第233話 ガバ勢と生物兵器ルーム

 下り階段を見つけ、さらに地下へと潜っていく。

 レベル3と表記された扉が、植物の蔦に絡み取られて半開きの状態になっていた。


「こういうのはよ、単なる階層の番号じゃなくて、機密度のことだったりするよな」


 スベがそう言って、警棒を握り直す。ルーキも同じ考えだった。数字としては三つ目にすぎないが、扉の分厚さが、それが最上位クラスのものであることを物語っている気がした。

 警戒しながら扉をくぐると。


「うわ……」


 誰かがうめいた。


 内部は、やはり、これまでより一層高度な施設――だったのだろう。元は。

 床も天井も壁もメチャクチャに破壊されていた。火薬や工具の類でではない。もっと生物的な暴力が暴れ狂った後のように見えた。


「これ、何だろ」


 ルーキが見つけたのは、大きなガラスケースの残骸だった。大人一人が入ってまだ余裕があるサイズだ。完全に破壊され原型をとどめていない。


「見てルーキ、奥にいくつも並んでる」

「中に何か入ってるですぅ!」


 全員で慌てて駆けつけると、分厚いガラスの壁の向こうに、筒形の水槽が十は下らない数で設置されている。さっき見たのはこれと同じものか。

 内部は薄緑色の液体で満たされ、その中央に、体のどこの部位とも判別できない肉の塊が浮いていた。


「こっからだとよく見えない。この壁の向こうに行くには……おっ、扉があんじゃーん!」


 ルーキはガラス壁の端にある扉に歩み寄るも、ロックされてびくともしない。


「開いてないじゃーん……」


 横の操作パネルには奇妙な画像が表示されていた。

 不定形の大枠の内側に●が3つ、〇が3つ。そして@。


「ふむ、これは“つくね番”だね」とシキがあごをさすりながら看破した。

「つくね番?」

「この●を〇に押し込むパズルだ。●は押すことはできるが引くことはできない。@がプレイヤーのようだね」

「この期に及んでまたこういうのかよ……。ひょっとして署長と研究所の連中は素で大の仲良しだったんじゃ?」

「さてね。ま、それはさておきやってみようか」


 ルーキは、シキの体からゆらゆらと青いオーラが立ち上ってくるのを見逃さなかった。


「や、やめましょう。何か調子悪そうだし。ええと、こういうのが得意そうなのは……」


 プレッシャーに弱いロコをまず除外し、ケイブとリンドウと自然と目が合った。

 リンドウがバキッと片手で指を鳴らしたのを見て瞬間的に不安になり、「ケイブさん、できませんか」


「よく俺を指名してくれた。任せろ」


 いつになく張り切った様子でパネルの前へと進み出るケイブ。立ち位置的に彼と影が重なる一瞬、裏でリンドウがチッと舌打ちしたように聞こえたのはさすがに気のせいか。


「問題ない。こうだな」


 ケイブは@を操作してつくねを運び終えた。ロックされていた扉が開く。

 ルーキたちは薄暗い室内へと進入した。幸い、水槽の底に照明が設置されており、中身を観察するのに支障はない。


「これ、廊下のところで見た鱗のある犬じゃねえか?」

「こっちにいるのは、さっきの爪のヤツだね」


 スベとシキが別の水槽を見ながら息を呑む。


「ここがヤツらの製造工場ってわけか」

「正確には、そのプロトタイプの培養施設でしょうか」


 リンドウがこれまでより一段階冷たくなった眼差しで、ルーキの推測を補強する。

 いずれの水槽の中身も、生きている様子はなかった。ガラスが割れて中身が飛び出しているやつは言うまでもなく、表面が妙に黒ずんでいるものや、体組織が崩れてはがれかけているものすらある。


