第186話 ガバ勢と彼女の誤算

「よし……やるかぁ……!」


 ルーキは手を揉み合わせるようにしてほぐしながら、静かに息を吐いた。


「これで今回の試走もラストっすからね。ま、死なない感じで頑張れればいいっすよ……」


 やる気なく応じる隣のサクラに(見とけよ、見とけよー)と胸中で宣言したところで、先頭のリンガが軽く手を上げ足を止める。


 ↑↑↓↓↑↓↓


 ガバウォークではない。そして、例のバラン数調整でもなかった。


 今回の試走最後の相手は、第一ダンジョン第一階層五階の最奥に生息するモンスター“スノーラン”。

 これは四つ足の肉食獣で、常に大きな群れを率いて活動する。そして今の動きは、彼の縄張りの境界線を行き来して、スノーラン本体のみをおびき寄せるための行動なのだ。


 この進入角度、この動きであれば、確実にボスであるスノーランが様子見に来る。リンガたちはそれをあらかじめ理解していた。


 狩りの基本は力でもスピードでもない。

 標的の性質を熟知し、それを利用することだ。


 果たして、彼は現れた。

 それはサーベルのような牙を生やした、雪豹に似た魔獣だった。


 ちなみに彼が率いるのはウルフランと呼ばれる大型の狼たちである。

 狼のボスがネコなんですがそれはという指摘がたびたびされるが、ここ以外で出会うと何か犬っぽくなっているので、あまり気にすることはないのだろう。


「これまで通りにやってくれればいいわ。後はこっちで調整する」


 リンガの双眸が虹色に輝きだした。

 戦闘開始の合図だ。ルーキたちはうなずくと一斉にスノーランを強襲する。


 ウルルルォォォオオ――!


 スノーランが吠えた。犬とも猫ともつかない奇妙な咆哮だ。

 今のは群れの部下たちへの合図。広い縄張りの方々に散っていた狼たちが、ボスの元へと駆けつけてくる――その前に仕留める!


「空気が冷たい……!?」


 サクラ、プリムと共に前に出たルーキはその異変にすぐに気づいた。

 スノーランの周囲が白く輝いている。


 事前調査によれば、あれはスノーランの体毛から発される冷気の膜だ。攻撃に転用できるほど強いものではないが、近づく者の動きを大きく阻害する効果がある。


 マリーセトスの毒針のような小さな物体なら、刺さる直前に氷漬けにされてしまいます。


「だから、先に手傷を負わせて冷気のバリアを剥ぐ必要があったんですねっ!」


 なぜか敬語になりながらルーキはショートソードを振るった。

 しかし、


「くっ、こいつ……!」

「相変わらずすばしっこいっすねえ!」

「待てこの臆病者ガキ! かかってこい!」


 戦闘モードに入ったプリムは基本的には猪ナイト。突破力こそ破城槌並だが、俊敏に動ける相手は苦手だ。


 しかし、動きの速いサクラも完全には追い切れていない。せめてもう一人、同等の速度で動ける人間がいれば連携で追い込めるが……。


「頼むぜ、相棒!」


 ここでルーキはグラップルクローを構える。


 戦場は森の中の開けた場所で、アンカーを食いつかせる木や岩が必要なグラップルクローには不向き。今までは。


「行け!」


 ルーキが狙ったのは地面。

 ワイヤーを即座に回収し、前方への推力だけを獲得して、地面に引き倒される前に解除。水切り石のように跳ねる。


 ワイヤーワークガチ勢である川蝉女史から教わった加速術だ。

 これを剣戟戦闘に組み込む。これが、今回までにコソ練しておいた新戦法!


「おお!? いいぞルーキ! それでこそわたしのリューだ!」


 まったく追いつけないプリムが喝采を上げる。


 この加速術の弱点は、スピードがつきすぎて方向転換が難しいこと。しかし、長く培ったグラップルクローの経験値――ルーキだけでなくグラップルクローにも蓄積された経験によって射出と回収を小刻みに行い、最低限の機動性を確保させる。


「兄さん、そっちから追い込みよろ!」

「任せろ! ホラホラホラホラ!」


 ジグザグに駆けるスノーランをサクラと共に追撃する。


 サクラからは特に驚きや称賛の声はない。

 しかしルーキには何となく伝わっていた。彼女はこの連携を喜んでいる。頼もしく感じてくれていると。


 二人がかりで道を塞げば、ヤツも逃げ切れないと察して攻撃に転じるだろう。しかしその直後、プリムが突っ込む。


(決まった……!)


 今、勝利への道は完全に直線となった。

 慢心ではない。これは確信というものだ。


 周囲に異常なし。それを確かめる心的余裕すらある。

 いきなり空からレイ親父でも降ってこない限り、これは詰ませた。

 念のため上も見たが、大丈夫だ。問題ない。

 後、一か、二……くらい。それだけアンカーを撃てば戦いは一気に決着へと傾く。


 そう考え、グラップルクローを射出した、その時。

 目の端に何か、青いものが揺らめいた気がした。


(……え……!?)


