第235話 ガバ勢と二人の逃避路

 二十三号を倒し、ほっとしたのも束の間。

 突然室内の照明がおどろおどろしい赤色に切り替わり、どこからともなく機械的な音声が流れてきた。


《緊急リカバリーシークエンスが開始されました。この施設は一時的に高濃度の薬剤が充満するため、症状が出ていない職員はただちに避難所に退避するか、地上へ退去してください》


「これは……ロコたちがやったのか!?」

「らしいが、ここも安全ではないようだ。地上に避難しよう」


 ケイブの提案にすぐさま賛同し、ルーキたちは廊下を駆け戻る。

 道中の通路も真っ赤に染まり、繰り返される警告アナウンスが危機感を募らせてくる。


「あっ、ルーキリーダーですぅ!」

「来やがったか、遅えんだよ!」


 二人分の歓声は廊下の先から響いてきた。ワワとスベだ。シキもいる。


「ロコは!?」とルーキが問いかけると、彼らはそろってわき道を示し、


「何か、装置の一部が破損してるとかで、ギリギリまで直すとか言い出してよ! オレらも残るっつったんだが、いても邪魔だって……」

「あいつ……。わかった、みんな先行け! 俺が迎えに行く!」

「だ、大丈夫ですぅ!?」

「ああ! 俺はこう見えて結構時間にうるさい男だ!」


 ルーキはグラップルクローを射出。シキたちの頭上の壁を捉えてかっ飛ぶと、廊下に足をつけもせずに方向転換してロコのいる部屋へと向かう。


「超スピード!? ……」


 という仲間たちの驚く声もすぐに聞こえなくなり、目指す場所へと突き進んだ。

 いくつかの小部屋を抜けた先。より色濃く明滅する広い部屋の奥から、ちょうどロコが駆けてくるところが見えた。


「ロコ!」

「ルーキ!」

「デートの時間に遅れんじゃねえよ! 迎えにきたぜ!」

「うん!」


 ロコの手を取ると、グラップルクローで道を飛び戻る。

 非常灯とアナウンスに驚いて隠れているのか、強化された怪物と出会うことはなかった。


 下水路へと続くエレベーターは地下に降りていた。

 一瞬、ケイブたちがまだ下に残っているのかとも懸念したが、扉の前に、まるで足跡のようにニンジャの苦無が置かれている。先に行ったというメッセージだろう。


(ケイブさんは、やっぱサクラと同じニンジャか。リンドウさんも、そうだろうな……)


 ニンジャだらけじゃねえか俺のまわりィと思いつつ、苦無を拾ってエレベーターに飛び乗る。


《上ヘ参リマス》


 金庫の部屋まで行き過ぎるミスを犯さずちゃんと下水路に出て、警察署への道を駆け戻る。留置所の階段を駆け上がり、壁という壁が打ち壊された一階にたどりついた時、ルーキたちは異様な光景を目のあたりにした。


