第150話 ガバ勢と火と人間と
「なにっ」
「な、なんだあっ!?」
「うわあああああ!」
一門たちが息の合ったタフ・リアクションを見せるほど、目の前には異様な光景が広がっている。
「何なんですか、これは……!」
あの静かな地底湖の浜からさらに進んだところで、平穏な世界は一変。
足元の綺麗な白砂はいつのまにかすべて濁った灰になっており、奥からは橙と黒に色づいた力の波が交互に押し寄せて、地吹雪のように灰色の粒子を巻き上げている。
「アノールベル最深部。“最初の火溜まり”だ」
この世のものとは思えない光景を前に、サグルマが顔をこわばらせながら言う。
「火のエレメントと暗いエレメントのせめぎ合いが起こってる。言っておくが、ガチ勢はもうとっくにゴールした後だからな。決着が着いた後で、まだこの威力ってわけだ」
これほどのエネルギーのぶつかり合いが、オーランの地下では起こっていたのだ。
「いよいよ最後だ。全員ぬかるんじゃねえぞ!」
『ホイ!』
レイ親父の号令に呼応し、一門は最深部へと歩を進める。
エネルギー風が徐々に強まるに従い、周囲の灰が晴れ、最深部の様子が露わになった。
石造りの階段や柱が姿を現す。祭事場に似た、神殿のようなものがあったのかもしれない。相当古びたものらしく、表面の風化は見たこともないほど進行していた。
(いや、時間じゃない。多分、エレメントの風にそぎ落とされてこうなったんだ)
太陽は大地に恵みをもたらすが、近づきすぎれば焼き尽くされる。
火のエレメントの種火もそういうものなのだろう。
「ガバ兄さん、誰か倒れてるっすよ!」
ルーキの背後で風と灰をやり過ごしていたサクラが袖を引いてくる。
「心配いらない。彼は……」
先頭を行くシルドはそう言って、一瞥もなしに平然とその横を通り抜けた。
よく見ると、それは半身を黒焦げにされた銀騎士だった。側面から火のエレメントを浴びたらしい。
「暗いエレメントの討伐に失敗したのか……?」とつぶやいたルーキに対し、「そういうわけではなさそうだ」という返事と共にフルメルトがあごで示した先の道には、黒化した銀騎士が複数名、最奥に背を向けて佇んでいる。
「敵に背を向けて立つ騎士などいない。彼らは暗いエレメントを守護しているんだ」
「暗いエレメントに支配されて?」
「違う。これは彼らの意志だ」
回答を割り込ませたのは、今までで一番はっきりとした声のシルド。
「職務を超えて己の意志に殉じた。ここに来れば何もしないまま死ぬと確信してなお、骸の壁になることを選んだんだ」
「それってどういう……?」
「手出しは無用ってことだ。中身はとっくに灰になってる。触ってやるなよ」
レイ親父の締めの一言に戒められ、ルーキは黙って黒く染まった騎士たちの横を通り抜けた。
確かに、何もなかった。
中身は完全に死んで、形さえ残っていない。
それでもなお、ルーキはその焼けただれた兜の奥にこびりついた意志のようなものを感じた。
絶対的な信念と、執念。彼らにとって、ここでこうしていることは何よりも正しい。
オーランを滅ぼした暗いエレメントを守ることが、だ。
騎士たちは点々と、まるで一つ一つの関門のように、“最初の火溜まり”への道に立っていた。
奥に行くほど鎧が受けた熱量も強かったらしく、鎧の接合部分は溶け合って一体化し、握ったままの武器も、もうどうやっても手から離れそうもなかった。
シルドが彼らの横を通り抜けるたび、なぜか何かが、本当に何かが、としか言いようのないほど小さな何かが変化しているような気が、ルーキにはした。
シルドは、彼らを知っている。そして、彼らの鎧に残された遺志と対話している。そんな気がしてならなかった。
やがて、暴風の中心地にたどり着く。
火の粉と黒い霧が螺旋状に混ざり合って渦巻き、ドーム状の障壁を作り出していた。
「中に飛び込んだ途端、暗いエレメントの残滓が襲いかかってくる。だが一発目の動きは単調だ。捌いて反撃に転じるぞ。後は一気に力押しだ!」
レイ親父が全員に通達し、障壁の中に踏み込む。ルーキは乾きかけた喉に生唾を落とし、一門と共に後に続いた。
内部は怖いほどの静寂に満ちていた。
外部の暴風の一そよぎ、音の名残さえない。
ドームの中央、小さな焚火の前に、一人の男が立っていた。
豊かなヒゲと長い髪の、老年に入りながらも力と威厳を併せ持つ鎧姿。
男の体からは暗い霧がさらさらと流れ出ている。
火溜まりの前にいるシルドと同じだ。
(あの男が……暗いエレメントの本体……!)
