第190話 ガバ勢と男と男の勝負

 リズ・ティーゲルセイバーを賭けて勝負する。


 凶鳥のように突然舞い降りた要請に、ルーキは頭から零れ落ちそうな戸惑いを何とか手で抑え、言葉を返した。


「……ちょっと待ってくれ。そもそも委員長は俺のものとかじゃなくて――だいたい重要なのは彼女の気持ちで……」

「では、僕が彼女を王都に連れ帰っても君は一切口出ししないと約束してくれるんだね?」


 ギルバートの言葉はひどく高い位置から、試すように降ってきた。

 ルーキはまっとうな分析を一旦やめ、


「……いいや、思い切り出すね。先約はこっちにある」


 と静かに相手を見据えた。


 お互い、一人前になって一緒にRTAをする約束。

 婚約なんていう遠い貴族の儀式にピンと来るものは何一つないが、そこは譲れない。

 その約束は、委員長だけの望みではなく、自分が望む未来にもなっていた。


 そんな敵意の眼差しをギルバードはむしろ楽しげに受け、


「だからこそ、ここで決着をつけておこうという話さ。この手の話は放置すればするだけ勝手にこじれて厄介だからね。まあ安心したまえ。勝負の内容は君に任せる。有利だと思う方法を選べばいい」


 かなり落ち着いている。――場慣れしている?

 ルーキは少し戸惑った。


 一見して、このギルバートに荒事に向く気配はない。ユリノワールの女生徒を見ればわかるが、貴族というのは過去に戦で手柄を立てた荒くれ者の末裔だ。今でこそ上流階級の作法を身に着けてはいるが、ところどころで争えない血が――地金が出てくる。


 しかし、目の前の男にはもっと純粋な、血統的な上品さ、優雅さしかない。泥臭い世界を一度も味わったことがないような。ゆえに、相応に肉体には弱いはず。にもかかわらず、この余裕は何か。


 ここでケンカをふっかければ、その時点で決着はつきそうだが……。

 隣で控えるメイドがどうにも気になる。ユメミクサといい、カミュのところのメイドといい、彼女たちにはどうも裏の顔がある気がしてしょうがない。


 ここは冷静に別の勝負を……RTAのような……この男には決してできなさそうな、横槍が決して入らない条件下で……勝てる分野での……。


 と、そこまで考えたルーキは、ふとあることに気づいて、体の奥に渦巻いていた敵愾心を一気に霧散させた。


「……?」


 よほど露骨に顔に出ていたのだろう。こちらの変化にギルバードは一瞬で気づいたようだった。


「ギルバート。あんた、一つ勘違いしてる」

「何をかな?」


 ルーキはさっきまでの対決姿勢を完全に崩しながらたずねる。


「委員長は俺のもので、あんたはそれを奪おうとしてるんだよな?」

「そういうことになる。愛に障害はつきものだ。負け犬もね」

「それじゃ……。俺が賭けに勝ったら、あんたは何をくれるんだ?」


 ギルバートは鼻から息を抜くように笑った。


「そんなことか。さすがに王様にはしてあげられないが、金でも、物でも、美しい女でも、何ならそこそこの爵位でも領地つきで君にあげよう。そう……君は走者らしいな? 名声や活躍の場を望むなら、明日にでもその名を王都の社交界に広められる。それでどうかな?」


「いらね」

「え?」


 ルーキは敵意なしに笑った。


「委員長と秤にかけるくらいなら、んなもんいらね」

「……では、何を望むんだ?」


 戸惑うギルバードに率直に告げる。


「ないよ。あんたの持ち物でほしいものなんか何もない。だから勝負もしない」

「……!」

「だってバカみたいだろ? 委員長っていういっとう大事なものを賭けて、それ以下の価値しかないものを手に入れるなんてのはさ」


 ギルバートはあっけにとられたような顔をしていたが、すぐに口元に力を取り戻し、


「……ハハ、なるほど。そうか君は怖いんだな。負けるのが。失うのが。とんだ臆病者だ。これはリズもがっかりするだろうな。勝負する前から負けを考えるような男だったなんて――」

