第158話 ガバ勢と走者が勝ち得たもの

 目を開けると布テントの天井が見えた。


「あれクォクォア……?」

「ルーキ!」


 次に視界いっぱいに広がったのは、大きな両目を涙ぐませたロコだ。


「よかった、起きた!」


 そう言うなり彼はルーキの首に飛びついてきた。


「な、何だ何だ?」


 ルーキが混乱していると、「救護班」と書かれた腕章をつけた男性がひょっこり現れて告げる。


「ああ、起きたか。君はゴール直後に気を失って倒れたんだよ。極度の集中とその反動が原因だね」

「ゴール……集中……?」


 整理できない言葉が乱雑に飛び交う頭の中で、その単語がぴたりとハマる場所を探したルーキは、直後、ぎょっとしてロコごと上体を跳ね起こしていた。


「俺の順位は!? レースの結果はどうなったんだ!?」


「九位だったよ」とロコが目をこすりながら答え、ルーキに小さく息を吐かせる。


「結局、先頭集団には追いつけなかったのか。入賞は八位までだからそれもなし……。わざわざ一般部門に参加して、川蝉さんから技まで教えてもらったのに、大勢にみっともねえとこ見せただけかよ。だらしねえな……」


 するとロコと救護スタッフがきょとんとした顔になり、


「何言ってんのさ、ルーキ。ちょっと来て!」


 ロコは突然笑顔になってこちらの手を引いた。

 連れられるがままテントの外に出ると、夕日がまぶしかった。だいぶ長い時間、ぶっ倒れていたらしい。


 もう大会はとっくに終わり、設営のスタッフ以外は誰も残っていないだろう――。

 と。


《あっ、ルーキ選手が出てきました!》

「へ?」


 機材で増幅された声がやけに近くで聞こえ、ルーキはぽかんとした。

 その後すぐ、わああああっ! という人々の歓声が押し寄せてくる。


「!?」


 慌ててあたりを見回した。

 大会自体はとっくに終わり、仮設の観客席とコースセットの解体が始まっている。


 しかし、もはや何も見るべきものはないはずの会場に、いまだ多くの人々が残っていた。

 しかもすべての視線をこちらに向けて。


「な、何だ何だ?」

「わからないのルーキ?」


 混乱するルーキにロコは悪戯っぽく笑い、


「みんなルーキが起きるのを待ってたんだよ」

「あぁん? 何で!?(レ)」


 割れるような拍手が周囲から巻き起こる中、小柄な女性スタッフが声をかけてくる。


「ルーキ選手、もう具合は大丈夫なんですか?」

「え、ええ。大丈夫です……どうも……」


 ルーキが頭をかきながらなんとか応じると、


「表彰式がまだ終わっていないんです。どうぞこちらへ!」

「表彰式……? 何で?」


 入賞は八位まで。記念のトロフィーがもらえるのは上位三名となっている。

 なめてるやつで賞でも設立されたのだろうか。


 わけがわからないまま人だかりの方につれられていくと、そこには大会スタッフたちと話しているスーツ姿の中年男性の姿があった。

 彼はこちらに気づくと、腕を広げるようにしながら、笑顔で歩み寄ってくる。


「初めまして。大会責任者のゴードンです。もう具合の方はいいのかな?」

「はい。あ、俺はレイ一門のルーキです。あの、何で俺がここに呼ばれてるんでしょうか」


 するとゴードンはにっこり笑って言った。


「君は、お客さんの投票によって決まるベストパフォーマー賞に選ばれたんだよ。大会を一番盛り上げ、感動させてくれた選手に贈られる名誉ある賞だ」

「ファッ!? お、俺が!?」

「信じられないかい? ならば見たまえ。大会が終わってもこれだけの人が残っていることが何よりの証拠だよ。こんなことは大会史上初めてだ。みんな君の言葉を聞きたがっている」


 驚きで立ち尽くすルーキに、ロコの泣きそうな鼻声が聞こえてくる。


「すごいよルーキ。ホント……すごかったんだから……。最後の追い上げなんてみんな立ち上がって応援してくれて……グスッ」

「な、何でおまえが泣くんだよ」

「だってぇ……」


 目をごしごしこするロコをあやしていると、ゴードンがメダルを取り出すのが見えた。


「表彰台も撤去されてしまったので、こんな略式で申し訳ないが。受け取ってもらえるね?」

「は、はい! もちろん!」


 ルーキは首にメダルをかけてもらった。ワイヤーを伸ばして飛ぶ人物が象嵌されたメダルは、夕日の中で誇らしげに輝いていた。


「インタビューお願いできますか?」


 最初に声をかけてきた女性スタッフが、マイクを手に近寄ってくる。

 ルーキは快くそれを受けた。自分の走りを語りたがらない一門などいない。


「完走お疲れ様でした。今回が初めての大会参加で、しかもジュニア部門ではなく、いきなり一般部門の挑戦ということでしたが、いかがでしたか? 年齢のハンデなどは?」

「俺は走者なので、普段から年齢とか関係なくやってますから、そういうのは何も感じませんでした。でもやっぱりへんた――レベルが違う人たちがたくさんいて、すごく勉強になりました」


 集まった人々が自分の言葉の一つ一つに耳を傾けてくれているのがわかる。

 まるで勝者のように、心地よかった。


「愛用のツールは一般的なものではなく、個人製作とお聞きしましたが……」


「ええ、こいつが――」とロコの腕を引っ張りよせたルーキは「ちょ、ちょっとルーキ」という彼の弱々しい抗議を一切無視して、「この相棒のロコが作ってくれました。グラップルクローこいつには何度もRTAで命を救われてる。普通の売り物とは違いますけど、性能は折り紙付きです。今回も、俺をしっかりリードしてくれた。最高の相棒ですよ」


 おおー、という感嘆の声の中に、「あっ、ふーん」「正体表したね」「やっぱりほよじゃないか(歓喜)」など、何やら意味不明なノイズも混じってくるが、インタビューは気にせず続く。


「ラストスパートはものすごかったですね。それだけにラスト直前のアクシデントが悔やまれます」


 インタビュアーの言葉に、ゴードンたち運営側の人々が申し訳なさそうな顔をするのが見えたが、ルーキは気にせずに、


「いや、あんなもんはアクシデントのうちに入んないです。仮にそうだったとしても、ガバ数保存の法則(一度のRTAにおけるガバの数はあらかじめ決まっているという怪論)から考えると、リカバリーできるタイミングでガバってくれたのはむしろラッキーでした」

「言葉の意味はわかりませんがとにかくすごい自信です!」


 その後も、まるで優勝したかのように多くの質問を投げかけられる。


「この入賞を誰に一番に伝えたいですか?」

「ところで可愛くて頼りになって優しくて柔らかい忍者少女と九十割同棲しているというのは本当ですか? 本当ですよね?」

「言いなさい(圧)」

「ファッ!?」


 そのたびに聴衆から笑いが起こっていたので、そういうノリだったのだろうと勝手に解釈する。

 そしていよいよ最後。


「では最後に、観客の皆様に一言お願いします」


 ルーキは目をきらりと光らせた。

 この時を待っていたのだ。


 ここには二百人は下らない聴衆が集まっている。

 完走した感想で店一軒埋める――それがルーキの目標。

 ここが《アリスが作ったブラウニー亭》だったら立錐の余地もなかっただろう。

 これはRTAではないが、大勢の注目を集めているという状況は目標に限りなく近い。


 緊張しながら小さく息を吸って、言った。


「それでは完走した感想ですが……。と、ここまで話が長くなって疲れていると思いますので……。皆様のためにぃ~こんな小話をご用意しま――」


「バカ、やめろ!」

「あんたねえ!(カッチャマ)」

「そんなことしなくていいから」

「閉廷、解散!」


 観客たちはものすごい速さで解散していった。


「あっ……ちょっ……待って……」


 ルーキが止めようとした時には、もう大会スタッフしか残っていなかった。

 残されたルーキは愕然としながら膝を地面につき、


「バカな……! 開幕上映会は誰もやってないから新しいと思っていたのに……! 俺の大舞台での完走した感想が……! かつてないほど大勢に聞いてもらえるチャンスがあ……!」

「それつらくて誰も得しないから思いついてもやらないだけだから。開幕時間が空いたらストーリーとかシステム周りの説明をして視聴者の理解度と没入度を上げておくのがベターってそれ一番言われてるから」


 訳知り顔のスタッフの一人がぼそりと言ったのを聞き、ルーキはがっくりとうなだれた。


 すべてはチャンス! → 救いはないね。


 と、そこへ。


「ふうっ、ようやく人がはけたか」


 スーツに身を包んだ男が現れる。

 年齢は三十台。黒髪をオールバックにまとめ、特段荒事に向いた体つきとも思えないが、妙にスキのない佇まいが印象的だった。


「君がルーキ君だね? 私はこういう者だ」と言って彼が差し出してきた名刺には、


「クロツ・ハーベステ……バイオニ社エージェント……!?」

「レースを見させてもらった。素晴らしい走りだったよ。その年であそこまでのパフォーマンスを発揮できるのは、この街でも稀有な存在だ」

「えっ? へ、へへへ……それはどうも」


 ルーキが思わずへらへら笑うと、クロツもまた細い目と細い唇をニコリと笑わせ、


「どうだろう。君さえよければ、是非我々に君のサポートをやらせてくれないか」

「えっ!? それってつまり……」

「ああ。ジュニアチャンピオンのミハエル君もそうだが、我が社の公式選手になってほしい。レースはもちろん、本業のRTAの方でも最大限バックアップさせてもらうよ」

「…………!!」


 公式スポンサーは実力の証。

 誰かに飼われている、なんて揶揄するのは三流か何も知らない部外者のすることで、優れた走者には大抵パトロンがついており、それを誇りにしている。


 一流走者への第一歩にして、その証明書が目の前にあった。

 返事一つで、誰もが願ってやまないチャンスを一つものにできる。簡単に。

 ついに。ここまで来たのだ。


 そしてルーキは――。


「残念だけど、お断りします」


 名刺を丁寧にクロツに返した。


 その場にいた多くの人々が仰天する空気があった。

 クロツは笑顔を変えないまま、名刺を返そうとする手を押しとどめるような仕草を見せ、


「理由を聞かせてもらえるかな? 我々がつけば、ワイヤーワークのツールから日用品まですべて援助できる。日々の生活を気にすることなく、RTAに集中できるだろう」

「俺にはこいつがいるんで」


 ルーキは振り返り、唖然としているロコの肩に手をのせた。


「すでに最高の相棒で、技師であるこいつがいれば、他に用意してほしいもんなんかないです」

「ルッ……ルーキ……!?」


 慌てふためくロコの声に、クロツの静かな声がかぶさる。


「我々の技術力なら、彼の作品を超えるものを君に提供できる。使えるものは何でも使い、そうでないものはすべて削って上を目指すのが走者だろう? 違うかい?」


 声音とは裏腹に挑戦的な言葉を受け、ようやく腹を割ってくれたかと、ルーキはニヤリと笑った。そう。この提案の先にはロコがいないのだ。


「だったらなおさらこいつを選ぶよ。ロコは誰より俺と俺の走りを理解してくれてる。そっちの会社に、俺の手を触っただけで今の状態とか癖を見抜ける職人がいるか? そしてすぐさま、それをグラップルクローに反映させてくれる職人が? 世界一のパートナーがここにいるのに、わざわざ他に乗り換える必要なんてないぜ」


 正面からのにらみ合いに火花はなく、むしろそよ風のように静かだった。そして次に見せたクロツの反応もまた、穏やかで嬉しそうなものになった。


「うん。君ならそう言ってくれると思っていた」

「へ?」


 小さく渦巻いていた緊張を完全に解き、クロツは言った。


「すまない。無礼な物言いをして。そこの君――ロコ君でいいのかな? 君を下に見るような発言も許してほしい。一応、こうするのが私の仕事だったのでね」

「は、はあ……」


 ロコも目をぱちくりさせる。


「実を言うと、私はロコ君も一緒にスカウトしたかったんだがね、一緒に大会を見に来ていたうちの職人たちが、猛反対してね……」

「そ、それは、僕が全然ダメだから……」


 自虐しかけたロコをルーキが「んなことねえよ」と否定するよりも早く、クロツはこう続けた。


「あんな素晴らしい好敵手を味方にするなんてとんでもない。さっさと次の勝負をさせろ、ってね」


「えっ……」

「実のところ、我が社のワイヤーアーム開発は停滞しがちなんだ。こういうのはライバルがいないとダメらしい。そして職人たちは、身内同士の競争より、外部との競り合いの方が燃える。彼らが君を引き抜きたがらないのは、そういうことなんだ」

