第166話 ガバ勢とあんのじょう〈宇宙ノ京〉襲撃

 それからパーティはさらに避難経路を進み、チャートを確かめた。


 試走とは名ばかりの、安穏としたチャートの下見。しかし、今はそれぐらいでちょうどよかった。

 ここにあるものはルーキの日常からあまりにも乖離している。


 どこが壁でどこが扉なのかも、初見ではほぼわからない。そんな有様では、本格的な試走をしても、チャートの一割も達成できなかっただろう。


「ここにロッカーがあります」


 広い部屋の端で立ち止まり、ティーワイはそれを指し示した。

 確かにロッカーだ。ちゃんと理解できる形状でルーキは安心する。


「いざというときは、ここに隠れてベイリアンをやり過ごすことができるでしょう」

「そんなことで?」

「本当ですの?」


 ルーキとエルカが疑いの目を向けると、ティーワイは嘴の根本にある鼻の穴からフンスと息を吐いて言ってのけた。


「一度入ってみれば、ここが安寧の箱舟アークであることを実感できますよ。おや、お待ちください。ロッカーが三つしかありませんね。申し訳ありませんが、どなたかお二人でお入りください。狭いでしょうが、これも練習のうちということで」


 誰が二人組になるべきか。

 ルーキがパーティメンバーを見回すと、なぜか不可解な緊張感が彼女たちの間に漂っていた。


「しっ、しかたありませんわね。わたくしが救護対象として、ルーキと一緒に入って差し上げますわ。これはあくまで本番を想定してのことです。やむを得ない措置ですわ!」


 そっぽを向いたまま真っ先に名乗り出るエルカだったが、


「いえ、体格的に考えて、小柄なわたしがルーキ君と一緒に入るべきですね」


 委員長がすぐさま空間的な正当性を主張し、


「では、救護対象役であり、かつリズ様とほぼ同じ体格であるわたしが双方の条件を満たした最有力候補ということですね」


 ユメミクサは静かな声音で総合的な合理性を強調する。


 三人とも特段にらみ合うわけではないが、一瞬の火花のスパークの後、ルーキに「誰と入るの?」的な厳しい眼差しを向けてくる。

 そしてルーキの結論は。


「……いや、体格の話をするならこうじゃねーかな……」


 三十秒後。


「ルーキ君、マジレスですね……」

「はい……」


 二人組となった委員長とユメミクサの恨みがましい声が、隣のロッカーから聞こえてきた。


「悪いな二人とも。でも、他のメンバーで組むよりは、少しは余裕あるだろ?」

「えぇ……まあ。密着はしてますけどね」

「申し訳ありません。リズ様。窮屈な思いをさせて……」

「いえ……いいんです。しかし……微妙に体型まで変えているのは、さすがにプロですね……」

「はい? 何がでしょう?」

「いいえ。何でも」


 隙間を通じて二人の会話が何となく聞こえてくるが、ロッカーの壁自体は厚く、息さえひそめていればある程度は気づかれないのかもしれない。


「使わずに済むのが一番だが、覚えておくか……」


 委員長が用意したガチ勢謹製のチャートでも、ベイリアンの行動を完全に予測するのは不可能とされている。


 ベイリアンは人とはかけ離れた外見をしているとのことだが、攻撃に関する知性は極めて高く、標的に応じて戦法を変えまでするらしい。


 たとえば、こちらがヤツの物音に反応して隠れれば、次からは音を立てずに接近してくる。また、物を投げてベイリアンの注意をそらすと、次からは投擲地点を予想してこちらを追ってくるとか……。


 並のモンスターではない。


 逃げ切るには、こういう言い方は正しくはないが、相手のご機嫌次第ということだ。

 本番では是非デレを期待したい。もっとも、これまでの人生において、自分にデレてくる相手などいたためしはないが……。


「エルカお嬢さんはどうだ? 何か問題は?」


 ロッカーの中から呼びかけると、くぐもった彼女の声で返事があった。


「いいえ。一人でなら十分なスペースがありますわ。頑張ればどうにか下に座ることもできるかも……。できましたわ。これなら多少は、ここに引きこもることもできそうですの」

