第188話 ガバ勢と彼女がガバった理由
「じゃあ俺がリンガ姉貴の指示を無視するのもチャートのうちだったってことですか!? か、勘弁してくださいよぉぉ……」
スノーラン撃破後、ニトリアの宿に戻って話を聞くなりルーキはその場にしゃがみ込んだ。
「すっげー悩んだんですよ、あの一瞬で……。あとでみんなからボロカスに怒られるのも覚悟の上で……。じゃああれホントにピンチだったってことですか? 俺が指示違反しなかったらどうなってたんです? 普通に助けを求めてくださいよマジで……」
「ごめんねルーキ。あの時、スノーランの急所を正確に撃ち抜くには、そのバラン数が必要だったの」
思いのたけをぶちまけるルーキに、申し訳なさそうな微笑みを返すリンガ。現在彼女は防寒具を脱ぎ、わき腹の打ち身傷をサクラに手当てしてもらっている。
「はい終わりっす」
「あ痛ッた!? ありがとサクラ」
ペチッと肌を叩かれ、リンガがしかめっ面を向けながら礼を述べる。
やはりダメージは実物だ。あの状況は演出ではない。
「はあ……。つまり俺のしたことは全部、リンガ姉貴の〈限定ラプラス理論〉の読み通り……手のひらの上ってことですか」
でなければ、自分の命を他人の判断に――しかも懊悩の先の、指示とは真逆の結論に委ねられるはずもない。いくらガチ勢でも。
そんなこちらに対し、「別に、あなたを思うがまま踊らせていたわけじゃないのよ」と、リンガは少し困ったような笑顔で言った。
「現に、〈限定ラプラス理論〉なしにあなたの行動を読んでた人もいたでしょ?」
彼女が悪戯っぽく光る氷海色の目を向けた相手は、ちょうど救急箱をリュックの中にしまい込んでいるサクラだ。
「あの時、あの場にいた誰よりも早く反応して、ごく小さな
「な、何のことっすかねぇ」
「とぼけちゃってぇ……」
サクラは素知らぬ顔でリュックの中を整理しだす。
あの時、ルーキと同時にリンガに突っ込んだスノーランの視界を奪ったのは、やはりサクラだった。あれがなければ、二人まとめてかじられていた可能性は高い。捕食動物の目と反射神経とはそういうものだ。
双方の視界を完全に遮ったのは苦肉の策ではない。こちらが目を奪われてもミッションを達成できると信じて――いや、知っているからこその一択。可能なラインギリギリをついた、絶妙なサポートだった。
「だからあの時の指示無視は、間違いなくルーキにとって通常の判断で、行動だった。わたしはそれに便乗させてもらっただけ。〈限定ラプラス理論〉の本質は誰かの行動を操ることじゃない。人ものそれぞれの行動の“間”にあるものを都合よく動かしているだけなの。だから、その人を本当によく知っているのなら、バラン数なんか見えなくともわたしと同じことができる」
「つまりサクラは、それだけしっかり観察できてるってことか……。さすがだァ……」
ルーキが尊敬の眼差しを向けると、彼女は照れた様子で、
「ま、まあガバ兄さん単純っすから? ぱっと見で次に何するか簡単に予想つくっすよ」
「ミリ単位で……?」
「で、できるんすよ。そ、その……兄さんだってサクラが前髪二ミリ切ったの気づいたじゃないっすか……。普通っすよ普通!」
サクラは逃げるように目をそらすも、その地点にはスタンバっていたかのようにマリーセトスとプリムが口に手を当ててニヤニヤしている。
「ええー、ほんとにござるかぁ?」
「ちんちん……いつもガン見してそう……」
「外野は黙ってろっす!」
嗚呼、逃れられぬ
「これじゃいつもと変わらないわね」というカッチャマの幻聴を耳の奥で聞きつつ、ルーキはため息をついた。
「んにゃぴ……。それで何とか試走が終わったわけですけど、結局……最後まで自分のしてることがよぐわがんにゃかったし、この経験をどう生かせばいいのやら……」
新たなガチ勢と出会えたことは経験になるだろうが、〈限定ラプラス理論〉は、一般人には真似できないし、そもそもが遠回りすぎる。
すぐそこにある石ころを拾うために、念力の修行を十年やって、全パワーを放出して石を浮かせて持ってくるようなものだ。歩いて掴んで戻ってくる方がはるかに早い。
