第196話 ガバ勢とギャング道6-KUROMAKU-

「おーい、待ってくれ」


 ルーキは黄色い集団に追いつき、そう呼びかけた。


 追跡は簡単だった。彼らは大勢だったし、逃げ方も真っ直ぐだ。

 そして彼らは逃げた先でも右往左往していた。明確にどこかを目指していた様子もない。まるで親からはぐれた迷子のようだった。


「ああ……ああぁぁ……」


 近づいてみてルーキはぎょっとした。よくよく見ると、彼らの半分以上は顔面中の体液を垂れ流している。水浴びでもしてきたかのように服もびちゃびちゃで、ぶつぶつと不鮮明な言葉をつぶやいていた。


「お、落ち着いてくれ? 俺はレイ一門のルーキってもんだ」


 まず自己紹介をして相手に冷静さを取り戻させる。

 何人かがこちらを向き、まぶたをわずかに持ち上げた。濡れた瞳に、わずかだが理性の光が戻った気がした。続けて委員長も名乗る。


「わたしはウェイブ一門のリズ・ティーゲルセイバーです」

「ウェイブ……?」

「ウェ……?」


 突然、彼らは爆発した。


「ひぎいいいいいいいいい!!!!」

「いやだあああ死にたくない死にたくない死にたくない!!!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいアアアアアア!!!」


