第232話 ガバ勢と地下庭園

 ハンブラビ社の目的は“人造走攻兵”を生み出すこと。その実験過程で生み出されたのが、下水路の巨大蜘蛛、通路にあった四つ足の動物の死骸、そして踊るゾンビたちだ。


 その人造走攻兵が何者かは不明だが、兵とつくからには戦うための存在であることは予想がつく。あのマッチョな体で畑を耕してくれる希望はない。


 一方で、ゾンビに関してはかなり詳しいことがわかった。

 あの変化の原因は〈スプリガン〉試薬で間違いないようだった。強化の反動に理性が耐えられず、踊り出してしまうらしい。


 なぜ踊るのかというと、意外にもまっとうな理由があった。試薬によって発生したパワーは、内部にとどめておくと人体に大きなダメージを与えてしまうという。それを適度に発散させるのがダンスだ。つまり、踊っているのは防衛本能なのだ。


 不幸にも、皮膚から分泌される試薬がダイナミックにダンスによって効果的に撹拌され、感染を拡大させているわけだが、これはやむを得ない。


 残念ながらGT因子、GV因子、そして〈アリスが作ったブラウニー亭〉の画像の謎は解けないままだが、ひとまずとして――。


「これが、治療薬のタンク」


 ロコは一つの画像を皆に見覚えさせながら説明した。


「広域に薬をばらまく爆弾みたいなもので、ここの研究員がもしもの時に備えて作ってたみたい。これを作動させれば、シーラーナイトは終わるよ」


 少し前ならば、小躍りするほど良い報せだったろうが、その時はすでに違っていた。

 本当にそれだけで収束するのか。もっとヤバイ事態が、知らないところで進行しているんじゃないのか。ラークン・シティを一つ救った程度では、誤差にすぎないほどに広域な何かが――。


 その言い知れぬ不安を苦みとして噛みしめたルーキは今、仲間と共に、下に参るエレベーターの中にいる。


 誰の顔も硬い。

 治療タンクという希望はあるにせよ、問題はそこにたどり着けるかどうか。画像にあったバケモノと戦う装備は、こちらにはない。


(今回はやられたらゾンビになるだけじゃ済まない。……死ぬ)


 ロコとワワは明らかに及び腰になっているし、スベと、走者を引退して長いシキにも、従来の動きを阻害しかねない強い緊張が見て取れる。対してケイブと、なぜかリンドウは落ち着いた様子だった。二人からは妙に同類のニオイがする。


(それで俺はいけるのか?)


 おまじないでもするかのようにグラップルクローを一撫でし、自分の胸に問いかける。

 緊張はある。恐怖もある。しかし、手足に強張りはない。


(RTAでいつもやってることだ。問題ないよな)


 RTA心得一つ。決して立ちすくむな。

 立ち止まることも、時に道を戻ることも前進の一つである。しかし頭も足も止めて立ちすくんでしまえばそれは後退となる。パスワード等は横着せずにメモせよ。常に考え、歩く者に、ゴールは近づいてくる。


 ポーンと軽い音が鳴り、エレベーターが地下への到着を全員に報せた。

 扉が開くと、ルーキの覚悟の斜め上をいく光景が目の前に広がる。


「植物……!?」


 未来的な通路は、まるでジャングルの奥地に佇む遺跡のように植物の蔦に覆われていた。


「これは……グラスハーブです」


 リンドウが蔦から葉を一枚むしり、そう伝える。


「あわわ……全然可愛くないですぅ」

「警察署の植木鉢で育てられているのとはずいぶん違うな。なんつうか……迫力がよ」


 ワワとスベがそれぞれ触ろうと手を伸ばすと、葉のこすれ合う音を立てながら、逃げるように蔦が離れていく。


「こいつ、動くのか?」


 ケイブが目を剥いた。


「明らかに普通の植物ではないね。もしかすると……」

「〈スプリガン〉試薬を?」


 食い気味に発したルーキの推測に、シキはうなずいた。

 ハーブから作り出した強化薬をハーブ自身が取り込む。シンプルすぎて逆に無意味なようにも思えるが、目の前にあるのがその結果なら、その限りではなかったのだろう。


 より強い薬を作るためか。下手をすると、あのデータにあった怪物たちはさらに強化されているかもしれない。


「へへ……けどよ。これでピンチになっても回復し放題じゃねえか?」


 スベが冗談混じりに言って場を和ませようとしたが、


「通常のハーブでさえあの回復力ですから、これを使えば内部から爆発くらいはできそうですね」


 というリンドウの真顔の発言に全員が絶句させられ、フォローもないままルーキたちは奥へと進んでいく。


 研究所深部は放棄された植物園の様相を呈していた。

 ぼんやりした光を放つ何らかの装置。猛虎魂を感じさせる黄色と黒の縞模様で縁取られた扉。深くまで落ちくぼんだ吹き抜けと手すり。どれもが蔦に絡みつかれ、文明の庇護を失っている。


「まずいなこれ」


 ルーキはこの悪条件に思わず舌打ちした。

 生い茂った蔦と葉のせいで視認性は最悪。植物の侵食は床にも広がり、足を取られかねない。待ち伏せされたら本格的に危険だった。


 その時、不意に。


 べちゃり。


 と湿った音がし、ルーキ、そして他のメンバーは、自分たちの右手側に目をやった。


 本当に、何気なく見ただけだった。何の危機感も追いつかないくらい、唐突だった。

 そこに、見たこともないモノがいた。

 大きさは子ザル程度。体毛というか皮膚そのものがなく、剥き出しの筋肉のみで全体が構成され、頭部には巨大な口とそこから覗く乱杭歯しかなかった。目も鼻もない。


 反応が遅れた。致命的に。

 しかし、大きな隙を晒したルーキたちに、怪物はすぐには襲ってこなかった。


 全身から何らかの分泌液を垂れ流しつつ、骨が変形したものか、両腕の途中から生えた刺突剣のように鋭い爪を床に引きずりながら、ルーキたちと並行するように真横をのろのろと歩き出す。


 時折顔をあちこちに動かす仕草は、特殊なセンサーを持つ蛇のような野生動物たちが獲物を探す姿に似ていた。


(こっちに気づいてないのか……?)