「ど、どうなってる!?」


 雨にけぶる外の道に溢れかえるゾンビたち。

 その全員が両手を掲げ、今までで一番激しく踊っている。まるでシーラーナイトの終わりを惜しみ、祝うかのように。


「ル、ルーキぃ!」


 ロコが突然ぶつかるようにして飛びついてきた。振り向けば、別方向からこちらに気づいたゾンビたちが次々に署内に侵入してきている。

 最後のパーティの参加者を募るつもりか。


「やべえ! 上に逃げるぞ!」


 地上はゾンビだらけだ。ロコの手を取り、はじめに降りてきた二階のテラスへと跳ぶ。仲間たちはどうしている。どこかに避難しているのか、それとも――。


 そう思いながらテラスに到着した、そこに。


「来たかルーキ!」

「ケイブさん!? そ、それは!?」


 ケイブたちの声は、空からした。

 振り仰いだ顔に当たる雨の勢いが弱まる。その理由。


 ルーキの頭上を、巨大な黒塗りの気球の腹が覆い隠していた。ケイブたちはそこから吊るされたゴンドラの中からこちらを見下ろしている。


「隣町からの応援第二弾、全戦場最大適応型強行沈黙熱気球〈セガール〉だ! ちょうど拾い上げてもらった!」

「強い!(確信)」

「ゾンビがかつてないほど活性化している! 地上は危険だ、こっちに飛び乗れ!」


 セガール号が高度を下げ、ゴンドラの位置を合わせてくる。

 まだ少し高いが――。

 ルーキはグラップルクローを構えた。この距離なら余裕で届く。


「行くぞロコ!」

「うん!」


 射出。アンカーがゴンドラの側面に噛みついた。軽く腕を引いて保持力を確認し、ワイヤーの回収ボタンを押す。


 しかし、ルーキの足がテラスの床から離れた直後、しっかりと握っていたロコとの手が雨で滑った。


「ッッ!?」


 アンカーの解除は間に合わなかった。ルーキはそのまま一人で、セガール号の頑強なゴンドラの外側面まで吹き飛ばされる。


「し、しまったッ!」

「ル……ルーキ!」


 急いで振り返った。ロコが一人ぽつんと、テラスの端で立ち尽くしている。


「ケイブさん! もっと気球を寄せてくれ!」


 叫ぶが、すぐに「風が不安定で……!」という、聞き覚えのない――恐らくは乗組員からの切羽詰まった返答が来る。


 実際、地下突入時に治まりかけていた嵐は、再び力を取り戻しつつあるようにも思える。

 気球の操縦など想像もつかないが、これが最悪のコンディションだということはルーキにもわかった。

 一瞬だけ思案し、手を伸ばす。


「ロコ、跳べ!!」

「ルーキ、む、無理だよお……!」

「大丈夫だ! おまえだって走者の訓練生だろ! 跳べる! 俺が受け止めてやる!」


 強い風が吹いた。テラスにいたロコがよろめき、セガール号も大きく揺れる。風向きは最悪。見れば、下にいたゾンビたちもテラスに這い上がってきている。


「ロコ! 今しかない! 信じろ! おまえならできる! 俺が保証する!」

「ルーキ……! わかった、信じるよ。ルーキがそう言うなら、信じられる」


 周囲をゾンビに取り囲まれつつある窮地にも屈さず、ロコは勇気を振り絞るように数メートル下がり、そこから、


「うわああああっ!」


 気勢を上げながら走った。テラスの縁ぎりぎりからのジャンプ。


(いいジャンプだ。届く!)


 ルーキも思い切り手を伸ばして、その手を掴もうとした。


 瞬間、あざ笑う死神が通り過ぎたように、気球が揺れた。

 突風だった。吊るされたゴンドラが一気に流される。


(なッ――!!!??)


 ロコが、あっけにとられたように目を見開いたのがわかった。

 たった一瞬で、彼の跳躍の行き先は奈落に切り替えられてしまった。浮力が失われ、軌道が沈み始める。翼でもなければ、後は落ちるしかない。こちらには永遠に届くことなく。


 しかし――。

 ルーキはその手を。


 掴んだ!


「よく跳んだ、相棒!」

「……!?」


 そのまま引き寄せたルーキの腕の中で、ロコが閉じていた目を開ける。


「ルーキ!? な、なんで……!」


 彼の声が震えた。


「落ちてるじゃないか! 何で……!?」


 ロコの言う通り。彼の手が届かないと悟った瞬間、ルーキはアンカーを解除し、ゴンドラの壁を蹴って宙に飛び出していた。


「何で助けに来たんだよぉ!?」


 泣きそうな相棒の声に、「バカ野郎!」と怒鳴り返す。


「おまえと何かを選べってんなら、とりあえずおまえを選ぶだろ!」


 グラップルクローを射出。地面に激突する直前で、垂直落下を大きな振り子運動へと切り替える。さらに解除と射出を繰り返して近くの建物の屋上へと復帰リカバー


「セガール号は……どんどん流されてるか」


 直前に見た時よりもさらに離れた位置にあった。

 下からはゾンビたちがこちらを見上げている。すでに壁を這い上がり始めている者もいた。放っておいてはくれないらしい。ダンシングゾンビになっても治療薬で元に戻れるとは思うが、絶対とは言い切れない……。