「ああ、怖いよ」

「……!」


 まくしたてようとする声を、ルーキは小さな一言で断ち切った。


「委員長は一度、俺のために死のうとしてる」

「な……」


「その時、委員長がいねえ未来を……マジの大マジに考えてみて思ったよ。くだらねえ。とても耐えられねえって。だから俺は怖い。委員長を失うことが、すげえ怖い。あんた考えたことあるか? 委員長のいない人生。ねえよな。前からの知り合いってわけでもなさそうだし、どんだけかけがえのねえ存在かなんて、まだ、わかるわけがない」


「だ、だが、僕なら彼女を危険な目になんて遭わせたりしない。王都の真ん中でしっかり守ってあげられるさ」

「委員長はインコじゃねえんだよ。危険な目に自ら飛び込んでいく走者なんだ。守るってのは、籠に閉じ込めることでも、前に立って風よけになることでもねえ。敵のど真ん中で背中合わせに立つってことだぜ」

「…………!」

「その役目を果たすのは俺だ。そういうわけで、委員長が俺のものだっていうのなら、何があっても手放さねえよ。委員長がそばにいてくれるより素晴らしいことなんてねえんだから。――賭けは不成立だな」


 そう静かに言い切ると、ルーキは踵を返した。


「ま、待て。どちらも……両方手に入れればいいだろう! 彼女も、栄光も。僕と勝負して勝てばいい。どちらも手にするまたとないチャンスだろう!? それをみすみす見逃すのか? それでも男かルーキ!?」


 ギルバートの声が必死に追いすがってくる。ルーキは束の間足を止め、


「そこに賭けるのは委員長じゃなくて、俺の命だよ。別にいらねえだろ? 俺の命なんて。噛み合わねえんだよ俺とあんたは。もういいから王都に帰んなよ貴族様。お呼びじゃないんだよ……」


 もう何の用もないと声を投げかけ、今度こそその場を立ち去った。

 追いかけてくる言葉はついになく、ただ呆然とした背後の空気だけが、風に千切れてルーキの横を流れていった。


 ※


 トゥマンボ! トゥマンボ!!


「おお、ルーキか!?」

「あっ!? 警部補のケイブさん!? 何事ですかこれは!?」


 トゥマンボ! トゥマンボ! トゥトゥトゥトゥマンボ!!!

 何だかよくわからない口勝負を終え、アパートの近くまで戻ってきたルーキだが、一帯は地獄と化していた。

 謎の落雷が断続的に降り注ぎ、街を破壊している。


「わからん! さっき突然こうなった! 空は晴れてはいるんだが……とにかくここから先に進むのは危険だ!」

「えぇ……でも俺んちこの先なんですけど!?」

「わかっている。俺も用があって君のアパートの前で待機していた。あのあたりを中心に異変が発生している」


 RTA警察が何の用かと不安になったが、今はそれどころではない。

 通りには多数の警官が配置され、野次馬たちを通行止めにしている。

 もっとも、規制線の先に勇んで進む自殺願望者は一人もいないだろうが。


 そこでふとルーキは気づいた。


「あれ……ちょっと待ってください。うちのアパートの屋根にいるのって……委員長!?」

「ああ、そうらしい」


 ルーキの言葉に、ケイブも目を向けて同意する。

 緑のショートシャギーヘアに、白い服装。遠目だが、間違いなく彼女だとわかる。


 背を丸め、膝を抱え、膝に顔を埋め、まるで極限まで体を丸くするような姿勢で、屋根の上に座っている。


「あそこにいたらやばいですよね!?」

「わかってはいるんだが、呼びかけても応答がなくてな……。近づくこともできん」

「俺が行ってきますよ! 家の陰に隠れながら行けば何とかなるでしょ!」


 言うが早いか、ルーキは駆け出していた。


(一難去って、今度は千難くらいまとめて来やがった!)


