第128話 ガバ勢と火採りの地
RTAの装備は、基本的にチャート次第だ。
レイ親父のようにいつも着流し一つの場合もあれば、途中で“天水の羽衣”のような有能装備に取り換えたりすることもある。
しかし――こんなにも非日常的な格好の走者を見るのは初めてだった。
背丈は高くもなく低くもないといったところ。筋肉は限界までねじられたバネように引き締まり、ボロ布のような下着一丁の無防備さに反して、頭部には堅牢なフルフェイスの鉄兜。
(これマジ? 上半身も下半身も強靭すぎるだろ……)
頭部への致命傷以外、何も考慮していないスタイルだ。
唖然とするルーキの目を引いた要素はもう一つ。
男の四肢にびっしりと彫り込まれたタトゥーだ。トライバルか
声や肌の様子から言ってもまだ若い。一体何者で、どうして地下牢にいたのか……。
「また会えて嬉しいぜシルド。今回もよろしくな」
「ええ、よろしく……」
サグルマが差し出した手を、シルドと呼ばれる鉄兜男は好意的に握った。〈ダークエレメント〉の地オーランに到着して以来待っていた相手というのは、彼で間違いなさそうだ。
サグルマはさらにこちらを目で示し、
「こいつはうちの新人のルーキだ。今回が初めての〈ダークエレメント〉になる」
「よ、よろしく……」
ルーキも握手をしようとして、自然とタトゥーに目が行った。
ぎょっとした。それは単なる模様ではなかった。
文字だ。何かの文字が、びっしりと手足に書き込まれている。
こちらの目線で察したらしく、シルドが兜の中からくぐもった声で言った。
「ああ、これは………………そう、チャートだよ。紙に書いて見ている余裕がなくてね…………」
「そ、そうなんですね」と納得して、握手を交わしながら何気なくチャートを読み――再び息をのむ。
『
「……!?」
同じ単語が、他よりも一回り大きな文字で数行に渡って書き連ねられている。
何のことだろう。シルドという名前はシールドという単語とよく似ているが……。
何か執念じみたものを感じ、握手を終えたルーキは、他の走者たちと挨拶しているシルドの異様に引き締まった背中を呆然と見つめた。
ふと、それらの奥にいる走者たちに目が留まる。
一門ではない一般走者たちだ。
RTAの人気スポットだけあって、多くの走者――そしてそれを当て込んだ商売人も集まっている。ピクニック気分のエンジョイ勢もいれば、序盤に出現する特定の標的を倒すまでを競う、という極めて短時間のRTAをする者たちもいるらしい。
この多様さ、悪く言えばユルさも、参加者の多さゆえだ。走者を勇者の末裔と見なすうるさ方が、昨今のRTA事情に憤る理由もわからなくもない光景である。
彼らは一様に、ここ祭事場に仮設されたスタートキャンプにて、装備品の最終チェックを行っている。普段は救援物資を背負っている彼らも、今回は必要な荷物しか持ちこんでいない。それは、このオーランと呼ばれる土地特有の理由があった。
“火のエレメント”
この開拓地にはそう呼ばれる不思議な力があり、住人を飢えや病から守ってくれている。話によると、老衰以外で死ぬことはほぼないらしい。だから、食料品や医療物資も必要ないのだ。
ルーキはそこからさらに視線を動かし、円形に浅く掘り下げられた、小さな祭壇のような場所へと目を向けた。
その中央では小さな火が揺れている。
最初は焚火かと思ったが、違う。
地面がそのまま燃えているのだ。
今、走者の一人がその燃える地面に近づき、腰にぶら下げた奇妙なデザインのカンテラを傾けた。すると、燃える地面から火の粉が舞い上がり、カンテラの内部へと流れ込んでいった。
「へっ……毎度毎度、無駄なことを……」
皮肉と諦念が入り混じった声が視界の外から流れてきて、ルーキの顔を向けさせた。
疲れ果てた顔の男が、燃える地面を囲った石段の途中に座って、走者たちを見ている。