「なら、最後まで足掻いてみるしかねえ。なあロコ」


 と相棒を振り返ると、


「…………」


 ロコは何だか魂が抜けたようなとろんとした顔で、こちらを見ていた。さっき墜落しかけたのがよほど怖かったのか、目が潤み、口も半開きだ。


「おいロコ。ロコ! 寝てんのか!?」

「へひっ!? あ……な、何……?」


 揺すってやると、寝起きのようにかすれた声で聞いてくる。


「ホントに寝てたのかよ? これから最後の勝負をしかけるってんだ。ほれ、背中に乗れ」

「えっ? な、何をするの?」


 ルーキはグラップルクローを軽く持ち上げ、セガール号を見やった。


「今から追いつく」

「む、無理だよ! どんどん離れていってるんだよ! 高さだって……」

「いや、ワンチャンある」


 セガール号が流されていく先には、都合よくいくつかの高層建築がある。たどっていけば、何とか追いつけるかもしれない。

 しかし。


「ま、確かに、そういう目立つポイントは、ゾンビの貸し切り状態になってるけどよ」


 どこの屋根も屋上も踊るゾンビでいっぱいだ。取り付けるのはせいぜい壁面。高度なワイヤーワークが求められる。

 だが。


「覚えてるか、おまえと行ったワイヤーワーク大会」

「う、うん……」

「あん時はおまえの前で情けないところ見せちまったからな。ここらで汚名返上しておきたい」


 するとロコは必死の形相で、


「何言ってんだよ! 僕は全然、そんな……。すごかったよルーキは! あの時も……今も! 本当に……すごいよ。僕なんかといたら、もったいないくらいに……」


 そうまで言われたルーキは「へっ」と笑って頭をかいた。


「その相棒にいいとこ見せたいんだよ。わかってくれ」

「~~……っっ……!」


 ロコはうつむいて肩を震わせた。


「さあのんびりしてらんねえ。さっさと行こうぜ」


 ルーキが背中を向けると、おずおずとロコが体を預けてくる。


「……あれ? なんかロコ、前より細くなってね? 体重も軽いような……」

「……ルーキが強くなったんでしょ。知らないよ……」

「そ、そうか! 俺も成長したもんだ。よーし、やってやるぜ!」


 ロコをしっかりと背負い上げ、ルーキはグラップルクローを撃ち出した。

 窓やひさしの上といった小さな足場でさえ、ゾンビたちのオンステージになっている。狙いは壁一択。まともな着地は許されない。ワイヤーワーク大会決勝、高難易度の川蝉コースを思い出させる。


「イクゾ!!!」


 射出、解除、射出、解除。


「ここで! こいつを! クリア! できなきゃ! 一人前になるなんて! 夢でしかないな!」


 振り子の動きで加速しつつ、時に急降下、その勢いを利用して今度は逆に急上昇。身に着けたすべての技術を駆使してラークン・シティの空中を疾駆する。二人分の体重は、時折吹く突風に対してかえって適度な重しとなり、動きは安定していた。


(少し……グラップルクローの反応が悪いか。今回はかなり無理させたからな。だが、あとちょっと!)


 風に流されていくセガール号は、ゆるやかに見えてなかなかに速い。障害物のない空中だからというのもあるだろうが、まだ追いつかない。追いつけるとしたら、最後の尖塔の先でだろう。そこまで、絶対に意識を緩めない。決して、諦めない!