 一体どうなっているのだ今日は。

 ロコのところから帰るまでは平穏そのものだったのに、あのギルバートとかいう謎の貴族が現れてから何かがおかしくなった。


 いや、目の前で起きているこれに比べたら、あんな対決なんて前座どころか舞台に落ちたチリほどの脅威でしかない。本当の戦いは今のこれだ。


 家屋のひさしの下に身を潜め、あるいはご近所のよしみで家の中を通してもらいつつ、アパートに近づく。


 トゥマンボ! トゥマンボ!


 その間にも落雷は続き、世界を終わらせようとしていた。実際、お邪魔しましたァ~↑(キメラKNN)家の中には、助かろうとして神に祈る者、これまでの信仰に切りをつけ新たな神を見出すもの、神になる者など、終末的な光景が数多く存在していた。


 唐突に発生した天変地異は、肝の据わったルタの住人たちにそこまでの覚悟をさせたのだ。

 そんな終末の過ごし方を見せつけられつつ、どうにかアパートに隣接する建物まで到達。二階に上がらせてもらう。窓から顔を出せば委員長はすぐそこだ。


 トゥマンボ!


 雷鳴に混じって、彼女が何か言っているのが聞こえる。


「え、えひひ……えへへ……しゅき……しゅきぃ……」


 トゥマンボ! トゥマンボ! トゥマンボ!


「わたひが……一番大事ぃ……わたしも……しゅきぃ……一番しゅきなのぉ……」

「何だ……!? 何か言ってるけどトゥマンボトゥマンボうるさくてよく聞こえねえ! おおーい、委員長ーっ!!」

「へひっ!?」


 落雷に負けない大声を張り上げると、縮こまっていたリズの体がビクンと跳ねた。

 膝に埋めていた顔を恐る恐る持ち上げさせる。


「ひゃっ!? りゅ……りゅーききゅん……!? いっ、……今はらめ……んんっ……ダメです……。近くに来ちゃ……み……見ないで……みないでくだしゃいいい……」

「ど、どうした委員長!?」


 明らかに様子がおかしい。顔どころか、露わにしている肩や脚など素肌全体が真っ赤。少しだけ見える表情も、漏れ聞こえる声も、濡れたティッシュペーパー並みにふにゃふにゃになっている。


 何よりその双眸――普段は理知的で迷いなく澄んだ瞳に、何やらハートに似た形のピンクの文様が浮かび上がって見えるのは気のせいか?


「あれは呪いの文様か何かか……? まさか何か委員長の体に異常が……!? この落雷も委員長が落としてるのか!? ちょ、ちょっと待ってろ。今そっち行くから」

「あひっ!? き、来ちゃや……やらぁ……!」


 トゥトゥトゥトゥトゥトゥマンボ!!!!!!


「ひいい!? ギガレイン!?」


 目の前に滝のように落とされた雷に、ルーキは頭を引っ込める。

 とても命ある者が渡っていける環境ではない。

 が、その時――。


「あら~」


 日傘を差した少女らしき人物が、のんびりした足取りでアパートに近づいてくるのが見えた。


「ええっ……!? おーい、そこの人! 何やってんだ!? 見てわかんないのかこの状況!?」


 トゥマンボ! トゥマンボ!

 日傘の少女の近くに、立て続けに二発の雷光が墜落する。


「ああっ!? た、大変だ、ついに被害者が……!!」


 ルーキは真っ蒼になった。ビリビリと大気が震え、二階の床が微震に揺れるほどの衝撃のただ中にありながら、しかしその少女は上機嫌に日傘をくるくる回しながら、何事もなかったかのようにアパートの階段へと向かっている。


