第183話 ガバ勢と数字様のいうとおり

 夕暮れ時。

 ルーキたちは第一ダンジョンの入口近くにある小さな町、ニトリアに来ていた。


 駅近くにある市場とは違って、ここに住み、ここで暮らす人々の拠点だ。住人たちは半数近くがボウケンソウシャーを相手にする商売人で、本気でこの地に人類の生活圏を築こうと志す者は少ない。


 ここで生きるということは、ユグドラシルダンジョンの魔物たちと生存権を争うことになるからだ。そんなこと、ここに半月も住めば子供でも不可能だと気づく。


 素朴な作りの民家が並ぶ小道を進むと、宿屋が見えてきた。

 ニトリアは典型的な走者用の宿場町で、住民の数の三倍ベッドがあると言われている。今も本走が始まっているわけでもないのに、通りには旅人が多く行き交い、今夜の寝床を吟味していた。


「わたしたちがいつも使ってる宿でいいわよね?」


 リンガに問われ、すぐさま首肯を返したルーキがつれていかれたのは、〈郭公かっこう亭〉という微妙に自虐的な名前の宿だった。


 糸目の受付に向かって常連らしい気さくな挨拶をすると、一行は早速二階の部屋へと上がる。


 部屋は五人部屋で、ベッドと小さな引き出しがあるだけの質素なものだった。

 ガチ勢だからといって特別な待遇があるわけでもなく、全室一律五人用なのも、ユグドラシルダンジョンの一般的なパーティ人数に合わせたものとのこと。


「悪いんだけど、食事は軽く済ませて明日に備えてちょうだい」


 背負っていた荷物を下ろしながらリンガが言う。

 ここまでやや忙しない流れだが、


「賛成……歩きたくない……」

「まあしょうがないよね」


 ガチ勢二人は賛成。サクラは「色々考えたけどもう諦めてるっす」と何やら疲れた顔で言い、ルーキも異論はなかった。


 RTA心得一つ。

 食事や休息に手間暇を惜しんではならない。


 苦しい時こそしっかりと美味しいものを食べ、仲間たちとの楽しい交流に努める。

 人が己の内側から補給できるものなど何一つとしてない。食事で肉体への栄養を取り、友との語らいで心の英気を養う。これが常識。


 しかしガチ勢ともなれば、その鉄則を無視することも厭わないようだった。


 近くの屋台で簡素な食事を済ませ、さっさと部屋に戻る。


「んじゃボクこのベッド使うから」

「わたしはここ……」


 部屋のあかりもつけないうちからマリーセトスとプリムがシーツの中にもそもそ潜っていった。それきりもう出てきそうもない。


「俺は端っこを使わせてもらおうかな……」


 窓から入り込む月明かりだけを頼りに、ルーキは一番入口側のベッドを希望した。理由は、何となくそこが一番隙間風が当たって好まれそうになかったからだ。

 普段から一般通過微風に慣れている身からすれば、どうということはない。


「それならサクラは兄さんの横にするっすかね……」


 サクラがぼやくように言いつつ、ルーキの隣のベッドに入ろうとする。

 その時、入口近くでパーティの様子を眺めていたリンガが頬を赤くし、少し気まずそうに告げた。


「あー……あのさ、サクラはルーキと同じベッドで寝てもらえるかしら?」

『ファッ!!?』


 二人揃って素っ頓狂な声を上げる。


「えっ、何それは……」とルーキが困惑しながらたずねると、「そうするのが明日のバラン数的にちょうどいいの」という、申し訳なさそうな答え。


「〈限定ラプラス理論〉のナンタラとか、そういうやつですか……?」

「あ、知ってたの? まあそう。それ以上のことをしろとは言わないから。どうせRTAをしてれば、みんなで固まって野宿とかくらいしたことあるでしょ?」

「それはそうですけど……」


 防御や寒さをしのぐために必然的にサル団子になるのと、きちんとした屋内でベッドを共にするのでは精神的な意味合いが違う。

