第146話 ガバ勢と王宮潜入

 世界も人の心も冬以外を知らないかのような凍てついた絵画の世界から戻ってみれば、アノールベルの空気はどこまでも清涼で、かつ空疎だった。


 そんな空っぽさが救いになるのこともあるのだと実感しつつ、ルーキは再び画衛たちの館を壁伝いにコソコソ移動し、末の王子が神官を務めるという薄布の前にやって来る。


 数珠つなぎにした耳を薄布の奥にそっと差し入れ――この時も、シルドは自分の手が布を越えないよう細心の注意を払っているようだった――、誓約を務めたことを報告。


 彼が向こう側からの答えを待つ時間は、イヤに長かったように思う。


 まるでここの主が、受け取った耳から特定の誰かを探しているかのような、思惟のある停滞。果たして、目的のものがあったのか――あるいはなかったことが判明したのか――、前と同じようにこちらには聞き取れない声でぼそぼそと言葉を交わした後、シルドはこちらに戻ってきた。


「褒められた。魔術回収完了だ。次に行こう」


 彼の声はいくぶん落ち着きを取り戻していた。それに引っ張られるように、ルーキの中にわだかまっていた気持ちも解きほぐされた。


 銀騎士マラソンをした階段まで戻ってくる。

 いよいよ大宮殿に突入かと思いきや、先頭を行くレイ親父とシルドは道を脇にそれた。


「あそこの門は中からしか開かねえんだよ」とはレイ親父の言。グラップルクローを使って門外からの侵入も考えたが、宮殿側も対策しているのか、安全に入り込めそうな場所は見当たらなかった。


 脇道の先にあったテラスの手すりを越え、近くの屋根へ飛び移る。


「こんなつまんねーところで落ちるなよ」

「一番心配なのは親父アンタなんだよなぁ……」


 細い屋根を伝って尖塔の外側に取りつく姿は、王都にBAKKOする盗賊団そのものだ。隠密性を重視する盗賊にしては、見た目がビビットすぎるというきらいはあるが。


「さて、問題はここだ」


 シルドが立ち止まった場所は、大宮殿のバルコニーまであと少しというところだった。


 壁からせり出した足場を伝えばたどり着けそうではあるが、その途中に巨大な弓を構えた銀騎士が待ち構えている。


 バリスタ級のデカブツだ。あんな矢で射られたら穴が開くどころか人体が砕け散る。

 しかしこの屋根を渡り切るには、あれに真正面から向かっていなかければならない。


「毎回冷や汗かくんだよな、ここは……」

「ガチの難所はやめろ繰り返すガチの難所はやめろ」


 一門から漏れる不安の声にはルーキも同意だった。頼れる仲間に相談する。


「サクラ、手裏剣とかないのか?」

「あるっすけど、あの鎧には効かないっすねえ……。あそこに突っ立ってるのがガバ勢なら、勝手にくしゃみでもして落ちてくれそうなんすけど」

「何だと? おい新入り。おめーにくっついてるのが失礼なことを言ってくれるじゃねえか」


 不意に、サクラの返答に不満を持った一門走者の一人が苦情を向けてくる。ルーキは慌てて「すいません」とすぐに謝ったが、他の走者も口々に、


「そうだ。オレたちはくしゃみなんかせずともナチュラルに落ちられるんだぜ」

「おれたち伝統のガバウォークをなめてもらっては困る」

「↑↑→←↓↑ これがワイの最高記録。ちなみに目的地は左」

「呪われてるよこの一門! ……ハッ! 待てよ」


 叫んだルーキはあることを閃き、レイ親父に直談判する。


「んなことホントにあんのか?」と懐疑的な親父の顔に「ありますねえ!」と食い気味にかぶせたルーキの案は、ダメ元ですぐに実行されることになった。


 それは――。


「ガバれ~。ガバれ~」

「落ちろ! ……落ちたな(願望)」

「この壁は滑りやすく、いつまでも立っていると落ちてしまいます――」


 全員で一心にガバオーラを放出する。


「なあにやってるんですかねぇ」


 サクラは呆れ顔だが、ルーキには確信があった。あのサウザンドゲートで鉄巨人を地上へと突き落としたオーラは見間違いなどではなく、サイコフレームの共振による隕石の押し返し……もとい、ガバオーラの侵食によるガバフィールドの形成に違いなかった。