 その場に崩れ落ちると、すすり泣きながら何度も何度も地面に顔を叩きつける。


「ええっ……ちょ、ちょっと落ち着いてください」


 さすがの委員長もこの事態にはドン引きで、慌てて手を差し伸べようとするも、それを見た彼らは殺虫剤をたかれた虫のように、さらにパニックを起こして転げまわる。


「ル、ルーキ君、ど、どうすればいいんですかこれ」

「わ、わかんねえ! とにかく落ち着かせないと……」


 ルーキとリズがおろおろしていると、横あいから薄暗い影が静かに割り込んできた。


「ルーキ。この騒ぎは何だ?」


 警察帽を目深にかぶった、ナイフの眼差しを持つ制服の男。


「あ、警部補のケイブさん! 俺たちもわかんないんです。声をかけたら逃げたんで、追いかけて自己紹介したらいきなりこのありさまで……」


 ケイブはあごに手をやり、むせび泣く男たちを見下ろした。


「ん……? こいつらの格好は王都の流行りものだな」

「え、そうなんですか?」

「よくやったぞルーキ。これは探していたギャング団の一つ、〈イエロースギノコ〉だ」


〈イエロースギノコ〉と呼ばれ、衰弱死しそうだった男たちの目に、わずかに正気が灯る。


「うう……ぼ、ぼくたちを知ってる……?」

「だ、誰……誰……」


 高熱の中でのうわごとのような声に対し、ケイブは硬く静かな言葉を返した。


「俺はRTA警察警部補のケイブだ。おまえたちは王都から来た〈イエロースギノコ〉で間違いないな?」

「警察!?」


 一人が弾かれたように叫ぶ。

 ルーキは身構えた。ギャングと警察が仲良しのはずがない。逃げ出す者、あるいは奇襲に転じる者がいないか咄嗟に警戒したのだ。しかし、


「た、助けてお巡りさん!! 逮捕でも何でもしてぇ!」

「助かった、助かったぁぁ……!」

「よがっだぁ、よがっだよぉ」


 彼らは喜びに抱き合い、おいおいと泣き出した。


「こ、これは一体……?」


 戸惑うルーキにケイブが言った。


「後はこちらに任せてくれ。ご苦労だったルーキ」

「あ、はい……? よくわかんないですけど。これで、残るはあと二つですか?」

「いや、他のチームはすでに押さえている。このスギノコが最後だ」


 意外な返答にルーキは目を丸くする。


「えぇ……いつの間に……。何か俺、意気込んだくせに全然役に立たなかったみたいなんですけど……」


 渋面すると、ケイブは仮面のような鉄面皮をわずかに緩ませ、


「人海戦術とはそういうものだ。参加している時点で十分役に立ってくれた。それよりもルーキ、このことは他の警官には話していないだろうな?」

「はい。この人たちを見かけたのもついさっきで、それまではギャング団なんて影も形もありませんでしたから……」

「そうか、ならいい。ご苦労だった。家に帰ってゆっくり休んでくれ。リズも」


 警察が忙しくなるのはこれからなのだろう。ケイブの声に残る緊張からそれが読み取れた。この騒ぎの結末は気になったが、ここに居座っては仕事の妨げになると思い、ルーキとリズはケイブに挨拶してその場から離れる。


 去り際、ふと思った。


 ケイブは人海戦術と言ったが、これだけ街を見回ってもそれらしい警官の姿は見なかった。

 調査の進捗を他の警官に話してはいけないというのも、今思うと奇妙だ。確かに情報網は多少混雑するかもしれないが、念を押してまでその有無を確認するようなことでもなさそうだが……。


「なあ、委員長?」


 ルーキは聡明な彼女に意見を求めようとした。

 が、彼女はいつの間にかガラス窓と向き合って髪をいじりだしており、こちらに気づいていない。


「おーい委員長ってば」

「ひゃむ!?」


 変な声を上げて飛びあがるリズ。今日はなんだかずっとこんな感じだ。確実に先日の暴走が尾を引いている。


「な、なんれふか……?」

「いや……。その髪飾り、気に入らなかった?」


 ルーキは彼女が髪飾りを気にしているのをしっかり見ていた。

「違いますよ! 違います!」と、リズは発電しそうな勢いで首を横に振る。


「位置がちょっとずれてたので直そうと……。それが上手くいかなかっただけです。こ、こういうのをつけるのは初めてなので……」


 顔を赤らめながら、そんな窮状を告白してくる。


「何だ。よかった。鏡見ながら何かするのって、結構難しいよな」

「そ、そうですね、あはは……」


 そこでルーキは一つ思いつく。


「あっ、そうだ(唐突)。じゃあ俺がつけ直すよ。どのへんにすればいい? ちょっと髪さわるけど勘弁な」

「ピニャータ!?」


 委員長は頭から湯気を立てながら再び煮崩れていった。

 やはり、今日はそんな一日だ。


 ※


「さて……おまえが〈イエロースギノコ〉のリーダー、シーク・ハインドだな?」


 ケイブは地面に座り込んだ若者たちの中から、パーカー姿の一人に目を向けて声を落とした。


「へぇ……こんなド田舎の街にも、僕の名前と顔が出回ってるとはね」


 正気と狂気の境界でぎりぎり理性を保っていた少年の顔に、歪んだ微笑が浮いた。


「だったら、これは知ってる? 僕らのバックにはとんでもない人物がいる。街の一警察官が知ったら目玉が飛び出るような大人物さ」

「ギルコーリオ第四王子だろう?」


 即答してやると、シーク・ハインドは驚きにまぶたを数ミリ持ち上げた。


「そこまで知ってるのなら、僕らの取り扱いには十分注意した方がいいってこともわかってるよね? 何かあれば実際の首が飛ぶよ?」


 皮肉げに口の端を吊り上げつつ、挑戦的な眼差しを向けてくる。

 王権という威が通用する相手をようやく見つけ、本来の太々しさが戻ってきたか。


 いや――これは。


「投げやりだな」


 こちらが投じた一言に少年は三度驚いた表情を浮かべ、それから力なく肩を落とした。


「そりゃ投げやりにもなるさ。僕らは王子直々のミッションに失敗した。まさか粛清なんてするほどむこうも本気じゃないだろうけど、興味をなくすのは確かだろうよ」


 力なく仲間たちに視線を巡らせる。


「今まで王子の存在を匂わせることで好き勝手やってきた僕らだ。その後ろ盾をなくしたとわかれば、これまで我慢してた連中が一斉に襲いかかってくる。案外それが、王子の次のオモチャの選定会かもね」


