第154話 ガバ勢とワイヤー一般部門

 一般部門のコースセットは、見物客目当ての出店が立ち並ぶエリアの先にあった。


「うわっ、大きい……」


 ジュニア部門の倍はあるコースセットに、ロコが思わず声を上げる。


「ああ。でも、それだけじゃない」


 ルーキは組み上げられた障害物を目で順繰りに追いながら言った。


「上にでかい。見てみろ、ゴールっぽい旗があんな高いところにある。のぼるアクションが必要になるんだ」


 ジュニアコースは若干の高低差はあれど、基本は真っ直ぐゴールに向かえる仕様だった。だが一般用コースは障害物競走というより、クライミングに近い。


「なるほどな、こりゃ確かに難しそうだ」


 完走には多くの技術が必要になる。

 今の自分をすべて吐き出すのにはうってつけの舞台だった。


 早く走ってみたいと感じるルーキの耳に、響き渡る声が届く。

 見れば、観客席の前に実況席が設置されている。声は放送用の器機で増幅されているようだ。


《今回で第六回目の開催となりましたバイオニ社主催、ワイヤーワーク大会。実況はいつものわたくしジョン・Kと、解説のキタゾウさんでお送りします》

《よろしくお願いいたします》


 いろんなところでいろんな実況をしてそうなプロの声だ。


《いやぁ、キタゾウさん。六回目も無事迎えることができましたね》

《そうですねぇ。最初のころは大変でしたもんね》

《ワイヤーワークしろと何度も言っているのに、壁にめり込んで抜け道を探そうとしたり、無理矢理空を泳ごうとしたり、ワイヤーを使った後グライダーでどこかに飛んで行ってしまう選手などが続出しましたからねぇ》

《何しに来たんでしょうね》

《今では全員出禁です》

《うわぁ》


 まだレース前なので、実況解説も雑談のノリなのだろうが、


「ちょっと何言ってるかわかんねえな……」

「ま、まあ、ルタにはいろんな人がいるから……」


 毎回参加している観客たちには今の会話内容で通じるのだろうか。


《そういう意味では、この大会はようやく今始まったのかもしれません》

《選手のレベルも回を追うごとに上がってますよ》

《今回は急遽、特別ゲストとして、コースの設計者であり、大会参加者でもある川蝉さんにおこしいただいております》

《どうも》

《呼んでおいて何なのですが、ウォーミングアップはよいのでしょうか?》

《わたしは走者だからね……。別にそういうのいらないかな》

《実にクールです。そしてお美しい》

《そう?》

《早速今回のコースについてお聞きしましょう。速度を求めようとすると非常に難しいと評判の川蝉さんのセッティングですが今回は?》

《そうだね……。スピードを出すには工夫がいるよう調整してるかな。って言っても、わたしがイヤだなって思うように作っただけだけどね。参加者には是非、自分に合ったスタイルでそれを乗り越えてほしいね》


 ルーキがセットを見た限り、ネズミ返しのようになっている個所が多くある。

 そこまで快速で来られたとしても足を止めざるを得ない。


 一方で速度をつけやすい場所もあり、求められるスキルがはっきりしていると感じた。やはり参加者だけあって、川蝉という人はよく“わかっている”らしい。


「ルーキ、そろそろ練習しないと」

「あっ、ああ。そうだな」


 ロコにつつかれてルーキは我に返った。

 ジュニアコースの方で少し時間を潰してしまったので、本番まで余裕がない。

 小走りにコースセットへと向かう。


「ロコは客席で見ててもいいんだぞ」

「ううん。僕も一緒にいるよ。何かトラブルがあったらすぐ対応したいし」

「そうか。ありがとよ」


 はにかむように笑ったロコから離れ、ルーキはスタート台に立った。


 予選スタート地点、という看板が出ており、どうやら予選と決勝でスタート位置が変わる仕組みらしい。当然ゴールへ向かうルートも変わるわけだが、すべてを熟知する時間は誰にもないだろう。その場その場での地力が試される。