 これはサクラだって気にするのでは……。


「まあしょうがないっすねえ! サクラとガバ兄さんは〈ダークエレメント〉でも二人で添い寝してるっすから、多少はねぇ!」

「元気いっぱいに来た!?」


 ズザーとサクラがルーキの横に滑り込んでくる。この動き、〈悪夢狩り〉。


「ほら兄さん、諦めて床につくっす。ガチ勢のRTAのためっすよホラホラホラホラ」

「わ、わかったよ。おまえが平気なら、まあ……」


 ルーキはべしべしシーツを叩くサクラに根負けし、隣で横になる。

 幸いベッドはそこそこ広く、下手に手足を広げなければ肩がくっつかない程度の余裕はあった。


「……うーむ」


 少し気になりはするが、言われてみれば、これくらいの距離感は普段の生活とそう大差ない。緊急時と割り切れば、そこまであれこれ考える必要もなさそうだった。


「あの、悪いんだけど、二人で向かい合ってもうちょっと近づいてくれる?」

「えっ? む、向かい合うんですか?」


 リンガのさらなる注文に一瞬狼狽える。

 しかし、どうせサクラは気にしないだろうし、粘ったところでガチ勢が要求を引っ込めるはずもない。睡眠時間がほしければ、とっとと従うしかない――そう思って、サクラの側へと横向きになると……。


「……あ、あの……」


 月明かりの中でもはっきりとわかるほど真っ赤になったサクラの顔が、ルーキの視界の真ん中にあった。


「えっ!? サ……サクラさん?」

「……い、いやいやそんな別に? た、ただ、こう見つめ合うと、意外と近いなって……」

「そっ、そ、そうだな……わりと……ち、近いよな……」


 突然恥じらいを見せたサクラに戸惑い、ルーキも落ち着きをなくす。


「えーと、まだ遠いからサクラの方から寄ってくれる?」

「ピャァウ!?」


 リンガに腰のあたりを叩かれ、サクラが飛び跳ねるように近づいてくる。

 せいぜい数センチ、あるいはそれ以下の移動にすぎなかったが、シーツの中で膝と膝が触れ合いそうになるのがわかった。


『…………』


 視界の真ん中どころではない。

 もう相手の顔しか見えないような距離。

 呼気の音が聞こえ、お互いの体温が一部で混じりあっているほどに近い。


「じゃあそのくらいでお願いね」


 それを見届け満足げにうなずくと、リンガは隣のベッドに入っていった。


 ――……静寂。


 時折、夜鳥が鳴いている以外、風の音も、草木のこすれる音もない。

 衣擦れの音さえやけに大きく響く室内で、ルーキは完全に顔をしかめていた。

 まぶたを閉じても顔の熱が引かない。頭の中が休まる気がしない。


「~~……」


 我慢しきれずにちらと片目を開けると、同じくうっすら目を開けていたサクラと視線がぶつかり、慌てて閉じる。


「ね、寝れそうか……?」


 ルーキは自分でさえ聞き取れるかどうかわからない小声でささやいた。


「……に、兄さんは……?」


 サクラから、体温と匂いを感じる空気が押し返ってくる。


「ダメみたいですね……」

「参ったっすねぇ……。普段はああしてるのにいざとなると……あ、いや……。えへへ……はい」


 再び静寂。

 しかしサクラがまだ起きていることは、何となくわかる。

 お互い石化したように微動だにしていないが、内側で何かが寝静まらず、騒いでいる。


「あ、あのさ……」


 一旦就寝を諦め、ルーキは小声を向けた。


「な、なんすか……?」

「リンガ姉貴のRTAって、いつもこうなのか……?」

「あー、まあ……そうっすね……。リンガ以外には何をしてるのかわからない世界っすから。今日の戦いの前のガバウォークっぽいのも、後々の布石っすよ。いつ用の布石かはわかんないっすけど……」

