第178話 ガバ勢とラプラスの少女
「スタールッカー姉貴に……一番近い!?」
スタールッカー。もはや説明不要の感もある、説明不能の謎多き走者。
ルート1・47・50をホームグラウンドとしているはずだが、時折それ以外の開拓地でも目撃されることがあり、不幸にも見かけてしまった人間を理解不能の恐怖に陥れている。
彼女がぼんやりと空を見上げているのは星と対話しているからとされ、その代償に人類とは“かりう”なる謎物質を渡すと嫌な顔をしてくれる以外のコミュニケーション方法を失った、もはやなんだかよくわからないほどすごい(小並)走者だ。
単に超常的な走者ならばガチ勢に多数いるし、ルーキも面識がある。しかし彼女は何かが違った。根本的――いや、根源的な何かが。
「そんな走者が、今日ここに来てるっていうのか……!?」
「そだよー」
生命の根源的な部分でガクブルするルーキに、マリーセトスはクッソ激烈に軽い返事をした。
「そんなことよりさあルーキ。キミ、結構いい体になったよねぇ」
「へ?」
妙にねっとりとした声に目線を向けてみれば、マリーセトスのブルーの双眸が、フードの深いところで怪しく揺らめいている。
首から上を固定したままルーキの周囲をうろつき始める姿は、できたての死体を生き生きとした目で見つめる名探偵を連想させた。
「な、何か?」
「うん。いろんな技とか経験がようやく染みつき始めた感じで、今死ねば絶妙に青くて柔らかい素敵な死体になるだろうなーって」
「ヒエッ!?」
フードの内側に青黒い陰の気をため込みつつ、ネクロマンサーはルーキの手に自分の手を重ねてくる。
「ねえキミ、心まで寄越せとは言わないよー。ボクが欲しいのは体だけだからさ。ちょっとちょうだい。ちょっとだけでいいから死んでみよう?」
「無理無理無理! 死ねない!」
ルーキが首を横に振ると、背後から「ちんちん!」というちんちん鳥の鳴き声がした。声の調子からするとマリーセトスに反対してくれているようではあるが、定かではない。
「一回。一回だけでいいから。目当ては体だけ!
「命は一つしかないから!」
「ちんちん、ちんちん!」
「何言ってんすか! この兄さんはサクラがあんたらよりずっと前から目ぇつけてたっす! 兄さんはサクラのもんっす!」
とうとうサクラまで参戦し、ボウケンソウシャーたちはルーキを通信の中継地点にして姦しく騒ぎ立て始めた。
聞きなれた客引きの呼び声とは違った嬌声に、道行く人々も一時目を向け始め、
「何やってんだあいつら……」
「あらやだ、痴情のもつれ?」
「あのねは……やめようね。健全に……生きようね!」
そんな言葉がルーキの足元に投げ込まれ、堆積していく。
この場から逃げ出そうにも三方はボウケンソウシャーに取り囲まれており、残る道は上へ落ちる変態となって天空に逃げるか、持っていてはいけなかったコインの重さで地面の底にメガトンフォールするかの二択――と、冷静さを欠いた考えを巡らせたルーキは、不意に、耳に入ったその声に意識を引き寄せられた。
「えぇ……。何してるの、あなたたち……」
ドン引きの中にも、どこか北国の風を思わせる清涼な響き。引っ張られるように顔を振り向ければ、そこには若い女性――あるいは少女と呼んでいい容貌の人物が立っていた。
背丈は小柄な部類に入るだろう。
緩くウェーブした金髪が、ファーに縁取られた耳当て付き帽子からこぼれ、北限探索用の厚手のコートの背を柔らかく這っている。
唯一の肌の露出と言っていい顔は、降り積もったばかりの新雪を思わせる白さで、澄んだ瞳が万年解けない氷の清澄と鋭利さをこちらに向けてきている。
コートの上には革製のハーネス。そこに吊るされた数多の拳銃を見れば、彼女がボウケンソウシャーであることに疑いようはなかった。
「リッ……リリ、リ、リ、リン……」
彼女を見るなり、ルーキの右半身に張り付いて口角泡を飛ばしていたサクラが、尋常でないほどガタガタと震えだす。
「あ、リンガだ」
「リンガ……」
続くマリーセトスとプリムの言葉に、ルーキは凝然と少女を見つめていた。
「こ、この人がリンガ……姉貴……! あのスタールッカー姉貴に一番近いとされるガチガチのガチ勢……!」
畏怖の念を込めた言葉が自然と口から飛び出し、ルーキ自身を垂直に硬直させる中、件のリンガから思いもよらぬ反応が戻ってきた。
