第189話 ガバ勢とティーゲルセイバーの婚約者

 その日、その時、ルーキはロコのところからの帰り道の途中にいた。

 太陽は南中からそれほど逸れておらず、青空に浮かぶ千切れ雲も平穏そのもの。風雲急を告げる予兆などどこにもありはしなかった。


「君がルーキだな?」


 そんなルタの街の名も無き通りで、彼は短い台詞に呼び止められる。


「……? 誰だ?」


 ルーキは特に身構えることもなく問いかけた。


 ここは日陰も多い裏路地だが、悪漢が突然襲いかかってくるほど物騒な場所でもない。

 何よりも相手の身なりが、醸し出す空気が、そうした悪党の育ちの悪さとは無縁のひどく上品なものだったことが最大の理由だ。



「僕か? そうだな……。ここではギルバートと名乗っておこう」


 年齢は二十歳前後と、こちらより少し上。


 すらりとした長身の男で、真新しい白いシャツと革のズボンは派手な装飾こそないが、そのシルエットが職人技めいたバランスの極致を感じさせる。


 目元は涼しげで、鼻筋はすっきりして高い。掛け値なしの美形だ。一見無造作に流されたほつれ気味の金髪も、その端正な顔の造作を縁取るだけで高級な額縁のように見えてくる。そんな相手。


(貴族か)


 と、ルーキは直感的に判断する。

 農村育ちと貴族は見極めに失敗したことがない。双方にも染みついたにおいと自然と見せる作法が存在する。

 ましてや――と少し横にずらした目が、男と適切な距離を空けて佇む妙齢の女性で焦点を結ぶ。


 シックな色味の仕事服を身にまとった、どう見てもメイド。

 こんな贅沢なものを引き連れて下町を歩いているのは、貴族以外は……まあ自分くらいしかいないだろう。単独行動中のユメミクサ的な意味で。


「自分で言うのも何だが、僕はなかなかに高貴な生まれの出でね。おいそれと名前を出せないことを理解してほしい」


 ギルバートが詩を読み上げるような旋律で言葉を投げかけてくる。

 それが不格好にならない程度に、彼は顔立ちも所作も、そして声も美しかった。

 出会ってしょっぱなから格付けされるわけにもいかない。


(なら俺も“みなさまのためにぃ~”で対抗を……)


 そう受けかけたルーキは、次の彼の言葉を聞いてしばし声という声を失うことになる。


「――そしてもう一つ君に知っていてほしいのは、僕がリズ・ティーゲルセイバーの婚約者だってことだ」


 ※


 高級住宅街に繋がる通りから、珍しい人影が近づいてきていた。


「あっ、サクラさん」

「どうも、いいんちょさん」


 サクラは改めて確認するまでもなく、目の前にいる少女――リズ・ティーゲルセイバーの姿を見つめた。


 いつもの白い服装。得物の大鎌を背負っていないのは、どうせ一声呼べば文字通りすっ飛んでくるのでいいとして、防塵用の外套を羽織っていないのは珍しい。細い肩と、ホットパンツから伸びる太ももがむき出しだ。


 どこか慌てて家を飛び出してきたようなサインが体のあちこちに引っ付いている。

 何かあったのか、とわずかに思案した頭に、だしぬけのリズの声が舞い込んできた。


「サクラさん、ルーキ君を知りませんか?」

「……?」


 サクラは何となくの仕草として下町の方を振り返り、


「ガバ兄さんならRTA研究所に行ってるっすよ。もうじき帰ってくるはずなんで、用があるならアパートで待ってた方がいいんじゃないすか」

「ありがとう。そうします」


 そう言うと、リズは忙しなく立ち去った。


「…………? 何すかね、いいんちょさんが兄さんの所在を把握してないってのは?」


 遠ざかる背中を眺めながら、そんなことをこぼす。


 もし立ち話でもするようなら、先日のユグドラシルダンジョンでの一件についてねぇぇぇぇっとりと語って差をつけておこうと思ったのに気勢をそがれた。


 それが戦術だとしたら一本取られた形になるが、リズは彼女のカッチャマやバッチャマほどやり手BB○(脳内を気取られる可能性があるため自己暗示により規制)ではなく、まだまだ純朴な力押ししかできない。


 そこがつけ入る隙と言えば隙なのだが、いざ本気にさせてしまったらその力押しだけでルタが焼け野原になるので、今のところ小競り合いまでしかできないところが歯がゆいところさん。


