第156話 ガバ勢と彼のあいぼう

「あわわわわ、ほ、本物だよルーキ」


 ロコが咄嗟に自分の陰に隠れるのを見て、ルーキは初めて彼が近くにいたことに気づいた。

 しかし、今目を向けるべき相手は他にいる。


 改めて、現れた相手を正面から見つめる。


 年齢は二十くらいか。

 ノースリーブのパーカーとホットパンツ。

 肩に担いだ釣り竿があっても、本格的な釣り人には思えないような軽装。


 顔はやや童顔だが中性的で、活動的な服装と雰囲気からボーイッシュな印象が強い。

 ただ、とても男性とは思えない部分が上半身にあった。

 どこがとは言わないが、とてもバズーカである。


 ロコもそれに気づいたのか、こそこそと言ってくる。


「どこ見てるのさルーキ。失礼すぎるよ」

「わ、わかってるよ」

「それとも、やっぱそういうのが好きなの? そうなんだ!?」

「何でロコが怒るんですか!?」


「それで……」と、川蝉は髪に手をやるようにして、こちらのひそひそ話を切る。


「わたしに何か話があるのかと思って声をかけたんだけど、違うなら別にいい……」


 そう言って踵を返しかけた彼女を、ルーキは慌てて「ま、待ってください!」と呼び止めた。


「俺、川蝉姉貴の技を見てて、何か真似できるコツみたいなものはないかと考えてたんです。特にあのネズミ返しを越えたところ! 俺はもっと、こいつの扱いが上手くなりたい……!」


 グラップルクローを掴みながら伝える。


「うーん……?」


 対して川蝉はクールかつマイペースに首を傾げた。


「わたしは普通にやってるだけだから……。コツも何も、見たままかな」


 特段、意地悪く言ったわけではない。もとより飾らない人だ。きっと返事も素直な気持ちだったのだろう。


 しかしルーキの内部では、別の声が反響していた。


 ――ちゃんと見てたのなら、何かわかるでしょ。


 見つけられないのなら、それが実力ということ。そしてその程度の実力では、彼女の技を盗めないということ。


 そんな勝手な解釈を腹にため込みつつ「……一つ、気づいたことが」とルーキは緊張した声を押し出していた。


「あなたのワイヤーワークの秘密は、ツールというより、あなたの側にある……と思いました」


 川蝉は肯定も否定もせず、静かな目でこちらを見ている。

 わずかに不安になりつつも、感じたことを率直に告げた。


「釣り糸に引っ張られる前と、最中と、後の体重移動。それがあの加速と、不規則な挙動を生み出してる。そして、それを受け止めるだけのバランスコントロール……」


 あのゴムみたいに伸び縮みする釣り糸どうなってんだよとか、竿折れないのかよとか色々思うことはあるが、それは本題とは異なる。

 ツールの効果はこちらとほぼ同じ。あの動きが“技”だと見切ることが大切なのだ。


 あの変た……超人的な挙動に目を奪われ、彼女の微細な予兆を見逃さずにいられたのが、今の自分の実力。


 こちらの回答に対する川蝉の反応は相変わらず物静かで、


「さっきも言ったけど、わたしは普通にやってるだけでコツとか自分ではよくわからないから……」


 少し斜め上を見るように一度視線を切ってから、言った。


「なんなら、一回わたしと走ってみる?」

「えっ……いいんですか?」

「いいよ。一回走るだけなら、別に時間かからないから」


 願ってもいないチャンスだった。

 絶対王者川蝉とのテストラン。RTAでいえば試走だ。


「だ、大丈夫なの? 無茶してケガとかしないでよルーキ」

「わかってる。だけど、ここは無茶してでも食らいついていきたいんだ」


 ハラハラした顔のロコが見守る中、ルーキは川蝉と並んでスタート地点に立った。


「わたしは適当にやるから、参考になりそうなら勝手にしてね」

「はい。ありがとうございます!」


 手取り足取り教えてもらおうなんて虫のいい話をするつもりはない。そうする義理も義務も彼女にはない。こっちは技を盗みに来たのだ。

 そしてもう一つ。張り切らずにはいられない理由がある。


「……気合入ってるんだね。もしかしてリベンジだったりする? 前にどこかのRTAで勝負したことあった?」

「いえ……川蝉姉貴とは今回が初めてです。ただ、前に〈悪夢狩り〉のオニガミ兄貴とこういう勝負……じゃないですけど、一緒に走ることがあって……」

「ふうん。……悔しかったんだ」


 ルーキは素直にうなずいた。


 誰が相手だろうと、負けてもしょうがないとは、完全には割り切れない。

 格上に勝ちたい。上に行きたい。そういう自分になりたい。


「大事だよね、そういう気持ちは。諦めたら、置いてきぼりにされるからね。思い描いた自分に」


 どこか感慨深そうに聞こえるのは、川蝉の静かな声音がそうさせるだけだろう。次に彼女が言った「じゃ、行こうか」の一言はやはり飾り気なく、そしてそのスタートも非常にリラックスしたものだった。


 ルーキも一瞬遅れて走りだす。


 川蝉が釣り竿を振ってルアーを突起に引っかける。竿を背後に引いた直後、反動で彼女の体が前にすっ飛ぶ。

 見れば見るほど謎の釣り糸だが、やはり結果として見ればグラップルクローも同じことができる。アンカーを射出し、同じ速度で川蝉を追う。


(なるほどな……)


