第231話 ガバ勢とGT因子と造られた怪物
果たして金庫から出てきたのは、油を塗ったようにきらきら輝く円盤を収めた小さなケースと、液体の入った小瓶だった。
「これは……治療薬かもしれない。少量だが」
ダウンしたシキとスベに代わり、リンドウ登場以来なぜか影のようにひっそりとしていたケイブが、それらを見比べながらつぶやく。
「こっちの奇妙な円盤を調べる。少し時間をくれ」
「わたしもお手伝いします」
「僕も」
リンドウとロコも加わって入手品を調べることになり、ルーキは金庫に立ち向かって力尽きたメンバーと、近くのソファーで待機となった。
とはいえ、物珍しい場所もあってうろつき回るスベとワワの姿はすでに近くになく、ルーキはソファーに沈み込むように座ったシキと二人きりの状態だ。
いい機会だった。意を決してたずねてみる。
「シキさん……それ、ガバオーラですよね?」
すると彼は少し厚ぼったいまぶたを持ち上げ、軽く手をかざしながら答えた。
「これが見えるということは、君はレイ一門の走者だね。RTA警察ではなく」
「はい……。黙っててすいませんでした」
頭を下げると、シキは優しく笑う。
「いや、そうじゃないかとは思っていたんだ。行動の傾向やらオリチャーやらが一門の習性そのものだったからね。RTAに見切りをつけて警官に転向したのかとも考えたが、それにしてはあの人のやり方に染まりすぎている。まあ、間違いなく現役の走者だろうとね」
勘づかれていた。シキが相手では無理もないだろうと思う。悪徳署長でさえ手玉に取れる人物だ。こちらのウソなど通用しない。
「シキさんは、レイ一門だったんですか。それと、スベさんも?」
ここからは見えないスベに目線を回すようにしながら、ルーキは次の質問を投げる。
「ワタシはそうだ。かれこれ四十年くらい前の話だが。けれどスベは関係ない。ワタシがあれこれ手ほどきしてやったせいで、少しばかり感染してしまったようだ。彼にはこれを視認する力もないよ」
そう言って、シキは手から立ち上る青いオーラを左右に揺らした。ぽつりとつぶやく。
「こらえていたが……とうとう抑えきれなくなったか……」
「えっ、抑えていた? まさかガバオーラを?」
ルーキは思わず身を乗り出した。ガバオーラは一門の宿痾。オーラが出るからガバるのか、ガバるからオーラが出るのかは定かではないが、一つ言えることは、オーラを出すことはできても、抑えることはできない。それができるのなら一門の中で革命が起こる。
「あの人から離れたのが大きいだろうが、制御を試みたのもまた事実と言えるかな」
「ど、どうやって!? そのやり方は?」
さらに前のめりになったルーキに向けられたのは、シキの手のひらと少し苦い微笑だった。柔らかな制動をかけられたところに、彼の声が静かに耳に入ってくる。
「結論から言おうか。ガバオーラを制御してはいけない」
「な……」
「一門にとってガバオーラを抑えるということは、血のめぐりを一つ止めるようなものだ。そんな不自然な状況を作りだせば、ガバが堆積して後々大変なことになる」
ガバ数保存の法則。一度のRTAにおけるガバの数は決まっているという仮説。まさか、証明されていたのか?
