ラークン・シティに不穏な噂が流れていることは、ちゃんと調べればわかることだった。こちらの手落ちだ。すまないルーキ」

「い、いや俺は別に。普段のRTAと大差ないし、ケイブさんについていったからこそロコも助けられたわけだし……」


 両手を振りながら否定するルーキの前に、じゃらりと鳴る布袋が押し出された。


「即物的で悪いが、これは謝礼と迷惑料だ。といっても、大部分がラークン・シティとあの署長からだが。少しだけこちらからも色をつけておいた。無論、出発前に言った、一門への配慮は別口でやらせてもらうから安心してくれ」


 半ば無理矢理受け取らされると、ずしりと重い。


「えっ、ええ……? いや、こんなにもらうわけには。俺一人の力ってわけじゃないし」

「いいからもらっておくっす。このケチがちゃんと謝礼出すとか滅多にないんすから。あ、でも、中に石とか入れて目方増やしてないか確認しておくことを勧めるっすよ」


 サクラの辛辣な物言いにケイブはすまなそうに苦笑し、


「そんな半端なことをして火に油を注ぐ気はない。遠慮せず受け取ってくれ。これから先、突然金が必要になることもあるかもしれんしな」


 それを聞いたサクラはぴくりと鼻をひくつかせ、


「何すか? ラークン・シティの事件から変な後腐れを引っ張ってきたんじゃないっしょうね?」


 そんな追及を「あくまで一般論だ」の一言で押し返すと、ケイブは彼女が発する針のような視線をもう気にする素振りもなく、あの後のラークン・シティについてに話題を切り替えた。


「ラークン・シティの人間は問題なく元通りになったそうだ。地下でハーブ人間になっていた職員も戻って、全容解明に協力してくれているそうだが、ハンブラビ社からの応答はない。ウェスカーニの行方も不明だ。生物兵器に関しては、治療ガスの影響で無力化されるか、死亡したとのことだ」

「ちょっと可愛そうですね」


 ルーキは率直に言った。


「やむをえんさ。人かそれ以外か、どちらかが生き残る戦いは常に行われている。幸い、町の住人に目立った被害はない。あったことと言えば、住民全員筋肉痛で、肥満が解消したくらいか」

「え、署長も?」


 ケイブはかすかに笑い、


「誰だかわからんぐらいになった。黙っていれば意外にいい男らしく、町を救った英雄の一人としてファンがついたみたいだぞ」

「はえー」


 まあ確かに、最後の最後で槍を持って立ちふさがる男気を見せられるくらいの人物ではある。あのウザい口を開いたら、明日はファンクラブ閉店の日だろうが。


「町は元に戻るんですかね。だいぶボロボロになったはずですけど」

「そればかりは薬では治らないからな。時間はかかるだろうが、ハーブの有用性を知った周囲の街から注文と義援金が殺到しているというから、何とかなるだろう」


 普通のハーブの段階なら有用性は極めて高いのだ。あれだけの研究施設、そうそう用意できるものではない。同じ事件が起こることもないだろう。


「みんなは?」


 シキたちとは、半ば追い出されるようにして事後調査から逃がされて以来、会っていない。


「強化された生物の目撃例もなく、復興も順調だ。報告はすべてしたし、今頃はみんな持ち場に戻って仕事をしているだろう」

「そうですか……」


 忙しない別れになってしまったのが少し心残りだが、それも走者の常。縁があればまた会うだろう。


「あん? 新入りじゃねえか。何やってんだ店の前で。RTA警察も?」


 不意に、〈アリスが作ったブラウニー亭〉の扉が開いて、白髪頭の幼い風貌の人物が顔を出した。


「親父、おはようございます! うぽつです!」

「おはようさんっす」


 ルーキとサクラは早速頭を下げて挨拶する。


「おうモツカレー。で、おい何だよ、RTA警察が何の用だ? お上に目をつけられるようなことは…………してねえぞ。多分……まだ……してないんじゃないかな……ぷるぷる、ぼくわるいそうしゃじゃないよ」