 走りながらルーキはまず一つ気づいた。

 ツールによる加速に関しては、グラップルクローの方が優れている。つまり、彼女はツール使用外の時間を極めて有効に使っているのだ。


 直線通路に出る。ただし、上方向にオブジェクトが少ないため、ワイヤーワークがやりにくい。


(ここは普通のダッシュとグラップルクローの併用で……)


 しかし川蝉はルアーを地面に向けて投擲。そこでも反発力を利用して前へと飛び出す。


「なっ……!?」


 水きり石のように跳ねていく彼女の背中に、ルーキは閃きを感じた。


「今のは……!」


 川蝉の技を知る上で大きなヒントになる。


 彼女も釣り竿を使っていない時は一応減速していっているのだ。今のホップ・ステップ・ジャンプ・かーるいす、がいい見本。だが、結果としてこちらは大きく引き離されてしまった。

 その秘密は、


「何て柔らかいジャンプだ……!」


 ワイヤーワークの加速を極力殺さないため、着地はあくまで姿勢をコントロールするためだけのソフトランディング。

 柔らかいボールが地面を跳ねるように、最低限の減速しかしない。それがあの水切り石のような驚異的なスピードの秘密。


 ルーキも前方の地面に向けてグラップルクローを射出。すぐに前へと飛ぶ。

 スピードを得たらすぐにアンカー解除。タイミングが一瞬でも遅れれば、セルフで地面を引きずられることになる。


「くっ……!」


 しかし、やはり川蝉のように柔らかい連続ジャンプはできない。大きく減速しつつ、何とか彼女を追う。


 やがてたどり着いたのは、あのネズミ返しのポイントだ。

 川蝉は予選と同じ動きであっさりクリア。ルーキは思わず足を止めた。


「どう? できそう?」


 上にあるゴールの足場から、川蝉が下をのぞき込んでくる。

 理屈はわかっている。これまで見てきた加速力維持と振り子の動きを組み合わせ、一気に四分の三回転。そうして突き出た部分マントルを突破する。


 しかしルーキには技術面以外にも不安があった。


 このグラップルクローは、直線の動きが基本。

 真っ直ぐアンカーを飛ばし、真っ直ぐ飛ぶ。

 振り子の動きはあまりしたことがなく、そこに複雑な姿勢制御を加えれば、ワイヤーがねじれてしまう恐れがあった。


 ワイヤーの強度は信頼しているが、ねじれた場合、その硬さが凶器となってワイヤー自身を傷つけることになる。

 グラップルクローはルーキのRTAの文字通り命綱。たとえ酷使はしても、あえてダメージを与えるような行為をするわけにはいかない。


 しかし。


「やってみたら?」


 こちらの迷いを見透かしたかのように、川蝉は言ってきた。


「無理そうなら、そのツールがきっと教えてくれるよ。大事にしてるんでしょ」

「……!!」


 そうだ。大事にしている。それに、今だからこそまだ試せる。


(悪いな、相棒。無茶させてもらうぜ)


 ルーキは少し戻って勢いをつけながらクローを射出した。一度ではスピードが乗り切らない。ネズミ返しの下で振り子の形を作って勢いを加算させる。

 ワイヤーだけでなく、発射口の周辺にも負荷がかかるアクション。ここにダメージがあれば、動作不良の元にもなる。


 そしてグラップルクローの反応は――。


「…………ッッッ!?」


 ルーキは息を呑んだ。


 ない。


 ダメージは、ない。

 まったく、ない。

 盤石の手ごたえ。


 これまでグラップルクローに負担があれば、そのストレスを微細な反応で知ることができた。それが、今初めて起こしたアクションに対しては、まったくない。

 まるで、元からそういうふうに作られていたみたいに。


「おりゃあああっ!」


 ルーキは振り上がりを成功させた。

 待っていた川蝉は成功を喜ぶふうでもなく、しかし静かな微笑を見せて言う。


「君の相棒は、君がここに来るのをずっと待ってたみたいだね」

「……!」

「感謝しないとね」


 激しい振り子の動きや、ワイヤーのねじれはすでに対処済み。


 あの、相棒は。


 こちらが次に何を望むかをちゃんと理解して、こっそり先回りしていたのだ。

 もし自分が今のままで満足していたら、一生使わなかったかもしれないのに。

 気づいてやることすら、できなかったかもしれないのに。


 嬉しかった。こっちがまだまだ伸びると、信じてくれていたことが。


「あいつっ……あのやろー……!」


 ルーキは思わず足場から身を乗り出し、下を見た。

 スタート付近で心配そうにこちらを見上げているロコに大きく手を振り、あらん限りの声で告げる。


「ロコォー!! 相棒ォォォー! 愛してるぜええええええ!!」


「あひっ……!? な、なに言ってんのさこんなところで! ばかっ、ばかばかルーキ! もおっ、もおおおおっ!」


 真っ赤になってじたばた足踏みしているロコの周囲で、人々がざわめく。


「あっ、ふーん(察し)」

「愛棒ってそういう……」

「えっ、あれ女の子じゃないの?」

「あんな可愛い子が女の子のはずないだろ!」

「ちょっと待ってほしいっすね。大会スタッフの情報によるとあの人確か、可愛くてあったかくて甲斐甲斐しい忍者の女の子と半同棲してるんすよね? これはオシラス案件では?」


 何やら一帯が騒がしかったが、ルーキは二つの大きな収穫を得て、川蝉との試走を終えた。

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