第181話 ガバ勢と世界の歪み

 レベリング、初手TOE撃破。


 貧弱一般ボウケンシャーからすればそれ自体が一つの挑戦となる難題をあっさり突破し、ルーキたちはダンジョンのさらなる奥へと進んでいた。


 激戦の代償は……ゼロ。


 角に引っかけられて吹っ飛んだだけのサクラはともかく、正面から衝突したプリムにこれといったケガがない頑丈さは、さすがとしか言いようがない。


 強引に外されたグラップルクローのアンカーも、想定外の負荷がかかるとアンカーが歪む前に相手を離す仕組みになっていたらしく、今後のRTAに支障なし。


 完勝だ。

 形だけ見れば。


(何がどうなってるのか、俺にはさっぱりだ……)


 記念すべき初戦闘から最大前線に放り込まれ、ユグドラシルダンジョンの情け容赦ない空気こそ体に叩き込めたものの、自分が勝利に対してどう貢献したか、これほど体感できない戦いも初めてだった。


 勝ちの実感も霞のまま、「第一階層折り返し地点」と書かれた看板まで来てしまい、下層へと滑り落ちていく通路を前に、一旦、町へと戻ることになる。


 こうした一時帰還は、ユグドラシルダンジョンの本走においてもよくあることらしい。


 動植物によって作られるこの迷宮はその都度形を変える生きたダンジョンと言っても過言ではなく、直近の情報には金貨千枚に勝る価値があるとされる。


 マリーセトスがしょっちゅう地図を描き直しているのは趣味ではなく、それが必要だからだ。ダンジョンの内部情報を抱えたまま奥地で全滅することは、そのパーティのみならず、開拓地全体の損失なのである。


「ここで休憩するから」


 そう言ってリンガが足を止めたのは、小鳥のさえずりが聞こえてきそうなほどのどかな小川のほとりだった。


「休憩ですか?」


 ルーキは確かめるように聞いた。

 フリアエルホーン以降、戦闘は奇妙なほどなく、体力は有り余っている。

 このままダンジョンを脱出しても何ら問題はなさそうだが……。


「いいからいいから。ここはリンガに任せといて」というマリーセトスの気楽な声に振り向けば、彼女はすでに自分の荷物の上にちょこんと座ってリラックスモードに入っていた。


 この危険なダンジョン内でそのくつろぎようはどうかと思ったが、進行をガチ勢に預けている手前、ルーキもそれ以上食い下がらず、素直に荷物を下ろす。


 すると、


「それじゃあわたし、ちょっとそこで小さい花摘んでくるから。みんなはここで待ってて」

「えっ、一人でですか? さすがにそれは危ないんじゃ……俺も行きます」


 リンガがパーティから離れようとするのを、ルーキは慌てて呼び止めた。するとマリーセトスが荷物の上に寝っ転がった自堕落な姿勢――無論、地図は描きつつ――から、


「ルーキ。花摘みっていうのはおしっこって意味だよ。ついてったら変態だよ」

「へあっ!? す、すいませんリンガ姉貴……」

「ちっ、違うわよ! 普通の採取に決まってるでしょ!? トイレなんかRTA始まる前にちゃんと済ませたわよ……って、男の人の前で変なこと言わせないで!」


 リンガは真っ白な顔を赤く染めると、肩を怒らせて歩いていってしまった。


「ああ^~。反応が初心で可愛いよねぇリンガって。あれが見たくてついちょっかい出しちゃうんだ☆」

「わかる……」

「三人とも相変わらずなんすねえ」

「あかんこれじゃリンガ姉貴が死ぬう」


 勝手知ったる仲間うちならではのじゃれ合いなのだろうが、ルーキはなぜか自分のことのようにダメージを受けていた。


 そうこうしている間に、少し離れた場所でリンガが採取を始める。

 大声で呼び合えばすぐに気づける距離。ガチ勢を心配できるほど強くなったわけでもないが、その近さに一抹の不安を拭い去ったルーキは、すぐ隣で膝を抱えたまま小川を眺めているサクラに、ふと話しかけていた。