 アンカーを撃ちこんだ先は、これといって何の変哲もない地面だった。

 障害物があるわけでもない。あったところで、硬い物体ならよりアンカーが固定しやすくてむしろ助かる。


 だが。


 それが“生きている”とまでは――。


「なにっっ……!?」


 アンカーを撃ちこんだ地面が突然隆起し、土柱を跳ね上げた。


「な、何だあああっ!?」


 それは揺らめく巨大な植物の蔦――いや、根だった。


「まさかユグドラシルの新芽か……!?」


 目を見開いたプリムが叫ぶ。


「ち、違う……! これは……これは“アルラーネ”の根よ!?」


 リンガの声は初めて聞く驚愕に打ち震えていた。

 仲間たちも一気に浮足立つ。


「んなバカな! アルラーネの住処は第二層の奥っすよ!? 何でこんな上層に埋まってるんすか!?」


 サクラが慌てた声を上げれば、


「……ひょっとして、引っ越しした……?」

「馬鹿言え! ヤツの真上でスノーランがのうのうと暮らせるわけがないだろう!?」


 マリーセトスとプリムも当惑を飛び交わす。


「本当に悪い偶然としか言いようがない……! たまたまアルラーネがここまで伸ばしていた根の一部を、レイ一門が引き当てた……! これは確実に……わたしの効果領域外だった……! 交わらないはずだった……しかし……強引に引き寄せられた……あの青い……1N99-41にッ!!」


 本職のボウケンシャーたち、さらには〈限定ラプラス理論〉を持つリンガさえ動揺させるこの事態で、ルーキは――。


 さらに最悪の状況に陥っていた。


 アルラーネの根にアンカーが引っかかって、いくら切り離そうとしても戻ってこない。


 アルラーネという敵について、念のため下調べはしてある。

 大きな花に似たモンスターで、花弁の奥に人間の女性そっくりの本体を持っている。今、ここにあるのは根だが、蔦はもっと機敏に動き、捕まえた相手をあっという間に花弁内部に連れ去ってしまうという難敵中の難敵。


 特に女性ボウケンシャーから蛇蝎の如く嫌われ、恐れられているらしい。

 とてもではないが、今のレベルで戦えるような相手ではない。


 枝分かれした細い根が数本、獲物を見定める蛇のようにゆらゆらと動く。

 先端はこちらを向いていた。狙われている。


「く、くそっ……!!」


 アンカーはまだ外れない。


「ルーキ、そのツール捨てて!」


 マリーセトスから鋭い声が飛んだ。

 恐らくはこの場における最適解。しかし――ルーキは躊躇ってしまった。


 グラップルクローは言わば体の一部。これを手放すことは腕を一本もがれるのと同じことだ。

 もし、二秒。

 二秒間だけでもルーキに考える時間があれば、それが本当はイコールでないことぐらいわかったはずだった。


 しかし今は一瞬。それだけの短い時間で、体の一部を永遠に諦めるという判断。

 ガチ勢ならできた。

 ルーキには、まだ、それができなかった。


 尖った木の根が真っ直ぐに飛びかかってくる――。


「――――!!」


 その時。


 ザン! と空気を裂くような勢いで、グラップルクローの細いワイヤーの上に人影が降り立った。

 腰の後ろから抜き放った小太刀を一閃。

 迫ってきた一本が切り落され、もう一本が少女の肩近くをかすめて通り過ぎる。


「さっ……サクラ!?」


 アルラーネの攻撃をいなしたサクラは、飛び降りざまにピンと張ったワイヤーを蹴り上げた。

 ワイヤーが激しく振動し、その伝播を受けたアンカーがアルラーネの根から弾かれるようにすっぽ抜ける。


「た、助かっ――」


 礼を言おうとした瞬間、サクラがルーキに抱き着いてきた。


「逃げろ!」

「…………!!」


 この期に及んで何かを躊躇う道理はなかった。

 右手でサクラの体を抱きかかえ、グラップルクローを後方へと射出。一気にアルラーネの根との距離を取る。

 しかし、サクラからの声はさらに続いた。


「前線崩壊! リンガ撤退指示出せ!」

「!! みんな、逃げるわよ! ここから離れ……いえ“糸”を使うわ! ニトリアまで戻る! 再走よ!」


 リンガは即決する。

 この状況を理解していない者などいなかった。


 アルラーネの根による戦場の混乱。戦闘の停滞から、続々と駆けつけるスノーランの部下たち。

 当初の目的チャートは完全に破綻している。


 パーティたちは一目散に逃げだし、その先で“糸”を使ったダンジョンの強制脱出を行った。

 躊躇いのない速やかな撤退。

 脱落者はいない。


 しかしその間、誰も口を開こうとはしなかった。

 ルーキも、何も言えなかった。

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