 このままやりすごすか、それともこちらから奇襲するか。とても心優しく安全な生き物には見えない。こちらから手を出したところで心を痛める余裕などない。


 ルーキは視界内にいたケイブと視線を鉢合わせた。

 あちらもやる気だ。うなずきもせず了解の目線で応じ、二人同時攻撃をしかけようとした、次の瞬間。


「わっ、わあっ!」


 突然視界外から悲鳴が上がった。

 ロコだった。

 彼の手足に植物の蔦が絡みついている。その背後には、植物の集合体が蠢いていた。


(新手か!?)


 というルーキの瞬間的な思考を、絶叫が塗りつぶす。


「シャアアアアア!!」


 大爪のバケモノの咆哮だった。気づかれた。音に反応している!

 頭部が裏返るのではないかと思うほど大きく口を開け、躍りかかってくる。砲弾のように速い。狙いはロコ。とても対応できない!


(まずい!!)


 バン! と空気が鳴った。

 突進したバケモノが空中で勢いを失い、さらに数発の破裂音がその矮躯を揺さぶった。


「バケモノが相手なら実弾を使わざるを得ないですぅ」


 あわわの接頭語もつけずに、見とれるほど精緻な射撃体勢を維持するワワがつぶやく。


「ワワ!? す、すげえ……!」


 空中で撃墜された大爪のバケモノは、弾痕から緑の体液を噴出させつつ痙攣し、やがて完全に動きを止めた。


「ル、ルーキ、助けてぇ……」

「ロコ!」


 その観察も一瞬のこと。ルーキは慌ててロコに駆け寄り、彼の手足に絡んでいた蔦をむしり取って、背後にいた蔦の塊を蹴り飛ばす。

 あっけなく横倒しになった蔦や茎の隙間から、白い何かが見えた。


「は、白衣?」


 ――ぐへへ……。


 笑い声ともうなり声ともつかない低音を発しつつ、白衣を着た植物塊が蔦を伸ばして体を立ち上がらせる。今度は確実に袖と思われるものの中からそうしていることがわかった。


「こいつまさか、ここの職員か!?」


 どう反撃するかルーキが迷う一瞬のうちに、草人間はロコから別の相手へと狙いを移した。

 次の標的は、リンドウ。

 が。


 ――ぐへ…………あっ。


 急停止し、またロコの方へと向き直る。


 リンドウの迫真の胴回し回転蹴りが草人間の側頭部に直撃したのは、その直後だった。

 体重差とか男女差だとか、そういうものが一切関係ないと心で理解できる壮絶な当たり方に、その場の全員が顔をしかめる。


 さらに彼女はどこからともなく怪しげな薬品とマッチを取り出し、「何でターゲットを元に戻したんですか?」と、ダウンした草人間に迫った。


「リ、リンドウさん。それはいいんで、今のうちに先に進みましょう」

「そうです、い、いや、そうだ。こんなヤツにかまっている暇はない」


 ルーキはケイブと二人がかりでリンドウを引き離しつつ、仲間たちとその場から立ち去った。


「ルーキ、さっきはありがと……。ワワさんも」


 歩きながら、ロコが蔦に掴まれていた部分をさすりながら礼を口にした。

 ルーキはそれを「いいってことよ」と受けつつ、「にしても、ワワがあんなことできるとは思わなかった」と正直な感想を伝える。


「あわわ……実は生き物を撃つのって初めてだったんですけどぉ……。上手にできてよかったですぅ」

「ワワは味あわ警察の射撃大会で優勝した経験もある銃の名手だからね。ああいうバケモノが相手なら飛び道具は一番有効かもしれない」


 シキが彼女の意外な経歴を皆に披露し、ワワに照れ笑いをさせる。そんな腕がありながら、彼女は元人間のゾンビには発砲しなかった。ルーキはそこに、ワワの警察官としての心意気を感じた。


「それで、あの草人間、やっぱりここの研究員だったんかな」


 ルーキが独り言にも似た問いかけを広げると、


「捕まっちゃった僕が言うのも何だけど、そんなに強い敵意みたいなのは感じなかったよ」

「文字通り絡んできただけって感じか」

「それで、どうしてわたしでなくロコさんに狙いを戻したんですか?」

「リンドウさん、それはもういいから……」

「そういえば、ワタシの性癖では、見た目に関係なく、なぜか40代以下の女性の太ももはハリが強すぎてイマイチなんだけど、リンドウさんに膝枕してもらった時には別に……」

「シキ叔父貴あんた死にたいんですか!? この話はもう終わり! 閉廷! 解散!」


 踊るゾンビが〈スプリガン〉試薬の副作用なら、ハーブ人間は、薬で強化されたハーブの影響なのかもしれない。あれも治ればいいのだが。


「……しかしあの爪の方は確実にまずかった」


 ケイブが大きな咳ばらいをし、場を引き締めるように口をはさむ。


「戦闘用に作られた怪物だ。攻撃性が強くできていると見て間違いない。ここからは、遭遇次第、倒すしかないな」


 逃げ切れる相手ではないだろう。せめて、出会わないことを祈るばかりだった。

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