第152話 ガバ勢とダークリング

 それは〈ダークエレメント〉RTAの帰りの列車内でのことだった。

 オーランを離れて一日もたてばRTAの疲れなどとうになく、ルーキはオープンデッキ風の単なる通路に出て、緑豊かな開拓地の風景を眺めていた。


「えっ、何で帰り道を等速でやる必要があるんですか?」

「待ってまし……いえ奇遇ですねルーキ君。こんなところで会うとは」

「い、委員長!?」


 音もなく背後に忍び寄り、ルーキに声をかけたのは、大鎌を背負った小柄な少女――リズ・ティーゲルセイバーだった。


「何で委員長がここに!? ガチ勢はとっくにRTAを終えて帰ったはずじゃ……」

「ええ。それで、さっき別の試走をしていて今終えたところです。わたしが途中から同じ列車に乗ったみたいですね」

「はえー、すっごい偶然。つうか、もう別のRTAやってんのかよ。さすがだァ……」


 シャギーの強いショートヘアを風に揺らしながら委員長がこちらの隣にやってきて、デッキの手すりに手を置く。


「ルーキ君は今〈ダークエレメント〉の帰りですか?」

「ああ。ようやくな」

「では、街に着くまで暇ですし、完走した感想でもしましょうか」


 上機嫌で言ったリズに対し、ルーキは「う、うん」とやや曖昧な受け答えをする。


「おや、何か問題でも?」

「今回のRTA、実はその……途中でリタイアしちまったんだ」


 委員長に上手く目を合わせられないまま言った。


「あの『ダークエレメント』だから張り切ってたんだけどさ、思い通りにできなかった。一応、最後までは走ったよ。中盤まではそこそこ動けてたと思うんだけど、後半はほとんど空気でさ……」

「そういうこともありますよ。わたしたちは日々これ挑戦ですから。失敗はつきものです。大事なのは、その後どうするかですよ」


 それも一つのリカバー。失望されることを危惧していたルーキは、彼女の前向きかつ意欲的な励ましに胸のつかえが取れた気がした。


 ようやく身軽になって、リズを真っ直ぐに見つめる。


「それに比べて委員長はすげーことやってたよなあ。TGSとかさ。もうガチ勢の本走に普通についていけるんだもんな」

「そ、そんなことないですよ。今回もついていくのでやっとでした。いてもいなくても変わらないようなものです。その点、一門をフォローできるルーキ君はすごいですよ」

「そうかな……」

「そうっすねえ。まさか、サクラを押し倒した挙句、一晩中離してくれないなんて、頑張りすぎにも、ほどがあるっすよねえ……」

「ファッ!?」


 しみじみと言う――にしては、一言一句が地味に強調された謎の声が降りかかり、ルーキは思わず天井を振り仰いでいた。雨染みとカビで汚れた天井隅に、手足を蜘蛛のように広げる少女が一人。


「サクラ!? おまえいつからそこに張り付いてたんだよ!?」

「最初からっすけど?」

「いるなら普通に声かけろよ! …………ハッ!?」


 ルーキは隣からねっとり流れてくる冷気に気づいて、慌てて顔をそちらに向け直した。

 明らかに太陽とは別の反射光を眼鏡に宿らせつつ、彼女は言った。


「タコーキ君……」

「タコーキ君!?」

「今のどういうことか、説明してもらえますよね?」

「も、もちろんです!」


 ちゃんと話を聞いてくれるところがマジ委員長。

 冷静な対応に感謝しつつ、ルーキは咳払いを一つして口を開いた。


「実は今回のRTA、〈ピ……」


「なるほど、今回の『ダークエレメント』に張り切って参加してみたら一門は〈ピルグリム〉のレギュレーショナーを張っていてそれを完走する耐久力があるのは一門でもレイ親父さんくらいしかいないから門弟は途中で全員リタイアしてパーティを二つに分けて交代しつつついていこうとしたところルーキ君は最初から最後まで一人で走ることに固執して開始から18時間37分後に体力の限界を迎え最初から起きている気なんてさらさらなかったサクラさんが眠くなって寄りかかったところを支えようとして一緒に倒れて朝まで眠ってしまったと、そういうことですね。完全に理解しました」