「で、でも、ガバオーラを抑えられれば、一番ヤバイ時にガバが重なるようなことはなくなるんじゃ……」
「大事なのはガバらないことではない。いかにガバと向き合うかだよ」
「あ……」
「膝の擦り傷こそ、我々の財産だろう?」
シキはお茶目に片目をつむってみせた。
ルーキは膝の上に置いた拳をぐっと握り、奥歯を噛みしめる。
そうだ。
そうだった。
ガバらない人間はいない。ガチ勢でさえ、ガバる時はガバる。では何ゆえのガバ勢かと言えば、全然、何も、これっぽっちも難しくない場所で突然ガバるからだ。それとクッソ激烈な不運。
対処法は決まっている。不必要に心を揺らさないこと。持てる力を尽くしてリカバーすること。それこそが基本にして万人万能の心得。
予防では意味がない。実際に立ち向かわなければ、成長も工夫もない。失敗してこそ、学ぶものがある。わかっていたのに。委員長には、訓練学校時代からそれができているとまで言ってもらえていたのに。
いざ対処法があるとわかったら、咄嗟にそれに飛びつこうとした。
もしかして、もっと強くなれるんじゃないかと思って。
(バカか、俺は……。見習いの身で、楽な道を選んでどうすんだ)
大きく肩を落としたルーキの耳に、シキの穏やかな声が流れてくる。
「ワタシも大概バカ者でね。いい歳になるまでオーラを制御することしか頭になかった。あの人は、本能的にそれが無意味だと悟っていたのだろう。もはやオーラを認識する必要性すら感じようとせず、ただ息をするようにそれと対峙することを選んだ。ずっとそうだった。今もそうだろうね」
「レイ親父のことですよね……」
老警官は「ああ」とうなずいた。
「走者を辞めて警官になったことを後悔したことは一度もないが、しかし、あの人と一緒にRTAをした日々を忘れたこともない。あの頃は、まだ一門という形にさえなっていなかった。今で言うガチ勢もガバ勢もごちゃ混ぜの黎明期。チャートも未成熟で、大半がアドリブで何とかするのが当たり前だった。君がチャートを作っているのを見て、ずいぶん進化したものだと驚かされたよ」
「そ、そんな時期の!? シ、シキ叔父貴!」
慌てて居住まいを正したルーキに、「よしてくれ」とシキは苦笑いした。
「活動時期がかすってさえいない若者に先輩風を吹かすほど見栄っ張りじゃない。だが、君のように修羅場慣れした走者が一門にいるってことは、あの人は相変わらずだってことだろう?」
「もちろん、毎日オーラ全開ですよ」
「そうか。よかった。いや、よくはないか。まあ、ワタシが心配できる立場じゃないが……変わらないんだね、やはり」
ほっとしたような、懐かしいような。そして、少しだけ寂しく思うようなそんな微笑みが彼の顔に浮かぶ。
ルーキはそれが何を意味するのか、少しわかる気がした。
自分がいなくとも、あの人は変わらない。世界は変わらない。
いてもいなくても同じ。そんな自分を変えたくて、一人前の走者を目指した。
完走した感想で店一軒分の人を集められるくらい、価値のある人間になりたくて。
「果たして今のワタシに、あの人に合わせる顔があるのかどうか……」
「全然大丈夫ですよ。スベさんもラヌキさんも、あの署長だって、シキさんを父親みたいに慕ってる。親父が見たら“やるじゃねえか”って言いますよ」
「ほんとぉ? 金庫の暗証番号覚えてなかったのにぃ?」
「本家親父は自分の言ったことも覚えてないんで……(震え声)」
率直な気持ちを伝えると、シキは照れたようにこめかみに手をやった。
「あの人の後ろをついていくだけだった鼻垂れ小僧が、父と呼ばれるようになる……。こそばゆいが、時は流れていくものだね」
レイ親父を親父と慕う一門生が、また誰かから父と慕われ、頼られる。
その連鎖はどこか不思議だったが、少し考えれば普通のことでもあった。子が育ち、大人になり、親となり、また子を育て、その子もまた親となる。そんな命の繋がりと同じ。
自分たちが違うのは、血の繋がりではなく、敬意と信頼の連鎖であるということ。
あの人を始点として縁が広がっている。いや、レイ親父ですら、誰かの“子”なのかもしれない。あの大きな人が、誰かの子。想像もできないが。
おとぎ話の一部が現実になったような奇妙な感覚にむずがゆさを覚えていると、優しい目がこちらを見つめた。
「君もいつか、誰か育て、後ろに連れて歩くようになる」
「俺が、ですか。んにゃぴ、よくわかんないです」
「君は面倒見がよさそうだし、遠くないうちにそうなりそうな気がするよ」
「それは、いいことなんですかね……」
心のどこかが、なぜか少しだけ反発する。まるでそれは、今の激しくも楽しい日々から遠ざかることのように思えて。最前線を、その次の誰かに明け渡すような気がして。
