第132話 ガバ勢と太陽の教区
一瞬だった。
シルドが何か――人の名前のようにも聞こえた――を叫んで黒騎士に突進し、一瞬の交錯で仕留めるのをルーキは確かに目撃した。
普段の言動は不明瞭だが、黒騎士の鋭い攻撃を回避し、その後二発で仕留めた動きは凶暴かつ正確無比。技量でいえば、間違いなく一門でも上位に位置するだろう。
それほどの実力者。伊達に〈ピルグリム〉なんて異様なレギュレーショナーをやっていないというところか。
さらに言うと、末期の黒騎士が、シルドに何かを手渡そうとしたようだったが、さすがにこれは見間違いだろう。
そんな彼に対し、レイ親父は軽く肩を叩いただけで、すぐに前進を再開している。一門のメンバーも特に驚いた様子もなく、ルーキは彼の素性について聞くに聞けない奇妙な空気が口を重くしているのを感じた。
できることなら、どこで技を学んだかなどを教えてもらいたいのだが……。
「おっ、ありゃあ確か」
レイ親父の声が前方に広がった。
山道の先に、光り輝く石が転がっている。よく見るとそれには手足が生えていて――いや、トカゲだ。六本足のトカゲが、自分の体に匹敵する大きさの鉱石を背負っている。
「石ヤモリ……仕留めなきゃ」
シルドがニテ剣を肩に担いで走り出した。
さほど危険性のある相手には見えない。いわゆる素材用モンスターのようだ。倒しにくいが、ゲットできれば恩恵は大きい。
シルドのニテ剣が鋭く振り下ろされる。あの精強な黒騎士を二撃で仕留めた剣術。ただの素材モンスターごとき、一発で討伐――。
「動くと当たらないだろォ!?」
ならず。
シルドは石ヤモリのすぐ隣の何もない地面をざくざく斬っていた。
「動い……てるんですかね……?」
「やっぱあの人やばいっすよ……」
眠ったように微動だにしないヤモリを見ながら、ルーキとサクラはうわごとのような声で言い合った。
その後、何とか石ヤモリを仕留めてレアっぽい鉱石を入手。さらに前進を続けた一行は、やがて石造りの建物へとたどり着く。
神殿のような大きな柱が目を引いたが、それよりも奥から響いてくる金属音が気になった。
「何の音だ?」
「これ、金床を叩く音っすね……」
金床は鍛冶屋なんかにある金属の台座だ。ルーキもロコの実家の工房で見たことがある。しかし、こんなところに人がいるのか。ましてや、今は暗いエレメントからの襲撃を受けている最中なのに。
「あぁ、あんたら走者か……」
「いた!?」
「いたとは何だ。俺ぁおめぇみたいな若造が生まれる前からここで仕事をしてんだ」
「すいません……」
もりもりと豊かに茂った白髪を襟足で雑に結んだ老鍛冶屋は、職人特有の頑固な声をこちらに向けつつも、目と手は一切仕事から離そうとしない。
異様に発達した腕の筋肉は、仕事と武器の扱いで蓄積したものだろう。武器を操れない者が良い武器を作ることはできないのは自明の理。それと皮膚に浮いた数えきれないほどの火傷の跡だ。どちらも、鉄と火の粉にひたすら向かい続けたベテランの特徴に違いなかった。
よくよく考えてみれば、僻地に住む仙人のような職人がいること自体は、さほど珍しいことではない。
街にいれば何かと雑用が増えるため、作品作りに没頭するには人気のない場所が一番なのだ。森が近くにあれば、窯に使う薪も集めやすいだろう。ここまでの道中でこの森にさして危険がないことはある程度把握できている。
シルドが歩み寄った。
「これを……頼みたい……」
カタコンベで黒騎士から奪った斧と、さっき拾った鉱石を鍛冶屋へと差し出す。
「斧を拾ったか……。いつものことだからわかってると思うが、この強化は応急処置的なもんだ。この斧も地金が相当傷んでる。走り終わる頃にはもう使い物にならねえことは承知の上で頼んでるんだよな?」
「ああ。この戦い、もてばいいよ……。どれくらいかかる?」
「その石があれば、すぐだ。先に用事を済ましてくるといいぜ」
「そうするよ……」
シルドと老鍛冶屋は顔馴染みらしい。それはそうだろう。恐らく、RTAのたびに利用しているはずだ。
奇妙だったのは、こちらが仕事部屋の脇にある階段から上に行こうとしたとき、
「なあ……その……あんたよ」と、老鍛冶屋が呼び止めて、
「いつまでそうして……いや……いい」
そう何かを言いかけたことだ。何かとても悲しそうで、やるせなさそうだった。
「頼んだよ」
シルドは不思議そうに少し首を傾げながらそう言って、階段を上っていった。
まただ。終わってるおじさんといい、ここの開拓民たちはみな、シルドに何か思うところがあるらしい。応援するでも否定するでもない何か。
そのあたりを本人に聞いていいものかどうか悩むルーキは、一門に続いて上った階段の先であるものを見つけた。
「火溜まり!」
屋内にも関わらず、石造りの床に小さな熾火があった。
火は今にも消えそうなほど小さく、その代わり、黒い陽炎がまとわりつくように揺らめいている。恐らくはこれが、火の供給路を塞いでいる暗いエレメントなのだろう。
全員がカンテラを傾けて火採りを行う。“果ての火溜まり”で採取した火が零れ落ち、暗いエレメントを払って熾火を強い火へと変えた。
燃えているのは床石だが、焦げている様子はない。手をかざしても熱は感じなかった。本物の火ではないようだ。
ルーキはふと、シルドが鉄兜の奥からじっと火を見つめていることに気づいた。
「……!?」
その時だ。再点火の際に散った火の粉の一部が、彼の鉄兜の中に吸い込まれていく。そして、それと呼応するように、鉄兜のわずかな隙間から黒い陽炎が抜け出ていった。
(何だ……?)