完走した感想が楽しんでもらえそうなのが唯一の救いか。
「ごめんなさいね、ルーキ」とリンガは柔らかく笑った。
今気づいたが、彼女は初対面の時よりもだいぶ温和な表情を見せている。というよりも、上機嫌に近い。その理由はすぐに判明した。
「でもわたしは大きな収穫があったわ。レイ一門について。――それから、あなたついて」
「え、俺……?」
ルーキは思わず自分を指さしながら聞き返す。
弾むような声で「ええ!」と応じたリンガが、突然前のめりに手を取ってきた。
銃を握っているとは思えないほど柔らかく温かい指が、ルーキの指を包み込む。
「あなたのバラン数はとても興味深いわ。あなたが一瞬ガ・バラン数に陥ったすぐ後に、混乱していた一帯のバラン数が一気に元の値に戻ったの。あのアルラーネの根と遭遇したすぐ後のことよ」
「?????」
「つまり、あなたがガバった後に“あること”をすると、周辺の粒子の状況がリセットされるのよ。計算がしやすくなって、すぐに再走を開始できるってわけ! 再走し放題よ!」
「そんな嬉しそうに再走する人初めて見ま……いや、バーニングファイターがいました……」
マリーセトスによれば、従来、リンガの再走には時間がかかるという話だった。しかし自分がいれば、その手間暇を大きくカットできるということらしい。知らないが。
「あなた、またサクラとユグドラシル来るわよね? その時はぜひわたしも誘って!〈限定ラプラス理論〉は、実はまだ完全には煮詰め切れていないの。いじっちゃいけなさそうな粒子が見えてるんだけど、何かあってもあなたがガバれば元に戻る可能性は高いわ!」
「ヒッ!!?」
メタンハイドレートのような危険な光を目に充満させながら、リンガがずいっと顔を近づけてくる。
ガチ勢でさえ本能的に操作を躊躇う粒子。絶対にやばいやつだ。
ひょっとすると、それは彼女がスタールッカーに並ぶための最後のトリガーかもしれない。そんな瞬間に立ち会いたくない。
……が、そういった難しいことを考えられたのも一瞬で、ルーキはあの夜を思い起こさせる距離感にただただ硬直していた。
日の下で見るリンガは、雪国の妖精のように愛らしい。
そら(そんな相手と至近距離で向き合えば、赤面とか)そう(いう反応に)なる。
リンガも我に返ったらしく、
「あっ、ご、ごめんなさい……」
自身も顔を赤らめながらぱっと手を離し、身を引く。
「し、知り合ったばかりの人に一方的にお願いするのは失礼よね。わたしも試走に協力できることがあれば、させてもらうから――」
「ん~? 今何でもするって言った~?」
「言った……。確かに聞いた(難聴)」
「そっ、そこまでは言ってないわよっ」
一方的に詰め寄ってバツが悪いのか、触手のようにねっとり絡んでくる仲間二人も押しのけられずにプルプル耐えているリンガ。
ルーキは気を取り直し、助け舟を出すつもりでたずねた。
「あの、それでさっき言ってた、俺がガバった後にする“あること”って?」
「あっ、そうだったわね。その話をしてなかったわ」
冷静さを取り戻した彼女が、体を揺すって仲間たちを振り落としながら話題に乗ってくる。振りほどかれたマリーセトスとプリムはゾンビみたいなうめき声をあげながら彼女の周りでごろごろしだすが、それは無視するものとする。
「それはね、ある二つの呪文を唱えることなの」
「呪文?」
「ええ。一つ目の呪文は、“誤差だよ誤差”」
「えっ……!?」
「そして二つ目の呪文は“ここからノーミスならお釣りがくるので”よ」
「そ、それって……!!」
思わず身を乗りだすと、リンガも同じく興奮気味に声のトーンを上げる。
「そうなの。普段からレイ一門が口にしてるあれが、実はバラン数をリセットさせるための呪文だったのよ」
「ウッソだろ!? そんな……まさか!?」
一門がガバった時にする伝統の言い訳というか負け惜しみというか。
まさかそれが世界を操る粒子に関係していたとは……!!?