「ちょ、ちょっとやめてよあんなモンスターと一緒にするの!」
「えっ……」
彼女は慌てた様子で、こちらの眼差しを払い散らすように手をバタバタと振る。
ルーキが戸惑っていると、横からマリーセトスが彼女へと歩み寄った。
「何で? スタールッカー可愛いじゃん(半ギレ)」
「顔の話じゃないでしょ今のは! だいたい、あなたの顔の方がよっぽどアレと瓜二つじゃないのよ!」
「えぇーそれってボクが可愛いってこと? そんないきなり口説かれても、ボク、女の子とエッチポイントを削りあう趣味ないよ? ……まあ、どうしてもって言うなら、一晩くらい付き合ってあげてもいいけど」
「ちょっ……そ、そんなこと誰も言ってないでしょ!? 天下の往来で下ネタばら撒くのやめなさいよ!」
「ちんちん!」
「やめろっつってんのよ! プリムもちょっとその人から降りてこっち来なさい。だいたいあなたさっきからそれしか言ってないじゃない! さっきまで普通にしゃべってたでしょ!?」
「おちんぽこ?」
「言い換えろって意味じゃないの!」
「ねえリンガ」
「きゃああ急にまともにしゃべるな! 何よ!?」
「おちんぽこって何度も言うの恥ずかしいから、おちんでいい?」
「なら全部やめろや!!」
押し寄せる変た……仲間たちからの猛攻を凌ぐリンガを、ルーキはぽかんと見つめていた。
「えっ、何これは……」
これは……この言葉、このやり取りはまるで……。
普通!!!!
これまでの発言内容、態度、この状況にドン引きする倫理観、どれもまっとうな人間のものだ。そうとしか言いようがない。
何を考えているのかまったくわからないスタールッカーとは似ても似つかない。むしろさっきまでの自分と同じような目に遭っている姿に、強い親近感すら覚える。
「な、なあサクラ、あの人本当にリンガ姉貴なのか!? ガチ勢なのにすっげーまともに見える!」
「あー、人格上はそうっすねえ。リンガがやべーのはそっちじゃなくて……まあ、その話はいいっすよ、それより今のうちにここから逃げ――」
サクラがそう言いかけた時、マリーセトスがポンと手を打ってこんな言葉を口にした。
「よっし、じゃああの二人をパーティに加えるってことで決まりだね」
『ファッ!?』
ルーキとサクラが揃って固まった直後、
「おちん!」
シュバウ!
「超スピード!?」
気づいた時には、ここが定位置と言わんばかりにプリムが背中に騎乗している。催眠術だとか、予測地点をズラすだとか、そういうハイレベルな技術ではない。ただただ麒麟並みの原始的な脚力を味わう。
当然、そんな足にしがみつかれたら逃れる方法などない。
マリーセトスもへらへら笑いながらこちらの逃げ道を塞ぎにかかっていた。
「はぁ……。まあ二人がその気じゃ、わたしが何を言っても無駄よね」
「リンガ姉貴諦めないで!」
ルーキは思わず救援を求めたが、どこか疲れた様子のリンガの頭の中ではもう決着した話題であるらしく、彼女は少し顔を赤らめ、まったく別の話題をこちらに向けてきた。
「あー……でもね。ルーキ? で、いいのかしら。うちのメンバーと、その……男女の関係なのは好きにすればいいけど、夜中にすぐ隣で、あの……三人とか四人で盛るのはやめてね。うるさいし、わたしそういうの苦手だから……」
「ファッ!? 違うんです誤解なんです!」
ルーキは慌てて反論するが、ねっとりとした二名が左右から這い寄ってくる。
「したい~」
「わたしが乗るとおちん元気になる……へへ……嬉しい……ウレシイ……」
「頼むから三分間静かにしててくれませんか!?」
それを見ていたリンガは、妙に疲れた声を吐いた。
「ホントのところなんて、その二人に懐かれてる時点で似たようなものだから。まあ、諦めて一緒に行きましょ……あはは……」
「えぇ……」
こんなにもテンションの低い仲間加入イベントは初めてだった。
しかしどのみち、パーティ結成を否定できる根拠はとうに失っている。これは、サクラのマンツーマンでのテストは次回に持ち越しかもしれない、とルーキもつられて諦めかけた、その時。
不意に、リンガの冷めた表情に険が入った。
「……ちょっと待って。あなたその“数字”……。もしかしてレイ一門なの?」
「へ?」
リンガからの不思議な問いかけに、ルーキはきょとんとした。
数字?