「そうか。ありがとな。参考になるよ」

「どっ、どういたしましてですわっ!」


 隣のロッカーが微震を始め、隙間からゴオオオオと光が溢れ出しているが、できればそれは本番ではやらないでほしかった。


「母なるロッカーの安心感は堪能できましたか? それでは次に進みましょう」


 ティーワイに促され、一行は再び歩き出す。


「この先は別区画と繋がっています。そこに簡易シェルターがありますので一旦休憩にしましょう。我々アンドロイドと違い、ヒト、特に走者でない方は体力に限りがありますからね。何なら、仮眠用のベッドを試してみてください。残念ながらまだ一つしか設置できていないですが、二人くらいならなんとか寝そべることができるでしょう」


 ティーワイがそう説明した途端、ガシィ! と女子組が彼の両腕を捕まえてずんずん歩き出した。

 二メートルはある彼の巨体が、捕獲されたグレイ族並に引っ張られていく。


「さあ行きましょう。すぐに行きましょう。案内してください優秀な星5ガイドさん」

「ちょ、ちょうど横になって体を休めたいと思っていたところですわ。け、けれど本走を考慮すれば、これは走者と一緒に横になる経験もしておかないと手落ちというものですの!」

「急ぐに越したことはないので……」

「お、おお……! みなさんやる気満々ですね。これはわたしも案内のし甲斐があるというものです。さあルーキも急いで!」

「わ、わかった」


 仲間のモチベーションに負けまいと、ルーキも小走りで後を追った。


 やがて、シンプルな内装の通路が終わり、再び賑やかな光であふれたスペースへとたどり着く。避難経路が、別の区画の通路と交わったようだ。

 ガラス張りの壁の奥には、奇妙な器具が多数置かれていた。


「ここはスポーツジムです。ほかにも運動場など、様々なリクリエーション施設が作られる予定ですぞ」

「へえ、休養しに来るのに運動もするんだな。あの何かよくわからん器具で運動するのか?」

「ええ、最新のトレーニングマシーンですよ」


 訓練学校では、砂を詰めた麻袋やら重たい模擬剣みたいな簡素なものしかなかったが、高度な文明になると器具も複雑になるらしい。


 もっとも、本走こそ最高のトレーニングと一門先輩に叩き込まれているルーキからすると、単純に肉体面だけを鍛えることにさほど強くは惹かれなかった。


「ここでもしっかり工事は行われているようですわね」


 エルカが働くアンドロイドたちを見回しながら言う。

 居住区に比べてシンプルなエリアなせいか、配置されているエンジニアたちの数は少ない。しかし、みな淀みなくてきぱきと動いて――。


(……えっ……?)


 先を急ぐことに執心の委員長たちの最後尾で、ルーキは奇妙なことに気づいた。

 一見、エンジニアたちは現場を移動しながらわっせわっせと懸命に作業しているようだが、


(何も……してない……?)


 彼らは持ち場を移動し、しゃがみ込んでは、またすぐに移動する、ただそれだけを繰り返しているように見えた。


(え、これは、どういう……)


