第145話 ガバ勢と罪の最果て
「どけどけー! 邪魔だ邪魔だー!」
「轢き殺されてーのかバカヤロコノヤローメ!」
「チクショーメ!」
「何コラタココラ!」
「うわぁ……何かすごいのがいる……」
狭い通路の曲がり角からそっと騒音の出所をうかがい、ルーキはげんなりする声を吐いた。
砦の中庭にあった古井戸から中に入り、現在、地下でのアイテム回収作業中。古井戸は偽装で内部は複雑な地下通路になっており、砦の各所とも繋がっている。いわゆる秘密のトンネルだ。隠されている場所だけあって、回収物も多かった。
その中の一室。
結構な広さから言って、非戦闘員の避難場所でもあったのかもしれない。しかし今、数本の柱に支えられた地下広場では、スケルトンと車輪が一体化したゲドラフみたいな謎のモンスターが奇声を上げながら走り回っている。
「あれに目を付けられると延々と追い回される。こっそりイクゾー……」
『ホイ……』
レイ親父の指示に全員の小声が返り、一門はコソコソコソコソ、ソコソコソコソコと柱の陰を移動する。幸い、車輪スケルトンたちは周りが見えないお年頃らしく、トゲのついた凶悪な車輪で床を削ること以外に何の関心も示さなかった。
そんな中、ルーキはレイ親父のすぐ隣にいるシルドへと目を向ける。
例の回収物――血塗られた盾を確保してから、彼の様子がおかしかった。今までもぼんやりしていることは多かったが、さらに上の空になっている。足取りもやや不安定なガバウォークだ。
また頭の切り替えがうまくいかずにまた寝ているのかとも思ったが、違う。
(何か気になることでもあるのか……?)
血塗られた盾は、彼のチャートにしつこいくらい書かれていたものだ。それくらい重要なものだということはわかるが、聞けばトロフィーコンプに必要なだけでそれほど希少でもないらしい。
その回収の前後で大きな違いが生じる理由が、ルーキにはわからなかった。
車輪の骸骨地帯を抜けて、ようやく地上へと出る。
「フルメルト兄貴。シルド兄貴のことなんですけど……」
ルーキは思い切って先輩走者に相談した。仲間の異変について情報を共有しておくことは、精神的な耐久力がもっとも必要になる窮地の局面で、パーティの生死を分ける要因になりうる。
「そのことか」と、フルメルトは訳を知る声で応じ、「あくまで人から聞いた話だが」の一言を前置きしつつ言った。
「彼がこのレギュレーショナーで初めて本走した時のことだ。本走は試走とは違って様々な負荷がかかる。原因のほとんどは本番へのプレッシャーだが、原因は一つでも、ガバはあらゆる場面で様々な形となって表れる」
ルーキはうなずいた。試走ではありえなかった失敗をしてしまうのが本走の怖さ。それに加えて、ガバ勢は本走で最悪のレアクズケースを引く逃れられぬカルマも背負っている。
「他の走者たちがそうであるように、彼も多くのガバを経験して、どうにかラストまでたどり着いた。後はゴールするだけ。彼は渾身のドヤポーズを決めようとした……しかし、何かがおかしい」
ルーキはごくりと唾を飲み込んだ。
「トロフィーコンプを目指す者たちは、それに強く執着するがゆえに、それぞれのトロフィーを達成した際に、脳に成功を知らせるピロン音が鳴るという。それが鳴らない。彼は不安に駆られ、すべての荷物をチェックした。とてつもないタイムロスだ。……そして、一つのアイテムを回収し忘れていることに気づいてしまった……! それが血塗られた盾!」
「う、うわあああああ!(椅子から転げ落ちそうな悲鳴)」
「さらに、それを回収するためにまたここまで長い距離を走らなければいけなくなった……! すべてタイムロスだ! 誤差では済まない!」
「いやああああああ!」
「おい新入り! でけえ声は目が覚めるのでもっとよく鳴け!」
先頭のレイ親父から褒められつつ、ルーキはこれまで寒さにもめげなかった全身の血流が一気に冷えていくのを自覚した。
「厳しいレギュレーショナーを達成したと思った瞬間、それが幻想と消える。その時の絶望を私は知っている……! うう……うごごごごご!」
「フルメルト兄貴……か、顔が!」
思い出し後悔(人類不治の病)が再発したのか、フルメルトの顔が徐々にFXで有り金溶かした顔になっていき、また元に戻っていった。
そうだ。彼もまた、有頂天状態での完走した感想をしている最中に、観客から不正を指摘されて失格になってしまったのだ。天国から地獄へ。そのフリーフォールの温度差は、味わってみなければわからない。
これが、血塗られた盾がチャートに繰り返し書き込まれた理由か。
「シルドを他人とは思えない。それが、私がこのRTAに参加した理由でもある」
「説得力の塊……。じゃ、じゃあ、シルド兄貴は今、過去のトラウマを克服してちょっと気が緩んでる状態ってことですか?」
「恐らくはね。それが油断に繋がるような男ではないと思うが……」
そういえば、この絵画世界に入った直後、シルドもまたメガトンシンドロームに苦しんでいた。彼は〈ダークエレメント〉専門走者なので、例の事件には遭遇していないはずなのだ。
つまり彼のメガトンコインは、この、血塗られた盾だったということか……。
「よし……。回収物はあと一つだ。このまま行こう」
シルドの背中が静かに告げ、ルーキの目をそちらに向けさせた。
砦はすでに端まで来ている。長い屋根付きの廊下を挟んで、小さな別棟が見えた。
ヴォオ……ォォオオオオォォオオオオ……!