「ただ残念だけど、これは〈限定ラプラス理論〉を介して、数値の操作を音声化するとそれに近い音になるというだけ。能力がなければ、現実的にはほとんど何も起こらないと言っていいわ」
リンガは少し肩をすくめるようにして言う。
「な、なぁんだ……。あ、ひょっとして、リンガ姉貴が戦いの後に言ってる謎のキメ台詞も……」
「え、ええ。あれ、そんなふうに思われてたのね。わたしにとっての能力終了の呪文よ。ああすることで、粒子を改変可能な状態から元の改変不能な状態に戻すの」
「それと一門のあれが同じっていうのは……何か神秘的ですね……」
「そうね。大した効果がないにせよ、レイ一門は昔から何となく感じていたのかも。口にすることで、悪い状況をほんの少し立て直せる言葉があることを。何しろ、あくびの数よりガバが多いんだから、試すチャンスはいくらでもあるわ」
そうした言葉の中から、一番効果的と思われるものが生き残った。……ということか。
「理論はいつでも現実の後追いよ。誰もが知っている現象を、人は後から理屈付けするの。人類がまだ一度も見たことがないものを理論で証明できたのは、空のかなたにある真っ黒な星だけと言われているわ」
「はえー……」
何の意味もないかもしれない。しかし、それを口にすれば気持ちが楽になる言葉というものは存在する。人間も石ころも感情も、すべては同じ粒でできているというのなら、そんな他愛のない“おまじない”の先に、〈限定ラプラス理論〉という能力はあるのだろう。
ならば、自分と〈限定ラプラス理論〉もそうかけ離れた存在ではない。
リンガとも。ガチ勢とも――。
ルーキは初めて、そんなことを思えた。
※
「んで、話ってなんすか?」
打ち上げを兼ねた夕食に繰り出す三人を見送った後、サクラは部屋の扉をしめて彼女に向き直った。
ベッドに腰かけたリンガが温和な目線を向けてくるのを見て、これから説教をされるような、不慣れな居心地の悪さを感じる。
変人しかいないボウケンソウシャー仲間の中で、リンガは仲間外れともいえるほどに常識人だ。その理由は、彼女が少し前まで、自分と同じガチ勢でもガバ勢でもない一般走者の枠にいた人間だから。
リンガがガチ勢に分類されるのは、その能力及び、能力発動時の思考回路が“そうである”からだ。そんな相手から「二人で話がしたい」と呼び止められるとは。
「座って」
リンガは自分の横をぽんぽんと叩いた。
「正面だと少し話しづらいから、隣がいいわ」
「はあ……」
気のない返事をしつつ、リンガの隣に腰かける。
息継ぎのような間を置いて、彼女は話し出した。
「言おうかどうか迷ったんだけど……。今回、スノーランとの戦いで再走したのはルーキが原因じゃないわ」
「……へ?」
「あなたよサクラ」
サクラは目をしばたたかせた。横目でリンガの横顔を捉えつつ、
「サクラが何かしたっすかね?」
「ええ。あの時のあなたは、“ありえなかった”。アルラーネの根の前に飛び出して、仲間を救うなんていう大博打は絶対にしない」
「…………」
「これまでのあなたならね」
リンガはそう付け足し、少し笑うように肩を揺らした。
「ボウケンソウシャーの中で、忍者だけは、自分の冒険をしない」
教科書の標語を読み上げるように彼女がつぶやく。サクラは目を細めた。
「ユグドラシルに挑む者は、それぞれが個人的な事情を抱えている。そのほとんどが、自分の大望、欲、好奇心、そういう理由。けれど忍者は必ず、誰かからの命令、あるいは依頼で動いている……」
「否定はしないっす。そんな話、今さらなんで」
頭の後ろで手を組んで軽薄に応じた。
忍者というものは――より厳密に言うのであれば、忍者の術というものは、すべてどこかに“属する”ものである。野良の忍者がいないように、野良の術も存在しない。
術を保有するのは里だ。そこに属する忍者はある意味で“公”の存在となる。