「あわわ、失敗作でしょうかぁ……?」

「設備が故障して生命を維持できなくなったのかもしれません」


 慌てず騒がず、水槽を一つずつのぞき込んでは次へと向かうリンドウ。


「何か探してるんですか」とルーキが問うと、彼女はようやくぴたりと止まり、かすかに横顔を向けて「例の二十三号の水槽、中身がありません」とだけ答えた。


 彼女の前にあるのが、二十三号とプレートの張られた水槽だった。

 水槽自体は無事だが中身が確かにない。

 ルーキが反射的に周囲を見回し、室内の薄闇にあの異形を探した時。


「みんな、こっち来て! この小型タンクに治療薬って書かれてるよ!」

「なにぃ! でかしたロコ!」


 ロコが大きく手を振っているのは、大量の薬瓶を収めた棚の前だった。そのうちの一つ、一抱えもある金属製の器に、無数の警告文と一緒に治療薬の一文が印字されている。


「あわわ! ルーキリーダー、こっちも!」


 ワワが棚の横にある机の上を指さす。

 緑の液体がぶちまけられていた。あの爪のバケモノの体液と同じものだ。誰かが戦ったのか、それとも勝手に自滅したものか。その下に、放り投げられたような雑な向きでファイルが置かれている。


“緊急事態マニュアル”。


「これだ!」


 ルーキは手の汚れを気にせずファイルを開いた。


 ――生物学的災害バイオハザードが発生した際には、群長以上の責任者の許可を受けて速やかに以下の手順を実行すること。治療タンクの設置場所は――。


「やったじゃねえかリーダー! これで何とかなるぜ!」


 隣で見ていたスベも沸く。


「ロコ、これ細かいとこわかるか? 何か端末の操作とかいるみたいで……」

「見せて! …………。うん、これなら……指定された場所までタンクを運んでいけば何とかなりそうだよ」

「よーし、やったか!?」


 光明が見えた、その時。

 物理的に、室内が輝いた。


「!?」


 驚きを声として吐き出す時間すらない。

 室内を一直線に伸びた光は、その途中にあった水槽をすべてぶち割って中身を散乱させた。けたたましい音が一瞬遅れてやってくる。


「な、何だ!?」


 叫ぶルーキが見たのは、水槽の光源が闇から切り抜く、巨大な輪郭線だった。

 重々しい足音と共に、有視界内へと踏み込んできたそれは。


「二十三号……?」


 断定しきれない。

 筋肉が異様に肥大したヒト型の怪物であることは共通している。だが、画像で見たものよりもさらに異形で、


「でかいッ……!!」


 身長は二メートル半から三メートル。

 纏っているのはプロテクターとも、不均衡に巨大化した筋肉を押さえつけるためのハーネスともとれる奇妙なボディスーツで、少なくとも常人のために設計されたものではないと一目でわかった。


