第130話 ガバ勢と〈ピルグリム〉の脅威

「リタイアって、え……!?」


 先輩走者たちの思いもよらぬ発言にルーキはうろたえた。


 リタイア。断念。それはレイ一門が徹底的にイヤがる再走ですらなく、そのRTAを完全に諦め街に帰るということだ。

 チャートが根本から崩壊するか、パーティが立て直し不能な壊滅状態に陥るかしなければ、その選択はあり得ない。しかし、


「そうかよ」


 そんな発言に対し、レイ親父は一瞥と一言を向けただけで、さっさと歩いていってしまう。その淡泊さもルーキには信じられなかった。


「何ぼさっとしてんだ新入り。おまえはちゃんとついてけよ」


 リタイアを宣言した先輩走者に促され、ルーキは戸惑う足取りでレイ親父たちを追う。


「サ、サグルマ兄貴。これは一体……」


 後ろを何度も振り向き、リタイアした一門走者たちがその場から一歩も動かずにこちらを見送っているのを視認しつつ、疑問をぶつける。


「続行か再走かリタイアか、決めるのは個人だ。もう走れないと言ってるやつを無理矢理連れ回すわけにもいかねえからな」


 サグルマからの返事もそっけない。


「でも、まだ始まったばっかりだし、ニテ剣だって手に入ったのに……」

「他人のことなんか気にしてる場合っすか、ガバ兄さん。待ち伏せっすよ!」


 サクラに肩をぐっと引っ張られて見てみれば、家屋の物陰から亡者たちがわらわらと出てくるところだった。


「構うんじゃねえぞ。駆け抜けろ!」


 レイ親父の号令を受けて、全員が地面を蹴る。リタイア組の姿はすぐに見えなくなった。


 距離を取ってしまえば亡者兵士たちはそれ以上追ってはこなかった。近づく者以外は興味がないらしい。あるいは、もはや近くの相手以外感知できないほど、亡者化が進んでしまったのか。


 パーティが半数になったことが、かえって有利に働いた。格段に移動が速くなり、強行突破が容易になったのだ。


 ガバ勢RTA心得一つ。ガバは人を身軽にしてくれる。

 完璧に走ろうとする意志は人の動きを硬化させる。多少ガバった方がかえって緊張がほぐれるものだ。


(そうだな……。今は、済んだことをあれこれ考えてもしょうがない)


 反省会は完走の後だ。ルーキは、サクラの言うように自分の走りに集中することを心に決めた。

 全力疾走から再び早足に戻り、荒廃した市街地を進む。


 険しい斜面に作られた街らしく、高低差がかなりある。橋や見張り塔のような建物があるのは、いざという時の防衛に気を遣ってのことだろうか。


 建物は石材を綺麗に積み上げた、ルタの街にも引けを取らないものだが、壁は苔むし、敷かれた石畳の隙間からは雑草が生い茂っている。


「何か変だな……」とルーキは自覚なくつぶやいていた。


「なんすか?」

「いやさ、ここ、本当にちょっと前まで人が住んでたのか? 魔王――暗いエレメントってのが現れるずっと前から、こんな感じみたいに見えるんだけど」

「……知らんのすか、ガバ兄さん」


 サクラは声を小さくして言った。


「ここは、開拓地としては、失敗した土地なんすよ」

「……え?」

「支えきれなかったんす。衰退の原因はよくわかんないすけどね。確か、十何年か前に開拓事業は完全に頓挫。開拓民はほとんどが都市部に帰還するか、死ぬかして、今住んでる人は当時のごく一部っす。この市街地だって大部分は普段から無人っすよ」


 ルーキは唖然として、「そんなこと資料には書いてなかったぞ……」とつぶやいていた。


「あー、まあ、表向きの資料にはあんま書かれてないっすね。何しろ、この規模の開拓地がダメになったわけっすから」

「人気のRTAスポットだから、てっきりすげー栄えてるかと思ってたよ……」

「もともとが大都市だったっすから。人口だけで言えば、まあ今でもそこらの開拓地よりはいるんじゃないっすかね。それに、オーランには他では見られない特異な魔法技術なんかが眠ってたりして、まだまだ研究価値は高いんす。だから、RTAが続けられてるわけっすね」


「そうか……」と相槌を打って、ルーキはシルドの強靭な背中に目を向けた。


 彼はオーラン専門の走者なのだろう。バーニングファイターのように、開拓地に住み込んで走り込んでいるタイプだ。


 先のない開拓地。わずかに残った住人たち。RTAを完走しても、取り戻せる暮らしは全盛期のごく一部。それでも、暗いエレメントと戦いながら火採りを続け、この土地を守っているのだ。


 何か縁故があるのかもしれない。あるいは、たまたま性に合ったのかもしれない。

 一つわかるのは、彼が偉大な走者だということだ。都市でもてはやされるわけでもなく、完走した感想を開いて皆と語らうでもなく、ただひたむきに走る。自分には真似できない、尊敬に値する走者だ。……裸鉄兜という格好以外は。


