第148話 ガバ勢とほの暗い街の一角
謁見の間奥、延々と上下し続ける壊れかけのエレベーターに乗り込んでワガハイ上階へ。
ここから先は王家のプライベートな空間であり、いかに最強の格があるとはいえ一介の騎士団員が立ち入ってよい場所ではない。
貴人方の私室が並ぶ廊下は、かつての豪奢さがかえって仇となりその荒漠さに拍車をかけている。
カーペットはまばらに草むしりされた芝生、壁のタペストリーは幽鬼さまよう枯れたススキ野だ。
この荒廃ぶりには、メンタル最強のワガハイもさすがに赤涙を禁じ得ない。
しかし、この覇王樹の鎧を身にまとった者に足踏みは許されない(したかもしれないが気にしないので実質していない)。戦場では前進殲滅あるのみ。敵が我らに対して抱く畏怖と恐怖こそが、王、そして国民を守る最強の盾となる。
オーンステッドとハリテは斃された。すでにオーランには王も国もない。しかし我らは騎士の道をやめられない。変われない。変わりたくない。
第二の人生などありえないのだ。規則や責務に縛られず、自由や、ただ気楽であることに何の価値がある? ここでの苦闘激闘の日々こそが我が人生であり、我が幸福である。
つまりワガハイは満足しているのだ。
気ままな風来坊の生活がこれ以上の充足をもたらしてくれるとは信じられないし、また、この身に迎えたくもない。それは、完成されたスープに余計な味を継ぎ足すような暴挙だ。
ここで覇王騎士団として生涯を全うし、生きた証とする。それがワガハイ最後の願い。
鉄靴の音高らかなまま、ある一室にたどり着く。
他とは一線を画する扉前の空気は、この先にオーランの隠された中枢があることを如実に伝えてくる。
ここに足を運ぶのは幾度目か。しかし、未だこの緊張感に慣れない自分に、ワガハイ少し安堵する。この場で何も感じなくなってしまえば、それこそ覇王騎士団の終末となろう。
すでに“彼ら”が通過した扉。鍵などかかっているはずもなく、あっさりと中に入る。
中は小さな部屋だった。三方に棚が置いてあり、それぞれに骨粉を収めた格調高い小箱が置いてある。
ワガハイそれを一つまみし、火のエレメントを閉じ込めたカンテラへと注ぎ込む。
酩酊するように視界が渦を巻き始め、やがてあたりが闇に閉ざされた。
気づいた時には、薄暗い廃都市のど真ん中に立っていた。
“小オーラン”と呼ばれる地方都市。
オーランの中にありながら、まるでオーランの美の縮図のようであると評された麗しの都。しかし、住人たちの自慢であった白石造りの街並みは、今や薄闇が張り付つくばかりのおどろおどろしい景色と化している。
原因は無論、暗いエレメント。しかし他の土地よりも一層薄暗い姿にはもう一つの原因がある。それは小オーランが、流動する火のエレメントの集散地点であったことだ。
アノールベル地下の出発点から始まった火のラインを、各地へと分化させる重要拠点。小オーランはその
それゆえに、暗いエレメントの影響も甚大。毒素を直にぶち込まれた人の臓器そのものの深刻な疾患を得て、今の姿に至る。
そんな経緯から、せっかちなRTA走者たちはここを極めて危険なゾーンとしてしか見ないだろうが、ワガハイは違う。
あたりの薄闇に、ぼんやりと浮かび上がる銀色のサボテンたちを見る。
愛剣のツヴァイハンダーを抱き込むように座り込んだ覇王樹の鎧。かつて満身に浴びていた返り血もいつしか風雨に洗い落とされ、代わりに覆いつくした赤錆びによって再び――そして今度は永遠に――敵を威嚇する形相へと舞い戻った誉れある同僚たちの、亡骸だ。
そんな光景がそこここに広がっている。
ここは、覇王騎士団終焉の地。
暗いエレメントとの戦いで、覇王騎士団はお膝元のここに出動し、そして滅んだ。小オーランから脱出する、大勢の無辜なる民の安全と引き換えに。
そして今なお、ここに根を張って悪しき者への睨みを利かせている。
これほどの忠義者が他にあるだろうか。だからこそ最強。だからこそ誇れる。
「やあ……」
「ホ!? オバケ!?」
暗がりから這い出てた声に慌てて振り向いてみれば、そこにいるのは金と本とハンカチーフと多目的ナイフと鎧の整備用ハンマーを借りたままだった同僚のオバケではなく、親衛隊の兜をかぶり、四肢にタトゥーを入れた“彼”だった。
ワガハイ気を取り直して話しかける。
「おお、貴公か! こんなところで会うとは合縁奇縁。……はて、お一人かな?」
「うん……。パーティそろって高いところから落っこちちゃってね……離れ離れになってしまった。ほら……あの少年がいないから。何て名前だっけ。クッキー君?」
「その間違いはあまりにも可哀想なのでやめてさしあげるのがよかろう。ルーキ殿だな」
「そうそう。落ちると瞬時に拾ってくれる彼……。いないことをみんなすっかり忘れて油断していたんだ」
「この鉄火場で油断できるのは、大物の証拠かもしれんな。ガッハッハ」
そこで彼はふっと顔をあらぬ方向へと――いや、一番重要な方角へと向けて、
「でも、まあ、一人でもいいよ。やるから」
「貴公……」
火のエレメントの重要な分配拠点。それはつまり、それだけ強大な敵が待ち構えているということ。
無茶はするなと言ったところで聞き入れるような御仁でない。ここまで“成って”しまったのなら、もう別の道に行くことこそが無茶というものだ。