目をこすってまじまじと見直すと、その現象はもう起こっていなかった。
(気のせいか……)
火採りで払われた暗いエレメントがたまたまシルドの近くを通っていっただけかもしれない。そもそも、仮に見たままだとしても、それが何を意味するかさっぱりわからない。
「行こうか。先は長い」
シルドがこちらを見て言った。ついさっきよりもわずかに鮮明さを強めた声に少し面喰いつつも、ルーキはすぐにうなずき返す。
火溜まりのある二階から出ると、地面をまっすぐ伸びる通路があった。二階にもかかわらず出た先が地上ということは、ここもアーグラ騎士がいた塔と同じく、斜面下にある森と上の土地を繋ぐ建物だったようだ。
前方には巨大な建造物群があり、綺麗な円形のオブジェがそこここに見える。雰囲気からして宗教的な施設らしい。市街地と同様、ツタやコケに覆われて寂れた様子ではあるものの、元々人が多く暮らす場所でないせいか、神秘性が勝って荒れ果てた印象はなかった。
「あのシンボルは太陽を表しているんだ」
問われもしないうちからシルドが静かに言った。
「アノールとは太陽を意味する古代語。開拓民もそれに倣って太陽を篤く信仰している。ベルは鐘のある家、転じて、神の隠れ家という意味。アノールベルで、太陽神の隠れ家ということさ」
引き続き明瞭な言葉だ。さっき火採りをしてから、彼は以前の鈍さを少しそぎ落としたように思えた。
ふと、長い通路の先から、歩いてくる人影が見える。
ルーキはそこに、見慣れた緑と白のコントラストを発見した。
「あっ、委員長!?」
見間違えようがない。リズ・ティーゲルセイバーだ。
やはり来ていた。先輩ガチ勢とのパーティらしく、落ち着いた歩調の仲間たちとこちらに歩いてくる。
「おーい、いいんちょ……」
「よせルーキ」
呼びかけようとしたルーキを、サグルマが手で遮った。
「あそこにいる連中に近づくな」
「え?」
リズを含むガチ勢とすれ違う。道は広く、二つの勢力が特に譲り合わなくとも余裕で通り抜けられた。
「……?」
その時、ルーキは彼らの異様さに気づいた。
全員が目を閉じている。
「あいつら、TGSの途中だ。邪魔をすると怒られるぞ」
「トウキョ・ゲム・ショウ……?」
「サウザンド・ゲート・スキップな。俺らがこれから取りにいこうとしている二つの許可証なしにアノールベルに入る大技だ」
「そ、そんな方法が!?」
ルーキは一言も発さずに遠ざかっていく委員長たちを見やる。
そこで、目撃した。
彼女らが建物の壁を突き抜け、森の中へと消えていくのを。
「な……!?」
慌てて目をしばたたいたが、その光景に変わりはない。
「“天瞰”と呼ばれる一種のトランス状態だ……。自分の意識を天高く持ち上げ、己を世界の一部として俯瞰する。すると、世界と同化した肉体は、あらゆる障害物をすり抜けて移動できるようになる」
「そうはならんでしょう!?」
「なってるだろうが」
叫んだルーキは改めて木々をすり抜けていくガチ勢を凝視し、声を震わせた。
「だってあれは……まるでスタールッカー姉貴じゃないですか……! まさか委員長はもう……!?」
人間を辞めてしまったのか。もう、かりうを渡してイヤな顔をされる以外、どんなやりとりもできないのか。
しかしサグルマは小さく笑い、
「心配すんな。あれはこの土地特有の現象で、〈超ヤサイ諸島〉でおまえがムッキーになったようなもんだ。だいたい、スタールッカーがRTAの歴史上未だ一人だってこと忘れるなよ。あんなもんが
「そうですね……」
ほっとしたルーキは、今度は反対に、TGSを実行できる委員長がうらやましくなった。
「あれ、俺たちにはできないんですか?」
無理を承知で聞いてみる。
「不可能とは言い切れねえが……おまえ、天瞰がどういう状態かわかってるか?」
「えっ、さっき、自分を天から俯瞰するとかなんとか……」
「ああ。つまりな。屋内に入っちまうと、自分が見えなくなるんだよ」
「ファッ!?」
「おまけに五感も一緒に天に昇ってるから、自分が今どう動いているかも確かめられねえ。一切の体感がないまま、手足を動かしてるんだ。ちゃんと目的地に着けばいいが、気がついたら本体は崖下に転落して肉片になってるかもしれねえし、川で溺れ死んでるかもしれねえ。敵にやられてることもあるかもな」
