第131話 ガバ勢と崖下の森

 見張り塔内部へと突入した一門は、亡者兵士たちが守る上階を目指さず、下へと向かった。

 のぞき窓から外を見ると、どうもこの塔は、市街地と、その下側に位置する森とを繋いでいるようだ。


 薄暗い最下層に着いたシルドが木扉に飛びつき、どこからともなく鍵を取り出して鍵穴に突っ込む。

 その時、最下層の荷物置き場の一部が、のそりと立ち上がった。


「…………!?」


 それはまるで、城塞をその着込んだような重装騎士だった。


「“アーグラ騎士”が起きたぞ! シルド、さっさと開けろ!」

「わかってます……。ただ、鍵が錆びてて…………」


 何とか鍵が開いた。シルドがすぐに脱出し、待っていた走者たちもなだれ込もうとするが、それよりもアーグラ騎士の方が早い。


 彼が振り上げた得物を見て、ルーキは言葉を失った。


 棍棒と呼ぶのも生ぬるい、まるで巨大な竜の牙を抜歯してそのまま握っているような、無骨かつ野蛮極まる鈍器。

 どんな盾で防ごうとも、盾ごと相手を押し潰すだけの重量と迫力を、本能自体に叩き込んでくる。


「間に合わねえか、クソが!」


 レイ親父が前に出る。


「親父、いくらなんでも!」


 ルーキは悲鳴を上げた。RTA研究所のステータス検査では、レイ親父の膂力は理論上のほぼマックス。しかし相手の一撃はそれこそ、理論も理屈も超越した破格の説得力を持っているのだ。


 大太刀を正眼に構えたレイ親父の小さな唇が、細く息を吸う。

 特大棍棒が振り下ろされたのはその直後だった。


「シィィィィィヤッ!」


 墜ちてくる隕石のような一撃を、“宵”の切っ先がわずかに横に押しのける。

 刃上を滑る棍棒の凹凸が身の毛もよだつような金属音を引き、目がくらむほどの火花をまき散らした。


 一瞬後、棍棒の頭は、レイ親父のすぐ横の床を叩いていた。

 運動エネルギーが即座に熱へと変換され、ガン、という轟音が室内どころか塔全体を微震させた時には、すでに床は赤熱の色を示している。


 受け流した。

 あの超重量の一撃を。


“宵”の刃渡りは約一メートル。棍棒の打撃点がその距離を移動するのに半瞬あれば事足りる。そのわずかな間に、レイ親父は真垂直の打撃線をおよそ三十度角ずらし、自身の真横に落としてみせたのだ。


 それは単純に卓越した技と呼べるものではなかった。レイ親父の力と技、そして決して刃こぼれしないという“宵”の強度を合算して、無理矢理導き出した回答だ。


「オルルアァァ!」


 さらに、その棍棒をレイ親父が踏みつける。アーグラ騎士が持ち上げようとするも力は拮抗して、棍棒と床の間でがちがちと音を立てさせる。


「今のうちにさっさと行きやがれ! こいつとはやりあうだけ無駄だ!」


 ルーキと残っていた一門は、大急ぎで扉をくぐった。


「親父、もういいでさあ!」というサグルマの一声に振り向いてみれば、レイ親父とアーグラ騎士のにらみ合いが緊張の飽和状態を迎えている。


 親父が足をどかせば、アーグラ騎士はすぐさま追撃に入るだろう。退却の際の殿がもっとも危険なのは、戦場に出た者であれば誰でも知っている。


 素早さではレイ親父の方が上だろうが、相手はあの棍棒を枯れ枝のように軽々と振り回してくる。一瞬の勝負になりかねない。


 アーグラ騎士の砦のような甲冑から殺意にも似た湯気が立ち上る。それと同時に、不敵に笑うレイ親父からも達人めいた深蒼のオーラが湧き上がった。


 親父もマジだ。これならいけるか……!?