だが、
「もちろん、いいことさ。その時になれば今より一層クッソ激烈な日々になる。後悔が追いつかないほどにね」
シキが笑みを深めた時、署長が残したアイテムを調べていた面々から声が上がった。
「全員こっちに来てくれ。かなりヤバいことがわかった」
「やはりヤバイ」
「いざカマクラ、だね。話ができてよかったよルーキ。この事態が収拾したら続きをしよう」
「オナシャス! センセンシャウー」
新旧一門は互いに顔を見合わせ笑うと、すぐに表情を引き締め、彼らの元へと向かった。
※
「何がわかったんですか、ケイブさん」
ルーキが呼びかけるケイブたちは、部屋の壁際に並べられた机の上の、複雑そうな機械の前にいた。コンピューターだとか端末だとか呼ばれている装置。そのモニター前に座っているのは、なんとロコだった。
「さっきのデータを一通り確認したよ。みんな、画面を見て」
「ロコ、おまえその機械使えるのか……」
ルーキが驚愕の眼差しを向けると、彼は少し困ったように微笑み、
「研究所の所長さんが使えるんだ。横で見てて、簡単な操作だけはできるようになった」
机に置かれた、小さなボタンがずらりと並んだコンソールとかいう操作板を叩く。
モニターに文字と画像が映し出された。
「なんだこりゃ、すげぇ……」
「遠境開拓地由来の先端技術か。人類圏に持ち込めるようになっていたとはね」
スベとシキの感心した声は、いくつかの画像を見るうちに自然と途絶えた。
檻に入れられたゾンビ。そして、巨大化した動植物。添えられたテキストには、その内情が事細かに記載されている。
「この地下研究所がシーラーナイトの原因だということはもう間違いない」
画面に見入るルーキたちの目の動きに合わせるように、ケイブは静かに告げた。
「特に気になるのは――」と言葉を止め、あごをしゃくるようにロコに画面の操作を促す。彼が見せてきたものは、今度こそルーキたちを絶句させた。
「実験体二十三型と呼称されている」
上半身が異常に膨らんだヒト。――恐らくだが。
顔面は半分が巨大化、半分がひきつるように筋肉が歪んでおり、もはや目や鼻といったパーツの判別は不可能。直立にもかかわらず指先は膝近くまで伸び、変形してないと思われる下半身が小人のものに感じられるほど小さかった。
「金庫にあったデータとは別に、この機械に入っていた資料によると、こいつはゼロから造られたヒトらしい」
「ゼロから?」
目を丸くしたルーキの前に、ロコが操作する画面が映し出される。
複数の画像。最初の一枚は、大きな水槽に小さな肉の塊のようなものが浮いているもの。画面がどんどん下に移っていくにつれ、肉塊は徐々に生き物の形を取り、ついには四肢をもったヒトに似た形状へとたどり着く。
「うへぇ、何だこりゃ」
スベが舌を出して不快感を露わにした。
「あわわ……ヒトを造ってる、ですかぁ」
人が人を作る。人が人を生む。言葉にすればごく当たり前のことなのに、画像のこれは明らかに違うという叫びをルーキの腹の奥底へ響かせた。
血縁でもない。人と人の縁でもない。何かもっと冷酷で一方的な命の作られ方。
完成した形もまた、ヒトとは言いがたいものだった。
肘や膝の関節の位置が本来の人間とは若干ズレており、前腕や脛に強い湾曲が見られる。逆の関節がついているかのようだ。
顔の造作はいかめしく、額はヘッドギアでもつけているように分厚く、目は小さい。鼻はないに等しいほど潰れているが、口は大きい。
「何でこんなことを……」
つぶやいたルーキに、「これも」と、リンドウからノートが差し出された。
適当なページを開いてみる。
――実験体二十三号について。
造成体強靭度は良好だ。〈スプリガン〉注入後のGT因子は予測値で安定している。反面、指示への従順性は低下し、凶暴化が顕著となった。36デバイスの定着は完了しているはずだが、二十三号がこちらの指示に従わないため活用できているかは現時点では不明。造成体が〈スプリガン〉に対しての拒絶反応を示しているのか? このままでは十分なデータ取りができないかもしれない。君の考えを聞きたい。先にこちらの意見を述べておくと、GT因子の定着スパイクを減少させるにはGV因子の投与が望ましい。でも、今から研究を始めても間に合わない。造成体ではなく、GV因子を保有する生きた人間が至急必要だ。できれば、まだ肉体が仕上がっていない十代の若い人間がいい。人造走攻兵の完成のためなら――。
「報告書の書き方じゃないね。ここの研究員の交換日記か、その類か?」
シキの問いかけにケイブは「そのようです」とうなずいた。
