第177話 ガバ勢とユグドラシルダンジョン再び

 暮れなずむルタの街の大通りを、少年と少女の影が並んで歩いていた。


 二人の影は決して交わることなく、友人としてはわずかに近く、恋人としては微妙に遠い距離を保ったまま、石畳の地面の上で揺れている。


 行き交う言葉はなく、のっぺりとした影法師から表情はうかがい知れない。


 しかし、ただ並んで歩く二人の足取りが、沈黙を気まずく思うこともなく終始穏やかで心安まるものであったことは、はっきりとわかった。


「すっかり遅くなったな」


 しばらくぶりに二人の間に生まれた言葉は、少年からのそんな他愛もないものだった。


「どこかで夜メシ食っていくか」


 少女からの返事を聞かず、彼は目線だけで屋台の物色をする。

 色とりどりのカンテラや提灯が、通りをゆく人々の足を誘い、吸い込んでいく。どの店からも得も言われぬかぐわしい香りが漂ってきていた。


 ふと、少年はいつの間にか自分が一人で歩いていることに気づいた。


 足を止めて隣にいたはずの少女を探せば、少し後ろで、夕日を背にした彼女がうつむきがちに立ち止まっているのが見える。


「? どうした?」


 少年が不思議そうに声をかけると、少女はどこかためらいがちに切り出した。


「こうして一緒にいるようになって、もうどれくらい?」

「ん? そうだな……結構長いよな」


 どこかためらいがちに切り出された言葉に、少年はしみじみと答える。

 それを聞いた少女は、すでに決心していた一つの結論へ少年を導くように、さらに言葉を重ねた。


「一緒に出かけて、一緒に帰って。食事もだいたい一緒で、一つ屋根の下で暮らして、寝るところだってだいたい一緒……」

「ああ、まあ」

「そろそろ……次のステップに進んでもいいんじゃないかなって……」


 どこか気恥ずかしげに、しかし潤んだ瞳に期待を込めて、少女は少年を見る。

 彼は一瞬、驚いたように目を見開き、それからすぐに優しく笑って――。


「よっしゃ、いくか試走!」

「兄さんさあ!」

「ゲボォ!?」


 ルーキはサクラからパワーチャージ(’97)を受けて吹っ飛んだ。


 RTA研究所で新型ガバセンサーの開発に協力した帰り道。特に何を話すでもなくだらだら歩いた末の、突然の凶行だった。


「やめろォ! いきなりナイスゥ!?」


 わき腹に受けたタックルの衝撃で舌をもつれさせながら、ルーキは抗議の声を放つ。

 しかしつんのめるような体勢で声を張ったのはサクラも同じだった。


「何をするはこっちの台詞なんすけど!? 何かもうちょっと、別のルート感じたりしないんすか!? ここまで何行使ってそれっぽい雰囲気作ったと思ったんすか!?」

「行!?」

「こうドキドキとかソワソワとか、勘違いかもしれないけどもしかしたらコイツ俺のこと……的な初々しいリアクションあるだルルッスォォ!?」

「ルルッスォって何だよ(哲学)」


 ルーキは頭を掻きながら一呼吸入れ、


「一昨日あたりからサクラが何かソワソワしてたからさ、何となく、そうなんじゃないかって気がしてたんだよ。だから、別に他のことは頭に浮かばなかった」

「えっ」


 猛犬のように吠えていたサクラがピタリと停止する。


「おまえが露骨にそういうことするの珍しいから、すぐに前のこと思い出してさ。前回の試走もそうだったろ?」

「だっ、誰が一昨日からドキドキワクワクアビラウンケンソワソワしてたっすかこのガバ兄さん!」

「そんな呪法みたいなのはわかんなかったけど!?」


 言い返したルーキに対し、サクラはまだ上から目線で立ち回りたいかのごとく、焦った顔に無理やり薄笑いを塗り重ねてくる。


「はあーっ、そ、そんなにサクラの顔ばっかチラチラ見てたんすねえ。そうでなきゃこっちの様子なんてわかるはずもないっすもんねえ。そうっすかあー、毎秒三百回くらいチラチラ見ちゃったっすかあー」