「もう終わってんだよ、火採りの儀式も、この土地も……」
走者たちをあざ笑うような彼に反応する者は誰もいなかった。服装や雰囲気からしてこの開拓地の住人らしいが……。
「ああ、ありゃあ、“終わってるオジサン”だ」
サグルマが横目で彼を見ながら教えてくれた。
「RTAのたびにああやって走者を野次ってる。元はこの土地の警備隊にいた男だ。開拓地最前線の戦いに心が折れちまったんだよ」
「悲しいなぁ……」
ルーキはぼやいた。
走者がRTAをするということは、開拓地が外敵に奪われたということだ。つまり現地で警護を担当する人々が敗走したということ。
華々しく名を広める走者たちに比べ、現地の警備隊はあくまでローカルで地味な存在にとどまる。いつか敗北するまで延々と戦い続けなければいけないという無力感と虚無感から心が折れてしまう人間は多く、彼もそうしたうちの一人なのだろう。
だがそれは、走者が考えるべき問題ではない。走者は走ることが第一で、それ以外のことは、それ以外の人々に託すべきだ。
「あれが火採りってヤツですか?」
話を切り替え、ルーキは燃える地面を指さしてたずねる。
「ああ。正確には、燃えてる地面は“火溜まり”で、火採りってのは火を移す儀式全般のことだな」
たった今到着したばかりの走者パーティも、カンテラを傾けて火を回収している。
「この開拓地にはああいう火溜まりがいくつもあって、それが線で繋がってこの地に恩恵をもたらしてる。だが、その中で一番でけえ火を“暗いエレメント”が塞いじまってるから、そいつを排除しにいくってのが〈ダークエレメント〉の概要だ」
説明を聞くルーキの耳に、「その一番大きな火があるという場所が――」という声が割り込んで来た。他の走者と挨拶しているはずのシルドだった。
「オーランの中心地“アノールベル”と呼ばれる王宮だ。その地下に、“最初の火溜まり”は存在する」
彼は離れた場所から、まるで誰かに宣言するかのようにわざわざそう告げてきた。それまでのどこかぼんやりした様子とはうってかわって、やけに腹の底まで響く声だった。
「――だそうだ」とサグルマは少し苦笑するように話を引き取る。
「ここは最初の火溜まりから一番遠い、“果ての火溜まり”って呼ばれている場所だ。だからかろうじて正常な火を保ってるが、他のところは供給源を断たれた上に暗いエレメントを流し込まれて鎮火しちまってる」
カンテラに回収した火を使ってそれらを再点火しながらゴールを目指すのが〈ダークエレメント〉の基本形。
火溜まりを元に戻すことで土地も力を取り戻し、様々な恩恵を授けてくれる。
「でも、最終的に暗いエレメントを払って最初の火溜まりを復活させれば、他も自動的に復活するんですよね」
「そうだ。火採りの回数をできるだけ減らすのも、タイム短縮ポイントだな」
「ただ、火採りは大人数で繰り返せばそれだけ恩恵も強まるから、先頭の走者だけじゃなく、後続の再点火も重要になる……」
「ほお……。そんなことまで調べてたか。チャートには組み込みにくい特性だが、知っておくことに損はねえ。なかなかやるな」
「へ、へへへ……」
照れ笑いを浮かべたルーキを、サクラが小突いた。
「最近勉強したばっかのところが出てよかったっすねえ」
「やめろォ(本音) やめろォ……(本音)」
と、そこでレイ親父の声が響いた。
「んじゃ、そろそろ行くか。忘れ物はねえな? 火採りはしたな? 小便は済ませたか? ……待て、俺が行ってねえや。ちょっとそこらでしてくる」
『ぬっ……(返事)』
レイ親父が近くの岩陰に小走りで向かった後は、微妙な沈黙が訪れた。全員が何とも言えない無の表情のまま、時が過ぎるのを待つ。
「いきなり黙るなっす」
「オォン!?」
ルーキのわき腹にサクラの斬影拳が入ったところで、レイ親父が戻ってくる。
「よーし、んじゃ改めて〈ダークエレメント〉、はーい、よーいスタート!」