「あ、はい。すいません自己紹介もしないで……。俺、レイ一門のルーキって――」
「やっぱりガバ勢!! 悪いけど、あなたたちとは一緒に走れないわ!」
汚らわしいものを見たように一歩後ずさりながら、彼女から低温の言葉が飛んでくる。
「……!」
痛みではない。何か苦々しいものが胸の奥へと突き込まれるのをルーキは感じた。
「えーっ、何で? いいじゃん別に。ガチとかガバとか関係ある?」
「ちんちん……」
「関係あるのよわたしには! ガバ勢と走るなんて絶対にイヤ! 頭痛がしてくるわ!」
ガチ勢とは妥協なき人々だ。
タイムのためなら仲間も平気で切り捨てる……そして切り捨てられる方も、納得してタイムを仲間たちに託す。そうした苛烈かつ冷厳な信頼関係が、彼ら彼女らをより強靭な最速の走者へと押し上げている。
そんな彼ら彼女らが、チャートから走行スタイルまでアリスが作ったブラウニー並に甘いレイ一門を拒むのは不自然なことではない。むしろ今までが寛大すぎておかしいくらいだった。
ましてやこのリンガは、〈ロングダリーナ〉でソーラをほぼ単独で叩き潰したスタールッカーに迫るとされる猛者。弱者と組んで足を引っ張られたくないのは当たり前だろう。
そこまで腑に落ちて、それでも何かが途中で引っかかるのは――単純に悔しいからだ。
たとえ無様に返り討ちにあっても、こちらに小さな牙くらいは生えていることを見せたい。
(それが……ここまで俺を鍛えてくれた人たちへの恩義ってもんだ!)
「だって一門って変なオーラ出して不幸を呼び寄せてくるじゃない!」
「あっ、ごめんなさい……」
ルーキはへりくだった。
「えーっ。それくらい〈限定ラプラス論理〉で何とかしてよ。やくめでしょ」
「無理よ! 一門のあれはガ・バラン数っていって、こっちの処理より早く悪い結果だけを抽出してくるんだから!」
(〈限定ラプラス〉……何だって? ガバ……ラン数? 処理?)
マリーセトスとリンガの会話に聞き覚えのない単語が見え隠れする。さらに話を聞いて情報を集めようとするルーキだったが、不意に腕を引っ張られた。
「はいはーい了解っす。そういうことならパーティ解散もやむなしっすね! それじゃあ皆様お達者で~」
渡りに船とばかりに声を弾ませるサクラにつれられ、その場から離れていく。背中にはなんかプリムが乗ったままだが、それはいいのだろうか。
(まあ、話だけなら後でサクラから聞けばいいか……)
一応そう納得し、ルーキが自分の足で歩き始めた直後。
不意に、背後のリンガの気配が動いた。
「!?」
思わず振り向いたルーキの視線の先で、長いコートの裾の下、厚手のブーツのつま先で地面を軽く蹴りつける彼女が見える。
カチッと音がしたのは小石を蹴飛ばしたからか。
続いて、近くにあった露店の軒先に吊るしてあった小さな鐘が、カーンといい音を鳴らす。蹴飛ばされた小石が当たったのだと理解するよりも早く、鐘の真下にいた猫がフギャッと驚いて飛びあがり、テントの上を駆け上がった。
その進行方向には、偶然にも一羽の鳥が羽を休めている。野獣が襲ってきたと勘違いた彼は慌てて飛び立ち、直後、咥えていたオヤツの毛虫をポトリと落とし――。
「あっぶな! 何すかいきなり!?」
急に鼻先に落ちてきた毛虫に驚き、サクラが足を止めた。
ここまで、約二秒。
「……え」
その連なるアクシデントのすべてをルーキは見ていた。
「やっぱり待って、あなた」
さっきとは真逆の言葉がリンガから聞こえてくる。
気のせいか? 氷色の瞳が微妙に変化――いや、現在進行形で七色に移り変わっているような……。
「今、わたしの効果領域にあなたのバラン数が入ったのを確認したわ。悪いけど、一緒に来てもらう。いやだと言っても……勝手についていくわ。わたしもあなたも、もう逃れられない。お互いにね」
「……!? ど、どういう意味だ? それに、今起きたのは一体……?」
「あー……結局こうなるっすか……」
ルーキの袖を掴んだまま、サクラが頭を抱える。
「サクラ、何なんだこれ? ラプラスだとか、バラン数だとか……」
たずねると、彼女はシワの刻まれたひたいに手を当てたまま首を振り、
「そんな意味不明な言葉はわからんでいいっすよ。ただあのリンガってのは、操れるんすよ。……未来に起こる出来事をね……」
「は……えぇ!? 未来を操る!?」
ほぼ強制的に身じろぎさせられる中で思わず目をやったルーキは、リンガの瞳に間違いなく虹色の輝きを見る。
何らかの異能を行使しているのは明らかだ。
「集積粒子自散。操作変数放出。限定事象確定……未来完了。よろしく、レイ一門」
言葉は理解不能。能力も納得できる枠を超えている。
その姿はもはや……かろうじてコミュニケーションが取れるだけの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます