第157話 ガバ勢と大会決勝戦
「もおーっ、い、いきなりあんなこと言うなんて恥ずかしかったよ! はいこれお弁当! たくさん食べてねっ!」
真っ赤になって怒っているのかと思いきや、表情も声も緩み切ったロコとベンチで昼食を済ませ、ルーキは午後の部への英気を養った。
ロコがグラップルクローを改良してこちらの成長の先回りをしていたことについて、話はしていない。
何となくそうした方が、通じ合っている気がしたからだ。
予選はタイムを出した時点と同じく、六位で通過していた。
ただ、実況席からの情報によると、ジュニアチャンプのミカエルも予選通過時は五位だったという。
その彼の最終的な順位は十一位。やはり決勝は世界が違うのだ。
「じゃあ、気をつけて。ケガしないで帰ってきてね」
「おう。俺とお前の作ったツールの本気、見とけよ見とけよー!」
そしていよいよ決勝戦が始まる。
スタート地点には、川蝉はもちろん〈悪夢狩り〉本家のリヒテル・バーモントやハイパー・ジョーの姿。
その他にも、壁のむこうの巨人と戦ってそうな格好の人物や、キノコ狩りにむせび泣くダーマっぽい男といった選手が集結していた。
熱狂する客席とは裏腹に、決戦前の冷たく静かな空気に包まれるスタート台の上。一人の選手が
全力で挑め――その無言のメッセージに会釈で応えつつ、ルーキはその場に収まった。
《いよいよ決勝戦の始まりです! ご覧ください、かつてない精鋭ぞろいのスタート地点となっております》
《いやー、今回はレベル高いですよ》
《各選手、大会ごとに自分の持ち味を発揮できるようになってきています。その集大成が今ここに!》
《見てる方としてはたまりませんよね》
ジョン・Kとキタゾウのトークが会場の熱気を盛り上げていく。
ルーキはチラリと客席を見て、ぞいの構えでこちらを見守る相棒の姿を瞬時に発見した。これは幸先がいいと勝手に決めつけて、前を見据える。
ここですべてを出し切る。
そして、出し切った場所に新しいものを迎え入れるのだ。
デッ、デッ、デッ、カーン!
スタートの合図が鳴り響いた。
《ショーターイ!》
《うわぁ……》
キタゾウが仰天するほどの見事な一斉スタート。
まずはシンプルな振り子のゾーン。次々に選手たちがワイヤーを投じていく。
「こん中でもリーチは負けてねえ!」
ルーキは集団の中でも早い段階でアンカーを射出していた。
ワイヤーの長さと狙いの正確さの勝負。食いつかせる突起の数は十分にあるので、順番待ちを恐れる必要はないが、ワイヤーワークは一番の加速どころさん。なるべく早くに使うことがタイム短縮の秘訣だ。
振り子の動きを得意とする選手たちに対し、射出と回収の速度で勝るグラップルクロー系列の選手がここで一歩リード。だが、この差は呼吸一つのミスで覆るほどわずかだ。
続いて川ポチャ即失格のゾーン。
全員が速やかに通過。
一瞬、川の底から青いオーラめいた何かが匂い立ったという話も後に出たが、誰かがそれに捕まることはなかった。
コースは上方向へと延びていく。
予選では使わなかった、特に技術力が問われるセットだ。
《ここからレースが難しくなります》
《スピードよりテクニックが求められますね。こういったところで差がつきますよね》
垂直の壁が選手たちの前に立ちはだかる。
ルーキは素早く距離を目算した。
アンカー射出一回では登り切れない高さ。
しかし、実はここ、壁の途中に横穴があり、そこでコースが二つに分岐している。
練習をしていたルーキはもちろんそのことを知っている。
難しいが早いルートと、易しいが遅いルート。
自分の技量に合った方を選ぶのが正解。
RTAの心得一つ。自分の実力に見合うチャートこそ最速。
達成できないチャートなど、夢の中の新記録と同じ。
だから、
「俺はもちろん難しい方でいく!」
そのための川蝉との練習。そして、そのための新グラップルクロー!
《おっと! ジュニア世代のルーキ選手、最初のルート選択では難しい方を選んだ!》
《やる気がみなぎってますよね。頑張ってほしいなぁ》
ルーキが垂直の壁を登り切ったところで、不意に、背後から声がかけられた。
「ああ、君もこっちに来たんだ?」
競技中にもかかわらずマイペースで静かな声。川蝉だった。
コース環境の関係で、彼女はルーキより後方にいたらしい。
「ちょっと一緒に走ろうか」
「望むところ!」
ルーキは川蝉にぴたりと並んだ。
《おーっとこれは! ルーキ選手と川蝉選手の競り合い!》
《バチバチですよね》
《いや、しかしこれは……! まさかの互角! ルーキ選手、食らいついていってます! 二人同時に振り子の動き! 川蝉選手、まるで楽しんでいるかのようなワイヤーワークです!》
《ぼくも川蝉選手と楽しく遊びたいですよ》
客席が盛り上がる中、「わかる」「ワイも」「巨乳ボーイッシュいいよね」といった声がキタゾウに寄せられる。
《いや驚きました。ルーキ選手、予選とは動きが違います!》
《温存してたんですかね? 大胆だなぁ。でも嫌いじゃないですよ》
《おっと、ここで調査スタッフのヨシノさんから新情報が届きました。なんとお昼休み中に川蝉選手とルーキ選手が一緒に練習していたとのこと!》
《僕も個人レッスン受けたいですよね》
《キタゾウさん、仕事を》
《はい、ごめんなさい》
キタゾウは素直に仕事に戻った。
《しかし、短い時間練習しただけであんな動きができるようになるんでしょうか?》
ジョン・kが問いかける。
《若い選手はきっかけさえあれば爆発的に伸びますからね。何か掴んだんじゃないかな》
《こーれーが若手の怖いところ! キタゾウさん、若さって何ですか?》
《振り向かないことですね》
《おや、ここでヨシノさんとは別の放送スタッフから新情報です。なーんとルーキ選手、お昼休みに大胆な愛の告白をしていたようです。お相手は、一緒に会場にやってきた相棒! ア・モーレ!》
《お熱いですよね。いいと思いますよ。そういうことでも選手のモチベーションは上がりますから》
《えー、ここでヨシノさんから訂正です。なになに……ルーキ選手と忍者少女の半同棲は、半ではなく八割同棲の間違いだったそうです》
《それいるんですかね?》
《んー、とにかく試合に戻りましょう!》
実況が盛り上がったり下がったりする中でも、ルーキは川蝉に必死に食らいついていた。
ぎりぎり。まるで糸の上を渡るかのような際どいラインで、どうにか離されずにいる。
だが、川蝉の動きにはまだまだ余裕がうかがえた。一瞬でも気を緩めれば、簡単に置き去りにされる。
やがて予選で使ったコースのラスト、小さなネズミ返しの地点に来た。
川蝉は楽にクリア。
「行くぜロコ!」
続くルーキは、アンカーが突起をキャッチすると同時に崖からジャンプ、ワイヤーを巻き取るスピードを利用して振り子運動を整え、大きな振り上がりを狙う。
グラップルクローに一切の異常なし。
まるで思い切りやれと後押しされている気持ちになって、ルーキはワイヤーを操った。
一発突破!
――おおおお……! 客席からどよめきが起こる。
王者川蝉と同じ技。盛り上がらないはずがない。
しかし、他の選手たちも負けてはいない。わずかに遅れたものの、おのおのの技術を駆使してネズミ返しを攻略。先頭の川蝉に追従する。
やがて、分岐ルートで違う道を進んだ集団が合流し、再び大きな塊となる。
《中盤を過ぎてまだ差がつきません! 初めての状況です!》
《本当にどうしちゃったんでしょうね。ルーキ選手が焚き付けたんじゃないかな》
《新人に負けてはいられない。ベテランの意地ですか?》
《あると思いますよ。こういうのたまりませんよね。もしかしたら川蝉選手に追い付く誰かが出てくるかもしれません》
レースも終盤に入り、さらに難所が続く。
さすがにペースが落ちる選手も現れたが、上位陣は不動。
そして、決着まであと一分もないその地点で、事件は起きた。
床にアンカーを撃ち込み加速。ミリ秒の差で構成された二位以下のトップ集団内でじわりと順位を上げたルーキは、次の障害に最大級の意識を集中する。
単純な垂直の壁登り。
ただし下には床が一切なく、一度でもしくじれば川ポチャまでまっしぐらのデンジャーゾーンだ。
だが今さら、こんなところでミスがあるような集中状態ではない。
最長距離からアンカーを射出。支点キャッチして、垂直の壁へと飛びかかる。
《この距離で行った!》
《最速ですよ。もう迷いとか全然ないですよね》
その時。
バキッ!
「!!!???」
突然、ワイヤーの支点となる突起が砕けた。
観客席の声がすべて悲鳴に変わる。
ルーキの体は奈落へと放り出された。
《ここでアクシデント――――ッッ!? セットの一部が破損してルーキ選手が落下ー!》
《ありえませんよこんなの!?》
《その血の
きりもみ状態となって、上も下もわからないまま回転する風景の中に一人いたルーキは、
(ガバだと……?)
わずかに聞き取れた実況の絶叫に、小さな反感を抱いていた。
まだらの色が混濁する風景の中を目が走り、風の流れが、匂いが、自分の体と世界を直結させる。
「こんなのがガバのうちに入るかよ! 誤差だよ誤差ああああああああああ!」
ワイヤーを回収し即座に再発射。壁に張り付くや否やそこを蹴って上に伸びあがる。
「一門仕込みのリカバーをなめるなああああッ!」
《な、なんとルーキ選手、ワイヤーを駆使してジグザクに穴の壁を蹴り上がってくる!》
《これゾーン入っちゃってますよ多分!》
「この先ミスなしならお釣りがくるんじゃああああああああああああ!」
《電光石火のリカバリー! 素晴らしい動き! そのままコースに復帰です! アクシデントにまったく動じていません!》
《ある意味究極のポジティブシンキングですよね。メンタル強いなぁ……》
《ルーキ選手さらに加速! 先頭集団との距離を詰めていきます!》
《今大会のベストパフォーマンスですよ! お客さんも大喜びですよね!》
客席からもルーキの名を呼ぶ声が沸き起こる。
「ルーキ選手がんばえー!」
「いけーっ、クソガバ親父の息子ーっ!」
先頭集団との距離、残り三メートル。
ルーキは真っ赤に明滅する視界の中で前だけを見据える。
「追いついてやる……! 俺とロコの……! 二人で……!」
残り二メートル。
すべての音が遠ざかり、やがて自分の呼吸だけが残る。
「見てろよロコ! おまえの作ったもんが最高だって、今証明して……!」
残り一メートル。
神経が燃える。手足の感覚が消え、自分という一塊の意思が駆けるのを感じる。
「俺たちが最速だって……!」
残り八十センチ。
視界が一点にすぼまっていく。必要なもの以外、すべて消えていく。
「俺たちが一番だって……」
残り三十センチ。
前の選手は見えない。ステージ。ルート。あるのはそれだけ。
その中を全力で駆け抜ける。二人で。駆け抜ける。
そのためにここまで来た。
俺たちが最高だと。俺たちがここにいると。
「世界に吠えてやるんだあああああああああ!」
残り三十センチ。
「うおおあああああああああああ!!!」
残り三十センチ。
残り三十センチ。
残り三十センチ……ッ!
そして――。
《ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!!!!》
《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!》
ヴォオ――――――――!!!!
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