 そうして一門は街をだんだんと上っていった。

 ふと、ルーキの目に、斜面のさらに上の方に巨大な壁がそびえているのが映る。


「あの壁は……?」

「アノールベルの外壁だ」


 答えたのはシルドだった。彼は、時折いやに明瞭に言葉を発することがある。今回もそうだった。


「あの壁の向こうにアノールベルの宮殿がある。だがそこに向かうには…………向かうには…………ええと…………何だっけ?」

「外壁を越えるには二つの許可証が必要になる。今、取りに行ってるのがそれだ」


 急に言葉を不明瞭にした彼に代わって続けたのはレイ親父。シルドが「ああ……そうそう……」と、ぼんやりした動きで何度かうなずく。


「宮殿にはまだ人が残ってるんですか?」


 ルーキは聞いてみた。


「残っては……いるね。うん……残っては……」


 彼の答えは曖昧だった。もっとも、忙しない状況にある今、無理に知るべきことでもない。休憩中に腰を据えて聞こう、とルーキは思ったのだが……。


 それからさらに進んだところで、彼はある疑問を抱いた。


「サグルマ兄貴……そろそろ休憩とか、なさらないんですか?」


 敵がいる場所ではダッシュ。そうでなくともかなり早足で移動している。街中は山歩きをするほどには疲れないが、それでもそろそろ一息つくべきタイミングだ。


「ほう、ルーキおまえ……」


 サグルマの隻眼が愉快そうに大きくなったので、ルーキは少し慌てた。


「いや別に、もうチカレタ、やめたくなりますよ走者ー……ってわけじゃなくて。……た、ただ、コンディションのピークを保つには、そろそろ、一息入れてもいいんじゃないかなーって……」


 恐る恐る返したルーキに、サグルマはニヤリと笑い、


「いいや。休むにはベストなタイミングだと思うぜ。〈ランペイジ〉ではおまえがリーダーだったんだよな。時短が肝心なRTAでの休憩は、見極めが難しい。それでドジるパーティは山ほどいる。しっかり経験が身についてるじゃねえか」

「えっ? そ、そう、ですかね。へへへ……」


 照れ隠しに頭をかく。


「やっぱり名補佐役の可愛い忍者とかがいたおかげっすかねえ? 誰かさんはすーぐチャートを忘れるし、カマキリ捕まえてダメ男と一緒にはしゃぐし……」

「許してください! チャートは言い訳できないけど、他はコミュニケーションの一環だったんです!」

「ほんとぉ?」


 ルーキとサクラのやり取りを見て、サグルマはまぶしそうに目を細めた。そして言った。


「だけどな。〈ピルグリム〉に休憩はねえぞ」

『へ?』

「タイマーストップまで不眠不休だ。朝も夜も関係なく走り続ける。そういうレギュレーショナーだ」


 二人はそろって目を剥いた。


「んな!? ずっと起きてるんですか?」

「あ ほ く さ ! 拷問か何かっすか? できるわけないっすよ、そんなこと!」

「普通はな……」


 サグルマは鼻の頭をかきながら、先頭を行くレイ親父とシルドに目を向けた。


「まあ、とにかくそういうわけだから、できる範囲でやれ。このレギュレーショナーは、完走すること自体が一つの偉業みたいなもんだ」


〈ピルグリム〉というレギュレーショナーについて、サクラが知らないほどにマイナーな理由が、ルーキにはようやくわかった。


 タイムが遅いとか、トロフィーに価値を見出せないとか、そんなあっさりした理由じゃない。


 純粋に不可能なのだ。イカれてる。わざわざこんな苦行苦行アンド苦行のRTAをするなんて、前世でよっぽど悪いことをしたか、昨日から自殺が趣味になったかの二択以外ありえない。


 さっき脱落した走者たちは、それを見越してのことなのか。ここまでついてきて義理は果たした……とか、そういうことなのだろうか。


(だけどよ……!)


 ここでビビるわけにはいかない。

 たとえどんなにデタラメなレギュレーショナーでも、いや、だからこそ、もし完走できたらそれこそ評価は爆上げだ。


「やってやる……やってやるぞ……!」

「なんか、パワーが違いすぎるって泣き言言いそうな台詞っすね」

「でも攻撃する時は、落ちろってんだよぉって威勢よさそうでもあるゾ」


 コソコソ言っている二人を放っておいて、ルーキは改めて前を見据える。

 路は見張り台への階段に続いていた。結構大掛かりな施設だ。このあたりで大きな戦いがあってもおかしくない。


 一列に並んで階段を上った。

 不意に、ルーキの鼻先に、油と何かが燃える臭いがかすめる。


「おい、全員わかってんな!? 来るぞ!」

「えっ!?」


 レイ親父の声に一瞬戸惑ったルーキは、その直後に燃え盛る樽が階段を転がってくるのを目撃し、全身をこわばらせた。


 狭い通路に罠を仕掛けるのは基本中の基本だ。階段上には勝ち誇るようなドヤ立ちの亡者兵士がおり、理性や知性を全部吹っ飛ばされても、彼の体にこの作戦が残っていたことをうかがわせる。


