第127話 ガバ勢と〈ダークエレメント〉

 その日、〈アリスが作ったブラウニー亭〉ではいつも通りの自堕落な時間が流れていた。


 三十分おきに流れる本日のジングルは「トモヲー!」。ゆえも知らぬ男の叫びだったが、サクラと一緒にRTA資料を眺めていたルーキがその正体を追求することはない。ジングルが流れた瞬間、みんなと口をそろえて声真似をするだけだ。


 しかし、一人の報せが店内の雰囲気を一変させる。


「親父! ルート1・08・53に襲撃案件です!」


 瞬間冷凍されたように一瞬で固まった空気の中、「そろそろじゃねえかと思ったが、マジで来たか」という一門の長の声が店内の隅々まで行き渡り、走者たちの視線を彼へと集中させる。


「よし、動けるヤツは準備しろ! 俺と来るヤツは残れ!」


 その言葉に呼応して一門が一斉に動き出した。


 突然のことに驚いたものの、ルーキの気持ちはすぐさま高揚へと向かう。

 久々の一門総出RTAだ。レイ親父やサグルマと一緒に走るのもいつ以来だろうか。


(この日を待ってた!)


〈ランペイジ〉で成長した自分を、先輩走者たちに見せつける時を。


 そんな気分の中、走者たちの動きが一様でないことが、ルーキの脳裏に小さな疑問符を浮かばせた。まったく無関心に相談を続けているメンバーは、恐らく別のRTAに先約があったと予想がつくが、それ以外は親父の元に集う走者と、忙しなく出ていく走者に二分されている。


「サグルマ兄貴、今回はみんな一緒じゃないんですか?」


 ルーキは頼れる兄貴分にそう問いかけていた。すると隻眼総髪の彼はやや苦々しい顔をして、


「ああ。今回親父がやるのはレギュレーショナーのルートだ。それをやらない場合は各々のチャートで走ることになる」


 レギュレーショナーとは、RTAに自ら制限をかける走者のことだ。一時期的に制限を設ける者もいれば、生涯それを維持し続ける者もいる。

 レイ親父がRTAに制限をかけているところなど見たこともないので、前者だろうが……。


「どんな制限を? あ、いや、そもそもルート1・08・53って、どこでしたっけ?」

「開拓地オーラン、通称〈ダークエレメント〉っすよ」


 サクラの答えを聞いてルーキは目をむいた。


「〈ダークエレメント〉!? マジか!?」

「何だ? でかい声出して。何か思い入れでもあんのか?」


 今度はサグルマが聞いてくる。ルーキは思わず身振り手振りを加えて答えた。


「だって〈ダークエレメント〉って言ったら、屈指の人気RTAスポットじゃないですか! 俺、あそこを走るのが密かな目標だったんですよ!」


悪路クソコースばっか走る一門に入ったくせにミーハーな目標すね……」とサクラが失笑するのに対し、サグルマはまた少し違う反応を見せた。


「だったら、今回は俺たちとは別々の方がいいかもな」

「えっ? 何でです?」

「俺たちの縛り内容が一般的なものじゃねえからだ。巡礼者ピルグリムっつうんだが、知ってるか?」


 ルーキは首を横に振った。


「んなら、“トロフィー”については?」

「RTAを完走した記念品みたいなものですよね?」


 ルーキが確認すると、サグルマはうなずいた。


 トロフィーはそれぞれの開拓地が感謝を込めて走者に贈呈する場合もあれば、走者が勝手に記念品として持ち帰る場合もある。かの十倍ウォークを生み出したルート8・24・51で、レイ親父が開拓民からもらったトロフィーを硫酸につけて破壊しようとしたできごとはあまりにも有名。


「近頃走者が増えてきたことで、RTAの評価幅も広がってな。スピードが第一なのは揺るがねえが、他にも開拓地や都市部に貢献するような英雄的行為には何らかの評価があっていいんじゃねえかって話になってんだよ。それで、開拓地ごとに細かいトロフィーが考案された」

「へえ……。今まで走ったのにも、実はあったんですか?」

「いいや、これはまだ開拓地の中でもごく一部での話だ。それに、このトロフィーもマジでだたのオマケみたいなもんだから、タイムを犠牲にしてまで獲りにいくようなもんじゃねえ。ただ、〈ピルグリム〉は別でな……」


 彼はそこでなぜか苦い顔になった。


「〈ピルグリム〉はこのトロフィーをすべて回収するレギュレーショナーだ。開拓地と都市に対して最大の貢献をする――って言やあ聞こえはいいが、実際は魔王をほっぽってものすげえ寄り道になる。まともなヤツがするようなもんじゃ――」

「よーし、残ったヤツは俺とってことでいいな。チャート配るからしっかり見とけよ見とけよー」


 サグルマの説明の途中で、レイ親父の声が店内に広がった。

 ルーキは店内を確認する。残ったのはおおよそ十名ほどだろうか。最初に店にいた一門の三分の一ほどだ。


「で、どうすんすか?」


 サクラが聞いてきた。


 チャートを見ていないから何とも言えないが、今のサグルマの話を聞く限り〈ピルグリム〉は明らかに普通の走りとは異なる。


〈ダークエレメント〉には委員長たちガチ勢も当然出てくるはずだ。あの開拓地が人気の理由は、ただ流行っているからというわけではない。難しくそれでいて自由度が高く、さらにチャートに工夫のし甲斐がある土地だからだ。そんな場所を熟練走者たちが放っておくはずがない。


