第153話 ガバ勢とロコとのデート(直球)
「ワイヤーワーク大会?」
「うん。そう。ルーキにどうかなって」
ここは竹林のRTA研究所。臨時雇いされているロコにあてがわれた私室兼作業場である。
今回はグラップルクローのメンテではなく、数日前になぜか爆発したロコの怒りの経過観察に来たのだが、彼はこちらの来訪を喜ぶと同時に、今の提案をしてきたのだった。
期待と若干の不安を織り交ぜたロコの真ん丸の目を見返し、ルーキは彼から手渡されたパンフレットに目を落とす。
ワイヤーワーク大会。
パンフレットの概要によると、ロープやワイヤー、鍵縄などの移動用ツールを使ったレースイベントのようだ。無論、ルーキが使っているグラップルクローもこの参加条件を満たしている。
「こんな大会、ルタでやってたのか?」
ルーキが驚いてたずねると、
「うん。僕も昨日、所長の助手のウサギ耳の人から教えてもらったんだけどね。それで、どう? 普段は会えないような人たちとも会えると思うんだけど……」
返事なんて一つに決まっていた。
「もちろん、やぁーってやるぜ!」
「よかったぁ! じゃ、じゃあ僕もついていくね! 途中でマシントラブルとかあったら大変だもんね! サポート役が一人いた方が便利だもんね!」
「おお、助かる助かるタスカルオール!」
さっきロコが若干不安そうだったのは、こちらが参加を拒否するとでも思ったからか。
(するわけないだろ! それに俺にはちゃんとわかってるぜ。おまえの魂胆が!)
当日の予定について、サポート役として持っていく二人分の弁当の中身にまで甲斐甲斐しく言及してくる彼に、ルーキは鋭く目を光らせた。
まるでピクニックにでも出かけるようなウキウキ気分はカモフラージュ。本当のところは、
(試したいんだろ。グラップルクローが、他のツール相手にどこまでやれるかって)
ロコの職人としての向上心は本物だ。そして上を目指す者には常に野心がある。腕を上げたい。他者より優れた作品を生み出したい。
彼がさっきちらりと見せた不安には、勝負に挑む者としての感情も含まれていたはず。
そうした彼らしからぬ――そして技術者に相応しい攻撃的な意思をきちんと汲み取れないようでは、彼の相棒たる資格はないのだ。
「楽しみにしとけよロコ。絶対、おまえにとっていい一日にしてやるからな」
「えっ…………。う、うん、うんっ! 絶対楽しい一日にしようねっ!」
※
そして大会当日。
街はずれの小川に作られた特設コースには、多くの人が集まっていた。
「おおおお!? これがレースコースなのか!」
「うわー、すごいなあ!」
ルーキとロコはそのセットの規模の大きさに度肝を抜かれた。
木板や石床を組み合わせたアスレチックコースは全長およそ二百メートル。ゴールまでは一直線だが、道中様々な段差があり、それを手持ちのツールで乗り越えていく趣旨らしい。
「毎回ワイヤーワークのベテランがデザインしてるセットなんだって」というロコの解説に「つまり、俺たちのことをよくわかってるコースってわけだ」と鼻息荒く返したルーキは、早くもセットのどこにアンカーを撃ち込むべきかを目で測っていた。
と。
「キャーッ! ミハエル様よ!」
「ミハエル様が降臨なさったわ!」
突然、背後から黄色い声援が沸き起こる。
「な、なんだあっ?」
「何だろ?」
振り向いてみれば、そこには大勢の少女たちに囲まれた一人の男がいた。
上品に整えられたウエーブする金髪、体にぴったりフィットするスポーティーな黒のボディスーツに、すらりとした長身と長い手足まで一揃えにした見事な美男子だ。
顔立ち――というよりその雰囲気に見覚えがあり、ルーキは相手が貴族だとすぐに悟った。
聖ユリノワール女学院でさんざん嗅がされた空気だ。取り巻きの少女たちからも似たような気配が漂ってくる。
「今回もミハエル様の優勝で決まりね!」
「当り前よ。だってみんなクソザコナメクジ並みの時速しか出ないんですもの!」
「弱すぎなんですわよ他選手! オホッヒヒ!」
少女たちの的確な解説によると、どうやらこのミハエルという人物は前回の優勝者らしい。年齢はこちらより少し上程度だろうに、かなりの遣り手ということか。
「こらこら君たち、他の選手たちに失礼なことを言うものじゃないよ」
ミハエルはやんわりと少女たちをたしなめつつ、しかしどこかざらついた目線で周囲を見やる。参加者と思しき同世代の少年が、物怖じするように後ずさるのが目に入った。
「おや? 君たちは見ない顔だね。ひょっとして参加者かい?」
ミハエルがこちらに気づき、金粉が舞いそうな前髪を手でサラッと流して声をかけてくる。