 ルタからは一刻も早く逃げ出したい。しかし王都に帰っても八つ裂きにされる。そういう“詰み”の環境下で絞り出された笑みは、このシーク・ハインドという少年をひどく年老いた風貌に見せた。


「そ、そんな。シーク・ハインド、それじゃボクらはどうなるんだ」


 仲間の一人が泣きそうな顔と声を向ける。


「残念だよハンス。リスクのない火遊びなんかない。君は一度でも、そのことについて自分の頭で考えなかったのか?」


 リーダーの蔑むような言葉に、彼はただ唇を噛んでうつむいた。


 彼らが考える未来予想図はどんなものか、とケイブは思案する。


 王都でやりたい放題やった過去があるとはいえ、ルタでの犯罪はまだ一つもない。投獄は非現実的だ。彼らは安全な檻の中を望むかもしれないが、同時に、辺境の牢の環境もまた怖い。

 街を追放されても、そこからの展望は五里霧中。都市圏を離れて放浪するガッツなどあるはずもなく、ただただ、つらく苦しい生きる時間だけが長々と約束されている。


 絶望的だ。しかしだからこそ、


「俺ならおまえたちに一つ提案してやれる」


 ケイブはその空気の中に強い一言を叩き込む。

〈イエロースギノコ〉のメンバーが藁をもつかむ思いでこちらを見つめる中、シーク・ハインドの「……何だよ?」という、あくまで思考を止めない声が耳朶を打つ。


「この街から少し離れた場所に大規模な農地がある。が、人手不足から、その機能のほとんどが止まった状態だ。そこで働くというのなら衣食住は保証する」

「農業だって……?」

「ぼくらが農民をやるのかよ?」

「運動は苦手なのに」


 すぐさま不満と嘆きの声が吐き出されるが、ケイブは気にせず話を続けた。


「そこなら王都から誰かがやって来る可能性はゼロだ。新たに作る土地だから地図にも載っていないし、辺境に住み込んで入念に調査できるほど根性のある役人もいまい。家族との連絡は好きに取らせてやる。手紙でもいいし、もし設備が用意できるのなら〈幻像ビジョン〉での通話でもいい。都会の時間の流れは早い。三、四年もほとぼりをさませば、おまえたちのことを覚えている者たちもいなくなるだろう。そうなったらこっそりと戻り、真面目に暮らすといい」


 まだ頭が働いているシーク・ハインドがいる以上、駆け引きは無用だ。最初から手札を全部ばら撒いて反応をうかがう。それが一番誠実、に見える。


「きゅ、急にそんなこと言われても……」

「パパとママには仲間と旅行に言ってくるって話してるし……」


 案の定、自分のことをまだ一人では決めきれない弱気な声がささやかれる。

 ケイブはそんな彼らに目線を投じた。


「おまえはマーク・ホッソイと、ベンジャミン・ジャコだな?」

「えっ」

「は、はい」


 少年たちは突然名前を呼ばれ、身をすくめる。


「相談相手がほしければ、今すぐに家族あてに手紙を書け。返事が届くまでこちらの提案は保留してやる。その間の面倒は見てやろう。しかしこれはチャンスだぞ。おまえたちはシーク・ハインドや親ではなく、おまえたち自身で自分のことを決められる」


 仲間うちで顔を見合わせる少年たち。一見、不安を紛らわせる仕草のようでもあるが、その実、心細さを互いに反射しあい、助長するものでしかない。末の結論は、いつだって他人任せだ。


「不安はわかる」


 ケイブは歩み寄るように言う。


「今までシーク・ハインドはミスをしなかったのだろう。彼抜きに自分で決めるのは怖いか。だがもともと、決断に正しいも間違っているもない。決断の後に努力を継続し、己を望んだ場所へとたどり着かせることこそ一番の正解だ。その時、おまえたちは誰よりも自分を誇っていい。シーク・ハインドではなく、おまえたち自身を褒めたたえていいんだ」