「親父がいると敵も味方も盛大にガバるでしょう? あの現象を科学的に応用するんですよ!」

『科学のちからってすげー!』

「は? ガバを人のせいにすんなよ! 俺以外の誰かが悪いだけだろ!」


 レイ親父以外の全員がルーキの説得に完全に納得し、この作戦は取られたのだ。

 そして今――呪いを送る一門たちから蒼のオーラが鎌首をもたげる。


「来た! 来た! 来てんだろ!」


 ルーキは思わずガッツポーズを取った。

 ガバオーラは屋根を伝い、宮殿母屋へと伝播。じわじわと大弓騎士に這い寄っていく。

 彼からの反応は皆無。ひょっとすると、あれは一門の感性でないと視認できないものなのかもしれない。


 ガバオーラが弓騎士に取りつき、内部へとじっとり侵入して見えなくなってすぐ。

 突然大弓の弦が切れ、弾かれた弓本体が騎士の兜を直撃した。


「!!?」


 ぐらついた態勢を立て直そうと勢いよく頭を戻した拍子に、兜からは死角にあった壁のでっぱりに側頭部がぶつかり、改めて虚空へと体が弾かれる。


 ついに弓まで投げ捨てて壁面に掴まろうとするも、掴んだ部分がボロリと崩れ、彼は一切の救いなく地面へと落ちていった。


 何がなんでもガバらせて始末してやろうという制作サイドの執念を感じるワンシーンだった。


「なんだこれはたまげたなぁ……」


 さらにあきれ顔になるサクラとは対照的に、一門は大喜びだ。


「やったぜ!(土方&サイヤ人&ザビ家長男)」

「その程度のガバもリカバーできないの? そんなんじゃ甘いよ!」

「そのための右手(毒手)、あとそのための呪い?」


 今までそのガバ&クズ運に耐えてきた連中だ。面構えが違う。


「よーし! 何だかわかんねーがとにかく今のうちに通り抜けるぞおめーら!」

『ホイ!』


 ↑↑→←↑→↓→→


『ンアーーーーー!』


 キャッチ!


「マジでやめてくださいよ兄貴たち! このRTAだけで何回落ちたら気が済むんですか!? レミングスですか!?」

「ぼく悪くないもん! 元々このRTAは落下事故がすごく多いのが悪いんだもん!」

「あっ、おい待てい! レミングスが集団自殺するのはガセだゾ。本物は完全な群衆整理で穴を掘ったり橋を架けたり自爆したりしながらフレーム単位で仲間をゴールに導くゾ」

「おめーの爪マジですーげな! 何人までいけるんだよ、この見捨てることを知らない青少年野郎が!」

「ワイヤーはともかく俺が落ちるうううう!」

「何も言わずとも後ろから支えてるサクラちゃんマジヒロイン! オラッ、他のガバ勢もぼーっとしてないでさっさと手伝うっす!」


 宣言通り、何もないところで落ちかけた一門数名が、互いに掴まり合って装飾過剰なキーホルダーみたいになっているのをどうにか救出し、難所を乗り越える。


 その先に見えていたバルコニーに降り立つと、割れた窓から内部へと侵入。警備中の銀騎士に見つからないうちに、入ってすぐの小部屋へと全員で体を滑り込ませた。

 そこには――。


「おっ、来たな!」


 サグルマたち第一パーティがすでに到着し、こちらを待っていた。

 部屋の真ん中にある火溜まりはすでに点火されており、食事の準備も整っている。フルメルトたちは装備を解いて早速そのもてなしを受けた。


 ここでパーティ交代のようだ。


「ルーキ。おまえさんは残れ」


 次の行動について考えるルーキに、サグルマが釘を刺すように言った。


 絵画世界で長く休憩していたこともあって、体力にはまだまだ余裕がある。RTAも終盤に入って交代ペースも早まってきているし、次くらいまでは安全にいけるはず。そのことを説明しようとした口を、サグルマの次の言葉が塞いた。