 だんだん白髪饅頭化していくレイ親父にケイブは苦笑し、


「ルーキに野暮用があっただけだ。もう済んだから帰る」

「そうかよおどかしやがって! ぺっ! で、新人。これからルート0にトレーニングだが、おまえどうする?」

「もちろん行きますよ! 行く行く!」


 こうして走者としていつもの一日が始まる。


 ※


 ルート0。

 ルタの街にもっとも近い開拓地であり、これといって特徴もない代わりに、道中の環境変化が激しく、決まったチャートを作りにくいある種の名物ルート。

 走者は大雑把なチャート方針と自前のアドリブ力でこれに挑むしかなく、地力を測るにはもってこいの場所とされている。


 レイ一門に入門した初日に訪れたこの地で、ルーキはいつになく順調に走りをこなした。


 ※


「レベリングするぞ!」

『ホイ!』

「飽きたからもういいや」

「えぇ……」


 ※


「十倍ウォークするぞ!」

『ホイ!』

「もうこんなことやってらんねえよ、ぺっ!」

「えぇ……」


 ※


「わーい出口ら!」

「タムラー兄貴ダメですって!」

「ねえ、誰か一人くらい毒消し草持ってるよね? ね?」

「何でまたポジってんですか親父ィ!」

「おーい、誰か親父を治す草ー」

「こんなところでポジるヤツにRTAを走る資格はないって親父が言うから、誰も……」


 ※


(結果だけ見ればなぜか)何事もなく行程を消化ており、気がつけばルート0にある開拓町マッカに到着していた。


「おお、よくぞいらっしゃいましたレイ殿! 一門の方々も!」


 町長以下開拓民は、噴水のある町の広場でルーキたちを暖かく迎える。

 走者が好まない“悪路”上にあるこの町が敵性勢力に襲われた場合、レイ一門の救援だけが頼りになる。そうしたことから、一門の人気は極めて高い。


 レイ親父は気さくに手を上げ、


「よう町長。元気でやってるか。何か、人が少ないみてえだが?」


 周囲を見ながら言う。ルーキもそれは思った。しかも、集まっている人間の年齢層が妙に高い。


「ええ。今、畑の収穫時期でして。年寄り以外は朝から晩まで毎日野良仕事に出ております」

「おっと、そういう時期だったか。邪魔しちまったな」

「いえいえ、とんでもない。ジジババは暇にしておりますんで、是非ともお話を……おや?」


 話の途中で町長はこちらに気づき、笑顔をさらに明るくしながら歩み寄ってきた。


「おお、あなたは以前、入ったばかりの新人だった方ですな! あの時は初々しかったが、すっかりたくましくなられました。まるでオーラが違いますぞ」


 突然そんなふうに褒められ、少し照れ臭くなりながら、


「えっ、そ、そおですかね……。へへ、聞いたかよサクラ。オーラが違うってさ。やっぱ見る人が見るとわかっちゃうんだなって」

「それ、兄さんがよく言ってる悪いオーラのことじゃないっすか?」


 サクラから薄笑いを向けられつつ、しばし広場の一角で休憩する。

 どこかで話を聞きつけたのか、若い人間たちもちらほら姿を見せ始めた頃。レイ親父を中心に盛り上がる人々の輪の外側から、突然冷めた男の声が飛び込んできた。


「何を騒いでいる?」


 苛立ちを含んだ一言にルーキが目を向ければ、そこには、どこかの制服らしき群青色のきっちりした格好の中年男性が立っていた。


「広場の通路を塞ぐな。邪魔だ」


 神経質な二言目が、神経質そうな顔立ちから発される。

 集まっていた人々が気後れするように後ずさる中、「おお、これはスタンリーさん」と町長が柔和な笑顔を見せながら彼に歩み寄った。


「ご紹介します。こちらはレイ殿と一門の方々、この町がお世話になっている走者です。一門の皆さん、こちらは辺境管理官のスタンリーさん。少し前からこのあたりの視察に、はるばる王都から来てくださっています」

「辺境管理官?」


 聞きなれない単語にルーキが首を傾げると、後ろからサクラが説明をくれる。


「開拓事業を薦めてる王都が、開拓民の生活環境やら健康状態やらをチェックするために派遣してるお役人のことっすよ。まだまだ数が少ないんで、いる土地の方が珍しいっすけどね」

「へぇ……」


 だとすると、開拓民にとってはありがたい存在か。

「ふん、おまえたちが仕事をサボっていないか見に来ているだけだ。健康だの何だのと知ったことか」


 ルーキの好意的な推測を秒で足蹴にし、スタンリーは「まったく、なんで私がこんなクソ田舎に……」と愚痴りながら、人々のど真ん中をずかずかと抜けていく。


 と。


(ん……?)


 その忙しない背中に小走りでついていく小さい影があった。


 サクラよりさらに小柄で、もう少し幼い女の子。

 浅黒い肌に、どこか寝ぼけたような双眸は淡いグリーン。明るい砂色の髪は、動物の毛皮でもかぶっているのかと思うほど豊かに背後を覆っており、その先端は足首近くまで届いていた。頭の上の部分でぴんと跳ねた箇所が二つあり、耳のようにも見える。獣人かもしれない。


 ボロ布のような貫頭衣から伸びた足は素足で、全体的にひどくみすぼらしい格好だ。前を行くスタンリーと同じ視界に収めると、その落差は、おとぎ話に出てくる貴族とそれに仕える奴隷の姿に思えるほどだった。