 怪物が膨れ上がった右腕をこちらにかざした直後、再び閃光が薄闇を弾き散らす。


 対応というよりほとんど予見に近い反応で、ルーキはロコを抱きかかえて床に転がり込んでいた。

 閃光が軌道線上の空気を熱しながら通過し、その奥にあったガラス壁を爆砕するのを、つんざく音と光で理解する。


「何だ、何をしてんだあの化物は!?」


 刑事の勘で同じく床に伏せていたのだろう、スベが叫ぶのが聞こえる。

 ルーキはロコと水槽の基盤部分の陰を這うように移動しながら、


「何かレーザーみたいのを飛ばしてるみたいです!」

「レーザー!? って何だよ!? 魔法じゃねえのか!? どうする、戦うのかリーダー!?」

「俺に考えがあります!」


 低く伏せた姿勢のまま、ルーキはロコの肩を掴んだ。


「いいかロコ。おまえは治療薬を持って、あのファイルの手順を実行しろ」

「ル、ルーキは?」

「考えがあるって言っただろ。大丈夫だって安心しろよ」

「そういう言い方やめてよ! ちゃんと話して! じゃないとルーキのこと嫌いになるよ!?」


 まるで舌を噛んで死んでやるとでもいうような形相にやや面食らいつつ、


「わ、わかったよ。俺がヤツを引きつける。囮ってやつだ。その隙にロコがタンクを設置してシーラーナイトを終わらせる。これだけ。OK?」

「……本当にそれだけ?」

「それだけだよ」

「…………ならOK」


 ルーキとロコは軽く拳を打ち合わせた。


「ルーキ」


 姿勢を低くしてケイブが近づいてくる。


「さっきのファイルだ。地図が載ってるから位置を確認しろ。ヤツを引きつけるなら、このまま奥へと逃げる方がいい。大掛かりな実験施設がある。俺も同行する」


 再び閃光。室内が砕け散る音と振動に、ルーキたちは揃って首をすくめる。

 他のメンバーも、物陰から顔を出した。


「ワタシたちはロコと一緒に行った方がいいだろうね」

「その重そうなタンクを運ぶヤツも必要か。しゃあねえ、オレもそっちだ。死ぬなよルーキリーダー、ケイブ」

「あわわ……ロコさんたちはあたしが守りますぅ……」


 綺麗に二手に分かれた。異論はない。このあたりの即決力は、ここまで一緒に生き延びてきた経験のおかげだ。


「よし、じゃあ行くぜ!」


 健闘を祈る言葉さえ惜しんで、ルーキは物陰からグラップルクローで飛び出した。


 即応してきた怪物のレーザーが、ワイヤーを巻き取って飛翔するルーキの鼻先をかすめた。こちらの動きを理解している攻撃だ。だが、速度はまだ見切られていない。


「はずれだ下手くそ! ほら撃ってこい撃ってこい!」


 ルーキは叫びながら奥へと駆け抜ける。


 二十三号が入ってきた穴だろう。壁の破壊痕から廊下に飛び出て、後ろを振り返る。

 二十三号は鈍重な足取りでこちらについてきていた。重たそうな見た目通り、素早くはないらしい。


「囮とは言ったがよ……俺は勝つ気でいるからな。そっちは頼むぜロコ!」


 再び放たれた怪光線の爆散から転がるように逃げつつ、ルーキは切り札の感触をポケットの内側に確かめた。


 ※


「ロコたちが動き出した。我々もルーキを追うぞ」

「お頭……」


 リンドウが横に並ぶと、ケイブは露骨に鼻の付け根にシワを寄せてみせた。


「こっちに来るからには、もうお遊びは勘弁してくださいよ。ヤツは本物のバケモノだ。協力しないと本当に全滅します」

「わかってる。こっちの仕事も完了した。あとはあれを倒して特別報酬を受け取るだけだ」

「それがお頭の目的で?」


 怪物化したハーブの蔦が這う廊下を影のように走りつつ、リンドウは怪訝そうな弟子の顔を見返した。


「前に話したよな、王都専属のガチ勢走者のこと」

「ええ。ガチ勢はそもそも王都に従属するようなまともな存在ではないという結論で、笑い話に変わったはずですが……まあ、ここまで来たら、あの時、我々が勘違いしてたってことはわかります」

「ああ。ヤツら、0から造りやがったんだよ。それが強化走攻兵だ」


 辺境から新技術を収集することも開拓事業の主目的の一つ。それを活用して、兵士を一からデザインする。にわかには信じがたい話だが、ここの時代をすっ飛ばした設備を見れば受け入れるしかない。


 それだけでも十分優れた能力を持つ固体のはずだ。しかし、ヤツらはそれをベースに薬剤によるさらなる強化を試みた。


「二十三号はその唯一の生存例で、失敗作。ガチ勢よりも若干物分かりが悪い本物の怪物になっちまったわけさ」

「しかしデータは取れた……」

「さすがに察しがいいな。ヤツらは二十三号にもここの施設にももう未練はない。後始末をデモンストレーション代わりに、ウェスカーニ共々逃げ出した後だ。まあ、残されたものでも十分わたしの仕事にはなったがな」


 わざとラークン・シティの警察に捕まって、夜になってから動き出そうと思った矢先のシーラーナイト勃発だったが、間が悪いとは思っていない。元々、爆発寸前のぎりぎりのタイミングだった。むしろこのガバガバ貧弱施設でよく強化生物どもを管理できていたと感心する。


 あの草生えていた職員らが身を粉にして奮闘したのだろう。犠牲になるのは、いつもそういう人種だ。こっちを無視してロコに寄っていったのは気に食わないが。


「わたしの仕事は強化走攻兵のデータの回収と、あわよくばその始末だ。依頼主は誰だと思う?」

「王都の方針に逆らう人間が、そちらの周辺にいるとはちょっと考えられませんが」


 理性的な反応に、リンドウは苦く笑った。


「聖堂教会の〈山犬の聖母〉だ」

「……ウルスラブレイズ・デッドソード……!〈決死英雄〉の一人が?」


 ケイブが信じられないという面持ちで問い返してくる。


「ああ。おまえの街の白髪饅頭やガチ勢のボス、それとレジー先生と同じく、〈獣の時代〉を終わらせたまごうことなき英雄だよ。正直、自分でやった方が確実では? と言い返したかった」