「ポロロッカ!!?? えぇ……まだピしか言ってないんだけど!?」


 すると委員長は眼鏡の位置をスッと直し、


「ルーキ君が普段使いするピから始まる単語は、一門特有の言葉遣いであるピンキーやピロリを含めても十九種。レイ一門がトロコンRTAをしているのは有名ですし、あとは既知の情報を論理的に結び合わせれば自然と導き出される答えです」

「す、すげーな委員長……でも、それじゃ別に俺が説明する必要なかったんじゃ……?」


 ルーキが疑問符を浮かべると、彼女は口元に柔らかな微笑を見せ、


「言葉だけじゃないです。顔や仕草、姿勢や呼吸から、ルーキ君が何をしてきたか推理したんですよ。あなたのこと、ちゃんと見てますから」

「はえー……。すっごい慧眼。これも“勇者の目利き”ってヤツなのか」


 素直に感心する。彼女の前ではウソをつくことも真実を告白することも大差ないのだろう。


 と。


「まあ、そうなんすけどねえ……。ところでガバ兄さん、寝てる時は体温低いんすねえ」


 いつの間にかすぐ隣に来ていたサクラが、何でもないような口調で話を振ってきた。


「え、そうかな。まあ、おまえよりは低いかもな。何かあったかかったし……」

「そっすねえ! サクラはあったかふわふわっすねえ! まあ、兄さんの体温も、走り疲れて火照った体にはちょうどよかったすけどねえ……」

「ふーん。そういうもんか? 俺は毛布はあったかい方が好きだけどな」

「あー、だからなんすねえ。あはは、しょーがないっすねえガバ兄さんは」

「…………」


 サクラと他愛もない話をしていると、無言のまま委員長が距離を詰めてきた。その顔には、接着剤で固められたような朗らかな笑顔が張り付いている。


「い、委員長……?」

「ルーキ君。実は〈ダークエレメント〉のお土産があるんですよ」

「え、マジ?」

「手を――ああ、左手を出してください」


 ルーキは言われるがまま、左手を差し出した。彼女はそれをしげしげと見つめ、やがて納得したようにうなずく。


「なるほど。偶然にも、たまたまここがちょうどいいサイズみたいですね」


 そう言うが早いか、左手薬指に何かをはめ込んできた。

 それは。


「指輪? あ、これって」


 見覚えがあった。

 オーランの祭事場にいた、真鍮の鎧を着た男の持っていた魔法の指輪だ。

 確か、委員長が彼を崖下に蹴り落として強奪した――。


「これ、委員長のヤツじゃ?」

「それとは別です。あの金ぴかの騎士は指輪商人でもあるんですよ。完走した後に改めて会って、むりや――まっとうな商談の後に正当な代価と引き換えに譲り受けました。サイズが合っていてよかったです」


 ほっとしたように胸をなでおろす。

 さっきの長い目視は、サイズを目で測っていたかららしい。すべてを一瞬で見抜く彼女の観察眼からすれば若干芝居がかっていたようにも思えるが。


「そんなすごいものもらっちゃっていいのか?」

「もちろんですよ。そのために持ってきたのですから」

「ありがとよ委員長! でも、さすがに左手の薬指ってのはあれかもな……。右手の方に移して――」

「あっと、それは外さないでください。非常に特殊な作りをしていて、一度外すと壊れてしまうんです」

「えっ……」

「もちろん、わたしもつけっぱなしですよ。あっ、そういえば偶然にもルーキ君と同じ左手薬指にちょうど合うサイズでしたね」


 そう言って、委員長はオープンフィンガーグローブをはずし、その下にある黄金色の指輪を光にかざすようにして見せてきた。陽光を浴びて誇らしげにキラリと光る。


「なっ……」と焦った声をもらしたのはルーキだけでなく、隣のサクラもだった。そんな彼女にどこか得意げな一瞥をくれた後、委員長はねっとりとルーキに問いかける。


「ところで、左手薬指の指輪に何か意味が? わたしには思い当たる風習がないので特に気にならないのですが、ルーキ君には何か思うところが?」

「い、いやその……」


 委員長のカッチャマはどうだっただろう、と今考えても意味のないことが頭をよぎる。彼女の発言を疑う理由はなく、この指輪の位置もたまたま偶然サイズが合った以外にないのだろう。