住人たちを怪物にし、亡者にし、そしてオーラン自体を滅ぼした張本人。
魅入るように火溜まりを見つめていた男は、こちらに気づくや否や、人の身の丈サイズの大剣を掲げ、恐ろしい勢いで躍りかかってきた。
「来たぞ!」
「初撃を弾く! バレバレなんだよ!」
「えっと、誰がパリイ担当だ……?」
「誰って、狙われてるヤツだろ?」
「それ誰だ?」
「……えっ、誰だろ――」
地面に叩きつけられた剣が地殻を爆裂させ、一門をまとめて吹っ飛ばした。
※
そうだ。
今になって。
この黒と橙を全身に浴びて。
ようやくすべてを取り戻した。
私が何者だったのか。私は何をしに来たのか。
「初手パリイミスってんじゃねえ! 死にたいのか!?」
「全員軽傷でさあ親父! おまえらすぐに態勢を立て直せ!」
「ヤツと剣を合わせるな! 人間じゃ支えきれないぞ!」
レイ親父、サグルマ、フルメルト。そして他の一門走者たち。私はまた彼らとここに来た。また、来られた。
そして相対するのはこの地を覆う元凶。
暗いエレメントそのもの。
それはかつてこの国で、もっとも敬愛と並べて名を呼ばれた人物でもある。
頭に王を冠する男。
オーラン王、その人だ。
美化された絵画の中の彼よりも一回り大きいのは、暗いエレメントによる異形化が進んでいるからだろう。
しかし他の人々と違い、かろうじて個人の形をとどめているのは、その精神の強靭さからだろうか。
否。
彼は変質していない。王の意志としてここにいる。だからだ。
「王よ。私はまたここに来てしまいました」
鉄と鉄が轟かせる重撃音。火のエレメントをせき止めていた根源――オーラン王の持つ黒く燃える剣と大斧は、激突と同時に膨大な緋と黒の飛沫を舞い散らせる。
「親父、シルド兄貴が!」
「ヤツなら大丈夫だ! まあ俺もいけるけどな!」
いまやすべての暗いエレメントを体から追い出し、火の力を充填させたこの身には、この怪物と正面から渡り合う資格があった。
「おめえは機動して攪乱しろ新人! そういうのは得意だろ!」
「もちろんです!」
「心配だからサクラも付き合ってやるっすよぉ!」
今回から新たに加わった仲間の声が瑞々しい。すでにここの灰のように乾ききった私たちには、毒のようですらある。
「けれど私は何度でもこうする。この先を確かめるために」
私は王の剣を弾き、王はそれに抗うことなく体を流して姿勢を維持する。
老いてからはすっかり振るわなくなった技の全盛が、ここにある。
その肉体の充実に対し、我らの精神のなんと衰亡しきったことか。
私はまた、たくさんの者を終わらせた。終わらせてしまった。
あの者も、あの人も、あの方も、みんな、みんな素晴らしい人々だったのに。
その時の手の震えと感情が、たった今、心の中で正しく結ばれる。
私は彼らを愛していた。心から愛していたのだ。
「――――!!」
声なき裂帛の気合と共に、強烈な突きが来る。
人とほぼ同等の重さを持つ大剣の刺突は、刺すというよりも防具ごと人体を砕くための破壊槌。わずかに体をずらし、脇の下にそれを通過させた私を、王の暗く煙る双眼が揺るがず見据えている。
「すげえシルド兄貴! あの突きを見切るのかよ!」
「バケモンすね……」
穏やかな灰色の目を最後に見たのはいつだった?