「すごいね」


 高速で風を切る中、ぽつりと、ルーキの耳元で声がした。


「あん? 何か言ったかロコ?」

「すごいって言ったの」

「そ、そうか?」

「うん。僕じゃあ、絶対、グラップルクローをこんな風に操れなかった。やろうとさえ思わなかったよ。これはもう、完全にルーキのだ」

「……いや、そうじゃない」

「え?」


 ガチ勢仕込みの技をすべて駆使し、高台から高台へと飛び移りつつ、ルーキは言った。


「これは、俺とおまえのだ」

「!」

「今でも。おまえがいてくれるから、俺はこいつを使える。おまえがいてくれるから、俺はこいつともっと強くなれる。それでおまえは、もっとすごいものを作ろうとしてくれる。それがいいんだ。そういうのがいいんだよ俺は」

「ルーキ……。もう……もぉ……君はどこまで僕を……」


 ロコが後頭部にひたいを押し当ててくる。


「さあ……いよいよ最後の勝負だぜ相棒!」


 次がラストの支点。

 ゴンドラの中から手を振る仲間たちの声援さえ聞こえてきている。この距離。今のスピードで詰めれば、いける。


 最後の足場へと跳躍。直後、アンカーを撃ち込んだ横の壁が崩れ、そこからゾンビが手を伸ばしてくる。


「今さらそんなの効くかよぉ!!」


 空中で身を捻り、一切スピードダウンしないままアンカーカットからの再射出。ゾンビのいない箇所へと進路を変え、エレベーター前で拾ったケイブの苦無を壁に突き刺して足場に。


 最後の跳躍。


 上昇する虚空にて。

 グラップルクローを前へと向ける。狙いは完璧。距離は――余裕で射程距離圏内!!


「もらったぁぁ!!」


 射出ボタンを――。

 押す、瞬間、どす黒く青い靄が体の底から吹き荒れた。


 悪意さえ感じるような、オーラ。

 今までのものとは格も質も違う。この街に満ちていた凶暴性が、ついに空を行く者まで掴み取った。そんな怖気。


 ガギッ、と鈍い音がして、グラップルクローが微震する。

 アンカーが発射されない。


「ワイヤーがッ!?」


 どこかで目詰まりした!?

 これまで高速で発射と回収を繰り返している。二十三号と戦う際に無理な動きもしている。


(ッッッここまで来てッッ……!)


 その時!


「ルーキ、照準そのまま!!」


 背後からのその凛とした叫びが、体にまとわりついた致死性の悪意を消し飛ばした。

 身を乗り出すようにして腕を伸すロコ。その手に握られたドライバーが、前に突き出したままのルーキの左腕――グラップルクローの継ぎ目の一つに振り下ろされる。


 こじ開けるように捻る動作の直後、引っかかっていた何かが解き放たれる感触がした。


 アンカーが飛んだ。

 発射に手間取ったのは一瞬以下のわずかな時間。アンカーはそのまま、ゴンドラの側面の上を抜け、奥側の手すりに食いつく。


 即座にワイヤー回収ボタン。吹っ飛ぶように飛翔したルーキたちは、ゴンドラで待ち構えていた仲間たちの腕の中に飛び込んだ。


「っしゃあああああ! やったぜロコオオオオオオ!!」

「やった、やったよルーキいいいい!」


 仲間たちの手にしっかり掴まれながら、ルーキとロコはお互いを引き寄せるようにして抱き合った。


「やっぱおまえは最高だぜ相棒オオオオ!」

「僕も……僕もルーキが一番だよ! ルーキじゃなきゃダメなんだ!」


 応援し疲れたらしい仲間たちが、ゴンドラの中で大きく息を吐く中、無事であることと、やり遂げた歓喜で真っ白になりつつあるルーキの意識の隅っこに、こんな会話が届いた。


「なあ刑部、いくら姫が惚れてても、ほよはいかんよな?」

「いかんでしょ」


 だが、誰の声かもわからなかったし、どうでもいい。

 シーラーナイトはこれで終わる。みんな元に戻り、みんな家に帰れるのだ。


 ルーキとロコと仲間たちの歓喜を乗せ、無敵のセガール号は雷雲の中、悠々と隣町へ戻り始める。

 その背後で、荒ぶるラークン・シティを治療薬の白い霧が優しく包み始めていた。

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