「いや、そんな超人的な動きしなくても気づくよ……。三日前に前髪二ミリ切ったこととか」

「…………。……は?」

「え? 切ったよな? あれ、四日前だったっけ?」

「はああああああああああああ!?」


 ガガシシッ! とサクラが掴みかかってきた。


「なっ……な、な、何で、気づ……き、気づい……うぅ……!!」

「何で気づいたのかって? そりゃ、俺も走者だからな。RTA心得一つ。判断力を磨くには日ごろの洞察が大事、ってな。ちゃんと成長してるんだよなー、俺もな――」

「何で気づいたのに何も言わないんすかああああああ!?」

「ええええっ、そっち!?」

「当たり前だよなぁ! そうだよ!(自分便乗)」

「ええと……何でだったかな……」


 魔獣の眼差しで詰め寄ってくるサクラに気おされつつ、ルーキは記憶をたどる。


「言っとくっすけど、話題にするまでもなかったって言い逃れはできないっすからね! 兄さんとサクラ、直前に食べたソバのネギの量とか、屋台の車輪についてたよく知らん葉っぱとか、クッソ激烈にどうでもいい話まで毎日してるんすからね!?」

「わ、わかってるよ。えーと、えーと、俺もその時は言おうとしたんだよ。言おうとして……あ、そうだ! 急に次に使うチャートの変更点を思いついて、そっちの話を始めちまったんだった」

「はあああああつっっっっっっかえ!!!! ガバ勢のオリチャーほんまつっかえ!! 何でいつも最悪のタイミングで出てくるんすかねえ! 親の教えっすかねえ! 道理でねえ! そんなクソどうでもいい話より、サクラちゃんが前髪二ミリ切ったことの方が断然話題にすべきことっしょうがよおおお!!!」

「そ、そうかな……!? 確かにすぐにチャートのダメ出しされたけど! あっ、そうだ。あの、その、サクラはそのくらいの長さの髪が一番似合ってるよな」

「…………!」


 瞬間、サクラはピタリと停止し、いきなりその場にしゃがみ込んで膝に顔を埋めた。

 やがてプルプル震えだす。よく見ると、セミロングの髪からのぞく耳が赤い。


「サクラ?」

「サクラちゃんチョッロ! チョロすぎなんだけどマジで! こんな唐突な話題転換でこれとか笑っちゃうんすよねえ!」

「サクラしゃん!?」


 数秒後、何とか立ち上がる回復したサクラは、何やら不気味なまでにニヤニヤして、ルーキの後ろに回り込んできた。


「もー、兄さんはしょうがない人っすねえ。ほんとに、ほんとにしょうがない人っすねえ~」

「何だかわかんねえけど、人差し指で人の背中を延々ほじくり続けるのはやめてくれませんかね……」


 人体に“の”の字を書き続けるサクラに無駄な抵抗を示しつつ、ルーキは改めて歩き出す。


「で、結局、試走は行くんだろ? 例のテストとしてさ」

「そっすねー。しょうがないから行ってやるっすかねぇー」


 サクラからの確証を受けたルーキは、夕食目当てで屋台通りを行きかう走者たちへと目線を投じた。


「なぁに探してるんすかねえ?」

「いや、何となくな……」

「あーっ、ひょっとして、いつもならこういうタイミングでいいんちょさんがひょっこり現れるからそれを期待してるっすか? 残念でした。いいんちょさんは今、ガチ勢の試走に参加しててルタにはいないっすよ~」


 なぜか勝ち誇ったように言うサクラに対し、ルーキは率直に、


「そうか。ならよかった。今回はサクラと二人だけで行きたかったからな」

「は……、えっ…………?」


 両目を大きく見開き、再び足を止めるサクラ。夕日が当たったせいか頬がぼっと色づいたように見えた。


「なっ……なな、な、何で……すか? 夢すか!? 夢兄さんすかまた!?」

「夢ってどういうこと? って、痛いッシュ!? 夢かどうかで俺の頬つねるのは何か違くね!?」

「サクラ全然痛くない!」

「心くらい痛めてくれよ……(震え)」


 サクラの手から逃れたルーキは頬をさすりつつ釈明した。


「ほら、やっぱ委員長がいたら頼りにしちまうからな。サクラが俺といるのは、走者――っつうかボウケンソウシャーとして使えるかどうか見極めるためだし、委員長は何が起きてもだいたい何とかしてくれちまうから、俺の力量とかよくわかんないだろ? だからこういうテストの時くらいはな」