忍者の術も、行動も、すべては属する場所に連なるもの。好き勝手に行使していいものではない。それを絆と呼ぶか枷と呼ぶかは知らない。
「忍者には自由がないなんて言う人もいるけど、わたしは、だからこそあなたを誰よりも信用してる。マリーやプリムよりも。あなたは常に八割で踏みとどまる。危機にも、好機にも、完全には深入りしない」
ちらりとリンガが目を向けてくるのが、視界の端の動きでわかった。
「あなたたちがしていることは、常に“仕事”だから。完走しても、勝ち取るのはあなたじゃなくて、あなたの依頼人。だからドライな一線が引ける。わたしたちはどうしても……熱くなっちゃうことがあるから。あなたが退けと言うのなら、それはマジでヤバい時。それはマリーもプリムも承知してる」
「そりゃ、どうもっす」
「でも、今日の、いえ、“今”のあなたは違った」
一段階強度を増した声が、サクラの鼓膜を揺らした。
「アルラーネの根の前に立ちはだかった時、あなたは九割以上、危険に対して踏み込んでいた。あの根が、直に戦闘をしている時のアルラーネと同じ強さを持っていたら、あなたは無事では済まなかった。そしてそうでなくとも、十分危険だった。でも、した」
「別に……何とかなるだろとは思ったんで……」
「そうね。何とかした……できるようになっていた。これが二つ目のわたしの誤算」
「……?」
怪訝に思ってサクラはリンガに顔を向ける。
彼女は静かに笑っていた。
「強くなったのねサクラ。二度目のトライアルで、ワイヤーに煙幕をぶつけた技も、今までよりずっと正確で、力強かった。あなたは強くなるというより、巧く小慣れていく方向性かと思っていたから、純粋に驚いた」
「そ、それは……ガバ一門といると否が応でも色々な事態に直面させられるんで、それで……」
「そうね。彼を守るためにね」
「~~……」
サクラはしかめっ面をしてうなった。
「今回の試走では、ルーキのバラン数に意識を集中してから、あなたへの計算がおざなりになってた。仕事人のあなたなら確実にこうすると思い込んで、奥深くのバラン数までは見ていなかった。それが再走原因。すべてわたしが悪いわ」
「……の、わりには何か嬉しそうっすねえ」
「だってサクラ。今あなたが、初めて自分のための冒険をしてる」
弾むように返された声に、サクラは思わず鼻白んだ。
「RTAも人間関係も八割までで抑えていたあなたが、それ以上に踏み込んでる。それってとても良いことよ。きっと……ううん、絶対に。だってサクラ、すごく生き生きしてるもの!」
ずいっと。
リンガが輝くような顔を寄せてくる。
「なっ……なんすか? 今までサクラが枯れてたみたいに……」
「ポチの灰が毎秒必要なレベルで枯れてたわよ! この子実はバツ2くらい行ってんじゃないかと思ってたくらいよ!」
「それはあもりにも擦れすぎでしょう!?」
大声を返してやると、リンガは肩をすくめるようにして体を引いた。
「とにかくね……わたしは今のサクラが好きってことよ。試走はちょっとガバっちゃったけど、そんなのどうでもいいくらい、今のあなたの姿が見れて嬉しいってこと」
「あー……リンガ。サクラ、普通に男の人が好きなんで。マリーセトスみたいに一回くらいやっちゃってもいいかとかそういうユルさないんで」
「そんな話はしてない! でしょ!」
ガオォォ……!
「はいはい。言ってみただけっすよ」
「とにかく(再掲)。……個人的に応援させてもらうわ、サクラのこと」
「…………」
サクラは視線を泳がせ、対応する言葉を探した。
リンガは別に能力を使ってはいない。適当にはぐらかすことは可能だろう。この、常識人……というより真っ直ぐすぎる性格ならなおのこと。
しかし……八割。
彼女の肌感覚通りの距離感を維持してきた。
いつ、それを踏み越えた?