 年上の選手たちに交じってルーキも走ってみた。


 セットには随所に突起が設けられており、グラップルクローのような器機だけでなく、単純なロープや投げ縄でも簡単に利用できるようになっている。

 訓練用として街のどこかに常設してほしいくらいのクオリティだ。


《さあ、練習の様子ですが……》


 実況のジョンの声が聞こえてくる。


《おや、若い選手がおります。使っているのは独自のワイヤーアームのようですが、本来ならまだジュニア部門の年齢でしょうか》

《出るコースを間違えたのかな? ジュニアのコースとは難易度が違いますからね。うっかり参加しちゃうと大変ですよ》


 キタゾウも不思議そうに言う。


《いや……多分違うよ》


 そこに川蝉のクール――というか、マイペースな声が入ってくる。


《彼は走者だね。普通にベテランと競り合うために来たんじゃないかな》

《あっと、運営から情報が届きました。ヨシノさんという優秀な調査スタッフがいます》

《早いなあ。ホント有能ですよね》

《おーっとこれは……あの若手選手はレイ一門の走者のようです。いわゆるガバ勢!》

《うーん、ガバ勢かぁ。この大会にはガチ勢も多くいますからツラいと思いますよ》


(そんなことまで調べられるのかよ。何者だよヨシノって……)


 二人の会話を聞いていたルーキは、何となく情報収集に長けた天井裏の誰かを想像して苦笑いした。


《そのガチガチのガチ、第一回からの絶対王者がここにいらっしゃる川蝉さんです。川蝉さん、いかがでしょうか彼の動きは?》


 練習を続けながら、ルーキの注意はそちらに引っ張られる。

 何を言われるか。


《別に悪くないかな。なんか勘違いされること多いけど、ガバ勢って時々信じられないような大ポカやらかすだけで技量的には普通に高いからね……。でないと頭領の呪いみたいなクズ運から生き残れないからかな。それから、これは冗談とか皮肉じゃなく、ガバ勢がガチ勢よりも優れてる分野ってあるから》

《おおっと、それは?》

《場数の多さ。走り込んだ回数のことじゃなくて、ルートのバリエーションって意味でね》


 ルーキは思わず足を止めて実況席の方を振り返った。


《ほとんど知られてない秘境とか、誰も走りたがらないような悪路の最高記録を見てみるといいよ。大抵ガバ勢が持ってるから。色んなところを走ってきた経験値は、どこの勢力より高いよ》


 わずかに驚き、そしてすぐに納得する。

 サグルマが以前言っていた通り。ガバ勢を見下すガチ勢はいない。

 その真摯なものの見方こそがガチ勢のすごさの秘訣なのかもしれない。


《その調査表ちょっと見せて……。うん、かなり走り込んでるね。〈ロングダリーナ〉も普通にゴールしてる。直近の〈ダークエレメント〉はリタイアしてるけど、一門はレギュレーショナーが特殊だから当然かな。……可愛い忍者の女の子と半同棲? これはちょっと関係ないね……。とりあえず、この資料が確かなら、あの年代では突出して多くの場数を踏んでると思うよ》

《んー! これはやってくれそうです!》

《最近ちょっと選手の順位が固定化されてきてますからね。かき回してほしいですね》


 ルーキは口元がむずむずした。


 確かにあちこちのルートを走ってはいるが、同世代の走者たちと比べてどうなのかは考えたことがない。何しろ委員長がそばにいるので、自分のことをすごいとは実感できないのだ。


 しかしよくよく考えれば、リズ・ティーゲルセイバーは、恐らく世代最強の走者の一人。そんな彼女についていっていれば、自然とトップの内に収まれるのかもしれない。


 それにしても可愛い忍者と半同棲って、調査ガバガバすぎるだろう。ヨシノさんとやらの調査も話半分で聞いておいた方がよさそうだった。


《ワイヤーワーク愛好家に走者出身の選手は多くいますが、やはり純粋なアスリートとは違いますか?》


 ジョンの雑談まがいの質問が続いている。


《走者にとってワイヤーワークは手段の一つにすぎないからね……。同時に他のこともこなさないといけない。そうやって動作を切り詰めていくことで、技の一つ一つが勝手に磨かれていくっていうのは、あるかな。修行用のレギュレーショナーと理屈は同じ》

《アスリートも日々、技術を磨いていると思いますが、どんな違いがあるんですかね?》


 と、キタゾウも興味深そうに問いかけた。


《突き付けられてる課題の量が違うかな……。レース場はちゃんと管理されてるけど、開拓地は何が起こるかわからないからね。特にガバ勢は》

《あっ……(察し)》


《ベストな状態ならアスリートの方が速いかな……。本業だからね。でも、何もかもが完璧な環境なんて存在しないから、選手は常に何かしらに対応していかないといけない》

《プロのアスリートは引き出しの多さが重要です。元アスリートのキタゾウさんも覚えがあるのでは?》

《そうですね。環境が違うと課題も変わってきますから、プレイの幅が広がるのはありますね》


《ほら、あのレイ一門の選手、ワイヤーワーク中に姿勢が全然崩れないでしょ。瞬時に別の行動に移れるよう自然とああなってる。だから次の動き出しも速い。それに、ツールも相当使い込んでるよ。あの子にとっては命綱だったんだろうね……》

