第179話 ガバ勢と正しいレベリング
ユグドラシルダンジョンは、大地の一部と見まごうほどの巨大樹ユグドラシルの根の内部にできたもう一つの世界だ。
樹皮によって閉ざされたダンジョンは、それ一つ一つが他の根とは異なる相を持っている。
現段階でRTA警察が規定する区分は、第一から第六の正式ナンバリングが六つ、クロスと称される混在型が一つ、そしてその他の細かな亜種がいくつか、という内訳だ。
ルーキたちが今回挑むことになったのは、初めて人類がこのダンジョンへと足を踏み入れた記念すべき第一樹画。
現在でこそ研究によって各樹画ごとに最適な攻略システムが構築されているが、何もかもが初めてだったこの第一のダンジョンではいまだに、暴力、暴力、暴力! のみが正義の、原始的なものとなっていた。
「“新第一”っていう、これまでの経験と知恵を盛り込んだ攻略システムもあるっすけど、今回試走するとこはただの第一っすね。ある意味一番容赦のないダンジョンっす」
と、ボウケンソウシャーであるサクラは言う。
小細工は通用しない。自分たちの身の内にある知恵と力だけで挑む、ダンジョンRTAの始まりだ。
「突然こっちのパーティに引き込んだ上にチャートまで合わせてもらうことになって申し訳ないけど、基本、わたしが指示を出す時以外は普通にしてくれていいから」
市場を出発して、地面にせり出した木の根から内部へ進入。パーティの先頭を行くリンガは、肩越しに振り返ってそんな言葉を投げかけた。
彼女の後ろには、当然の権利のように猛烈な速度でマッピングを行うマリーセトスと、珍しく自分の足で歩いているプリム。ルーキとサクラはその後ろにつく。
「はい」と即応したルーキは、そのままリンガの小さな背中を注意深く見つめた。
未来を操るという、にわかには信じがたい能力。時間がなくて詳しくは聞けてはいないが、市場でのあの一連の現象が偶然でないのなら、彼女に従っていれば万事こちらの都合のいいようにいくということなのか。
(いや、でも、いくらガチ勢だからってホントにそんな力が存在するのか……?)
天井に張り付いた発光性のコケと植物のおかげで、ダンジョンは根の内部にもかかわらず野外と変わらぬ明るさを保っている。これなら、リンガの一挙手一投足を見逃すこともない。
一体彼女は何をするのか、それを見極めたい。
もし自分の走りに取り込めそうな要素があるのなら、何とかしてそれを……。
と。
「何か真面目な考え事してるみたいだけどさあルーキ。それよりこれ見てよ、この“アイルトン君”をさぁ」
前からふらりと寄ってきたのは、猛烈な速度で周囲をマッピング中のマリーセトスだ。濁った瞳を暗く輝かせながら彼女の口が言う。
「この子はね、とっても気難しいの。でもね、ちゃんと向き合って話を聞けば、ものすごく素敵な色でボクを魅了してくれるんだ。たとえこの世がどんなに小汚く残酷でも、アイルトン君が見せてくれるだけで美しく生まれ変われるんだよ……。ふふ……フヒヒ……ねえルーキもそう思うよね……」
「ヒエッ……」
「相変わらずっすね……」
彼女は戦闘中だろうと食事中だろうと、目が開いて心臓が動いている間はだいたい地図を描いている。そしてそれは、ガチ勢ボウケンソウシャーにとっては特段驚くべき技能ではないというのだから、やはりヤバイ。
もっとも、地図にわざわざ名前を付けて偏愛までするのは、彼女だけだろうが。
おののくルーキに、ため息と共にリンガの声が飛んできた。
「そこ、無駄に絡んで人を動揺させない」
「リンガ姉貴!」
リンガ姉貴は神的にいい人だと、瞬間的に認定する。
「あとルーキ。一応、簡単な方針だけでも伝えておくと、わたしのチャートは時短と基本的行動の最小化を重視したものになるわ。ドゥエったり祈祷性を頼りにするものじゃないから、そこは安心してね」