 ギルコーリオ王子の別荘に直に訪ねてきた時には、正直肝が冷えた。フル装備のレジー・ティーゲルセイバーが、一族の決戦旗を掲げながらやって来るのに等しい状況だ。


「聖堂教会は、このやり方に反対していると?」


 ケイブが驚きを隠しきれない口調で聞いてくるのに、無理もない、と頬を緩める。王都は聖堂教会を保護し、同時に、聖堂教会の秘匿戦官たちも王都の軍事力の基部を担っている。俗っぽい言い方をすれば、持ちつ持たれつ、お互いを拒絶しにくい関係のはずだ。


「微妙だがな。方向性の違いは薄々感じている」と、自分の推測にすぎないことを強調しつつ、


「気になるのは、ウルスラ老側もルーキに目をつけていることだ」

「は……? ルーキって、あのルーキですか?」

「そうだよ」


 目を白黒させるケイブに、リンドウは笑った。ここまで裏世界の議題にチラチラ名前が出てくると、あのガバ勢の少年が世界の運命でも握っているような気すらしてくる。


「GV因子ってのはつまりガバの性質だ。ここで見つけた研究員のノートにもあったろう。〈スプリガン〉試薬のGT因子を過剰に吸収しないためには、若いガバ勢の体が望ましいと。GT因子はガチ勢の性質。人を薬で強制的にガチ勢にしようとすれば、おかしくなって当たり前だ。だがガバ勢は精神的にもタフだし、その凶暴化に対抗できるのかもしれん」


「まさか、ウルスラブレイズはルーキを実験台にするつもりで……」

「過分に推測を含むが、辻褄を合わせるとそうなってしまうな」


 ウェスカーニが所属するサイドは人造人間を基幹とし、ウルスラ老サイドは生きたガバ勢を基幹とする。そんな微妙な違い。


 どちらもまともな考え方ではないが、後者の方が若干、理性的嫌悪感で勝るか。ウルスラブレイズは教会でもアンタッチャブルな存在で、何をしでかすかわからない昆虫的な怖さがある。笑顔で民衆一人一人に施しを与え、最後の一人を突然八つ裂きにして川にばら撒くことも平気でやるような、狂人の一歩手前の人物なのだ。


「どこで最初に目をつけられたのかはわからんが、レイ一門は、見た目はともかく実年齢で若いのはそう多くはないからな。若くしてガバ勢に入られれば走者に向いていないとイヤでも気づく。だから、選択肢としては実はあまりなかったのかもしれん。ヤノシュという秘匿戦官が、秘密裏にルタ方面に何度か出向いていることも掴んだ。怪しいよな。犯人はヤスともいうし」

「お頭。聖堂教会を探るのは……」


 ケイブの不安げな声がリンドウの言葉を遮りかけるが、


「大丈夫だ。本当にヤバい話をしている時はきっちり立ち去るところを見せて、深入りする気はないアッピルを必死にしている。このモーションが通じないようなら……ハナからこっちに生存権はないってことだ」

「関わらされた時点で詰み、ですか。それで、そんなこと調べてどうするつもりなんです?」

「今さら聞くか?」


 リンドウが笑って返すと、ケイブはわかってるというように露骨にため息をついた。


「姫のため、ですよね」


 首肯して認める。


「もしウルスラ老が本当にルーキで人体実験しようとしているなら、姫はするだろ。――欠け落ち」

「でしょうね」


「そん時のための下準備だ。まあ、むこうの温情込みで二日もてば大喝采だが。やる価値はある」

「過保護もほどほどにしてくださいと言ってるのに。ウルスラ老を怒らせたら、下手しなくとも全員三途の川行きですよ」

「嫌なら抜けろ。今なら会費無料だぞ?」

「抜け忍を雇用してくれる里とかないんで。一応忠告しときますけど、今の時代にそういう人情噺は流行りませんよ。もうお頭の方が主家なんだ。使い捨てる側だってことわかってますか?」


 リンドウは前を見据えながら「けっ」と品なく笑い捨てた。


「何が近代合理主義だ。浪花節だよ人生は」

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