第155話 ガバ勢とワイヤー逸般部門
ルーキと一緒に走ることになったのは二十歳そこそこの若い男だった。
「やあ、よろしくね」
彼は気さくに挨拶してきた。ルーキも「よろしく」と答礼する。
共にスタート地点に立つと敵のようにも思えるが、実際のところ彼に勝てば決勝に進めるというわけではない。
条件はタイムで上位十二人に入ること。本当の敵はまだ見えない十一人だ。
一緒に走る相手は、お互いの競争心を高めるための仲間に近い。憎しみやいがみ合いで真の力は発揮されない。それを教えてくれたのは、コンドジ魔王であるエイチだ。
ジョン・Kの実況が聞こえてくる。
《さあ注目の新人、ルーキ選手です。この街では知らぬ者のいないレイ一門からの刺客! どのようなレースを見せてくれるのでしょうか?》
《練習ではいい動きをしていましたよ。期待したいですね》
放送席からの声が会場の熱気を盛り立てる。
そうでなくともこれまでのベテラン勢の活躍で観客席はすっかりあったまっており、スタート台に立つルーキも、視聴者の視線を意識しないわけにはいかなかった。
「君はすごいな」
そんなスタートまでの張り詰めた猶予時間、対戦相手がそんな言葉を向けてくる。
「まだジュニアの年齢で一般の部に挑戦するなんて」
「俺、まだ何もしてませんよ。ただ申し込みしただけです」
ルーキが真意を問う返事をすると、響き渡る実況がその疑問に答えた。
《ジュニアとベテランには大きな差があると言われています。二年前に挑んだジュニアチャンプ、ミハエル選手の十一位がこれまでの最高記録》
《記録を塗り替えてほしいっていうのもありますけど、まずは全力を出し切ってほしいですね。ここは集中ですよ》
ツールを使ったレースでは、純粋な身体能力よりも習熟度が物を言う。年齢制限を取っ払った一般の部では技術も天井知らずで、若いほど無条件に不利というわけだ。
「ぼくもちょっと前まではジュニア部門で参加していたんだ。ミハエルといい勝負をしていた時期もあったんだけどね。最終的には才能に違いがありすぎた。その彼も一度挑んだきり、一般の部には来ていない。来年でジュニアは卒業のはずなんだけどね」
ジュニアで力をつけたかったか、それともあくまでチャンピオンでいたかったのか。今のルーキにはどうでもいいことだ。
「そのツールは君の手作り?」
話題をずらしてさらに続く。どうやら話好きらしい。
普通、スタート前は集中して意識を高めたいところだろうが、この程度のやりとり、走者にとっては日常茶飯事だ。特に弊害はない。
見てみると、彼が使っているのはミハエルのものと同型のワイヤーアームだった。
ルーキはグラップルクローを軽く持ち上げて示しながら答える。
「俺の相棒が作ってくれたやつです」
「そうか。個人製作のワイヤーアームは初めて見るよ。事故のないよう気をつけてね」
「はい。お互いに」
「ぼくは大丈夫さ。なんたってぼくのツールはバイオニ社の……ああ、いや、何でもないよ」
どこか配慮するような態度に若干カチンと来る。
まるで、こっちのツールが不安定な代物だと言われているようだった。
冗談じゃない。
「見とけよ……」
ただ、一つだけ認めてもいいことがある。
確かに、このグラップルクローは彼が着けているワイヤーアームとは質が違う。
そちらはスマートでスタイリッシュなアスリート用。対してこっちは、
純戦闘用だ。
デッ、デッ、デッ、カーン!
スタートの合図が鳴り響く。
二人同時にダッシュ。
ルーキはすぐにグラップルクローを構えた。
「えっ?」という対戦相手の声を耳の端で聞きながら、アンカーを射出。
最初の突起をキャッチし、前方に吹っ飛ぶ。
《早い! 外から狙ってきました!》
《あの距離からくるかぁ……。狙いも正確ですよ》
《そしてワイヤーを使ったジャンプ! 速度があります!》
《動きが安定してますね。いいツールですよ。選手の信頼感も伝わってきますよね》
飛距離と勢いを十分に稼いでからアンカーをカットし、安全な足場に着地する。
一般部門のコースではところどころにある川に落ちたら即失格。他にも、踏んだらタイムペナルティがある床が存在する。
しかし予選では難しい障害物はあまりなく、ジュニアコースとの差はそれほどない。存分にスピードを出せる。グラップルクローの得意分野だ。
《さあ次は中空を渡っていくゾーン。床に落ちてしまうとタイムにペナルティが課せられます》
《ワイヤーのキャッチと切り離しのタイミングが鍵ですね》
落下は一門の
しかし、ロコが仕上げてくれたツールの前ではそんな運命などフヨウラ!