「そ、それってつまり……」

「おまえが一流企業の技術者に匹敵するってことだよ!」


 ルーキはロコを軽く小突いた。


「ル、ルーキ……。でっ、でも僕なんて……。今回のレースだってルーキがすごかっただけで……」

「おいおいナメんなよ。グラップルクローこいつを信頼してるから俺だってああいうことができるんだぜ。もちろん、お前のこともな。相棒!」

「……ッ! ルーキ……ルーキィィィ、ふぇぇぇん」

「な、何で泣くんだよ!」


 感極まって抱き着いてくるロコを受け止めてやりつつ、ルーキは周囲から「ああ^~」とか「やっぱりな」とか「は?(威圧)」と聞いた上に、見覚えのあるマイクまで背中に飛んでくるのを味わった。


「私はこれで失礼するが、君たち二人のことは忘れない。技術分野ではさっきのことがあるから協力できないが、資材や資金面での援助が必要な時は気楽に声をかけてくれ。うちの頑固屋たちにハッパをかけてくれた時点で、我が社は君たちに大きな借りができている」


 クロツはそう言って、静かで、そして自信に満ちた足取りでその場を去っていった。

 腕力も舌鋒鋭い討論術もいらない。ただ地道に、着実に仕事をこなすことで熟成された強い背中が、そこにあるような気がした。


 ゴードンは挨拶をしてテントに戻っていき、スタッフたちも撤収作業を再開する。

 ルーキの胸にはメダルが残され、そして隣には、さっきからずっと服の端を掴んでいるロコの姿があった。


「終わったな」


 ルーキがつぶやくと、


「どうだった?」


 という少し不安げなロコの声が応える。


「最高だったさ。来てよかった。ロコはどうだった?」

「僕も……最高だった。すごく、よかった……」

「ありがとな」

「こちらこそ」

「じゃあ、帰ってどこかで打ち上げでもするか!」

「うんっ、完走した感想もしよっ! もちろん僕たち“二人だけ”でね!」

「オォン!? アォン……。どうせ俺は大勢の客を逃がしたピネガキ野郎だよ……」

「そ、そんなつもりで言ったんじゃ……! もーっ、ごめんって。復活してよぉルーキ!」


 こうして、ルーキとロコのワイヤーワーク大会は終わった。

 

 ※


「はぁ……? 何だよこれは……」


 時はわずかにさかのぼり、一般部門レース終了直後。

 最近では稀に見る大盛り上がりを見せた一般部門の結果をみて、一人イラついた空気を吐く人物がいた。


「ミハエル様……」

「こ、これは何かの間違いよ」

「そうですわ。あのルーキって人は何かズルをしたに決まってますわ」


 取り巻きの少女たちはあの新参者を非難したが、


「マジですげー新人が現れたな」

「入賞は逃したけど、タイム差は一秒もないんだぜ」

「ジュニアに参加してたら環境変わってたよ」


 という一般通過観客の率直な声が聞こえてきては、心中穏やかではいられなかった。


「で、でもミハエル様。強力なライバル登場と思えば、今後の目標も……」

「そ、そうね。実際に戦って負けたわけじゃないし」

「おガッツですわぜ、ミハエル様!」

「うるさい! どっか行け!」

『ヒエッ……』

「何であんな庶民ごときがぼくの立場を脅かすんだ。こんなの許されるわけない……。そうだ、何か不正を働いたことにして訴えてやる。たとえ証拠がなくても評判が落ちればそれでいい……」


 そんな彼の耳に、周囲からこんな話が入ってくる。


「あの人ガバ勢なんだろ? 完走した感想ってやってんのかな」

「今度聞きに行ってみようかしら。どこでやってるか調べてみるわ」


 ミハエルは小並感の悪事を思いついた。


「そうだ。この話を再走裁判所に持っていってやれ。ぼくはアトランディア家のエルカお嬢さんとも一回会ったことがあるんだ。声をかければ話は聞いてくれるはず。そうだ、あとスパダ家も。そこのカミュ坊ちゃんともパーティで一回くらい会ってる。あそこは流通業を担ってるから、あいつを日干しにできるかも……ククク、庶民ごときがぼくより目立とうとするからこうなるんだ。おまえらは僕に踏まれる雑草のままでいいんだよ……!」


 彼は早速その日のうちに行動に移った。

 そして次の日からおおよそ一か月、部屋に閉じこもったきり出てこなくなったという。

 何かとても怖い目にあったみたいだった。


 彼は確かに、非常に浅はかで愚かな行為をした。


 しかし。


 近所にある元勇者の家系と名高いティーゲルセイバーさんちに告げ口するのは、何となく怖いという理由でスルーした点に関しては、評価してやるべきではなかろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る