「あのTOE用のですらないのかもしれないのか?」

「そうすよ」


 ルーキは胸の内側にため息を落とした。


「なんか……すごいRTAだな」

「ボウケンソウシャーガチ勢の怖さがわかったっすか?」

「ああ」

「なら、さっさとサクラの壁役になってほしいっすね」

「だな。そのためにも、その、今日はちゃんと寝るか……」

「そ、そうすね……。頑張って寝るしかないす」

「ああ、そうしよう……」


 三度静寂。


「……あくしろよ」

「悪ィ、やっぱ寝れねぇわ……」


 サクラからの催促に、ルーキは目を閉じたままうめくように言う。

 それからため息をつき、


「……なんか、ごめん……」

「……何で謝るっすか」

「俺がここに混じってなきゃ、まだ女の子同士でまともに寝れたのかなって……」


 鼻先に苦笑めいた空気が当たった。


「……そうでもないっすよ。このメンツじゃ」

「そ、そうか?」

「それに……サクラ、別に、ヤじゃないんで」

「…………おぅ」

「に、兄さんは?」

「俺も……ヤじゃないな」

「…………そう……すか……。なら、いいんじゃないすかね。これで……このままで」


 そう言うと、サクラはシーツを手繰り寄せて頭から潜ってしまった。

 律儀にも位置取りは変わっていない。しかし薄いシーツ一枚分、二人の熱は離れた気がした。


「おやすみなさい、兄さん」

「……ああ、おやすみ」


 自分の内側で暴れていた何かがゆっくりと治まっていくような気がした。

 今度こそ、静寂。

 ルーキは自分の意識が、宵闇とは違う暗さの場所に落ちていくのを何となく感じ取った。


 ……が。


「……?」


 何か不自然な圧迫感を肌に覚え、ルーキの意識は無意識の闇から浮上した。

 かすかにまぶたを開けると、暗さに慣れた目が室内の様子をはっきりと映し出す。


 隣のサクラはシーツをかぶったまま。寝息は聞こえてこないが、熟睡しているのが何となくわかる。

 次に、横向きの寝相からかすかに首を動かし、天井側を見た。


「!!!!????」


 月光をわずかに跳ね返すブルーの双眸が、すぐ近くからこちらを見下ろしている。


「リッ……リンガ姉貴……!?」


 よく見ると、彼女はベッドの上に手と膝をついて、完全にルーキにのしかかってきていた。


「な、何やってんですか、まずいですよ……!」

「しっ、静かにして……。暴れないで。サクラが起きる」


 リンガが顔をしかめながら小声を落としてくる。頬には紅色が差し、目もわずかに潤んでいるように見えた。


 昼間の重防寒着とはうってかわって、下着も同然の薄布姿。むき出しの腕や足はひどくほっそりとしていて、受ける月明かりの色のまま、闇の中に浮かび上がっている。


「わ、わたしだってしたくていてるんじゃないの。これも明日のための仕込みなのよ」

「えっ、えぇ……」

「こうしてるだけだから安心して。余計なことを考えないで。数字が乱れる」

「す、数字……バラン数ですか?」


 ルーキは小声で聞いた。


「ええ。ガバ勢とパーティを組んだことはないんだけど、以前、効果領域内に入られた時にはこっちのチャートをガタガタにされたわ。でも、あなたはどういうわけか、まだガ・バラン数の域には達していない。そのまま暴れないでくれれば、コントロールできる」

「……もしかして、前もって親切に手順を説明してくれてるのも……」

「気づいた? あなたが落ち着いていれば、数字も乱れない。わたしが最小行動を心がけているのも、数字の動きを最小にするためよ」


 そういうことか。粒子は肉体だけでなく、感情の動きにも該当する。動きが小さければ、それだけ観測が容易になり、操作もしやすいというわけだ。……理屈の上では。多分。


「さすがガチ勢……徹底してますね」

「ええ。わかったらその……こっちをあんまり見ないでくれる? あの……恥ずかしいの。わたし、こんな格好でその……男の人の上にのしかかるなんてこと、したことないから……」