同じ環境で勝負する以上、すでに結果を出している実力者には敬意を払うべきだと考えているルーキだが、この瞬間勝ったのは警戒心の方だった。
「ああ。今回が初参加だ」と短く答えるにとどめる。
「へえ……! それは嬉しいね。ワイヤーワークの若いユーザーはまだ少ないし、ライバルが多い方がレースは盛り上がる」
そんなミハエルの言葉に、「でもこれまで三回もジュニアチャンピオンになってるミハエル様には勝てないけどね!」と、彼の後ろにいた少女の一人が付け足した。
「ジュニア……?」
ルーキが眉をひそめると、ミハエルは愉快そうに微笑み、
「おやおや、この大会は十八歳以下のジュニア部門と一般部門に分かれていることを知らないのかい? それは大変だ。部門ごとにコースもルールも別だし、エントリー先を間違えると違う部門には参加できないからね」
「そんな簡単なことも知らないなんて~。あ、ちなみに受付はあそこよ。締め切り時間には気をつけてね!」
オプションと化した少女たちがいちいち追加攻撃を仕掛けてくるが、地味に親切な発言なので助かる。
「それが君のワイヤーツールかい?」
ミハエルはグラップルクローを見て言った。ルーキの背後に隠れ気味だったロコに緊張が走るのがわかる。
「そうだ」と一言で応じたルーキに返ってきたのは、少女たちの無数の笑い声だった。
「やだカッコ悪い~」
「なんか地味」
「手作り感強すぎ~」
ルーキがムッとすると、ミハエルが両手をこちらに軽く向け、
「君たち言いすぎだよ。すまない、どうか気を悪くしないでくれたまえ。ぼくは好きだよ、君のそれ。素朴というか、下町の風情があってね」
小さく、そしてはっきりと見下す感情を言外に散らして彼が取り出したのは、グラップルクローによく似たツールだった。
「……!」
ダークブルーに塗装されたメタリックなボディ。つるりとした流線形は滑らかで、近未来的なデザイン性を感じさせた。しかし、指回りの構造や射出部の形から見て、コンセプトはこちらのツールと同一と見てほぼ間違いない。
ロコが息を呑むのが、背中越しに伝わった。
「バイオニ社の新商品のワイヤーアームだ。どうだいこのフォルム。美しいだろう? 正に一流企業の仕事だよ」
「バ、バイオニ社……!」
「知ってるのかロコ?」
「ルタでも指折りのツールメーカーだよ。あのアームは……本物のプロが作ったものだ」
足元にこぼすようなロコの弱々しい説明を聞きつつ、ルーキは再度ミハエルのツールに目をやった。
さっきの少女たちの発言は腹立たしいが、確かに見た目ではあちらの方がスタイリッシュだ。商品である以上、見た目も性能の内なのだろう。ミハエルのボディスーツと雰囲気がマッチしているのは、そちらもバイオニ社の商品だからか。
「ミハエル様はバイオニ社が公式スポンサーになっているのよ。あなたみたいな庶民とはスタート地点からして違うんだから」
そういうことらしい。
それがミハエルの速さの秘密であり、同時に、証明でもある。
強い者には強い味方がつき、さらに強くなっていく。当然のことだ。
「おっと、そろそろウォーミングアップをしておこうかな。レースコースは本番三十分前までなら自由に練習していいんだ。まずぼくの動きを見て参考にしたらどうかな? 大会に参加するのは初めてなんだろ?」
「見ない方がいいんじゃないのー?」
「参加する前に心折れちゃいますわ」
「こらこら、やめたまえ。失礼だろう? ……ホントのことでもね」
聞こえるか聞こえないか程度の音量で本音をこぼしたミハエルがスタート位置に歩いていくのを、ルーキは無言のまま目で追った。
「ル、ルーキ……。どうなんだろ。やっぱり速いのかな……」
ロコがシャツの背中を掴むようにしながら言ってくる。
ミハエルの態度は腹立たしいが、ここは勝負の場だ。強い者が勝ち、そしてそれが正しい。性格の良さを競いたければ、マナー講座の大会にでも行くしかない。
「速いだろうな。雰囲気にしても、他の参加者とは格が違うみたいだ」
そう認めざるを得ない。
現時点でレースセットに入って練習しているのは同世代の少年が五名。ツールに関しては規制がないためスタイルは様々だが、彼がその場に立っただけで、他の選手が尻込みするような反応を見せている。
「始まりますわ!」
少女の声に応えるように、ミハエルがスタートを切った。
客席のギャラリーがざわめくのが聞こえる。本番でもないのにこの注目度。ルーキはその一挙手一投足に集中する。同じツールの使い手。どんな動きをするのか。
走る。ワイヤーを射出する。飛ぶ。着地する。また走る……。
「うわ……は、速い……!」
ロコがうめいた。
「それに、ツールの安定感もすごい。
「確かに速えな……!」
しかし。
(何だ……?)