『ホイ!』
直後、全員が他の走者たちとは真逆の方向に進みだした。
「えっ!?」
ルーキは慌てて、踏み出す二歩目の向きを百八十度変え、一門に続く。
「そ、そっちなんですか?」
他パーティは遠くに見える水路橋を目指してキャンプを出発している。しかし一門が向かったのは、地下への階段だった。
近くには人骨が散乱しており、極めて危険な臭いがする。
「ええと、チャートには……」
本チャートから書き写したカンニング用チャートを見返すと、カタコンベにて〈死の王ニテ〉と誓約、その後に“ニテ剣”取得とある。
チャートは基本的に、無知な者が使うことはない。走る本人の下調べの上にできあがるものだからだ。だから、“どこにカタコンベがある”などというような基礎知識は省かれていることが多い。
(や、やばい……)
ルーキは、シルドと並んで先頭を行くレイ親父をちらりと見た。
成長した自分を見てほしいのに、初手ガバはまずい。
「い、言わなきゃバレへんか……」
「言ってるんすよねえ……」
サクラはすべてを見ていた。
不意に、カタカタと乾いた何かが鳴る。風が落ちた小枝でも転がしているのかと思ったが、違う。
地下へと降りる階段に散らばっていた人骨が、糸に釣られるように立ち上がっていく。
「スケルトンか……!」
魔力によって操られるアンデッドだ。開拓地によってその強さはまちまちだが、高難度で知られるこの〈ダークエレメント〉では楽観視できる戦いなど一つもないと覚悟している。
(よし、初戦闘! ここで成長した俺の力を――!)
と、意気込んだルーキは愛用のショートソードに手をかけ――目を丸くした。
全員が、スケルトンをスルーして脇を全力で駆け抜けて行くのだ。
驚いた様子のスケルトンが慌ててサーベルを振るおうとするも、脇を通り抜けたばかりの走者に横から蹴りを入れられて、階段を転げ落ちていった。
スケルトンは砕け散ったそばから再生していくが、その間にも走者たちは彼の横を走り抜けていく。誰もまともに相手にしようとしない。
「立ち止まるなよルーキ。ここから下まで一気だぞ!」
「えっ、えっ!?」
サグルマの言葉に目を白黒させつつ、「とにかく走ればいいんすよ!」とサクラの両手に背中を押されたルーキは、復活した直後にまた蹴っ飛ばされたスケルトンを尻目に、慌ただしく階段を駆け下りた。
その先で切り立った崖に出る。
祭事場は崖際に作られており、その下に位置するカタコンベは、岸壁に沿って作られているようだ。
「どけコラ!」
「流行らせコラ!」
「お邪魔するわよ~」
次々に立ち上がっていくスケルトンたちを、一門走者が死者への敬意など一切感じさせない893キックで崖下へと蹴り落としていく。
だが大部分はやはりスルー。無視して脇をダッシュが基本だ。
「サ、サグルマ兄貴! 後ろがやばいことに!」
ルーキは背後を見ながら悲鳴を上げた。
放置されたスケルトンたちが、大軍となって追いかけてくる。戦闘以外の知能は完全に消失しているのか、お互いの手足が絡まり合って倒れ、骨の塊となって転がり出す始末。そんな中でも遮二無二振り回されるサーベルが硬い地面を斬りつけ、おぞましい音を立ててこちらを威嚇してくる。
「止まるんじゃねえぞルーキ!」
腰の破動剣を手で押さえつつ侍走りするサグルマに言われるまでもなく、あんなものに潰されたら一瞬でミンチにされてしまう。
ルーキは走りながら前方を確認した。
潮風と波に侵食された入り組んだ地形の中、カタコンベは、地面の内部に出たり入ったりと複雑な道をたどりながら下へ下へと延びている。光が差してわずかに見える岩壁内部は人骨と棺だらけで、迂闊に踏み込めばタコ殴りにされるのは目に見えていた。
本来なら盾でも構えながらじっくりと進みたくなるようなダンジョン。
(それを走り抜けるのか、マジで!?)