思い出そうとして、勝手に顔が熱くなる。
ああなるほど、これは踏み越えている。確実に。十割どころか、十一割くらいまで。
なんて返せばいい。誤魔化すのか、受け入れるのか。
こういう時の心の準備くらい、しとけっつの……。
「……そりゃ……どうも……」
サクラは頭を軽くかきながら、結局、そんな冴えない台詞を口にした。
リンガはにっこりと笑った。
「わたしは、大丈夫だと思うわ。ルーキはレイ一門でRTAバカっぽいところあるけど、一番大事な人を感じ取れないほど鈍感じゃない」
「そういうバラン数が出てるっすか?」
「いいえ。RTA以外に能力は使わないと決めているの。これは……女の勘よ!」
「いつか白馬の王子様が迎えに来てくれると思ってる人の勘はちょっと……」
「なっ……!? そ、それ言わない約束でしょ!? 昔の話だし!」
顔を真っ赤にしてリンガが詰め寄ってくる。
「人前では、って約束だったっすよね。今二人しかいないんでー」
「もうっ……そんなのどうでもいいから! だから……サクラは……サクラの冒険を楽しんで。それだけ! 頑張ってね!」
叩きつけるように言って、膨れた顔をぷいと背ける。
同性から見ても、これはちょっと可愛すぎるだろう。マリーセトスたちが延々絡むわけだ。そう苦笑いするサクラの耳に、彼女のか細い声が再び触れる。
「それと、また……。一緒にRTAしましょうよ。昔みたいに。ルーキと一緒で全然いいから……」
「…………」
リンガは少し前までガチ勢ではなかった。
自分と同じ、一般のボウケンソウシャーだった。
自分と同じ……パーティだった。
いつから別々の道を……いや、最初から同じ道など歩いてなくて……。
せいぜい八割。そこどまりだった道を、今は。今なら。
「……そうすね。また近いうちに、来るっすよ。その時は……」
今なら、もう少し近い場所で。
※
「お、サクラ。話は終わったのか?」
日没間近の宿場通りに突っ立っていたルーキは、待っていた相手を目にしてゆっくり歩み寄った。
「あれ、リンガ姉貴は?」
「もう少ししたら来るっすよ。兄さんこそ何してるんすか。お店は?」
「マリーセトス姉貴たちが確保してる。おまえのこと待ってたんだ。先に始めるっていうのもどうかと思ってな……」
事情を話すとサクラはからから笑った。
「律儀なことっすねぇ。あの二人なら確実にもう始めてるっすよ」
「うん。だろうけどな。俺はサクラ抜きだと、何かちょっと寂しいというか、残念でな」
「……っ。なっ、なんすかあ? 人見知りでもないくせに。店の客相手に完走した感想でも一席ぶってればいいじゃないすか」
ルーキは頭を掻きながら、
「うーん……。その完走した感想の内容を考えれば考えるほど、特に今回、俺はサクラに感謝しないとダメだなってわかっちまって。いつもよりかなり危ない橋を渡らせちまったって思うんだ」
特に、最後の二戦。
一戦目の方では、サクラにかすり傷以下とはいえ、身を挺してかばわれている。
それは、今まで助けられてきたのとは、何かが決定的に違っていた。
あれは本当に危なかったのだと思う。きっと以前までの自分たちであれば、乗り越えられなかった。二人できちんと成長できていたから、今こうして笑っていられる。
「だから、サクラ抜きで楽しめる気がしなかった」
「……! ……へ、へぇ……。ホントに……。そういうの、わかってるんすね……ごにょごにょ」
「何がごにょごにょ?」
「な、何でもないっす! さ、行きましょ行きましょ。どうせいつもの店なんで、リンガは待ってなくていいっす」
そう言うと、サクラはルーキの腕を引っ張って歩き出す。
「ところで、リンガ姉貴とは何の話を? RTAのか?」
「ああ、それは……」
サクラは少し考えるように空を見上げた。
ルーキはすぐに後悔する。わざわざ二人きりでした話を聞きだすなんて、でりかしいがないにもほどがある。
ただ、ちょっとだけ――。
サクラのまわりの空気が……印象が、少しだけいつもと違っていた気がしたから、聞いてしまったのだ。
いつもより華やかで、いつもより儚げなような。
そんな空気をくるりと巻いて振り返った彼女は、唇に人差し指を当て、片目をつぶってささやくように言った。
「兄さんには秘密」
いつもと違う。慣れ親しんだ接しやすい友人ではなく。
おいそれと触れてはいけない、とても繊細で可憐な少女のように。
「ん……? どしたすか兄さん?」
「え……あ、い、いや、別に……?」
「あれれー? なんか顔赤くないすかぁ?」
「そ、そうかな」
目をそらすも、サクラのニヤニヤした顔がカニ歩きで追尾してくる。
「ひょっとしてぇ、何か感じちゃったすか? 今のサクラちゃんのあざといポーズに?」
「…………むむむ……」
「さっき何を感じたか三十文字以内で述べるっす。そしたら、リンガと何を話してたか教えてあげるっすよ~」
「いや、いい。そういうのを聞くのはよくなかったと俺反省してる!」
「じゃあサクラが先に言うんで、兄さんはその後で。それでは兄さまのためにぃ~」
「や、やめろォ!(建前) やめてぇ……(本音)」
暮れなずむニトリアの通りを、少年と少女の影が並んで歩いていく。
耳を塞いで逃げるルーキに、それにまとわりつくサクラ。二人の影は決して離れることなく、友人としては親密にすぎ、恋人としてはあまりにも遠慮がないまま、石畳の上を騒々しくも楽しげに跳ねていった。
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