突然、汽笛のような重低音が響き渡る。
「な、何だ!?」
「この先から聞こえてくるっす!」
驚くルーキとサクラに、前を向いたままのシルドの声が応じる。
「ある貴婦人のものだ。暗いエレメントの最初の犠牲者となった、ね……」
「な……!?」
ルーキは息を呑んだ。今のが、人の声?
地下にいた異形の白蜘蛛も、暗いエレメントの犠牲者だった。最初ということは、現状もっとも長い期間、暗いエレメントからの悪影響を受けているということになる。その深刻さは推して知るべし。
貴婦人。きっと、アノールベルでも立場のある女性。それが罪人たちの逃げ込み場の最奥に押し込められている。何か罪を犯したのか、それとも、誰かがその姿を隠そうとしたのか。何にせよ、あの絶叫が楽園の幸せな住人のものでないことは確実だった。
「みな、今一度注意してほしい。彼女の前で何かを言ってはいけない。彼女が何かを話しかけてきても応えてはいけない。目も合わせてもいけない。いないものとして、速やかに通り抜けるんだ」
シルドがイヤに冷えた声でそう告げ、一行はその部屋へと入った。
「…………ッッッ!!!」
ルーキは危うく悲鳴を上げそうになって、口を手で押さえた。
そこにいたのは、巨大な、どす黒い何かだった。
液体とも気体ともつかない黒いものが、どろどろと全身を流動させながら、狭い部屋の真ん中で……真ん中で……。
(ああ、なんてこった……。あれはゆりかごだ……)
手と思しき器官で、古びたゆりかごを揺すっている。
母親だ。このどす黒い何かは、母親だったのだ。
ゥゥゥヴヴヴウウウ……ボオオオォォォォオオオオ……。
全身を波打たせながら、そのかつて母親だったものがうなり声を響かせる。恐らく彼女がまだ人の形をしていた頃に使っていた室内の家具が、心を持つようにがたがたと震えた。
一門は口を真一文字に結んだまますぐ横を通過する。大回りしたくとも、その黒いものが部屋の半分近くを占める巨体であるがゆえに、目の前を通るしかない。
「オオオオォォォ……ネェ……ネェ……ミデグダザイ……。ゴンナニ……ゴンナニガワイイゴ……」
ルーキが通り抜けようとした時、その声をはっきりと聞いてしまった。
思わずゆりかごの中をのぞいてしまい、目が凍りつく。
赤子の人形。
小さな服はボロボロで、見開いた目のまわりに、まるで血の涙が流れたような汚れがびっしりとこびりついている。
「ナハ……名ハ、ナンドジマジョウ……。ゴンナニガワイイゴデズモノ……ネェ……ネェ……アナダ……」
ルーキはその時、彼女の背後にシルドが立っていることに気づいた。
彼はおもむろに大斧を振りかぶる。
殺る気か。この変わり果てた誰かの母親を。
「許したまえ」
そんなつぶやきが、なぜか聞こえた気がした。
斧が振り下ろされる。
刃が床を叩く音の直後、跳ね飛んだのは、黒いものの背後に木の根のように広がった尻尾のような器官の一つだった。
黒いものは何も感じなかったのか、無反応のままゆりかごを揺らし、何かをつぶやき続けている。
シルドが尻尾を拾うと、それはみるみるうちに短剣に姿を変えた。
ルーキはそれが、“慈悲”の名を持つミセリコルデと呼ばれる剣によく似ていることに気づく。その慈悲とは、戦場でもう助からない相手を楽にしてやることを意味していた。
「…………」
シルドはその短剣を強く、強く握り、黒いものの無防備な背中をじっと見つめて――そしてそれ以上何もせず静かに立ち去った。
チャートには、ここでのボス戦について何も記載されていない。
つまりテールウェポンを回収したらそれで終わり。ではなぜ、彼は黒い母親の背後で一時立ち尽くしたのだろう。走者に立ち止まる暇などないというのに。
なぜか、とても悲しいものを見たような気がして、ルーキもすぐにそこを通り抜けた。
部屋を抜けても、誰も何も語らなかった。
そんなふうにして、サイメーレ絵画世界の探検は終わった。
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