ルーキは何も言い返せずに黙り込んだ。今、委員長たちが歩いている森の中も、空から眺めればほとんど木しか見えないだろう。段差があって転びでもしたら、それだけでアウト。本人は歩いていると思い込み、体は倒れたまま手足を動かし続けることになる。
「そういうことをするのがガチ勢だ。もちろん、イチかバチかでやるような連中じゃない。ものすげえ鍛錬を積んで、チャートにがっつり組み込んでからやってる。もしTGSに挑戦したきゃ、おめえもそれくらいやってからにするんだな」
「は、はい……」
逆に言えば、委員長はそうした訓練をすでに積んでいたということだ。こっちのガバガバなRTAに付き合ってくれている一方で、確実にガチなスキルを身に着けている。
(……もっとしっかりしないとな)
〈ランペイジ〉完走だけで勝ち誇っている自分が何だかひどくマヌケに思えて、ルーキは今一度目に力を入れ直し、前を向いた。
委員長が難しい技に挑んでいるように、こっちは〈ピルグリム〉に挑戦している。今はこれに集中して、成し遂げるのだ。次に彼女に会ったとき、臆せず完走した感想を言うために。
ほどなくして教会区に到着する。
「よーし、一気に駆け抜けるぞ!」
レイ親父の再び号令。一門が走り出す。
もはや恒例になりつつある危険ゾーンのダッシュ。十倍ウォークとは真逆の戦法に、レイ親父の声は若干嬉しそうでもある。
飛び込んだ先は礼拝堂だった。大きな祭壇があり、その手前に神父が立つ講壇と、それと向かい合う聴衆席が目に入る。
長椅子の近くで振り向いた複数の影があった。
どこか王宮の儀仗兵を思わせる、華美な甲冑の騎士たちだ。
恐らくは宗教施設に関わる特別な警備兵なのだろう。
甲冑に刻まれた無数の傷。そして振りかざされたぼろぼろの剣が、彼らがすでにまともな理性を残していないことを如実に物語っていた。
彼らも理性を破壊された亡者なのだ。
「何がYだよ太陽なんかクソ食らえだオラァァァァ!」
「死の王万歳! 世界なんか悲劇でいいんだよ上等だルルォ!?」
「金、暴力、セエエエエエエッ!」
「こっちも亡者化が進んでる!?」
ニテ剣を掲げた一門が凶相で襲い掛かっていく。
ルーキは先輩走者たちの闇が不安になった。
「上の階だ! どんどん進め!」
サグルマの叫びに応じて、ルーキはグラップルクローを天井に向けて射出。反応して背中に飛びついてきたサクラと共に階段を省略して二階へと跳躍する。
飛び上がったルーキは、着地地点に教会騎士一体が待ち構えているのを見た。
肩の後ろからサクラが身を乗り出し、何かを投じる。直後、教会騎士の鉄兜に、無数の苦無が突き立った。のけぞり、足が止まった。
「どりゃあああ!」
着地と同時にグラップルクローの加速を乗せたニテ剣を叩きつけ撃破。
さらに亡者兵士が二体、こちらを挟み撃ちにするように攻め込んできたが、ルーキはグラップルクローで一人の足をキャッチし、ワイヤーの緊急回収ボタンを
「片方足止めしたっす! 狙って!」
「合点!」
猛スピードで引きずられてくる亡者を、サクラが苦無で足止めしていたもう一人へと投げ飛ばす。激突した二体は、揃って中二階の手すりを越え、礼拝堂へと落ちていった。
「よーし、新入り! 梯子の見える奥の部屋だ! どんどん進め!」
レイ親父を先頭に、一門が追い付いてくる。ルーキはうなずいて二階を見回し、二つある部屋のうち、どうやら屋根裏へと通じている方へと走った。
群がってくる亡者兵士を無視し、グラップルクローで梯子をスキップ。一瞬確認したが、亡者たちは梯子を使えないようだった。
危険ゾーンは切り抜けた。ここはもう安全地帯だ。
「よし、ここで親父たちを待つか」
「そっすね。はー疲れた」
ルーキが床にしゃがみ込んで一息つくと、汚れた床に座りたくなかったのか、サクラが無遠慮に肩に尻を乗せてくる。
今更気にするような仲でもない。それより、わずかな休息時間がありがたかった。
だが。
「ん……?」
ルーキはふと、天井裏に置かれた木箱の中に、おかしなものが混ざり込んでいることに気づいた。
「……何だ、これ……?」
部屋に、サボテンが生えていた。
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