「何が何だかさっぱりだぜ。〈スプリガン〉に、GT……何だって?」
「GT因子とGV因子です、スベさん。これらが何を意味するかはまだわかりません。〈スプリガン〉に関しては、生命を強化するための薬品と思われます。ロコ」
「はい」と応じたロコが画面を動かし、薬品の画像が添えられたテキストを表示する。
――〈スプリガン〉試薬十一型。×月〇日、第七ケージのハーブ群から作成。造成体の強靭度向上過程において、現段階ではもっとも有効と考えられる。しかし第九ケージのハーブ群の方が人類工学的には利点も多く、現に二七号の安定性は群を抜いて――。
「ほよよ……」
「全然わかってないルーキのために説明すると、この〈スプリガン〉っていう薬は、ラークン・シティのハーブを原料に作られてるんだ。画像にあった二十三号がやたら筋肉質なのはこの薬の効果だよ。ただ、研究所的にはまだ改良が続いていて、完成ではないみたい」
ロコがわかりやすく説明してくれる。ケイブがそれを引き継ぎ、
「スプリガンは古代の秘宝を守る妖精で、奪おうとする意志を感じ取ると突然マッチョになって襲いかかってくる。その変貌ぶりから、薬の名を取ったのだろう」
「ん? 今、いきなりマッチョマンのRTAやるって……」
「それは言い出しっぺの君がやれ」
そう一言で斬り捨てつつ、彼はルーキが持っていたノートを回収すると、ページをパラパラとめくった。「ここに」と示した部分に、「ウェスカーニの関与が書かれている」との一言を付け加えて返してくる。
――本社から派遣されてきたウェスカーニ本部長は、我々に一体何をさせようというのだろう? GT因子と造成体の基幹細胞は現代科学をはるかに凌駕する凄まじい試料ではあるが、〈おいしーヘルシーハーブ
「まさか、ここまで彼が元凶だとはね……」
シキが舌打ちしたそうな顔を見せた。
この研究所は、元々は健康食品を作っていただけだったようだ。しかし、あの強力すぎるハーブの力に目を付けたウェスカーニによって、怪物を生み出す場所へと変えられてしまった。
そして破滅……。
研究員たちは無事なのか。生きていれば、さらに細かいことがわかりそうだが。
「ん?」
ロコが画像を下へ下へと進ませていく中、ルーキはおかしなものを見つけた。
「ロコ、今の、〈アリスが作ったブラウニー亭〉か?」
「う、うん」
自信なさげに肯定し、ロコは画面を少し上に戻す。
そこには、確かに〈アリスが作ったブラウニー亭〉の画像が載っていた。
しかし、不随するテキストは変な記号の羅列になっていて読み解けない。
「何でこんなところにあの店の画像があるんだ」
「わ、わからないよ……」
その返事はウソだと、ルーキは直感的に悟った。確証は乏しいがロコは感覚で何かを得ている。良し悪しで言えば、悪い方の結論を。しかしきっと肝心の中身がない。悪い予感だけが彼の中にある状態。それを根掘り葉掘りたずねるのは無意味だろう。
(こんな場所と〈アリスが作ったブラウニー亭〉に何の関連が?)
あの店がハンブラビ社と繋がっている? ありえない。地下にここと同じ研究所が? それもない。
店じゃないのか? 店ではなく……そこに集う人間……レイ一門?
そこまで考え至ったルーキは、ふと背後に視線を感じて振り返った。
煌々と光る照明のおかげで室内は明るく、周囲に誰もいないことはすぐにわかる。だが、気になる点が一つ。天井に取り付けられた通気口……。
寒気がした。〈宇宙ノ京〉では、そこにベイリアンという怪物が潜んでいると何度も警告を受けている。
(何か、いるのか?)
近づこうとして躊躇する。もし、ここで造られた怪物が隠れているとしたら、わざわざ襲われにいくようなものだ。しかし無視もできない。
「どうかしたか、ルーキ?」
ケイブの怪訝そうな問いかけに、「何となく見られているような」の最初の「な」を言いかけたその時。天井裏を何かが駆け抜ける音が響いた。
『!?』
全員が咄嗟に天井を見上げ、身構える。誰の強張った顔にも、画像にあった怪物への警戒心が漲っていた。だが音は小さく軽い。もっと小柄な何者かだ。
音はそのまま遠ざかり、消えた。逃げていったのだろう。
みな一様にほっと息を吐く。
「ここに薬品棚の類は見当たらない。シーラーナイトを終わらせるほどの治療薬は、やはり下だ」
ケイブがそう言って、それまでの話をまとめた。
さっきの物音もそうだが、この研究所には人でない何者かが確実に潜んでいる。
悪夢への突入は回避できそうにない。
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