「次からはボスとの戦いが続く。だが一番キツいのは、その先のラスボスだ。特に活きのいいヤツらでパーティを組む必要がある。おまえはラストアタックに参加しろ」

「……!! は、はい!」


 荷物を整え、レイ親父たちは再び出発していった。


「なーにニヤニヤしてるんすかねえ」


 第一パーティが用意していった軽食にありつくルーキの横から、サクラがニヤニヤとゲス顔を寄せてくる。


「だってよ、サグルマ兄貴は、俺に一番の難所に参加しろって言ってくれたんだぜ。つまり、実力を認めてくれてるってことだ」

「はー、素直! 今時乙女でもここまで素直なのはいないっすねえ! ブラックなチームに入ったら真っ先に使い潰されるタイプっす(一門がブラックではないとは言ってない)」

「ガッハッハ! だが、男子というのはそういうものだ」


 野太い笑い声を紛れ込ませてきたのは、部屋の置物の一つと化していたサボテン騎士――ではなく、覇王騎士団のバムフリートだった。


「あれ? いたんすか。静かだからわかんなかったっす」

「うむ。ワガハイも、この部屋では思わず口数が少なくなってしまってな……」

「そっすね。うるさいイビキがなかったっす」

「決して寝ていたわけではないぞ。物思いにふけっていたのだ。ここは、人にそうさせる部屋なのだ」

「部屋ですか?」


 ルーキは改めて、待機所となっている室内を見回した。

 部屋の隅に雑用品が押し込まれているが、それは後からそうされたようだ。部屋の壁をぐるりと取り巻く無数の絵画が、ここが王族のギャラリーだったことを物語る。


 シチューに溶かされた堅パンをかじり終えると、ルーキはその絵を見て回った。手持ち無沙汰なのか、サクラもついてくる。


「王室の人たちを描いたものみたいっすね」

「そうだな」


 王家が揃って描かれた絵があった。大柄で威厳のある人物は王で間違いないだろう。その隣に王妃。二人の間、やや手前に描かれているのは二人の王子だ。

 兄は物静かで穏やかな顔立ち。弟は利発そうで、少し鋭い目つきをしていた。


 絵画だからいくらでも手を加えられることはわかっているが、だとしても一家は仲が良く、威厳に満ち溢れた姿に見えた。


「この弟王子が、尖塔の下で神官やってるんだっけ」

「貴公、知っていたか」


 ルーキのつぶやきを、いつの間にかそばに立っていたバムフリートが拾う。


「左様。弟王子は生まれた時から体が弱く、精神的にも肉体的にも負荷が大きい政向きではなかったのだ」

「これを見る限り、弱そうには見えないんですが」

「画家が気を利かせたのだろう。一人だけ青白い顔では、本人も面白くないだろうしな」


 やはりそういうことらしい。


「弟王子はそこにいるとして、他の王族は今どこに?」

「ん……? うむ……。まあ、なんと言うか。ウーム……」


 普段は陽気なバムフリートが言葉を濁したので、察したルーキは慌てて「そうですか」とだけ告げ、すぐに次の絵画へと足を向けた。


「あれ、これは……」


 描かれているのは騎士たちだった。

 アノールベルにいる銀騎士たちとは違う――しかし、極めて見覚えのある兜がルーキの目を引く。


「これ、シルド兄貴の兜だ……!」


 その兜の騎士たちと、兄王子が一緒に描かれた構図。兄王子が兜を脱いでいるのに対し、他は全員が全身鎧で個人は識別できない。


「兄王子が率いた親衛隊だ。代々、王家の人間が隊長を務めることになっていた。次代の王たるもの、直に戦いの空気を知っておかなければならないからな」

「でも、名誉職みたいなもんすよねえ? 護衛対象の王族が最前線とか、隊員たちの前髪がストレスでドゥエリングバックステッポっす」


 サクラの忌憚のない意見ってやつにバムフリートはサボテンの中で小さく苦笑し、


「まあ、そうであるな。親衛隊は銀騎士の中でも選りすぐりの精鋭が選ばれ、日々の訓練は厳しく、その肉体は鋼のようであったという。そんな生活に歴代の王子が耐えられるわけもなく、あくまで軍・指揮経験のための一時預かりというのが実態だった」