「あっ、まずい……」

「あれはダメなパターン」

「扉が勝手に閉まりそう」

「あれダメな時に出るオーラなの!?」


 先輩たちからの不穏なつぶやきを聞き取ったルーキは、慌てて射角を取れる位置に走った。


「親父、柄をこっちに!」


 すぐさま反応して差し出された“宵”の柄へグラップルクローを射出。キャッチ後、即座にワイヤーを緊急回収する。


「あばよクソッタレ! もう来ねえよ、ぺっ!」


 レイ親父の足が棍棒の上から離れた時には、もうその小さな体は宙へと舞って、塔の戸口を抜けだしていた。


 空中でアンカーを開きリリース。引き寄せられたベクトルに従って飛んでくる一門の長を見て、反射的にお姫様だっこで受け止める姿勢を取ったルーキだったが、


「おーっと、何かガードから素振りしようとしたら撃壁背水掌が暴発したっす!」

「うわ押すな! 何だよサクラ!」


 ぺちぺちと掌底で押し出された元の位置に、レイ親父が華麗に着地する。


「ふう……助かったぜ新入り」


 朗らかな笑顔に「い、いえ(トゥンク)」と返したルーキだったが、直後に後ろから肩を叩かれ思わずぎょっとする。


「ナイスサポート、よくやった……と言いたいところだが、ほよの掟、忘れたわけではあるまい?」

「えっ」


 いつの間にか先輩走者が集まってきていた。


「ほよはでしゃばらない。その先に行ったヤツは野獣。よってほよは紳士。いいね?」

「過度なスキンシップは身を滅ぼす。当たり前だよなあ?」

「忍者娘に感謝するんだな。ていうかおめーはあっちとじゃれてればいいんだよ!」


「そうよ、そうよ!」と何やらカッチャマの声帯模写をしたニンジャらしき声も聞こえてくるが、とにかくルーキは自分が危機一髪だったことを今更ながらに理解して、震えた。


 逃げるように動かした視界に、ふと、アーグラ騎士の姿が映る。

 扉のすぐ外までは来たものの、それ以上追いかけてはこず、何事もなかったかのように静かに扉を閉める。


 彼も、もう中身は亡者だったのかもしれない。

 森と街の境目を守っていたのか。その役目を、今もずっと続けているのか。問いかけても答えてくれることはないのだろうと思いつつ、ルーキはすでに移動を開始していたシルドを追いかけた。


 市街地のすぐ下には、驚くほど暗い森が広がっていた。


 黒々とした葉を持つ木々の向こうに、大きな湖が見える。

 離れたここからも、水面が大きく波打っているのがわかった。恐らくは風のせいだろう。そう思いたい。生き物が立てる波紋にしては大きすぎる。


 幸い、パーティは湖とは逆方向へと進んでいった。


 亡者兵士たちが溢れかえっていた市街地と違い、森は平穏だった。

 敵と出会うこともなく、住んでいる動物の姿はおろか物音さえない。

 この規模の森にしては奇妙だ。これも暗いエレメントの影響なのだろうか。


 しかし、草木が豊かに生い茂り、飛び交う無数の羽虫の姿からは、森はむしろ生き生きとしているようにすら思える。

 暗いエレメントとは、一体何なのだろうか。たとえば〈ロングダリーナ〉の破壊精霊のように、他の生物を暴力的にしたり、悪い影響をもたらすものとはまた違うのだろうか。


 オーランを荒廃させたものの正体。RTAの完走にそうした踏み入った知識は必要なく、当然、一門のチャートにもその実態については記されていない。

 このRTAを終えた時、自分はそれを知るのだろうか。


 そんなことを考えながら進むルーキは、道の先に、あの地下墓地でも見かけた黒い騎士が佇んでいるのが目に入った。


 こんな何もない場所で、誰かを待っていたみたいに。


 ※


「----」


 自分が何をつぶやいたのかもわからないまま、駆け出していた。

 ニテから授かった“死王の剣”を斜に構え、邀撃の態勢を取った黒騎士の初撃、地面すれすれを薙ぎ払う斧槍の刃を飛んでかわす。


 切り散らされた下草の音が鈍い。もはやこの斧槍にかつての鋭さはない、と胸中の何かが語り掛ける。


 空中でニテ剣を大きく振りかぶり、黒騎士の肩に叩き落とした。

 あの焦熱し切った黒い鎧には切断など意味がない。力任せの一撃で内部を粉砕する以外に倒す方法はない。


 それだけの、強者たちだ。


 死王の剣が内包する腐敗の力が、黒騎士をよろめかせ、片膝をつかせた。

 首を刈る絶好の機会を前に、視界は一瞬の光に包まれ、何かの光景を浮かび上がらせる。


 今と同じく片膝をつくこの騎士。

 華やかな光に彩られるその周囲。

 自分はその首に、――を。かけ。て。


「…………!」


 曲剣を力任せに黒騎士の首に叩き込んだ。

 明確に内部が破壊される手応えが、腕を伝い、心臓へと達する。


 瞬間、頭の中のどこかが“開いた”ような気がした。


 頸部を砕かれた黒騎士は、断末魔の痙攣を起こしながら何かを取り出し、こちらに差し出す。

 受け取ろうとする前に、それは手から零れ落ち、そして彼もまた倒れた。

 落としたものを拾い上げ、まじまじと眺める。


「そうか。君はまだ、こんなものを集めていたのか」


 白く輝く鉱石だ。そう、これを集めることが彼の――彼らの――普段の役目で――それは――王が――暗い――後も――。


「…………?」


 何だ?


 今、自分は何を言おうとした? いやそれ以前に、何を言った?


 黒騎士が倒れるのを見て、何かを言って、別の何かを言おうとした……ような気がする。大切な何かを……いや……そんなこと、していなかったか? ただ、このテキと戦って倒した。それだけの……ことだったか?


 手の中の鉱石を今一度見つめる。これは背負っている斧を強化するための特別な素材だ。ここで手に入ったのは運がいい。

 それは喜ばしいことだ。楽しいことだ。


 だったら、なぜだ?


 こんなに、胸が苦しいのは……。

 なぜ、こんなにかなし…………。


「……?」


 何だ? 今、何を思った? 悲しい、と思おうとしたのか? どうして? いや、そんなこと別に思いもしなかったか?

 何かが。何かがおかしい。自分の中の何かが。


 不安に駆られて――不安? 本当に?――両腕を見る。書かれているのはチャートだ。それ以上でもそれ以下でもない。血塗られた盾ブラッディシールド、血塗られた盾……これは、何だ? これは本当は……何だ?


 ここに答えはない。視線をさまよわせる。振り返る。

 白い髪の幼いあの人がいた。


 ……ああ、大丈夫だ。


 その人がこちらを見て薄く笑っている。

 だから、自分は間違ったことはしてない。


 していないんだ。

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