「もちろん、イヤであれば外してくれて結構ですけど……するんですか?」


 その発言にわずかな彼女の不安を感じ取ったルーキは、「いいや」とすぐに否定を返して、守るように指輪を手で覆った。


 贈ったものを目の前で捨てられて喜ぶ者などいないし、そんなことしたいとはカケラも思わない。

 委員長が気にしていないのなら、指輪の位置にあれこれ思う必要はないのだろう。少なくとも彼女に対しては。


「ありがたく使わせてもらうよ。なんか、これつけてからちょっと強くなった気もするし」

「商人としてはうさん臭い人物ですが、指輪の効果は本物ですよ。体力や生命力をわずかですが高めてくれます」

「あらためてありがとな委員長。大事にするよ」

「……! ええ……わたしも、一生大事にしようと思います」


 彼女は照れたのか、少し頬を赤くしながら、愛おしげに自分の指輪を指でなぞった。


「さあ、それじゃあ完走した感想を始めましょうか。どっちからやります?」


 さっきまで放っていた凍てつく光をどこかに吹き散らし、リズは機嫌よく言う。

 そこに、苦虫を噛み潰したような声が割り込んだ。


「……じゃあ、ガバ兄さんからやってもらうっすかねえ。特に最初の夜のことについては、サクラからも右枠でねっとり補足するんで……」


 一旦緩みかけた空気が再び、ビシリ、と凍りつく。


「ほう……それは楽しみですね……」

「その後も火溜まりの前で、身を寄せ合って何度も添い寝したという事実もあるんすよねえ。そういうところも暴露していくのが間を持たせる秘訣っすよねえ」


 カッと光った二人の背後に、巨大なイタチとトラの姿を見たルーキは、


「それでは完走した感想ですが…………あの……二人とも聞いてる? おーい?」


 にらみ合う彼女たちを引き戻すのに、しばしの時間を必要とするのだった。


 ※


 余談。


 ルーキはルタの街に戻ると、一門揃って〈アリスが作ったブラウニー亭〉へと足を向けた。解散前に小さな打ち上げをするためだ。

 そこで、タダ飯を食おうとテーブルに交ざってきた受付嬢から、


「あらっ、新入り君。その指輪……」

「あ、これはその……。もらいものです」


 ルーキはちょっと照れ臭くなって指輪を隠す。


 特に何か環境の変化があったわけではない。「ここの指にはめてるのは特に深い意味はなくて……」と誤解を解こうとした直後、機先を制するようにやってきたのは周囲からの憐れみと呆れを含んだため息だった。


「新入りよぉ。おまえって、外堀を埋められるどころか、四方の盛り土に閉じ込められて生き埋めにされかけてる状態だよな」

「包囲側が内輪もめしてるから助かってるだけで、少なくとも退路はないよね」

「33-4(チーン)」

「えっ……それはどういう……」


 誤解はなかったようだが、熟練走者兄貴の言うことは難しく、ルーキにはまだよくわからなかった。


 ※


 余談その二。

 RTA研究所の一室にて、ルーキはグラップルクローのメンテを頼みに来ていた。


「ルーキ……」


 そのロコが、いつものようにこちらの手を見ようとした直後、急に冷たい声を吐く。


「この指輪、何? どういうこと……?」

「ああ、これは委員長から……」

「何? 何で? どうしてそうなるの? なんでルーキも受け取っちゃうの!?」

「な、何だよ!? 何で怒ってんの!? これは身体能力を高める魔法の指輪で……」

「言い訳なんか聞きたくない! よりにもよって僕があげたグラップルクローと同じ側の手になんて!」

「あっ……! ひょっとしてグラップルクローの操作とか、おまえの調整に支障が……?」

「そんなの全然関係ないよルーキのばか!」

「ええええっ!?」


 なぜか怒りだしたロコはしばらくまともに口をきいてくれず、ルーキはこの日、何度もシナモンロールをパシらされることになったという。

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