「な、何だ!? 雷落ちたよな……? もしかして日傘が避雷針とかそういうのに……いや理科はちょっとわかんねえ!?」


 その時、不意に傘が傾けられ、その人物がちらりとこちらに目を向けてきた。

 それは――。


「ロ……ローズさん!!??」


 可愛らしいワンピースの上に家庭的なエプロンをつけ、買い物袋をぶら下げたローズ・ティーゲルセイバー。委員長のカッチャマその人だった。


 鼻歌でも歌うようなのんきな足取りでアパートの外階段を上っていく彼女に、空を割る太い稲妻が襲いかかる。


 巨大なドラゴンでさえ丸焦げにできそうな強大無比な一撃。

 しかしローズがちらと視線を向けただけで稲妻は破裂し、世界そのものの絶叫のような轟音と、ひびに似た無数の青白い軌跡を残して霧散していった。


「ヒエ……あの人魔王か何かか?」


 二階の外廊下に到達。手すりにふわりと上がる。そこから屋根までも高さがあるが、まるで途中に見えない階段でもあるみたいに、ローズは空を歩いて行った。

 そして、屋根の上の委員長の元へ。


「リズちゃ~ん」

「んひいっ!?」


 ローズカッチャマが腕を広げてリズを優しく抱きしめると、彼女はビクンビクンと二、三回体を大きく震わせた後、くたりと母の胸に寄りかかって動かなくなった。


「あらら~。いくら気持ちが弱ってるからって、言葉だけでこんなに溶かされちゃうなんてカッチャマは先が心配よ~。でも、ま~いっか~。ルー君に一方的にわからされるリズちゃんも~ちょっと見てみたいし~」

「ロ、ローズさん!? ええと……これはどういう……どうなって?」


 何一つ理解できず、ルーキは急に静かになった空の下、目を白黒させながら問いかける。

 ローズは、どうやら気絶しているらしいリズを「よいしょ」と抱きかかえ、


「ん~? 気にしなくていいの~。でもルー君?」

「は、はい?」


 ローズカッチャマはビシッと親指を立ててきた。


「予想以上だったわ~。リズちゃんのためにどんなケンカをしてくれるのかと思ったら、まさか王都の王子様を、歯牙にもかけずに完全放置なんて~。圧倒的~本夫の貫禄って感じ~」

「え、え……? 本夫? お、王子ぃぃ……!?」

「今度うちに遊びに来た時、“もう一回”リズちゃんに聞かせてあげてね~。普通の状態で聞いた時の反応も~見たいから~」

「な、何を……!? すいませんローズさんもう一言二言でいいんで説明を!?」


 しかしローズはこちらの問いかけなどもはや聞いてもいないらしく、ほのかに赤くなった頬に手を当てながら、


「何だか~新婚の頃を思い出しちゃった~。あの人もね~引く手あまただったんだけど~最初から最後までね~。わたしをね~。えへ~。あ~そうだ~今夜は久しぶりに明後日までコースにしよ~。手錠にぃ、首輪にぃ、制服にぃ……あの人、喜んでくれるかしら~。えへへぇ~」


 うにうにと不気味に身をよじり、そして突然スッ……と消えていった。


「ファッ!?」


 すべては遠い日の幻だったかのごとく。

 青天の霹靂は、突如として住人の前から消え去ったのである。

 ルーキはアパートの前で呆然と立ち尽くし、今のが幻覚でなかった証拠の破壊痕に恐怖の眼差しを向けるしかなかった。


 あの一族は……人間なんだよな?


「ガバ兄さん……」

「オフッ!? ってサクラか……。何だ、びっくりした……。どうした? 怖い顔して」

「ちょっと、お話聞かせてもらっていいすかね……?」

「え」


 ガシッ、と腕を掴まれる。さらに、


「ルーキ。ギルコーリオ王子に対しての発言について聞きたいことがある。署までご同行願おう」

「えっ、ケイブ警部補!?」


 ガシシッ、と反対の腕も掴まれる。


「え、ちょ、待って……」

『話は署で聞く』


 二人にずるずると引きずられながら、ルーキは理解してしまった。

 どうやらこの異常事態の後遺症は、自分一人に押しかぶせられるものらしい、と。

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