思い出が、遠すぎる。
「うおおおお!」
私の反撃が王の腕を浅く切る。風に散ったのは血ではなく、黒い霧。
もはや血潮さえ暗いエレメントに預けた。
そうするしかなかった。お互いに。
何もかもの始まりは、このオーランに起きた異変。暗いエレメントの充満から起こる、人々の異形化と精神の変質。
発覚のきっかけは、細く淡い関係を保っていた地下種族の異変だった。音信不通からわずかな時間で、彼女らは手の施しようもなく変貌していた。そして、その時にはもう、とっくに自分たちの国も同じものに侵されていたと。
「サグルマ兄貴! クローをボスの腕に引っかけて動きを阻害します! ……ってうおわあああ!!???」
「あんな馬鹿力抑えられるわけないっすよガバ兄さん! さっさとアンカー離せ!」
「いやルーキ、その調子で吹っ飛んでヤツの意識を分散させろ! 他のヤツらは、一人を狙わせるなよ!」
生きるためには国を捨てる他なし。開拓地の放棄は妥当な判断と言えたが、人の心は時に単純な生死の選択さえ、正解を逆転させてしまう。
この土地と共に死ぬ。そんな道を選ぶ者たちが出た。
自ら死を選ぶ生者はいない。彼らは死ではなく、別の尊いものを選んだ結果、命を落とすのだ。彼らにとって、それは正しい命の使い方だった。
しかし王は――私たちは、彼らを愛していた。
生きて命を謳歌してほしかった。
そして下した王の決断は――。
オーランを完全に殺すことだった。
ここが醜悪な土地へと変われば、運命を共にという民草の甘い夢も覚めるだろうという考え。それは同時に、最後まで苦しみ抜こうとする人々に、ならばせめて速やかな終わりを、という酷薄な慈悲も孕んでいた。
もう何人も、この汚染された土地に近づけさせないために。
そのために王は自ら暗いエレメントの集合体となり、繁栄の象徴であり、礎そのものであった火のエレメントを抑えにかかったのだ。
オーランを去らずに残った臣下の全員がそれに賛同した。王の最後の務めにすべてを捧げる覚悟をした。
走者たちに襲いかかる騎士たちは、狂ってなどいない。
たとえ正気を失っても、確かに自分の正義で戦っているのだ。
だが私は――従えなかった。
開拓地の放棄が決まり、オーランが静かに衰弱死していく中、居残る者たちの疎開村で新たな命が生まれるのを目の当たりにしてしまった私には。
この汚染された土地にも、人生はある。喜びはある。
私は守りたかった。その最後のひと欠片まで。
たとえそれが、人々の苦しみをいたずらに長引かせることになったとしても。
「どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか……」
そんなもの、もう意味はない。
私たちは、自分が正しい理由も、間違っている理由も、抱えきれないほど多く持ってしまっている。
だから確かめたいのは、どちらが残るのか、ただそれだけ。
どんな正論も美徳も、叩き潰されてしまえばそれまでだ。
生き残った方が生き続ける。そんな原始的な天の理論に、私たちは正誤を託した。
子供の頃だったら怒られてしまっただろう。次代の王がそんな乱暴ではいけないと。
でももう、それも彼方のこと。
ここにはもう、王も、王を継ぐ者も、言葉も、不要だ。
「うおおおおおああああッ!」
私と王の斬撃は交わることなく、お互いの体を正確に斬りつける。
仲間たちが息を呑む空気の中、私の体からは火の粉が、王の体からは黒い霧が噴出する。
王はその黒い霧を虚空でつかみ取ると、槍のように変質させて私へと投擲した。
私は傷口から噴き出る火の粉を炎に変え、それを焼き落とした。
「な、何ですかあれ!?」
「シルドのヤツが本気になったんだよ!」
人の身を離れだした戦いに、仲間たちからの介入も次第に数を減らしてきていた。
唖然とするあの新入り少年の顔が視界の端をかすめる。
無鉄砲だが好ましいルーキーだ。劇的に戦力を高めてくれるわけではないが、パーティにいれば何かとガバをフォローしてくれる。きっと、良い走者になるだろう。
いつもここで終わる私と違って。
このRTAで色々と驚かせてしまった。しかしこれが、シルド――いや、私という存在の本来の形なのだ。
「これが一度はガチ勢に倒された相手なんですか? やべえくらい強いんですが!」
「一度だけ別チャートで挑んだことはあるが、そん時はもうちょっと大人しかった覚えがあるぜ……!」
「それはシルドが特別な相手ということかい、サグルマ?」
「だろうよ。敵さん、もう自分が人の形をしてるってことさえ忘れてきてるしな!」
私と王の間で、火と暗闇がぶつかり合う。
火のエレメントは私を神秘的な存在へと変えた。
王や王妃、兄弟と同じように。
火のエレメントは命を燃やし、荒野に草木を萌えさせる聖なる力。生きとし生ける者として、それは圧倒的に正しい力だ。
では、暗いエレメントとは何か?