「駆け引きではない以上、いいんちょさんに実際何か……」

「サクラ」


 続けて呼びかけられた声に、サクラは眉をひそめる。

 リズを見送った目線を正面に戻してみれば、そこに立っていたのは周囲から薄闇を集めて制服の上に塗りつけたような暗色の警官だった。


「これはこれは……RTA警察警部補のケイブ殿じゃないっすか。お勤めご苦労さんでありっす」


 雑な敬礼をしてみせると、ケイブはピネガキ程度なら一睨みで半泣きにさせられるナイフの眼差しを緩めることなく、「ルーキがどこにいるか知らないか」とたずねてきた。


「ありゃ……ケイブ殿もガバ兄さんすか。さっきいいんちょさんにも言ったっすけど、RTA研究所に行って、多分今アパートの帰り道っすよ。用があるならアパートで待ち伏せした方が賢明っす。兄さんの帰り道はそこらの雲よりテキトーなんで」

「いいんちょ……。リズ・ティーゲルセイバーのことか。なるほど、彼女も動いているか。ルーキを先に捕まえられないのは……少し厄介だな」


 あごに手をやってわずかに思案するケイブ。うつむいた拍子に警察帽のつばが目元に濃い陰影を作り、それだけで戦時の強行警察のような威圧感を醸し出すのが彼の才能であり、欠点でもあった。


「ティーゲルセイバーさんちとガバ兄さんに何かあったんすか?」


 サクラは懐疑的な胸の内を隠さずにたずねた。


 結論などすでにわかっている。――何もない。


 少なくともルーキから能動的にティーゲルセイバー家に起こしたアクションなど何もない。それは確定的に明らか。もっとも信用できる証人がここにいる。


「ギルコーリオ第四王子を知っているな?」


 ケイブの答えに、サクラはいささか面食らいながら応じる。


「王都におわすまごうことなき王子サマじゃないっすか。王位継承第四位。うちらのボスのボスのボスのそのまたボスくらいの人っすよね」


 彼はうなずき、少し周囲を気にするように声のトーンを落とした。


「ああ。そのギルコーリオ王子が、先日、ウェイブ一門と試走中のリズ・ティーゲルセイバーに危ないところを助けられたらしくてな」

「ああ、そりゃあ……。90割くらい“結果的に助けられた”ってやつすね」

「900割くらいそうだろうが、王子はそれでリズ・ティーゲルセイバーが気に入ってしまったらしくな。今ルタに来ているそうだ」

「はーん。話が見えてきたっす」


 サクラは苦笑する。


「ギルコーリオ第四王子といえば、王都社交界でも有名な超絶スケコマシ野郎っすよね。女の子にツバつけちゃ適当に遊んでヤって捨てるっていう……」

「言葉を慎めサクラ。我々のボスのボスのボスのボスだぞ。正確には、現在十四股中の超絶ゴミカススケコマシ野郎だ」

「失礼したっす」


 タチが悪いのはギルコーリオ本人だけではない。口止め料と手切れ金を狙ってあえてお手付きを望む貴族の娘たちも相当に厄介で、王室との関係を深めたい一族の意向が働いているのだとしても、本人たちすら次の婚約者探しに向けて箔がつくとパーティでうそぶくのだから、ユリノワールの生徒が本当に清らかな乙女に思えてくる。


「それで、エロ王子は、ティーゲルセイバー家に十五股目の婚約を取り付けに? 死にたいんすかねぇ」

「意外なことにローズ・ティーゲルセイバーは本人たちの自由意思に任せたようだ」

「あのカッチャマ……」


 娘の本心など底の裏側までお見通しだろうに、少年少女の日常を引っ掻きまわして「ああ~生き返るわ~」している姿が見える見える。


「あの人にかかれば王都の好色男も体のいい当て馬すか。でもまあ、いいんちょさんが突っぱねてこの話は終わりでは?」

「……そうとも限らない。リズ・ティーゲルセイバーが婚約話を受ける可能性もあるにはある」

「え。ケイブ殿それはさすがに」


 ぬるい宮仕えで情報取集の腕が鈍ったのでは? と薄笑いを浮かべながらケイブを見やると、彼は依然慎重な表情のまま、


「もしリズ・ティーゲルセイバーが婚約話を蹴った場合、王子が報復に出る可能性がある」

「……ほう……」

「王子にはよからぬ輩との繋がりも噂されていてな。まあ王都自体が、これまでの人類の垢がアクとなって浮きまくった湯舟のような場所だ。それを天秤にかけた場合、わずかではあるが、婚約が成立する可能性はあるにはある。どうせ婚約は途中で破棄され、実際の結婚には至らないだろうからな」