 手を動かしている者を見れば、肝心の工具が握られておらず、やはり、ただただ虚空で何かを回すような仕草を続けるのみ。


「な、何かの見間違いか……?」


 それとも、こちらが理解できないだけで工事は行われているのか。

 戸惑いつつ、ティーワイに真相をたずねようとすると、


「ル、ルーキ、彼女たちの速度がガチっぽくなってきています! 早く追いついてください!」

「えっ! お、おう!」


 置いていかれては何のためにここに来たのかわからない。

 ルーキは慌ててガンダッシュになりつつある女子組を追いかけた。


 通路が再び避難経路の殺風景さに覆われてほどなくして、一行は簡易シェルターの前にたどり着いていた。


 開きっぱなしの扉から中の様子が一目でわかる。

 簡易ベッドに、おそらくは食料や医療品が備蓄されている棚。ロッカーには、火災やその他の災害に備えての装備も用意されているかもしれない。


「けど、思ったより狭いな」


 ルーキは率直な感想をつぶやいた。

 廊下から室内の様子が一発でわかったのも、その手狭さゆえだ。

 パーティメンバーも同調し、


「そ、そうですね。大人数の場合は入りきれません。ベッドも狭そうです。念のため、使い心地を確かめておきましょうか……」

「と、とりあえずルーキが横になってみてくださいまし。そ、それで、わ、わ、わたくしも隣に寝てみて、どれくらいのスペースが取れるか確かめてみましょう」

「さあルーキ、わたしはお嬢様の後でいいですので……」

「へ? いや、俺は別に疲れてないし……」


 ルーキが辞退しようとすると、女子組の背後から何やら黒いオーラが立ち上った。


「ルーキ君の体調がどうという問題ではなく、男性一人がどれくらいスペースを取るかの実験なんです。早く寝てください」

「あくしなさい」

「それともわたしがベッドまで手を引いてあげないと横になれませんか? ではどうぞこの手をお取りください」

「えぇ……」


 目に見えぬ圧に屈しそうになったルーキが、引きずり込まれるように一歩を踏み出した時、ティーワイが鳥頭を傾げるようにしながら、不思議そうにこぼした。


「しかし変ですね。この簡易シェルターは、緊急時以外では扉が閉まっているはずなのですが……」


 その直後だった。


 突然周囲が暗くなり、ビーッビーッという耳障りな音が鳴り響く。


『!!?』


 通路に埋め込まれていた赤い照明が点灯し、無機質だった白い壁を赤黒く染め上げる中、温度のない声が通路を駆け抜けていく。


《緊急事態発生。緊急事態発生。ベイエリアにて原因不明の爆発が発生。アンドロイド数体が巻き込まれ、電源の一部が破壊されました。現在詳細調査中……。指揮系統を持つ上位アンドロイドとヒトの皆様は、ただちに誘導員に従い、シェルターに避難してください。繰り返します……》


「なっ……なにいいいいッ!!?」


 ルーキは思わず悲鳴を上げていた。


「い、委員長、これは……!」

「ええ……!」


 リズはすぐさまうなずき返し、ティーワイへと鋭い視線を向ける。


「ティーワイ、これはベイリアンの襲来ですか?」

「お待ちください。ただいまマザーより緊急のアップデートが行われています。これをダウンロードすることで、現場にいたアンドロイドたちの視覚情報を手に入れることができます。……完了。現時点で敵性存在の有無は不明! 爆発に巻き込まれたアンドロイドたちも、迫りくる炎までしか目撃していません。しかし、皆様には地上への退避指示が出されました!」

「やることは本番と変わらないか……!」


 ルーキは歯噛みしながらつぶやいた。

 ティーワイがこちらに体を正対させ、生真面目な声を放つ。


「リズ、ルーキ、これはもう訓練ではありません。事実確認はまだですが、RTA本走だと思ってエルカさんとユメミクサさんを地上へと送り届けてください。わたしも全力でサポートいたします」

「もちろんです」

「助かるぜティーワイ!」


 ルーキとリズは互いを見合わせ、なすべきことを一瞬で確かめた。


「ル、ルーキ……」


 狼狽と困惑でふらつくような足取りのエルカが、ルーキの服の端をぎゅっと握ってくる。

 彼女の肩を支えるようしながら、ルーキは言い切った。


「任せとけよお嬢さん。必ず無事に家に帰してやる。そのための走者だ」


 エルカのこわばった顔に、ぱっと明るさが戻った。


「ルーキ、わたしは……?」


 横からぽつりと聞いてきた、夜風のようなメイド少女に苦笑しつつ、


「もちろん、ユメミクサもな。だが、いざって時は期待してるぜ」


 こうして運命からか、不幸にもあんのじょう〈宇宙ノ京〉のアクシデントに巻き込まれてしまったルーキたちの本走が始まったのだった。

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