 この描かれている兄王子も、鎧の中身は平凡な人間と大差ないということか。それはそうだろう。大勢の中から精鋭を選ぶのと、代えのきかない特定の一人を必ず精鋭に育て上げるのでは難易度が違う。


 シルドは顔が描かれていないこの隊員たちの一人だったのかもしれない。同じ兜と、恐ろしいほどに鍛え抜かれた屈強な肉体が、それを物語っている。アノールベルについて語る時、それ以外と雰囲気が違うこともそんな出自が理由か。


「シルド兄貴からすれば、このRTAは走者としてじゃなく、かつての自分の役割から続いてる戦いなのかもな……」


 絵はさらに続いている。

 こうべを垂れてひざまずく銀騎士にメダルを授ける兄王子や、王が取り仕切る騎士の受勲式、さらには、


「げっ、これは!?」

「ガハハ、それよ!」


 一枚だけ異彩を放つ、鉛色のサボテンが園芸店のごとく居並ぶ覇王騎士団の集合絵、そして、


「ちょっとガバ兄さん。この人って……」

「な……!? 終わってるおじさんじゃんかよ……」

「ウム。ブルーノ・ニート市街地警備隊長。モンスターから街を守ったことで勲章を授与された。これはその時の様子を描いたものだ。絵は二枚作られ、一枚は本人に贈られた。さぞ大切にしているだろう。しかし一番の誉れは、こうして王宮の一室に飾られることよな……」

「立派な人だったんすねえ。それが今じゃ、低見の見物から野次を飛ばすだけの迷惑なオッサンに……」

「悲しいなあ……」


 続く絵の中には、市民と触れ合う王妃のものもあった。誰もがにこやかに描かれており、中でも一番穏やか笑顔は王妃その人のもの。優しい絵だった。


 オーランの王家は、こうして市井の人々と身近に関わり、力を合わせながら、この土地を治めてきたのだろう。

 その結束は強く、王も上に立ちはしても、決して民を踏みつけはしなかった。


 そんな、過去の優しさと栄華の名残は、今や絵の中だけにかろうじてある。

 もはや滅びゆくだけのこの開拓地を救おうとするのは、走者の義務感や名誉欲だけではないのかもしれない。

 思い出は、心の中以外にも残しておく場所が必要だ。


 そんなことをふと思ったルーキは、次の絵の前で思わず足を止めていた。


「これは……」


 描かれているのは見慣れぬ黄金の鎧を身にまとった騎士二人。一人はスマートな竜を思わせる鎧の造形、もう一人はでっぷり太った悪魔を彷彿とさせるデザインだ。


 まじまじと見つめて、奥の玉座に王が座っていることにようやく気づけるほど、前に立つ二人の騎士はきらびやか、かつ、底知れぬ迫力がある。


「それは王の護り手。オーンステッドとハリテだ」


 バムフリートがどこか憧憬を滲ませる声でそう説明した。


「親衛隊――いや、オーラン騎士の中で紛れもなく最強の二人。我が最強の覇王騎士団でさえ、この二人を相手にするには総出でかかって、まあ、惜敗といったところか。しかし団としては依然として最強なので最強の座は揺るがぬ。だってこの二人、団じゃないし。特別な部隊名とかないし」

「最強のハードル、ふにゃふにゃになってるっすよ」

「あれ……? ここにこっそり描かれてるのって、兄王子様では?」


 ルーキは目ざとく、絵の端の垂れ幕から様子をうかがう少年を見つけた。


「ウム。オーンステッドとハリテは、兄王子の武術の指南役であり、良き友人でもあったのだ。良き友を持つ王は、良き王となる。オーランの未来は明るいはずだった……」


 懐かしむようにつぶやくバムフリートを尻目に、ルーキはチャートを思い出す。

 レイ親父とシルドが次に戦う相手の名前が、オーンステッドとハリテだった。

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