「なあサクラ。リンガ姉貴の能力って、本当にその……未来を操るものなのか?」


 未来を予知とか時間を止める話の九割はデマという会話を、レイ一門の走者たちはよくしている。


 実際、そんな凄まじい異能があれば、まずここで地道な試走をしているということ自体が不自然だ。開拓地が魔王に襲われない未来をあらかじめ作ってしまえばいい。


 しかし一方で、あのTOEを倒した手並みが、少なくとも達人技とか奇跡とか、そういうレベルを超えているのも確かだ。


 スタールッカーに次ぐという謳い文句を鑑みれば、それがハリボテの能力でないことは疑っていないが……。


「〈限定ラプラス論理〉は、実際はそこまで万能なものじゃないっす」


 サクラは揺りかごのように体を前後に揺らしながら答える。


「〈限定ラプラス論理〉……。それがリンガ姉貴の能力なんだよな?」

「RTA研究所の軍医さんがそう名付けたんすよ。で、これもあの人から聞いた話なんで、サクラもよくは理解してないんすけど……。まず、ざっくり言って、この世界はものすごく小さな粒が集まってできてるらしいんす」

「粒?」


「そっす。人も、植物も、石ころも、水も、風も、太陽も、すべて小さな粒――粒子ってのの集まりっす」

「だまされんぞ」


「考えても無駄なんだからだまされたと思って聞くっす。で、この粒子っていうのは常にわさわさ動いてて、人が怒ったり悲しんだりって感情の動きも、薪に火がつくのも消えるのも、世界の裏側で粒子同士がぶつかり合って変化を起こしてるからなんす」

「んにゃぴ……」


「この粒子の動きは、突然そうなるんじゃなく、その前からの流れがあるらしいっす。だから粒子の動きを観測して予測できれば、次に世の中で何が起こるのかわかるって寸法っすよ。リンガにはそれがバラン数っていう数字の動きとして見えてるんすね」


「……すまない、理解する努力はしたんだが……」

「いーっすいーっす、わかんなくて」


 サクラは苦笑する。


「一般人的に理解できるのは、兄さんが今まで見たアレまでっすよ。一見偶然に思える出来事を繋げて、必然にたどり着く。ま、深く考えず、何やかんやあって最終的に目的を達成させる技とでも思えばいいんじゃないっすかね」


「……で、でもよ、俺はあの時、俺の意志で動いたんだぜ。リンガ姉貴には指示されてもいない。市場の猫も、毛虫くわえた鳥も、それぞれの意志があったはずだろ?」


 まだ納得いかない気持ちを吐き出すと、忍者少女は薄く笑って首を横に振り、


「リンガからしたら個々の意志も、偶然も、必然も、全部同じ粒子の――バラン数の塊なんすよ。後は、その前後の流れにちょっと手を入れて都合のいい方向に変えるだけ。変えられた方は気づきもしないっす。リンガの見えてる世界を知覚できないわけっすから」

「それってもう、スタールッカー姉貴よりヤバい人だよな……?」

「そうすねぇ……」


 サクラは曖昧なつぶやきをこぼしつつ、少し離れた場所で採取をしているリンガに目をやった。まだ時間がかかりそうなことを確認したのか、「そうでもなかったんすよねぇ、最近までは……」と、世間話をするような気楽な声音に転調させて話を継ぐ。


「以前のリンガは、一秒先の未来を予測して手を加えるのに一・三秒かかってたんす」

「もう始まってる!」

「そっす。現実の方が来るんじゃ予測の意味ないっすよね。けど、そこで軍医さんが余計なアドバイスしちゃったんすよ」

「へえ、どんな?」

「時に兄さん、キュービック・ルーブって知ってるっすか」


 不意に向けられた質問に少し面食らったが、返答をはぐらかされた気もせず、ルーキは焦らずに応じた。


「知ってるよ。あのクッソ激烈に難しい四角い箱のパズルだろ? 原始RTAの題材としても有名だから、学校で触ったよ」


 速攻で面を揃えるタイムアタック。最少手数を狙うやり込みや、目隠しをした縛りプレイ。

 パズルを解くだけでいいのに別の要素を盛り込んで勝手に競い始めるのは、RTAのご先祖様ともされる。


「じゃあ兄さん、全面揃えられたことは?」

「あるように見えるか?」

「一面だけなら?」

「ないです」

「一列くらいは」

「ありますねえ! ……あっ、まさか軍医さんのアドバイスって」

「相変わらず、微妙に察しはいいんすよねえ」


 サクラは薄笑いを浮かべ、


「そっす。リンガはこれまで、世界中――とはいかなくとも、大陸一つ分くらいの粒子の運動を観測してたんすよ。だから時間がかかってた」

「その範囲を狭めた……?」

「正解っす。観測を自分のごく周辺までにとどめて、小さな未来のみをコントロールする。これが〈限定ラプラス論理〉の“限定”って部分の由来っすね」


「そっか……。だから開拓地を永遠に守るみたいなすごい未来は作れないのか。できることは、ごく限られている……。言われてみれば、あの時俺たちを足止めするのだって、普通に声をかけても大差なかったもんな。わざわざ能力を使ってまでやることじゃなかったかも」