 サクラは少し黙考する。

 リズは、あれはあれで根はかなり真面目な人間だ。ガチ勢のやり方に馴染めず、かなり悩んでいた時期もあると聞く。


(ティーゲルセイバーの血に心が追いついてないんすよねぇ……)


 RTA以外での彼女は、まだまだそんな少女だ。

 普通に理屈で考えてしまっていることが多々ある。だから正論を言われると言い返せない。“賢い”と呼ばれる若い世代にはありがちなことだ。


 これが彼女の母親や祖母のレベルになると、「わたしがそう思うんだからそう。正論? 知らなーい」と、太々しい感情一本で理屈を粉微塵にしにくる(物理)。“ずる賢い”。所詮、この世はお綺麗な理屈では動いていないことを骨の髄まで理解している。


 ちなみにあの人――ルーキはガバ脳のおかげで適度に屁理屈が優先されており、その言動がかえってリズには有り難いものとなっている。

 彼が住む街を守るためなら、ちょっとぐらい傷物にされる程度、受け入れなくは……ないかもしれない。恒河沙ごうがしゃ分の一くらいの可能性で。


(なるほど……さっき様子がおかしかったのは、そこの判断をどうすべきか、ガバ兄さんにそれとなく相談して、後押ししてほしかったって感じっすかね……)


 自分の中にごくわずかでも揺らぎがあることにショックを受け、それ自体にダメージを受けてしまう。一見らしくなさそうで、実は一番彼女らしいピンチの陥り方。


 サクラにはそれがわかる。

 敵とは、そういうものだ。


 そしてさらにわかるのではなくわかってしまうのは、リズが今、心身ともにクッソ激烈に弱っているということ。

 あのガバ男がちょっとした気遣いを見せただけで、勝手に一億倍にして受け取るだろう。


 汚いな勇者さすが汚い。


「つーか、王子は例の話知らないんすか? ティーゲルセイバー家の女に無理矢理手を出せば、性毒流し込まれて一生使い物にならなくなるっていう……」

「その話も、ティーゲルセイバー本家が王都を離れて以来、伝説化しているからな。事実としては受け止めていないようだ」

「バカじゃねえの(嘲笑)」


 身近に付き合う者としては、ティーゲルセイバーの怪物じみた血は薄れるどころかどんどん濃くなってきている。


 迂闊に指でも突っ込めば、根元からちょん切られても不思議はない。


 逆にエロ王子の息の根を止めるための王室の策略ではないかと疑いたくもなる。


(――なるほどっすねえ)


 事情は大筋で掴んだ。

 ただ一点、わからないことがある。


 これは貴族や王室の一種のスキャンダル。雲の上での泥の投げ合いは、決して地上――庶民には降りてこないものだ。


「んじゃあ、それとガバ兄さんはどういう関係があるんす?」

「ああ、それはな……」


 ※


「……これからね」


 自分はリズの婚約者である――という告白の次に続けられたはぐらかす言葉に、ルーキは己の肩にいつの間にか入っていた力がふっと抜けるのを感じた。


「委員長の婚約者……候補ってことか?」

「まあそういうことだね。ただ、当主代行のローズ・ティーゲルセイバーは僕にこんなことを言ってきた。“当家は自由恋愛をモットーにしておりますが、娘に話をするのであれば、下町に住むルーキという少年と話をつけてからにしてください”……とね」

「あのカッチャマ……」


 ルーキは額に手を当てた。

 ローズが何を考えているのかわからない。……いや。それは……違う。


 ギルバートは不敵に、しかし風雅に笑う。


「僕ほどの男なら、こういう話は他になかったわけでもない。君とリズとの関係は調べさせてもらった。彼女は今、一族公認で君の手の内というわけだ。そこで勝負だルーキ君。リズを賭けて僕と勝負をしよう。勝った方が彼女を取る。受けてもらえるね?」


 うちの娘リズを巡って男二人で争え。

 これはそういう話だ。

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