「あっ、はい」
何ということだ。
スタールッカー姉貴に近いと言われる彼女の方が、マリーセトスよりよほど何を言ってるのか理解できる。というより、これまで会ったガチ勢の中でもトップクラスに人間に近い。
「最小行動……最少歩数……いいよね」
どこか猫背になって歩くプリムが、気だるげな声でつぶやいた。
(なるほど……)と、ルーキは一つ理解する。
彼女が珍しく自分の足で歩いているのは、リンガのチャートが無駄を一切省いているからだ。
〈ピサルム〉というレギュレーショナーがある。歩数を極端に制限してRTAを行う競技性の高い縛りだが、プリムの場合はエネルギー出力がバカ高すぎるため、やむを得ずこの制限を設けることになっていた。
行動のサイズと数を減らす、走者にとってまさに理想ともいえる今のチャートは、彼女のスタイルに完璧に合致しているのだ。
ある種の感激を抱いて、ルーキがリンガを見つめ直した、その時。
↑←→↑
「あっ、今の動き一門で見たことある……!」
「もうダメ……。歩きたくない……」
言ってるそばからプリムの足が止まる。するとリンガが振り返り、
「今のはガバウォークじゃないから。プリムも自分の足でちゃんと歩いて」
「……はぁーい……」
まだぎりぎり許容範囲だったのか、プリムが歩みを再開する。
しかし。
(何だ……何だよ! リンガ姉貴、全然普通じゃないか……!)
ルーキは一人、胸中で小躍りしていた。
市場で一時、正気性を疑ったものの、ここまでトータルで見て圧倒的に常識人。おまけにガバウォークまでしてしまう親しみやすさもある。
ガチ勢にはいつも度肝を抜かれ、冷や汗をかかされていたが、今回は大丈夫そうだ。
歩き間違いにまったく迷いがなかったのは何かの意図を感じるが、それは素人の感覚。一門の目はごまかせない。レイ親父レベルになると一切真顔でガバウォークができることは実証済みだ。迷いなく家屋の壁にトゥン! と突っ込んでも、その直前まで誰も気づけないほどさりげないものなのだ。
「そろそろレベリング始めるから、心の準備しておいてね」
リンガが親切に声かけをしてくれることに、ルーキはすっかり警戒を解いて「了解です」と応じていた。
RTA心得一つ。序盤のレベリングは弱い敵で行うこと。
修行、というと何だか強い相手と戦って自分を高めるようなイメージがあるが、走者のレベリングはその逆で、できるだけ容易に倒せる相手を狙い撃ちにする。
強い相手と戦えばリスクが増え、ケガや休息などを挟むせいで結局時間がかかってしまう。それより、一発で倒せるような雑魚狩りを多くこなして、その土地の戦いの流儀を体に馴染ませる方が最終的なタイム短縮へとつながるのだ。
弱くてうまあじな相手を厳選して戦いを吹っ掛ける――すなわちチンピラの心意気である。
パーティは森の中へと歩を進めていた。
木の中にある森など、もはや何が何だかわからないが、生命が独自の形で相食み続けるユグドラシルダンジョンではそれがまかり通ってしまう。
「なんか静かですね……」
ルーキは声量を抑えて前を行くリンガに呼びかけた。
軽くうなずくように上下する彼女の帽子を見て不意に思い出したのが、ユグドラシルダンジョン特有の危険な存在――。
「いるっすね……TOE」
サクラの声から緊張が染み出た。
TOE――テリトリー・オブ・エネミーの略称で、いわゆるそこら一帯の
彼らは独自の縄張りを持ち、そこを決まった経路で徘徊して外敵を排除する習性を持つ。
ダンジョン内での過酷な生存競争に勝ち抜いたTOEは、初心者は絶対に、熟練者でも安易に手を出してはいけない、最強にして最悪の敵として認識される。
しかし、その強さがボウケンソウシャーに有利に働いてくれることもある。
それは、恐れるものなど何もない彼らが、自分の存在を一切隠さないことだ。