『……!!』


 見えない何かが、二人を中心として波紋のように広がるのをケイブは感じた。失意や戸惑いの表情が、もう一段階マシな顔色に置き換わっていく。


「ぼく……やります。でも手紙は書かせてください。両親に説明したいので……」

「おれも」

「オレも!」


 弱々しさはあるが、威勢のいい声が次々に挙がる。


「……一人一人の顔と名前を憶えてる上に、この人心掌握……? あんた、ホントにただの警官?」


 シーク・ハインドが呆れ気味に苦笑しながら聞いてきた。


「子供が知る必要はない」


 ケイブはそうとだけ言い、


「おまえはどうするんだ? 怪しげな香具師としてこの街に残るつもりなら粉々にするが」

「……行くさ。今の時代、農業だって頭を使ってやるべきだろ? 付加価値は何にだってつくんだ。……さすがに……もう今までみたいなことはできないしね。世の中にはあんなバケモノがウヨウヨしてるってのに、どういう心境でイキリ散らせる?」


 肩をすくめたシーク・ハインドは、もうすでに次の仕事に向けての知恵を絞り始めているように見えた。


 ケイブはうなずき、少年たちのための細かな手順の説明に入る。

 泣きわめく者も、不平や不満を口にする者もない。十分な覚悟と、そして新しい生活へのほんの少しの期待があった。


 そうして諸々の手続きを終え、無事、彼らを街から送り出し――。


 ハイ・ヨウ・イースター・ト当日。


 ルタの街の一角、裏路地にあるあまり人気のない小さな食堂に、彼はいた。


「助かっただぁケイブさん。おかげでどうにか人数集められたべ。しかも、若くて元気なのを百人以上も……まあ一部は鍬を握るだけでひいひい言ってるもやしだけんども。これで、一、二年のうちに一気にあのへんを開拓できるっぺさ」


 ケイブと向かい合って座るのは、白い頭髪こそまばらになったが、真っ黒に日焼けし、鍛えに鍛え上げられた肉体の名残を今もまだ感じさせる、年老いた農夫だ。


「それは何よりです」


 ケイブは片目を警察帽のつばの陰に押し込みながら静かに笑い、テーブルに置かれたコーヒーに口をつけた。


 イースターの喧騒は裏路地までは伝わってこない。

 もともと、祝ったり祝わなかったりする雑な記念日だ。何事もなく過ごす走者も大勢いる。無事この日を迎えられたという感慨などなく、ケイブは静かに農夫の次の言葉を聞いた。


「じゃあこれ、約束の斡旋料だっぺ」


 大きな布袋がテーブルに置かれた途端、じゃらりと硬貨が鳴る淫靡な音が店内に広がる。

 ちらと向けた周囲に、客は自分たち一組のみ。そこがこの店の取り柄だ。確かめるまでもない。


「どうも」と言って素早く布袋を懐に収めたケイブは、次に投げかけられた「けど、RTA警察も大変だっぺなあ。普段から忙しいのにこんな副業までしねえといけねえなんて」という台詞に、わずかに笑って肩を揺らした。


「宮仕えのつらいところです」

「なんなら、あんたもうちに来っか? 畑仕事一本で、死ぬまで食いっぱぐれねえぞ」


 気のいい農夫は愉快そうに笑ったが、


「いえ。自分は肉体労働が苦手なもので……」


 ケイブは苦笑しながらやんわりと辞退し、残りのコーヒーを一気に飲み干した。

 砂糖もミルクも入っていないコーヒーは勝利の美酒には程遠く苦い。

 しかし、事の善悪もあやふやな浮世の勝利にはそれが一番似合っていると彼は思った。


 そしてこの事態、もう一つ詰めておかなければならない相手がいる。

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