ルーキが顔を青くした時、サグルマの声が前方で弾けた。
「オラッ、ここから飛び降りろ!」
「ファッ!?」
足場の際で立ち止まった彼が、後続に対して手を振りながら合図している。
見れば、走者たちは一切の躊躇なく崖下に飛び込んでいた。
「そマ!?」
「いいから行きやがれ!」
ルーキは破れかぶれで前の走者に続いた。
下には崖際から突き出た足場がある。先に飛び降りた走者たちは着地と同時に前転し、衝撃を殺しながら再び走り出していた。
(ショートカット!)
ルーキは心の中で叫ぶ。
大胆なショートカットは〈ダークエレメント〉の華。ここでRTAが初めて行われたその日から、走者たちは皆、有効な最短距離を探すことに血道を上げてきた。
鮮やかな戦闘技術やリソース管理など、〈ダークエレメント〉には様々な見どころさんがあるが、もっとも耳目を集めるのはやはりこのショートカット。
落下ダメージや隙間にハマるリスクを恐れずにタイムを追求するその姿は、走者の(ヤバイ)精神が形になったようだとすら言われる。
「軽業はむしろ得意分野だろ?」
すぐ上からサグルマの声がする。
その言葉に背中を押されたように、ルーキは「はい!」と元気よく返事していた。
ビビるところじゃない。ここは、俺の見せ場だ!
「頼むぜ相棒!」
左腕のグラップルクローを射出。食いつけるポイントを的確に見抜きながら、足場を降下していく。この高速移動、ついてこられるのは忍者のサクラくらいで、一気に先頭のレイ親父たちを追い越す。
「やりますねえ!」
「ええぞ、ええぞ!」
「ナカナカヤルジャナイ!」
背中で先輩走者たちからの喝采を受け、レイ親父はどんな顔で見ていてくれただろうと振り向いた時だった。
「あ……」
足場から飛び降りようとしていたシルドの足が、ずるりと滑る瞬間が見えた。
ぐしゃあ、べきべき、ぼぎりぃ、メメタァ!
「うわあああああああシルド兄貴ィィィイイイイ!?」
それまでの加速もあって、彼はズタボロのボロリンチョになりながら岩場を転がり落ちてきた。
崖を滑落するというのは、人体がすりおろされていく過程とまったく同じだ。おまけに鉄兜以外服すら装備していないため、ルーキのそばにビターンと墜落した時には、もう自主規制なしには見られないような悲惨な姿になっていた。
しかし――死体としか思えないシルドの腕が伸び、腰(?)の後ろから取り出した小瓶を口のあたりにもっていった瞬間、異様なことが起こる。
しゅうしゅうと湯気を上げてシルドの体が再生していったのだ。
「な、なにィ!?」
「おう立ち止まってんじゃねえぞ新入り! さっさとその穴に入れ!」
「で、でも親父! シルド兄貴がなんか死んで復活したんですけど!?」
「気にするな! シルドは“オルダ瓶”を持ってる。オーランで火に守られてるヤツは、あれさえ飲めば何度でも復活できんだよ!」
駆けつけたレイ親父にあっさり抜かれたルーキは、しれっと走り始めたシルドを呆然と見つめた。さっきよりもわずかだがバランスを欠いたような走り方をする彼は、自分が瀕死だったことを気にする素振りもなく、その先の壁の穴へと向かっている。
入口からは、わずかに内部の石畳が見える。これまでの墓とは違い、何か大事なものがそこに収められていることを予感させた。
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