 彼女たちと直に競いたいなら、レギュレーショナーでない方がいい。

 しかし、一門で――レイ親父やサグルマたちと行けるRTAの機会を逃したくもない……。


「サクラはどうする?」

「サクラは……ま、まあ、どっちでもいいんじゃないっすかね……。……ガバ……さんがいるなら……」

「何だ? 聞こえないぞ」

「……どっちでもいいっすよ! そっちこそどーなんすか、さっさと決めるっす!」

「俺は…………。親父たちと行く」


 RTAの本場で委員長と会えないのは少し残念だが、やはり自分はレイ一門だ。自分がどれだけ成長したのかを、親父や先輩たちに見てもらいたい。

〈ダークエレメント〉は今の実力を試すのにちょうどよいRTAだ。


 高難易度で知られる土地ではあるが、こっちだってなんやかんやで〈ランペイジ〉でそこそこの成績を残した身だ。後から知ったが、自分たちのパーティは走者たちの間でちょっと話題になっていたらしい。

 その実力を間近で見たら親父もきっと……。


「何をニヤニヤしている! さっさとチャートもらってくるっす!」

「ほよっ!?」

 サクラに背中を蹴飛ばされ、ルーキは親父の元へと向かった。


 ※


 デッデッデデデデ!(カーン)デデデデ! デッデッデデデデ!(カーン)デデデデ!

「イクゾー!」「ホイ!」


 開拓地へ向かう列車の中で、ルーキはサクラと背中合わせに座りながらチャートを眺めた。

 かなり複雑な走行コースだ。ただ単にゴールへの積み木をしていく通常の形と違い、様々な稼ぎが必要になってくる。


 特に厄介そうなのがこの二つ。

 すべての魔術を回収する。

 すべての珍しい武器を回収する。


 膨大なチャートを流し読みしても、それに該当するものが各場面で出てくるあたり、RTA全般に渡ってこの回収作業を行わないといけないのだろう。長丁場が予想される。


 ルーキは「サグルマ兄貴」と、近くで雑魚寝しているサグルマに呼びかけた。


「これって、どれくらい時間かかるもんなんですか?」

「…………まあ、三日か四日ってとこだ」

「あれ? 案外短くないですか。ルート0だって、確かそれくらいかかりましたよね。〈ランペイジ〉はもっと……」

「走ってみりゃあ、違いがわかるぜ」


 どこか含みのある声で言うと、それ以上の問答を断るように彼は寝返りを打った。


「どういうことだろうな。サクラは何か知ってるか?」


 ルーキが後ろに体を倒しながらたずねると、彼女は「知らんすね。こんなもの好きなレギュレーショナーからして」と言いながら背中で押し返してきた。


 ルーキは気楽に、


「まあ、いいか。当日になればわかることだし」|

それなインディード

 ※


 左様インディード


 おまえ様はね、選ばれたんだよ。

 誰にかって? このオーランの大地と暗いエレメントにさ。

 多くの者が目指して消えた、人が最後に巡るあの場所へ。


 悩むことはないよ。

 空に月と太陽があるように、人にだって二つのものがあるもんさ。

 それに従うか抗うかも自由。


 ただし忘れなさんな。結末はおんなじだ。誰にとってもね。

 どうせおんなじなら……どっちを選ぶね? なあ、おまえ様よ……。


「…………」


 誰の声だっただろう。目覚めの直前まで耳の奥で鳴り響いていた声は、今はすっかり薄日の中に溶けている。

 手で探る。硬い石の感触。ここは……どこだ?

 見回す。正面に、半開きの錆びた格子扉。


「牢獄……か? 何で、僕はこんなところに……?」


 牢屋にしては妙に明るい。見上げれば天井の一部が崩れていて、あえかな光と、雑草を巻き込んだいくらかの土砂が穴から入り込んできている。


「地下牢か……」


 身を起こして石造りの廊下へ出る。無理な体勢で寝ていたからだろうか。体の節々が痛む――ような気がした。

 薄暗く殺風景な通路を歩くうち、次第に筋肉がほぐれていく――気がする。


 だが、どうしても頭の重さだけが取れない。自分の足音もどこかこもって聞こえる。


 古びた石の臭いを抜け、外に出た。わずかに増した光の下で、次は鉄の臭いが強まる。

 そこで、会った。


「よう。お目覚めか“シルド”」


 白い髪の幼い人と、他に屈強そうな人々。


 シルドという音の響きが妙に耳に馴染み、「親父……」と勝手に口から出た言葉が、なぜか、外界の風よりも程よく体に染み入っていった。

 頭の一部がなぜか開いた気がして、そこで、ああ、なるほど、と思う。


 また“火採り”の時期か……。


 ※


 ルーキは唖然としていた。

 列車を降り、今RTAのスタート地点となる古びた祭事場へと到達。

 その一角で待つこと少し。そばにあった朽ちた地下牢から一人の男が現れた。


 フルフェイスの鉄兜に、パンツ一丁の男が。

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