「はん、なーんだ、そういうことっすか。はいはい、わかってたわかっ……」


「サクラもさっき言ってたけど、地味に付き合い長いからな。俺とおまえは。何だかんだでRTAは一番多く組んでやってるし、それ以外でもまあほぼ一緒にいて、たまにいないと何か寂しい気がするくらいだ。そういう一番身近にいる相手ってのは、よくわかってくれてる反面、言いにくいことがあったりもするからな。ちゃんと評価してもらえるってのは、大事なことだし、ありがたいことなんだと思うよ。マジにな。そんで、サクラに認めてもらえたら俺も嬉しい。間違いなくRTAの先輩だし、腕前に関しちゃ尊敬してるからよ」

「…………っ! ……く、くそっ、こんなんで! くそう! くそう! サクラちゃんくそう!」


 そう叫んでサクラはまた往来のど真ん中で丸まってしまった。


 ルーキが慌てて彼女を立ち上がらせようとする脇を、「何やってんだあいつら……」「まーだ時間かかりそうですかねえ」「相変わらずなのね(煽り)」などという言葉が、忙しない人々の足と共に素通りしていく。


 ※


 ユグドラシルダンジョン。

 ここを訪れるのは二回目となる。


 天を衝くゥ超巨大樹の根の中に存在する、もう一つの生態系にして、開拓地屈指の高難易度ダンジョン。それが、ルーキとサクラが目指した場所だった。


『着くゥ~!』


 駅から出る最初の一歩に声を重ね合わせた二人は、同じ列車から吐き出された人々の流れに乗るように、隣にできていた臨時の市場へと向かう。


「さあ、まずはここの物資調達っす! ユグドラシル産のアイテムは、基本ここで揃えるのが鉄則っすからね。もうテストは始まってるっすよ兄さん!」

「イクゾー!」


(カーン:幻聴)


 ユグドラシル産の素材で作られたアイテムは、当然の権利のように、この土地でこそもっとも効果を発揮する。

 毒や麻痺といった自然毒は、同じ土地にこそ対抗するための動植物が存在するものだし、武具に関しても現地でもっとも扱いやすように加工されていた。でなければ商売にならない。


「糸持った!? 持ってないヤツは死ぬよ! みんな死ぬ!」

「百中ゴーグルあるよ! 間違って売らないように目印のガバテープもセットで買おうね!」

「夜中腹減んないすかー? じゃけん食事してステ盛っておきましょうねー」


 以前来た時よりも賑やかな呼び込みの中、ルーキは軽い足取りで市場の道をゆく。

 前回は初見ということもあって、その未知の品揃えや謎の標語に圧倒されてしまった感があるが、今回はしっかりチャートを頭に叩き込んで目標の道具屋を一点に目指す。


 しかし。


「どうすか兄さんこのアクセサリー。これだけでぇ、何とサクラちゃんの可愛さが10もアップするんすよお? あとおまけで素早さも3上がるっす」


 とか、


「なんだぁこの二人用寝袋はぁー? 証拠物件として試用するからなー? さ、兄さん?」


 やら、


「昏睡効果のある〈野獣の罪薬〉が妙に安いっすねえ~。ホントに効果あるっすかねえ、兄さん試してみないっすか~」


 などと、ことあるごとにサクラが腕を引っ張ってきて、道具屋にはなかなかたどり着けなかった。

 ルーキはたまらず、


「サクラさん?」

「は、はいっす!?」


 ぴょこんと背筋を伸ばすサクラ。


「何か異様に浮かれまくってるように見えるが、大丈夫か? 久々のホームでテンション上がるのはわかるけど、ここはクッソ苛烈で有名なユグドラシルダンジョンだぞ? クールにいかないとまずいだろ」

「うっ……いや、その、浮かれてないっすよ? サクラが浮かれてたら大したもんっすよ。別に、今回の二泊三日の試走でどこに泊まろうとか、何食べようとか、何を話そうとか、夜何して過ごそうとか、そういうことは一切考えてないっす!」