取り巻きの少女たちをキャーキャー言わせながら、ミハエルはワイヤーワークを駆使してコースを駆け抜けていく。
ライバルのはずの参加者たちもどこか見とれているような顔だ。
それでもルーキの胸の内に湧いた言葉は、
(……それは甘いんじゃねえのか)
だった。
ミハエルは速い。それは間違いない。ツールを扱う技術、フィジカルも、他のジュニア選手より圧倒的に優れている。しかしなぜか、ルーキには物足りなく思えた。
(ミハエルはまだ本気を出してない。それはわかる。けど、それでも……)
その予測分を加味しても、自分の方が速い。自分の方が上手い。そう言い切れる。
どうしてそう思えた?
(一番の理由は……多分、体のバランスだ)
加減が容易な筋力に対して、姿勢というのは全身の各部位を数ミリずつ調整してトータルで形成する微妙なものだ。一度身につけば無意識で行われるため、良い意味で手加減できない。
ミハエルの動きには出始めと終わり際に小さなブレがある。
わずか数ミリの姿勢の不安定さ。しかし、あらゆるシーンで態勢が乱れれば、ワイヤーの発射や解除のタイミング、着地後の動き出し、すべてに遅延が生じる。
RTAの心得一つ。誤差も積もればガバとなる。
その言葉は、ガバ勢の中ではあまりにも(無視される標語として)有名!
以前までならそんな些細なこと気づけなかった。
ミハエルの評価は単純に「速い」だっただろうし、後は実際に勝負してみないとわからない、という分析が精いっぱいのはずだ。
しかし今はなぜか、それが見えるようになっている。自分との比較ができている。
「ル、ルーキ。どう? か、勝てそう……?」
ロコが不安げに聞いてくる。
ルーキは、他選手を追い抜いていくミハエルを目で追いながら答えた。
「ああ。勝てるよ。十中八九」
「えっ? ホントに?」
「大マジで。俺の方が速い。だけどよ……」
ルーキは思う。
ここでミハエルに勝てれば、一躍有名人になれるだろう。公式スポンサーとやらの気も引けるかもしれない。走者として名前を売りたい立場からすれば、またとないチャンスだ。
このグラップルクローを小ばかにしてくれた仕返しもできる。
相棒をけなしてくれたことは、極めて許しがたい行為だ。さぞかしスカッとするだろう。
そもそも、さっきはあえて反論しなかったが、あのメーカー品が言うほどロコの作品に勝ってるとは思わない。
この得物は、ロコがたっぷり時間をかけてこっちの手を見て、触って、癖まで完全に把握した上でカスタムした一点ものだ。
そして何より、レース会場とは比べ物にならないほどハードな環境で使い込まれ、データをフィードバックされている。
ツールに蓄積された経験値なら、一企業に対抗できる自信がルーキにはあった。
なぜなら世界の最前線とは、正に走者の世界のことなのだから。
ミハエルには勝てる。そして、何一つ損することはない。
けれど、そんなうまあじたっぷりな勝負だとしても……。
「おまえが俺をここに連れてきたのは、勝てる勝負をさせるためか?」
「えっ……」
「勝てるってわかってる相手に勝って、渾身のドヤ顔決めるのが俺たちの目的か?」
誰だって、勝利の愉悦に浸って、人気者になって、ウキウキのウッキー君になりたい。
それでも。それでもだ。
この相棒に、腑抜けたところは見せられない。
「違うよな。おまえは俺に、もっとコイツを上手くなってほしくて、ここにつれてきたんだよな」
「ルーキ……」
ルーキはロコの前にグラップルクローを突き出し、ニヤリと笑ってみせた。
「いこうぜ、一般部門に。まだ見ぬ
「ふふ……そうこなくっちゃ」
ロコは微笑みを返してきた。ルーキは自分が正しいことをしたとはっきり感じた。
練習中の誰よりも早くゴールしたミハエルがギャラリーを沸かせる中、二人は揃ってジュニア用のコースに背を向ける。
気づいたミハエルの取り巻きたちが何かをささやき合うのが聞こえた気がしたが、もはやルーキの耳には何も残らなかった。
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