「ならばせめて、ワガハイも同行しよう。この街の主には、ワガハイも用事があるのでな」
「うん。わかった」
彼とのここでの共闘は幾度目か。そして、後どれだけできるのか。こちらにとっても、あちらにとっても。
いずれにせよ、それが絶えた時こそ、ワガハイも覇王樹としてこの地に根付くことになるのだろう。
そんなことを考えた矢先、不意に、第三の足音が黒ずんだ石畳を鳴らした。
走者が来たか? そう思ったワガハイと彼が振り返る。
しかしそこにいたのは――。
「ブルーノ隊長?」
ワガハイは目を疑った。
ブルーノ・ニート。オーラン市街地の警備隊隊長だった男。今は隊を去り、祭事場の火溜まりの近くで世捨て人のような質素な生活を送っていたはずだ。
オーランから小オーランまでは人の足でも移動できる距離だ。
が、彼がわざわざここにいる理由がわからない。
「俺、俺は……わた、私は……」
ブルーノ隊長が何かをつぶやいた。ワガハイはっとなる。この口調は、すでに健康な彼のものではない。見れば、ブルーノ隊長の頭には、生乾きの血が鈍くてらついている。
「脳をやられたか、ブルーノ!」
ワガハイは武器を構える。やられた個所によってはもはや敵味方の識別などつかなくなる。すなわち、亡者だ。
「私は、あんたは、わた、あんた、あなたは、あなたは、あなたは……」
虚ろな言葉が繰り返される。かつての聡明だった彼を知る者からすれば、耳を覆いたくなるような悲惨な姿。だが、それは許されない。この地にあえて残った者にはこれを見届ける義務がある。
「あなたはもういい」
ようやく意味のある言葉を紡ぎ、弛緩した足取りでブルーノが一歩近づく。
「もういい。オーランは死んだ。我々はただ思い出と共に最後を迎えたいだけだ。あんたは、あなたは、あなた様は、まだ若い。必ずまた愛するものを見つけられる。だからもういい。もう走るな。もう頑張らなくていい。オーランは死んだ。出ていけ。諦めろ。諦めて……次へ進んでください」
「彼は何を言っている?」
親衛隊の兜を傾げ、彼が不思議そうに聞いてくる。
ワガハイ、答えられない。
「あなたがまた目覚めるから、私はあそこにいなきゃならない。見ていなきゃならない。もうつらいんだ。空っぽなあなたが出ていくのが。いつかあなたが出ていかなくて済む日を待ってる。つらいんです。もう楽になりたい。もう楽になってください。オーランは死んだ。墓守は私たちがやる……」
ブルーノが腰に差していた剣をずらりと抜いた。
全盛期と寸分の違いもない冴えた抜剣。空虚な生活で浮いた腕の錆びは、皮肉にも記憶の一部が砕けることで取り除かれたらしい。
「あなたはもういい。火採りは私がやる。私にもできる。できるところを見せれば納得してくれますよね? だからやる。この街でやり遂げる。やり遂げる。ややりとやややとやりり…………。なぜあなたがここに? 私がやると言ったのに。そうして私をまた苦しめるのか。苦しい。苦しい苦しい。苦しまないで。苦しい。……あんたさえいなければ……!」
錯乱と述懐の狭間を行き来したブルーノの言葉が、唐突に鋭さを持った。
真っ直ぐにこちらに向かってくる。握手をしようという態度ではない。抱擁はもちろん、特にワガハイとは禁止だ。
「…………敵か」
彼がそうつぶやいたのを聞いた。
ワガハイが次に見たのは、雷光のような鋭さでブルーノに肉薄する強靭な背中。正規の親衛隊の中でも、あそこまで人体を練り上げた者はそうはいない。人外の修練と、それに耐えうる精神をもってしまったがゆえの暴虐な成果物。それが彼だ。
もしこれがあの崩壊の前に“成って”いたのなら、滅びを防げただろうか?
それ自体が鉄塊のような腕を振るって、彼の大斧がブルーノを逆袈裟に切り上げた。
かろうじて真っ二つにならないまま宙を飛び、道端の木箱を砕いて転がったブルーノは、それきり起き上がってはこなかった。
無慈悲かつ真っ直ぐな斬撃。人にして、人にあらざる一撃。
あれを受けては、次の火採りまで起き上がってはこられないだろう。
そしてブルーノ隊長の長き苦悩もこれで終わる。
「ふう……じゃ、行こうか」
「ウム……」
オーランは死んだ。ブルーノ隊長はそう繰り返していた。
兜に返り血を浴び、全身も血に塗れて、ただ前に進むことしか思考しない目の前のマスラオを見て、ワガハイ確かにそうだと感じた。
王宮の騎士にも劣らないと称された栄えあるオーラン市街地警備隊は、かの市街地撤退戦で壊滅し、わずかに残った隊員たちも皆引退するか、開拓地を去った。ブルーノ・ニートはその最後の生き残り。今ある警備隊はその後に作られたレプリカにすぎない。
その彼もこうして斃れ、また一つ、オーランの栄光が歴史書だけのものになった。
オーランは死んだ。かつて栄えたもので生きているものは何もない。救おうとする者、救われようとする者、何もかもがすでに死んでいる。
死んで、死に続けて、死に果てて、そうしてどこかにたどり着こうとしている。
きっと救いようのない因果の最果てへ。
しかし、困ったことに。
ワガハイたちは、それでいい。
それで満足できるのだ。
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