「(語るに)落ちろ! 落ちたな……!」

「っっ! は、はんっ、そんなんじゃ甘いっすよ兄さん。こう見えてサクラは常に周囲に神経を尖らせているんす! ユグドラシルの市場には表に出ない商品もある以上、怪しい人も多いっすからね。さりげなくトラブルを避けて行動してたこととガバウォークの区別がつかないとは、兄さんもまだまだっすね」

「ほんとぉ?」


 ルーキが疑いの目を向け続けると、サクラは露骨に慌てふためきながら、


「ホントもホントっすよ! その証拠にホラ、今までそこのそいつみたいな――」

「ちんちん……」

「――やべーやつらに出会わずに済んだって出たあああああああああああ!!!??」


 ニンジャ少女が絶叫して指さす先には、甲冑ドレスの上に美しい金の髪を流し、端正な顔立ちを台無しにする濁った眼差しの姫騎士がぽつんと立っていた。


「ちんちん!」

「うわああ! プ、プリム姉貴!?」


 一切の躊躇なきガンダッシュから背中に飛びついてきた先輩走者、およびその重装備の重さにただただ驚き、ルーキはたたらを踏んだ。


「あれ、サクラとルーキじゃない。おひさ」


 さらに人ごみからもう一人、ライトブルーの長い髪をなびかせて、プリムとは違った意味で陰気なオーラを匂わせる人物も姿を現す。


「ぎゃあっ、マリーセトスまで! 何で二人がこんなところにいるんすか!」


 マリーセトス。サクラやプリムと同様に、ここユグドラシルダンジョンをホームとするガチ勢走者――ボウケンソウシャーだ。


 生物の死体や死霊を操る技に長けたネクロマンサーで、身に着けた丈長のローブには骨やら禍々しいアクセサリーが多数巻き付けてあり、プリムの病んだ目つきとは別種の陰気さを全力で醸し出している。


「ぎゃあとはご挨拶だなあサクラ。ボクらボウケンソウシャーだよ。こんなところにいるよ普通に。むしろサクラがいる方が珍しいじゃん。なに? 試走?」

「ぐぬぬ……そ、そうっすけどぉ……?」


 歯ぎしりするサクラの横で、ルーキは小さく会釈をし、


「お、お久しぶりですマリーセトス姉貴……」

「うん。久しぶり。〈ロングダリーナ〉以来だね。リズとかウェイブ一門の仲間から色々話は聞いてるよ。川蝉とも会ったんだって? あっ、そうだ。せっかくだし一緒に行こうよ。ちょうど前衛二人探してたんだ」

「ぬああやっぱりそうなったっす!」


 頭を抱えるサクラ。ルーキの背中には威勢よく「ちんちん!」と叫ぶプリムがいる。恐らくは大賛成という意味なのだろうが、人語を使ってほしかった。


「いやいや、そうは言ってもサクラたちにも事情があってっすねえ……」

「何で? 別にボクらと同じパーティでいいじゃん。腕前も知らない仲じゃないし」

「それはそうっすけどお……ちょっと兄さんからも言ってやってくださいっす」

「おう任せろ!」


 突然話を振られたルーキだが、臆することなくマリーセトスに今回の試走の事情を説明する。かくかくしかじか。まるまるうまうま。


 しかし――。


「回避盾二人で冒険するなんて限定的すぎて普通のRTAの参考になんないよ。それよりちゃんとしたメンバーでパーティ組んだ方が実戦に必要な要素見えてくるよ」

「えっ、これ何て反論すればいいんだ……?」

「つっかえ!!」


 変人からとは思えぬほどまっとうな意見を返され、ルーキは一瞬にしてわからせられてしまった。

 マリーセトスはへへへ……と陰気な笑みを浮かべ、


「今回リンガが一緒なんだ。こっちが三人、そっちが二人で、合わせて五人。ボウケンソウシャーのレギュラー人数じゃん。ね、一緒にいこうよサクラとルーキィ~」

「は……!? リ、リンガ!? リンガがいるっすか!?」


 サクラがその引きつった叫びを放ったのは突然のことだった。

 表情の強張り――というか変形のレベル――をただ事ではないと察したルーキが、「リンガって?」と恐る恐るたずねる。


 彼女の返事には一切の体温がなかった。


「ボウケンソウシャー、ガチ勢筆頭リンガ……。スタールッカーに一番近い女っす……!」


 その言葉は、凍傷のようにルーキの耳の奥底にこびりつき、食い込んだ。

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