「…………」

「何をしている。さっさと来い」


 目が合った気がしたのも一瞬、スタンリーに急かされ、少女はトコトコと彼について去っていく。


「なぁーにぼんやりと見てるんすかねえ」


 なぜかサクラが不機嫌そうに聞いてくる。ルーキは鼻の頭をかきながら、


「いや、何か最近、どこかであんなふうな視線を感じたことがあるような気がしてさ」

「は?」

「どこでだったかな……。ここ数日色々あったせいで細かいとこの記憶がなー」

「は?」

「いてて……何でそんなにつっかかるの……」


 ぐりぐりとサクラから頭突きを押し当てられるルーキの隣で、サグルマが町長にたずねる。


「あの野生のてるてる坊主みてえな子も、王都から来たのかい? ここじゃ見ない顔だが」

「いえ。あの子は数日前にふらっと町に現れた迷子です。自分がどこから来たのかよくわかっていないようで……まあ、あの幼さでは無理もないですが。ちょうど収穫時期で町が慌ただしいので、スタンリーさんに預かってもらってるんです。だいぶ渋られましたがね、ははは……」」

「へっ。一応預かるあたり、腐っても王都の管理官か」


 レイ親父が口の端を吊り上げて笑い、彼らの後ろ姿を見送る。二人はやがて広場の近くの大きな民家に入っていった。


「あれ、あんなでかい家あったか?」とレイ親父。


「スタンリーさんの要望で最近建てたのです。仕事場兼滞在施設として。と言っても、辺境管理官の方がこちらにいるのは年に一、二週間くらいとのことだそうですが」

「あほくさ。まったくの無駄じゃねえか」

「王都との直接の窓口があれば我々も助かりますので、そのくらいならまあ、というところです」


 町長は曖昧な笑みを浮かべた。役人とつながりを持つのも楽ではないらしい。


 その後もしばらくレイ親父と町長たちの雑談が続いたため、休憩していた一門も好き勝手に散らばりだした。


 荷物の点検中に薬草が傷んでいることに気づいたルーキは、サクラに荷物を任せて一人、町の道具屋に向かった。

 外敵からの襲撃中であれば、買い物は物資の奪い合いになりかねないため気を遣わなければいけないところだが、今は単なるトレーニング中。買い物はあっさり済んだ。


 その帰り道。


 通りに面した民家の裏庭から、人の話し声が聞こえた。

 何とはなしにそちらに目をやってみると、さっき会った辺境管理官のスタンリーの姿があった。広場からは少し遠い。このあたりまでが彼の家だとすると、全体の敷地は相当に広いことになる。贅沢な話だった。


「住まわせてやっているのだから少しは役に立て。薪割りくらいできるだろう」


 神経質そうな声を浴びせられているのは、迷子だというあの小さな女の子だった。相手を委縮させるようなスタンリーの高圧的な態度にも、どこか眠たそうな眼差しを変えぬまま「ここにあるの全部?」との問いを返している。


「全部だと?」


 繰り返したスタンリーは、家の壁の前に積まれた薪の山をちらりと見、「ふん、やれるものならやってもらおうか」という不機嫌そうな言葉を吐き捨てて裏庭から出ていった。


「できるかどうかの区別もつかんのか。これだから子供はイヤなんだ……」という苛立ちの言葉が、細く流れてきてルーキの耳にしばらく残った。


 少し気になって見守っていると、少女は緩慢な動きで周囲を見回し、家の壁に立てかけてあった斧を発見、手にする。小さな手斧だが、彼女の体格からすれば十分に大物だ。


 薪割り台代わりの切り株の上に薪を乗せると、女の子は大きく斧を振りかぶる。

 しかし勢いをつけすぎたのか、重さに負けるように足がもつれて後ろに――。


「危ないぞ」


 倒れる寸前、ルーキは後ろから斧を手で止めた。


「…………」


 少女が首だけを動かしてこちらを見つめてくる中、「薪割りか。俺も小さい頃にさんざん実家でやらされたよ。重労働だよなあ」と一人昔を懐かしみつつ、斧をそっと彼女の手から取る。


「力のない子供が薪割りをする時は、こうやって……」


 斧でハンマーのように薪を叩いて刃を食い込ませ、引っかけた状態のまま切り株台に何度か打ちつける。そのたびに少しずつ刃が食い込み、やがて薪はパッカリ割れた。


「やってみな」


 少女はこくりとうなずくと、同じ要領で薪を割った。

 その評価を求めるように向けられた視線に親指を立て、


「いいゾ~コレ。その調子で手伝い頑張れよ」


 そう言って、ルーキはその場を離れた。


 ※


 少女はじっと、立ち去るその背中を見つめていた。


 薬品。鉄の臭い。水槽。イヤなヤツ――。

 爆発。混乱。警報。通気口。外の人々。たくさん。


 おばあさん。


 ――「あんたを預けたい人がいる」


 よく聞かずに逃げてきちゃったけど。


 少女は斧を地面に降ろし、その柄を足の親指と人差し指で挟んで、器用に拾い直した。

 片足立ちになり、斧をぶらぶらと前後に揺らした後。


 その場で鋭く前回り宙返りをすると、勢いよく斧を振り下ろした。


 パカーンという快音と共に薪が衝撃で左右に吹っ飛び、頑丈な薪割り台のおおよそ半分までが断ち切られる。


「……見つけたよミロク。あの人だ」

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