「それが自然なんすよ、リンガにとってはね……」


 本人にとっては、能力を使うのも使わないのも大差ないということ。

 RTAでは禁じ手とされるオリチャーも、彼女ならやりたい放題なのかもしれない。


 もっとも、あらかじめ組んだチャートがすでに未来を制御した最速のものである以上、あえてオリチャーに転じる理由もないだろうが。


「便利っちゃ便利なんすけどねぇ……。ま、何事にもデメリットはあるわけで……」


 サクラがつつと動かした視線につられ、ルーキも小川の下流に目をやった。


 川縁に猫がいる。町で見かけるものよりどこか細長く野性的な印象だ。モンスターの類ではなく、ただの動物だろう。


 猫はじっと川を見つめ、おもむろに前足で水面を叩いた。

 高く跳ねた水しぶきのきらめきの中に銀色の光が混じる。小魚だった。猫があんぐりと口を開けて待つと、それは過たず彼の口の中へと落ちる。


 思わず拍手を送りたくなるほどの名人芸。


 彼はさらに二匹目を狙う。再び水面を猫パンチ。カツッと硬い音がして、黒っぽい魚影が宙を舞った。彼はまるでギャラリーを意識しているかのようなドヤネコ顔でそれを口で受け止め――、


「フギャッ!?」


 いきなり悲鳴を上げて魚を吐き出すと、その場から逃げ去ってしまった。


「何だありゃ?」

「兄さん、これちょっと見るっす」


 サクラに手招きされて現場に近づいてみると、そこには猫が残した黒い魚が落ちている。

 だが、何かがおかしい……。


 ルーキはそれを手に取ってみる。


「……あれ……これ、魚じゃねえ。木だ……?」


 指で弾くとカツンと固い音がした。土産物のような木彫りの魚だ。しかし本職である猫が見間違えるのも無理ないほど、恐ろしく精巧に作られている。

 サクラが半笑いで口を開いた。


「それ木じゃないっす。鰹節っすね。カツオでもないけど」

「へ? カツオブシってあれだろ。東方料理に入ってる紙くずみたいなやつ」

「そうっす。あれは元は魚の切り身を物凄い手間かけて乾燥させたもので、カンナで削って料理に使うんすよ。だから紙みたいに薄っぺらいんす」

「……これ、切り身ですらねえけど?」

「そうすねぇ。まるでさっきまで普通に泳いでいたのが、いきなり鰹節に変化しちゃったみたいっすねえ」


 口元を歪めたサクラの言葉に、冗談とは一線を画する不穏な響きを聞き取ったルーキは、直前までに自分たちが何について話していたかを唐突に思い起こし、青ざめた。


 デメリット。〈限定ラプラス論理〉のデメリット。

 まさか。


「世の中てんでバラバラに動いてるようで、全体的な粒子の動きから見れば実は物凄く統制の取れた規則正しいものだって話っすよ。そこに無理やり手を入れれば当然歪みが生まれて、その歪みがまた別の歪みを生んで、最終的にある一点にしわ寄せが集結する……」


 キュービックルーブだ。全面の色を合わせようとすれば、最終的にはすべてが綺麗に統一された形になる。しかし一面だけならどうなる。さらに、一列だけなら?


 それ以外の、そうなるべくして落ち着いていた形が、一気に崩壊する。


 それまでの経緯や秩序も関係なく、絵のラインをくるくる回されてメチャクチャにかき回される。

 出来上がった全体像など完全な慮外。一列だけ揃えられた都合のいい秩序。それが〈限定ラプラス理論〉後の世界であるのなら、


「リンガが能力を使うたびに、世界のどこかが変質するんすよ。どこにどんな影響が出てくるかは、ま、それこそ完全な〈ラプラスの魔〉しか予測できんでしょうなぁ……」

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