 リンガの目が泳ぎ、唇がふるふる震えだす。相当に恥ずかしそうだ。


「わ、わかりました。そういうことなら大人しく寝ます」

「お……お願いね。小一時間もしたら、わたしも勝手に離れるから。……ん?」

「へ?」


 ふわりと、氷が香った。

 リンガが顔をものすごい至近距離まで寄せてくる。顔の横からこぼれた金髪がルーキの顔を撫で、彼女の清涼な匂いを伝えてくる。


「ルーキ……ちょっとこっちを見て」

「へ? リ、リンガ姉貴……?」


 直後、どさりとリンガの体が覆いかぶさってきた。

 シーツ越しに柔らかいものが押し当てられ、ふんわりと形を変えるのがわかる。

 ルーキの耳に熱い吐息と、かすかな喘ぎ声が吹きつけられた。


「……! ……!? ??? !! !?!?」


 完全に凍りついていると、彼女のか細い声が聞こえる。


「うぅ……何か……乗ってる……わたしの上に……っ……」

「へ?」


 ふと冷静になったルーキは、どうにか目を動かして密着状態にあるリンガの奥をにらみつけた。そこには――。


「ちんちん……むにゃむにゃ……」

「プリム姉貴……!?」


 熟睡しているはずのプリムだった。いや、今も熟睡している。なぜかドレスアーマーを着込んだフル装備でだ。


「なんでプリムがここに……!? ウソでしょ、そんなバラン数は……。んっ……んんっ……! う、動け……ないわ……。わたし……ガチ勢って言われてるけど……体力的には……全然……もやしなのよ……っ」


 リンガが息も絶え絶えに訴えてくる。


 その時になって、ルーキはこの重さの正体に気づいた。

 普段プリムを背負っていても全然疲れないのは、彼女が無自覚に放っているヤバいくらにキくバフ効果のおかげであって、完全武装した彼女本来の重量はちょっとした鉄塊並みなのだ。


 眠っている今、そのバフ効果もないらしく、二人分の重量プラス、下手をしたらそれに匹敵する装備分の重さがこちらに覆いかぶさっている。


「な、何とかならないのルーキ? この子すごく重い……全然動けない……」

「俺はそれ以上です……。やばい、このままじゃ……」

「あ……何か意識が遠のいてきたわ。こ、こんなはずじゃ……むっきゅ……」

「り、リンガ姉貴ィィィ……」


 ※


 チュンチュンと小鳥が鳴いていた。

〈郭公亭〉のくせにいるのは雀なのかよというどうでもいいツッコミをしつつ、サクラはシーツの中で四肢が完全に目覚めたことを悟る。


 かすかな寝汗が、昨夜の熱をわずかに残していた。

 シーツ越しの朝日の中で、すぐの目の前に彼の体がはっきりと見える。


「…………」


 何となく気恥ずかしくなった頭を悪戯心で無理矢理切り替え、サクラはこっそり寝顔を見てやろうとシーツから頭を出した。


 まあ別に、毎朝見ているものなので面白くもなんともないだろうが、そうしておかないと損のような気がしたのだ。

 果たして……。


「うう……。ああ、サクラか……起きたのか……?」

「…………」


 さっきまで自分の内側で穏やかに鼓動していたものが、ゆっくりと停止していくのがわかった。その感情を露骨に顔に出しながら、彼女は口を開いた。


「朝起きたら隣で寝ていたはずの男の上に知り合いの女が二人も乗ってる光景を何と表現すべきっすかねぇ……」

「そんなことしなくていいから……。とにかくプリム姉貴を起こしてください。お願いします。何でもしま……ぐふっ」


 そう言い残して、彼は意識を失った。

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