壮絶な存在感を怒涛の如く吐き出しながら、縄張りを闊歩する。だから一目でTOEだとわかるし、不意を打たれることもない。
避けて通れる脅威なら、むしろ容易い相手だ。
「とりあえず、TOEがいたんじゃこのへんでレベリングをするのは無理だよな……」
彼の迫力に圧倒されて、弱いモンスターの類はあっという間に逃げてしまう。リンガの言うレベリングはTOEの縄張りを抜けた先で、ということだろう。
ばきり、と遠くで小枝が踏み折られる音がした。
「!!」
ルーキの背中に冷たい血が走る。
生木が裂ける音、茂った葉のざわめきが近づいてくる。草木の香りを押しのけ、猛烈な獣臭さが鼻先を覆った。
そして重い何かを引きずるような音までがはっきりと聞こえてきてほどなく、ルーキはそれを見た。
「……!」
鹿、に見える獣だった。
大きい。頭は三メートルほどの高さにあり、人間を余裕で見下ろせるサイズだ。稲妻のように枝分かれした大角を生やし、しなやかな四肢で地面に立っている。
しかし、果たして……。
「鹿って……熊、食ったっけか……?」
彼が口にくわえて引きずっているのは、単なる動物にしてはところどころに禍々しいパーツを持つ、恐らくは熊に似た魔物だった。本来なら捕食する側にいることはほぼ間違いない。
「〈フリアエルホーン〉……間違いなくTOEっす……」
サクラが敵を刺激しないよう、木の葉がこすれるような声で断定する。
フリアエルホーンは足を止め、こちらを明らかに注視しながら、くわえていた熊を吐き出した。重々しい振動が靴底を通じて伝わり、それだけであの死骸が只者ではなかったことを本能に悟らせる。
そして。
バキ……ボキボキ……。
「ヒエッ……」
フリアエルホーンはあろうことか、その場で食事を始めた。
鹿に見えて、肉食だ。
しかも食い破りやすい腹からではなく、それ自体が比類なき防具となる熊の頭骨を容赦なく噛み砕きだした。
ガリゴリと、聞いているだけで骨身が揺さぶられそうな破砕音が鳴り響く。
あの歯とあごの力の前では、人体などアリスが作ったブラウニーも同然だろう。
しかし……これはチャンスだった。
食事をするということは、あちらはこちらを敵と見なしていない。もっと言うのなら、敵視するに値しないクソ雑魚モンキーだと思っている。
あれか? 見せかけで超ビビってるな?(レ) という彼の見くびりに逆らわず、ランチを邪魔しないようそっと立ち去れば見逃してくれるはずだ。
「リ、リンガ姉貴、今のうちに……」
ルーキはコソコソと彼女に次の行動を促した。
「ええ、そうね」
彼女が同意を示すように重くうなずく。さすがにホームだけあって、迷いや戸惑いがない。強い敵は避ける。それが賢い走者のやり方だ。
リンガはその場ですっと身をかがめ、
「オラッ、かかってこい!!」
フリアエルホーンに向かって拾ったばかりの小石をぶん投げた。
「ファッ!!?」
小石は抜群のコントロールでフリアエルホーンの角に当たり、カツンという小気味よい音を立てた。
――グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
鹿とは思えない、貪食の限りを尽くした大魔獣のような咆哮が森を激震させる。
一撃でブチギレた。フリアエルホーンの名の由来は、復讐の女神フリアエからきている。
「リ、リンガ姉貴いいいいいいいいいいい!!!???」
「最短時間、最小行動って言ったでしょ。あいつが一番、ここらでいい経験値持ってるのよ! さあレベリング開始!!」
「アアアアアアやっぱりガチ勢かああああアアアアア!!」
こうして、最悪の敵TOEを相手にレベリングが始まった。
……始めてしまった!
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