「こんな綺麗な場所でミスるわけないだろいい加減にしろ!」
普段はキャッチできる保証なんか何もない場所で戦っている。
ルーキは突起を正確に捉えながらあっという間にそこを通過した。
もはや一緒に走っていた相手選手は、足音さえ聞こえない。
《ここも速い! キタゾウさん。あの若い選手、ベテランに見劣りしませんね》
《相当やってますよね。練習の時よりスピード上がってますよ。初参加なのに場慣れしてますよね》
《これが経験豊富なガバ勢新人の実力か!》
《これなら予選突破も夢じゃありません》
ダークホースの活躍に会場も沸き上がる。
しかし十二位の壁は厚い。話によると決勝進出のハードルは大会ごとに上がってきているらしい。実況に褒められたくらいで舞い上がってはいられない。
油断なく進み、ゴールまであと少しというところで関門があった。
垂直な壁を上っていくエリア。最上部には小さなネズミ返しもついている。
「壁はまだ何とかなるが……」
問題はネズミ返し。
他のベテラン選手たちも時間を使っていたところだ。
ここを手早く突破する技はルーキにもない。壁を登り切った地点からネズミ返しの先端をキャッチし、そこに張り付いて這い上がる。
半ば強引に、そして地道に登り切った。
そこでタイマーストップ!
《いいタイムが出ました! こーれはっ! 現在六位! 現在六位です!》
《これ決勝行けるんじゃないかな。素晴らしいレースでしたね》
ルーキはゴールから客席に手を振った。
大勢の客席が拍手する中、そこに交じって大いにはしゃぐロコの姿を見て、一つ安堵の息を吐く。
しかしある瞬間から、ルーキに向けられていた歓声が質を変えた。
見れば、スタート地点に誰かが立っている。
次のレースの参加者だろう。
ノースリーブのパーカーとホットパンツという涼しげな軽装。ショートカットのせいもあるが、若干幼い顔立ちや飾り気のない立ち姿もボーイッシュな印象を加速させている。
《出てきました! 絶対王者、いや絶対女王か! 川蝉選手です!》
《ヴォーーー!》
ヴォーーー!
(川蝉選手……ガチガチのガチ勢!)
その異様な歓声からも人気ぶりがうかがえた。
そしてルーキは完走の安堵を吹き飛ばされる、不可思議なレースを見せられることになった。
※
スタートと同時に川蝉が動き出す。
「手に持ってるのは……釣り竿か? まさかあれでどうこうするのか?」
ルーキが疑問に思うそばから、川蝉は釣り竿からアンカー……というかルアーをリリース。
「えええええっ!?」
思わず大声を出した。
セットの突起にルアーを引っかけ、ぐっと引いた途端、反動で川蝉の体が前に吹っ飛んだ。
その勢いのまま水切り石のように足場をぴょんぴょんと渡り切り、壁を登るところでは上部に引っかけた釣り糸を引っ張り、その反動で大ジャンプ。さらにその先で再度ルアーを引っかけ直し、もう一回大ジャンプ。
「なんだあの釣り糸の伸縮性!?」
最後は手を伸ばして足場の縁を掴み、五メートルはある高さをあっという間に登り切る。
「たった二回のワイヤーワークで……!」
同じ場所でこっちは四回の作業を費やしている。作業量、消費エネルギー、移動距離、すべて段違いだ。
そして問題のネズミ返しの地点。
垂直の壁をあっさり攻略した川蝉は、庇のように突き出した先端部分をルアーで取り、例の謎の速力を維持したまま前に飛び出した。
基本的な振り子の動きかと思いきや、その爆発的な加速によって彼女の体が“振り上がる”。
公園のブランコで勢いがつきすぎて、そのまま一周してしまうような動きだ。
「い、一発で突破しちまった……!」
そしてゴール。
彼女はスタートから今まで、ほとんど足を止めた瞬間がない。
コースの設計者だからコツを知ってるとか、自分がやりやすい風に作ったとか、そういうレベルではない。
ありとあらゆる場面で、彼女の動きはそれ以外の選手を超越していた。
しかし。
(こ、これだ……!!)
ルーキは彼女がコースを降り、予選そのものが終わっても、まだセットを見つめていた。
さっきの動きを脳内で何度もリピートさせる。あの異様な動きの秘密は、どこにあった……? どうすれば、あの域にまでたどり着ける?
自分がここに来た意味。それは、あの動きと出会うためだったと確信する。
どうにかしてものにしたい。その端っこだけでも。
食い入るようにセットを凝視するルーキは、ロコが心配げに様子を見に来ても気づかないほどだった。
そしてもう一人の接近も。
「わたしのこと、ゴールした後もずーっと見てたね。何か用?」
「え……ファッ!?」
ルーキが慌てて目線を水平に戻すと、そこには釣り竿を担いだ川蝉が立っていた。
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