突然現れ、オーランを侵食した邪悪なるものの正体とは?
私たちは……火のエレメントに誰よりも近かった私たちは、それを知っている。
暗いエレメントとは、人間だ。
暗いエレメントは、火のエレメントを浴びた人間から生じる。聖なる力を浴びた人間から吐き出されていく
他の動植物には、この現象は決して起こらない。
ならばこの煤は、人間が人間であるための根源と言って過言ではない。
煤を出し切った者は、人間とは違った“形質”を持つことになる。私のように。
では人間とは一体何だ? 人間を人間たらしめるもの、すなわち“人間性”とは?
人間性を過剰に取り込んだ者は、みな怪物になった。
より人間らしくなるのではなく、人とはかけ離れた存在になり果てた。
我々は身の内に、一体何を持っていたというのだ?
人間は、薄く水に溶かされた怪物だとでもいうのか?
一つだけ言えること。それは、かつてこの地に暗いエレメントは存在しなかった。開拓民が入植し、火のエレメントの力を借りるようになってから発生した。
私たちは、おのが身から出た“人間”によって、滅びようとしているのだ。
「そろそろ終わりにしましょう。王よ」
「…………」
ありし日から変わり果ててしまったお互いの技の応酬。手の内はおろか腹の底まで見通せる我らには、防御の技術など無意味。
すでに血肉さえも変質した私たちは、ただただ相手を破壊するための攻撃を繰り返す。
火の粉と煤が混ざり合い、周囲で激しい炎を渦巻かせる。
切り結ぶたび、だんだんと、お互いが失われていくのがわかった。
取り戻した力も、言葉も、声も、思い出も、吹き出す血潮と共にかき消えていく。
せっかくコンプリートしたのにな……親父……。
わからなくなっていく。なぜ自分がここにいるのか。なぜ自分が戦っているのか。
人間性を纏った剣が振り下ろされる。
食らったら終わる。そう働いた神経が、大斧を防御へと向かわせた。
絶叫とも呼べるような音を立てて、大斧は砕け散った。
鍛冶屋からもこの戦いでギリギリだと言われていた。その最後が一瞬早く訪れただけ。
そして、私の最期も――。
今日まで何度も問いかけ、何度も確かめた。
そして今ついに、私の番ということだ。
「そんなことで止まるんじゃねえ!」
王の一撃が私を両断する、その直前。白い髪の幼い人が死の空間に滑り込んできた。
振り下ろされる刃を横から叩き弾く神業。相手は人外の王にもかかわらず。
「おまえはまだそこにいるだろうが!」
その声が私の背を押した。
応えるだけの誰かが、まだ私の中に残っていた。
柄だけになった大斧を手放し、腰に括り付けていたナイフを手に取る。
もうどこで手に入れたのかもわからないが、確か“慈悲”という名を持つナイフ。
私はぶつかるようにして王の胸に突き立てる。
心臓の位置。そこから、渾身の力で上に切り払った。
反撃は来なかった。
嵐のような黒い霧が世界に舞い上がり、王の膝が落ちる。
戦いは、終わった。
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