《厳しいガバおやが育てた一門からの刺客! 本番が楽しみです!》


 客席からだけでなく、参加者からも好奇の目を向けられているのがわかる。ルーキはちょっと照れ臭くなりつつも、意識をコースに切り替えて走り出した。


 ※


 そしていよいよレーススタートの時間となる。

 まずは予選として二人一組でレースを行い、タイムの上位十二名が決勝に勝ち残る形式だ。

 決勝はその全員による一斉スタート。その混沌具合に観客も期待しているという。


《実況のジョン・Kです! 早速第一レースを見ていきましょう! おおっと!!? この選手は、キタゾウさん!?》

《来たかぁ……》


 選手の待機所にいるルーキは、スタート地点に立った人物を見て、目を剥いた。


《なんと〈悪夢狩り〉の一族! リヒテル・バーモントです!》

《彼は〈悪夢狩り〉の本家ですからねえ。これヘンタ――大変ですよ!》


 白いハチマキと青いジャケットが印象的な人物だった。まだ二十歳そこそこだろうが、〈悪夢狩り〉の関係者に外見がどうとか、人かどうかだとかは、もはや何の関係もない。

 悪夢を狩る者とはすなわち、悪夢以上の悪夢を人に見せる存在なのだ。


 観客席だけでなく、リヒテルと一緒に走る選手にも戦慄の夜が始まっている。


《さあ死合開始です!》


 うおおおお……!


 リヒテルが歩きだすと、会場からは悲鳴ともどよめきともつかない声が膨れ上がる。


「くっ……!」


 ルーキは思わず体を身じろぎさせた。


《あーっとこれは! 歩いています! 普通に歩く変態!》

《うわぁ……》


 リヒテルが鞭をコースの突起に引っかけて振り子の動きをする。


「うわっ……!」


 ルーキは思わずたたらを踏んだ。


《普通に使ってくる!》

《普通すぎて怖いですね……》


 リヒテルがジャンプする。


「なにっ!」


 ルーキは驚愕の声を上げた。


《普通に飛んで着地する変態!》

《これ動きが読めませんよ!》


 リヒテルがゴールする。


《ゴオオオオオル!》

《ヴォー!!!!!》


 IGAAAAAAAAAAAAA!


 会場からは息の合った多分何かの掛け声が上がった。


 終始普通に進んで普通にゴールしたリヒテルは、ルーキの前を通り過ぎる際にこんなことをぼやいていた。


「俺が何したってんだよ……」


 どうやら動きがおかしいのは分家や知人たちで、本家はいたって普通の走者らしい。


 ただ、彼が何かをするたびに、何かとてつもないことが起こるんじゃないかと期待してしまうのが偽らざる気持ちで、ルーキはこっそりと彼に詫びるしかなかった。


 ちなみに、リヒテルと一緒の走った選手は彼より早くゴールしたが、誰からも気にされることはなく、ひっそりとコースを降りていった。


《第一死合の興奮冷めやらぬ会場ですが、第二レースが始まります。おおっとこれは!?》

《これ来ましたよ!》


 スタート地点に立つのは軍人風の男だった。


《ハイパー・ジョーの異名を持つワイヤーワークの第一人者!》

《この人なしにはこの大会は語れませんからね》


 どうやらかなりの有名人らしい。


《会場が大いに沸いています。彼の友人のスペイサー氏は、バイオニ社の社長でもあります! 粗いドットが歴史を感じさせる!》

《今の若い人はどう思うんでしょうね》


 開始の合図が鳴り響いた。


《スタートする! 軽快に進んでいきます》

《やっぱり上手いなぁ》

《しかしハイパー・ジョー選手はジャンプができないレギュレーショナー! これが吉と出るか凶と出るか?》

《普通は凶ですよね》

《しかし異様に速い! 技の一つ一つに溜めがありません!》

《ドットのモーション少ないですからね。空中での姿勢も一切ブレませんよ》

《素晴らしいボディバランス!》

《そうとも言う》

《そしてゴオオオオオオオオル!! 勝利の後は体をねじって無線機に呼びかけるポーズ! 客席の皆さんも思わず真似してしまいます》

《みんなでやると楽しいですよね》


 こうして様々な選手が現れては観客を魅了していった。

 ワイヤーアームユーザーが多かったジュニア部門に比べてツールは多彩。しかもそれぞれが熟練の技を披露してくれるので、たとえタイム的に早くなくとも見どころさんが大勢いる。


「次のレースの参加する選手はスタート台へ」


 係員が呼びかける。

 ついにルーキの出番だ。

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