「もうさすがに慣れたよ……」


 落ち着き払った先頭のシルドがつぶやき、ジャンプするイルカのように、綺麗に樽を飛び越える。

 次はレイ親父だ。


「へっ。落ち着いてジャンプすりゃ余裕なんだよ。見とけよ見とけよー!」


 一門の長らしく、門弟たちの手本となるべく軽やかに飛び越える。


(さすが親父だぁ……!)


 とルーキが思った瞬間。樽は“偶然にも”段差でイレギュラーバウンドし、正確無比に親父を追尾した。


「はああああああ!?」


 このままでは直撃する。しかし、不幸に慣れたガバの王はそれくらいでは動じない。すぐさま背中の“宵”を一閃。燃える樽を半分に叩き切る。


 しかし切れ味が良すぎたのか、樽は二つになっても軌道を変えずに空中でレイ親父を撃ち落とした。

 隙を生じぬ不運の二段構え。完璧だった。


「ンアーーーーー!!」

「ほげえええええ!」

「ぎゃああああ!」


 吹っ飛んだ親父と、砕けた樽が後続の一門をなぎ倒す。

 グラップルクローですでに壁の高い位置に取りついていたルーキは、これ幸いと背中にくっついてきたサクラと共に、その光景を目撃することになった。


「ふーざーけーるーなー! 今まで一度もそんな跳ね方しなかったじゃねえかよ! 何で今回だけそうなるんだよ!?」


 一度地面で手足をばたつかせたレイ親父が、立ち上がって改めて喚き散らす。

 樽の直撃を受けたものの、あんのじょうぴんぴんしている。


「親父がさっき一発ドロップとかするから……」

「これからはもう不運しかないよ」

「カネー……」


 下敷きにされた一門も無事だ。精神的にはややダメージを負ってそうだが。


 階段上のシルドが、樽を落とした亡者を撃破。とりあえず周囲の安全を確保して被害状況を確認する。

 結果、問題なし。罠としてはかなり危険なものだったが、無駄に頑丈なレイ親父が食らったのが不幸中の幸いだった。


「ん?」


 地面に降りてきたルーキはふと、焦げ臭い臭いをかいだ。樽の燃えカスかと思ったが、もっと近く、もっと生々しい。あたりを見回し、そして出所を見つけた。


「えっ!? お、親父ィィィ!?」

「あぁ? 何て声出してんだ新入り……ん?」


 レイ親父の萌黄色の着流しのお尻のあたりに火がついていた。


「うおおお!? あち、あっち、熱いッシュ!」


 レイ親父は慌てて火を叩き消したが、着流しの一部が焦げてしまった。


「ああ、ちくしょう。変なところが燃えやがった。仕方ねえ、ケツまくってごまかすか」


 着流しの裾をたくし上げ、燃えた部分を隠す。


『…………』


 レイ親父の驚くほど白くて細い太ももが露わになった。後ろを向き、体をくねらせるように角度を変えながら、その場の全員に聞いてくる。


「おい、どうだこれ? 焦げたとこ見えてねえよな?」

『み、見え……見え…………』

「ああん? まだ見えてんのかよくそっ。しかたねえ、もう少し端折って……。これでどうだ?」

『ヌッッッッッッ!!』

「汚い返事っすねえ……」


 ハプニングに見舞われながらも、一門はまだまだ走れそうだった。


 ※


「さすがにもう慣れたよ」


 何に?


 何気なくこぼした自分の言葉が奇妙だった。

 燃え盛る樽。亡者の警備兵。どこからどう攻めてくるか。頭ではないどこかが、それを知っていると言っている。


 本当に?


 亡者となった者たちの行動はワンパターンだ。体に染みついた行動をひたすら繰り返す。それしか残っていない。それしか、残せていない。だから知っている。そういうことだ。


 なら、いいか。


 しかし、一緒にいる小柄な少女が言ったことが気になる。

 オーランがもう終わっている?

 何のことだ? オーランはまだ栄えている。多くの開拓民がいて……多くの……?


 何かを忘れている気がする。大切な何か。いや、忘れてなどいないか? 忘れたことすら忘れている……どっちだ?


 しかし、思い出そうとすると、何かが見えてくるような気がした。

 ふっと、火の揺らめきような何か……そう、何かが……あれは……あれは……。


「しかたねえ、もう少し端折って……。これでどうだ?」


 ヌッッッッッッ!!


 …………。


 ……?


 ええと、何だっけ。今、何か、考え事をしていたような……。


 ああ、そうそう。そうだ。


 もうちょっとで見えそうだったのに、見えなかった。

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